何か悪いことがあった時に、それを「因果応報だね」と言う人っていますよね。

本人がしたことの結果が返ってくることを因果応報と言いますが、そのことわざの本当の意味を正しく理解して使えている人は、どの程度いるのでしょうか?因果応報の正しい意味と、よくある使い方をご紹介します。

正しい意味と使い方を知って、あなたも因果応報のことわざを使ってみましょう。

因果応報の使い方を学ぼう!

因果応報と聞くと、「悪いことをすれば自分に悪いことが返ってくるってことでしょう?」と当然のように返す人がいますが、実はそれだけが因果応報の意味ではありません。

一般