「違いが分かる大人」って、なんだかいい響きですよね。

筆者ももういい大人なんですけど、違いが分かる大人かどうかと言われると…程遠い感じです。

これから先、そういった違いがわかる大人になれるかどうかは自分次第なのかな?とも思いますが、でも、簡単なことではないとも思うんですよね。

そもそも身近に、本当に違いの分かる大人が少ないようにも思えるのですが…みなさんはどう感じていますか?

今の世の中、価値があるとされているモノに、本当に価値を見い出せている人がどれだけいるのか?って考えたら、もうめちゃくちゃな感じもしているんです。

もちろん、低所得者である筆者の環境だから、身近に“違いの分かる大人”が少ないとも言えますけどね。

でもだからこそ、“違いが分かる大人”に価値があるのかどうかも、筆者としてはイマイチよくわからないんです。

違いが分かる大人って憧れますよね

それでも、違いがわかる大人って、なんだか憧れる気持ちもありますよね?

いや…筆者自身は憧れるというより、自分が「違いが分かる大人でありたい」っていう願いの方が強いかもしれません。

漠然とした憧れ感よりも、自身がそうでありたいし、そういう人が増えてくれたらいいなとも思います。

でも、そもそも“違い”ってなんだろう?って思いませんか?

世の中の価値ってなんだろう?って、筆者はふと疑問に感じることがあります。

現代だと、その価値はお金で表されているけど…価値とお金が、本当にイコールになっているのかな?って、ときどき分からなくなります。

もし、違いが分かる大人達が、その違いに価値を見い出し、それに見合うお金を払っているのなら…伝統技術が消えていく世の中にはなっていないはずなんですよね。

貧困の多い国から比べれば、日本は格差が少ないかもしれない。

けど、それでも譲れない思いと世の中の流れの狭間で苦しみ、安い賃金で何とか生活をしている人がいるのも事実。

これって、違いの分からない大人たちが作ってきた世の中なんじゃないかって、筆者は思うんです。

1. 「違い」ってなに?


違いが分かる大人の、“違い”って皆さんは何だと思いますか?

筆者は、その物やサービス、人々の本質だと思っています。

そして、違いが分かる大人とは、その本質を見抜ける力…というより、その本質を知ろうとする行動力がある大人だと思います。

その物がどんな素材で作られているか、その素材がどうやって生まれたのか、その素材を使ってどんな人が、どんな思いで作り上げたものなのか。

その素材、それを使って作る技術、その技術をもった人の苦労や努力…1点のものに想いを馳せ、心を動かされる。

その感動と感謝をもって、それに見合う対価を支払う。

これが、本来の流れであり、違いの分かる大人の姿勢だと思うんです。

違いを見い出すことが出来なければ、その物やサービスに対して高いと感じてしまいますし、お金も払いたくない。

…それは当然です。

ただ、ちゃんとその物の価値を見い出す能力を持ち合わせている人って、圧倒的に少ないですよね?

何かにお金を払う時、きっとみなさん同じようなものと比べて、高い安いを判断していますよね?

それでは、その物の本質は見ていないことになります。

もともと提示されている値段を見て価値があるかどうかを判断したり、値段の違いを見て違いがあると感じているに過ぎません。

また、高価なものに、多額のお金を支払うことにステータスを感じている人にも、同じことが言えると思います。

お金で示された価値を、価値のあるものだと思っているだけ。

やっぱり本質は見えていないと思うんです。

本物と偽物を見抜けるか

“違い”ってなんだろう?って考えた時、単純に考えれば「本物か、偽物か」を見抜く力ってことになります。

でも、そもそも本物ってなんなのか?偽物は何を持って偽物なのか?って…その境目すら、曖昧になってしまっていませんか?

もちろん、ブランド品の模倣品であれば、偽物っていうのは分かりやすいですよね。

そのブランドの物を購入したつもりなのに、実はそっくりに作られた模倣品を購入していたのなら、偽物を掴まされたってことになります。

でももし、そのブランドに価値を見い出し、そのブランドで作られた物を心底欲しいと思っていたわけではなかったら、似た雰囲気を楽しめて尚且つちょっと安く購入できる偽物が、自分にとっての価値ある本物になるのかもしれませんよね。

つまり、高価なものに高いお金を支払うことにステータスを感じているのなら、本物じゃなくたってある程度満足出来てしまうことになると思うんです。

これを言ってしまうとちょっと極端ではありますが…本物か偽物かってそういうことだと思うんですよね。

例えば、100円ショップに売っているようなコップと、1個3,000円以上するようなコップを例にするともっと分かりやすいでしょうか。

コップなんかでも、有名ブランドのコップがあったりしますよね?

でも、それと似たようなおしゃれなデザインのコップが、100円ショップでも販売されていたりもします。

使用用途は同じだし、同じように使えます。

飲み物を飲むってことで考えたら、100円で十分だし、100円ショップで売られているものも正真正銘のコップであって、偽物ではありません。

でも一方で、同じように使えるコップが3000円以上で売られていたりもする。

どちらが本物で、どちらが偽物かでいったら、きっとどちらも本物なんですよね。

もちろん、有名ブランドの名を語ってそっくりな物を作って販売していたら、それは嘘偽りのある偽物です。

でも名前を語らずに、ブランドの象徴となるようなマークやデザインが無ければ、それは本物とも言えると思うんです。

他人の言葉に振り回されていないか


違いって、その物の価値をどこに見出すか、その個人個人の価値観にも大きく委ねられていると思うんです。

たとえ100円のコップだって、それを作っている人がいて、100円で販売されるからには、低賃金で苦しんでいる人もいることでしょう。

100円という破格が、どうして実現しているのか…素材や大量生産できる製法の違いがあるにしても、誰かの犠牲の上に成り立っている可能性もあるんですよね。

今、100円ショップで販売されているものの質が良いことを考えると、正当な対価とはなっていないのではないかって、筆者は思えてなりません。

安く、手に入れやすい価格で販売してくれていることに対し、有難みを感じ、感謝をもって100円以上の価値を感じ取れるかどうかっていうこともまた、違いを知るためには必要なことだと思います。

今の景気が良くなっていかないのだって、こういった仕組みがあるからなんですよね。

物に対する正当な対価が支払われていれば、格差だって無くなっていくはずなんです。

…とはいえ、筆者も100円ショップには大変お世話になっていますよ!今の所得を考えたら、本当に有りがたい存在だし、無いと困ります。

でも余裕があるのなら、価値あるものに正当な対価を支払える大人でありたいと思っています。

私たちの価値観って本当に、世の中の情報に大きく操作され、踊らされていたりもするんですよね。

“他人の言葉に振り回されていないか”と考えた時、振り回されている人がほとんどじゃないですか?
特に“ブランド”という言葉。

もちろん、ブランド化されるにはそれだけの人気があって、製法や技術に自信があってのことだから、ブランド品が高価になるのも当然です。

でも、最初にその物に価値を見い出した人はそのブランドの本質を見抜いていたとしても、有名になってから、価格が上がってからは…そのブランドネームに踊らされているだけになっている人のほうが多いのではないでしょうか。

ブランド品であっても、そのブランドネームにお金を支払うのではなく、その物がブランド化していった理由や素晴らしさなど、自分なりに本質を見極め、違いを見い出すことが出来なければ…違いの分かる大人とは言えないですよね。

2. 違いがわかる大人になるとどうなる?

漠然とした憧れのある違いが分かる大人。

筆者としては、そうありたい、そうあるべきと願う違いが分かる大人。

この違いが分かる大人になると、どうなるのでしょうか?

筆者個人としては、違いが分かり、物の価値が分かるようになると、満足度が高くなると思っています。

丹精込めて作られたもの、誰かの思いが詰まった物を、正当な対価を支払って手に入れると、それに対する喜びや感謝の気持ちで溢れていくはずです。

それは、自身の感動でもあり、それを作った人やサービスを提供してくれる側の喜びにもなっていくものですよね。

自分が違いの分かる大人になることで、世の中は喜びと感動で満ち溢れていくと思うんです。

ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、実際、ひとりひとりが違いの分かる大人でありたいと意識していくことで、世の中の流れも変わっていくはずです。

感性が洗練される

また、違いが分かる大人になると、感性も洗練されていくんですよね。

…というより、感性が洗練されていくことで、違いが分かる大人になっていくと言った方がいいかもしれませんね。

良いものにふれ、良いものを見て、物やサービス、人の背景を知ろうと行動していくと、自身の感性が刺激されて、“価値”とは何なのか?ということも、分かっていくと思うんです。

世の中で価値があるとされるものではなく、自分にとっての価値あるもの、自分の感性が刺激されるものを探していくと、物の見方は本当に変わっていくと思います。

そうすると、お金を支払うことも、喜びに変わっていくはずです。

こういう感覚の大人が増えていくことで、世の中にも良い流れが生まれ、喜びが循環していくのだと思います。

【感性については、こちらの記事もチェック!】

偽物にがっかりすることが多くなる

さらに、違いが分かる大人になると、偽物にがっかりすることが多くなる…というより、偽物を手にすることも無くなっていくのではないでしょうか?

自分で違いを見極め、自分なりに価値を見い出したものを手にしていれば、「本物だ!偽物だ!」なんて価値観も無くなっていくはずですからね。

自分で納得して、正当な対価を支払って手にしたものなら、そこには十分な満足感を得ているはずです。

あとで偽物と知ってガッカリ…なんて感覚は、物の本質を見ず、ブランドネームや他人の言葉に振り回された結果。

違いが分かる大人になっていれば、自身の感性に従って物を見るようになるので、偽物か本物かなんてことも気にならなくなっていくでしょう。

3. 偽物が増えてきた日本

偽物が増えてきた日本…と言われているようですが、本当にそうなんでしょうか。

日本に偽物が増えてきたのだとしたら、やはり日本の大人たちに、違いが分からない人が増えたからなんだと思います。

もちろん、筆者もそのひとりと言えますけどね。

でも長年の不景気の中にある日本では、仕方のない流れだったのかもしれません。

筆者も今、違いの分かる大人でありたいと願いながらもそうなれないのは、経済力の無さがゆえ。

価値あるものに、正当な対価を支払う余裕がないのです。

なので…お金のある人にはぜひ、違いのわかる大人になって、物の本質を見て、価値を見い出して、正当な対価を支払う流れを取り戻す一役を担って欲しいと願いますね。

これをよく思うのが芸能人。

それなりのお金を得ている人達、そして影響力のある人たちには、庶民派なんて装ってないで、良いものにきちんと対価を支払う姿勢を見せて欲しいって思ってしまいます。

安かろう悪かろう

安かろう悪かろう…本来これって当たり前なんですけど、今、価値や違いがめちゃくちゃになってきているのは、安くても品質の良いものが増えたからだと思いませんか?

昔はやっぱり、安いものはそれなりっていうのが当たり前でした。

もちろん今でも、安いものは安いなりのものだったりもするけど、思ったよりも悪くはないっていうのが今の流れですよね。

安い上に品質も良い。

それに多少品質が悪くても、「安いから仕方ない」で納得出来てしまうというものです。

こういったことが、使い捨ての世の中を生んでいるとも言えるんですよね。

安くてそれなりの物を使い捨てしていく世の中。

これが成立してきてしまったから、違いも価値も分からなくなってきているんだと思うんです。

先日、深夜にたまたま見たTVで、消えゆく伝統技術をテーマに、ハサミ職人を取り上げていました。

その技術は素晴らしく、軽くて切れ味も抜群。

量産されているハサミとの違いも検証されていましたけど、その違いは一目瞭然でした。

長年の経験と努力に裏打ちされた素晴らしいそのハサミにはもちろんファンもいて、ある仕立て屋さんは「このハサミ以外は使えない」と言っていました。

買う時は高くてとても高級品だけど、その精巧な作りゆえ、一度買ったら一生もの。

買い替えなくていいそうです。

でも、その技術の継承者はいない。

そのハサミ職人さんは大分お歳を召した方で、その方が居なくなったら、もうそのハサミが作られることはないそうです。

でも、その職人さんご本人が「今は安くていいハサミが沢山ある。

安いハサミでも切るって目的は果たせるんだから事足りる。

私のハサミが無くても困ることは無いだろう」といった内容のコメントをされていたんです。

現代の流れを静かに受け止めている…そんな印象でしたけど、筆者は胸が苦しくなりましたね。

本物を買える経済力が必要

筆者もソーイングをすることがあって、裁ちばさみを使うんです。

安いハサミを使ってはいますが、経済力があったなら、その職人さんのハサミを買いたいって思いました。

でも、筆者が経済力を身につけるころには、欲しくても買えないかもしれないんですよね。

本物を知るには、やはり経済力も必要ってことなんです。

筆者は今はまだ、そのハサミの良さを知ることが出来ません。

そんな筆者にとっては、手ごろな値段で購入できる裁ちばさみが必要でもあって…それが偽物かというと、そういうわけではありません。

物には違いがあるのは確か。

でも、それが本物か偽物か。

物の価値って一体何なのか。

もし今、手ごろな価格で手にすることができるハサミがなかったのなら、ローンを組んでそのハサミを購入するのだろうかって考えたら…今は答えが出せずにいます。

でも、本当に良いものに違いや価値を見いだせるだけの経済力がある人が、それをしないということは、世の中から本当に優れたものを消していくことにも繋がるんですよね。

違いが分かる大人になりたいって憧れは、誰にでもあるとは思います。

でも、“違いの分かる大人”になる本来の意味や役割りこそ、知るべきなんじゃないかとも筆者は感じているんですよね。

大人の責任として…。

違いが分かる大人になるために学びたいこと

違いが分かる大人ってどんな大人なのか…ここまでは、その意味や役割について考えてきました。

“違いが分かる大人”への憧れって、ある種ブランドへの憧れに似ていたりもすると思うんですよね。

でも、“違いが分かる大人”はブランドでもステータスでもない。

そこは勘違いして欲しくない。

と筆者は思っていて、それなりの大人の責任、世の中の流れを作っていく役割があることを感じて欲しいと思っているんです。

“違いが分かる大人”というブランドが欲しいだけの人が増えてしまうと、やっぱり“正当な価値”と言う点で、世の中どんどんおかしくなってバランスが崩れていって、本当に価値あるものは消えてなくなっていってしまいます。

ぜひ皆さんには、本当に価値ある“違いの分かる大人”を目標として欲しい。

筆者自身も含めてですが、そう願っています。

ここからは、その“違いが分かる大人”になるための模索として学びたい事を、ピックアップしてみました。

もちろん、ここにご紹介するものだけじゃ違いの分かる大人は語れませんが、物を知り、物を比べ、良い物に触れて感性を磨くこと。

行動しなければ、違いも知ることは出来ません。

ここで挙げる例を参考に、自分の興味のある分野から、違いを知る努力をしてみてはいかがでしょうか?

1.奥深いワインの世界

違いが分かる大人と言って、思い浮かぶ代表的なものがワインですよね。

筆者はアルコールが全く飲めないので、この分野に興味はありませんが、お酒を飲むっていう方でも「ワインが好き」って聞くと、なんだか高級志向のような、大人な雰囲気を感じたりもしちゃいます。

どんなアルコールにも奥深さはあると思いますが、ワインの世界もとっても奥深く魅力のある世界なんですよね。

実は筆者の母が、ワイン好きなんです。

ワインの世界を知りたくて、ワイン教室なるものに通っていたりもして、先日は教室仲間達とフランスに行きました。

しかも初海外でフランスですよ!筆者もまだ行ったことがありません。

フランスではワイン用に育てられているブドウ農園を訪ねたり、ワインの醸造所に行ったり…農家と契約までしてきて、新しいワインが出来たら送ってもらったりもするそうです。

筆者はまったくついていけませんが、ラベルの見方や香りの楽しみ方、味わい方など、ワイン教室に通ってからは、よりワインを楽しんでいるようです。

こんな話をしていると、なんだかセレブのように思われると思いますが、全くそんなことはありません。

普段はちまちま節約をする主婦ですし、パートもしている中の下程度のサラリーマン家庭です。

因みにワイン教室に来ている他の方々は、ちょっと上流階級の方が多いそうで(笑)母だけ、かなりの庶民派らしいんですけどね。

そんな庶民の母でも、知ろうと行動することでこんなにも世界が広がり、ワインの違いが分かる大人のひとりにもなってしまうんです。

もちろん、家では高級ワインなんて飲みません。

お高いワインは教室で飲み比べをさせてもらう程度で、自宅で飲むのは庶民でも手の出せる金額のワインです。

でも、それが偽物ってわけでもないし、安くても美味しいワインはあるんですよね。

ラベルから産地や製法を見てそのワインを知り、香りや味を楽しむ。

高級なワインにもその背景があるように、安いワインにも楽しみ方ってあるんです。

ですので母は、とっても楽しそうなんですよ♪

ワイングラスも、少しずつ良いものを揃えていたりもして…

先ほどの100円のグラスの話じゃないですけど、飲むってだけなら100円でもワイングラスは売られていて、それでも十分。

でも、ワインを知っていくにつれ、グラスの重要性にも気づくんですよね。

このワインならこの形。

このグラスなら、このワインをもっと深く味わえる…と。

そうやって、どんどん感性は磨かれていくんだと思います。

ワイン教室は街で行われるような、誰でも気軽に足を運べる料金のものです。

そうじゃなければ母だって行っていないはずです。

もちろん安いとはいえ、学ぶために多少のお金はかかっていますよ。

でも、そんな身近な街の教室で、高級ワインに口をつけることが出来たりもするんです。

高級なものを知れば、安いものの楽しみ方も分かる。

違いとそれぞれの良さを見い出すことが出来れば、もう立派な違いの分かる大人ですよね。

きっと違いの分かる大人って、高級志向ってことじゃないと思うんですよね。

“違い”っていうのは、どちらかが良くてどちらかかダメってことじゃない。

それぞれの良さを知るってことなのではないでしょうか。

2.高級食材と普通の食材の違い

違いって言って誰もが意識するのが、食材の違いではないでしょうか。

高級食材と普通の食材の違い…。

一番身近なものだからこそ、その価格の違いは意識するところになっていると思います。

でも、この高級食材と普通の食材にも、それぞれの役割や良さもあると筆者は思うんですよね。

何より意識すべきは、価格よりもやはり、その食材がどうやって作られているのかなんだと思うんです。

高級食材が高い理由、普通の食材が手の届きやすい価格で提供されている理由。

それぞれがあるのは、それぞれが必要とされているからですよね。

安い食材は、その生産者の努力や、筆者のような庶民に寄り添う思いがあるからでしょう。

筆者だったら、今食材は出来る限り安いものを選ばざるを得ません。

庶民の台所を支えているのは、安い価格で販売される食材で、なくてはならないものです。

それに、安いからと言ってダメなものとも限りません。

流通の仕方の違いで安く販売できるよう努力されている場合もあるし、筆者のような庶民のためにと、生産者や販売店がギリギリのところで提供してくれていたりもするんです。

なので、安いものには、どこかで誰かが痛みを感じていることも知らなきゃならないんですよね。

もしくは、安く販売するために、製造工程でロスが出ないよう野菜に大量の農薬が使われたりしていることもあるでしょうね。

食材は、つけられた価格がどうしてその価格になっているのか。

それを知らなければ、一概に高級と普通とで良い悪いを判断することは出来ません。

どこに違いを見い出せるのか、それが“違いの分かる大人”に求められているんです。

作り方のこだわり

食材では、特に作り方のこだわりに目を向けると、価格の正当性も見えてくるんですよね。

例えば卵。

卵だとスーパーでは10個パックで200円前後でしょうか。

でも、そんな卵がある一方で、10倍も20倍もする高級卵もあったりするんですよね。

筆者の近所にも、そういった卵を販売しているお店があるのですが、それは平飼い卵と言われるものです。

昔はどちらかと言えば平飼いが当たり前だった卵。

鶏たちが産んだ卵を、人間がおすそ分けしてもらうというのが本来あるべき姿なんですよね。

でも、栄養価の高い卵を安く手に入れたいという人間の身勝手な欲求から、いつしか鶏はケージにギュウギュウ詰めにされ、卵を量産させられる仕組みが出来上がっていったんです。

今私たちが、卵の栄養価を安い価格で手に入れることが出来るのは、鶏たちの苦しみの上に成り立っている。

それを忘れてはいけないんですよね。

そんな育て方に疑問が投げかけられ、改めて見直されつつある育て方。

それが、平飼いなんです。

平飼いの鶏たちは、ケージの中で身動きが取れない状態ではなく、平たい地面の上で放し飼いされています。

開放的な空間で、当たり前の日常を過ごす鶏たちには、ストレスがなく卵の栄養価もより高いんだそう。

この平飼いの卵が高級なのは、飼育できる数がケージ飼いよりも少ないからなんですよね。

鶏たちのことを考えたらどちらがいいか…。

違いと言う点では、この平飼いとケージ飼いでは価格以外に栄養成分や味。

また、ストレスの無い平飼いの鶏なら抗生物質も必要としないことから、安全性等となるのでしょう。

でも何よりも目を向けるべきは、鶏たちの育てられる環境ですよね。

鶏も生き物です。

そこから生まれた命をいただくわけで、鶏は卵の製造マシーンではありません。

そう考えたら、卵で言えば平飼いのほうがいいということになりますよね。

もし私たちが、平飼いの卵しか買わなかったら…ケージ飼いをしている日本の養鶏場は無くなっていくのでしょう。

そうならないのは、違いの分かる大人が少ないからでもあるんですよね。

消費者の求めに応じて取られる製法…。

私たちが違いを見極める目を持たなければ、こういうことが繰り返されていく世の中にもなっていくんです。

平飼い卵だって、平飼いが持てはやされるようになってからは、平飼いをしてはいるものの、衛生環境が悪い状態で育てられている場合もあると言います。

ただ平たい場所なだけで、鶏たちを拘束して卵を産ませる道具としか見ていない。

そんな平飼いをしている場合もあるそう。

これもやはり、“平飼い”というブランドに単純に踊らされることなく、本質を見極められるかどうかが問われていると思うんですよね。

3.良い音質にこだわった音楽の楽しみ方

違いが分かる大人のたしなみとしては、良い音質にこだわった音楽を楽しむということもありますよね。

筆者はこれもまた…音楽関係には疎いんですけど(笑)

それでも、以前は結婚式場の仕事で、音響オペレーターをしていたこともあり、スピーカーの違いなんかは、多少理解をしているつもりです。

少し前までは自宅でもちょっといいスピーカーを使って音楽を流していたんですけど、壊れてしまってからはスマホで音楽を流していたりもして、やっぱりその差は歴然。

リラックスBGMを流していても、スマホから聞いていると気休め程度で、たいしてリラックス効果も得られないんですよね。

もっと違いを突き詰めていくと、生演奏とそうでないものの違い。

部屋と音楽の響き方の関係なんてことにもなっていくでしょう。

結婚式場では広い部屋にいくつスピーカーを配置するかや、その向き。

そして響かせる音質や音量、曲選び。

こだわればこだわるほど、生演奏でなくても心にズシンと響き、感動すら覚えるものなんですよね。

その音楽の良さを最大限に引き出した環境で音楽を楽しむというのは、とても贅沢なことでもあると思います。

そういった違いの分かる人であれば、その音楽を提供するアーティスト側としても、アーティスト冥利に尽きるというものでしょうね。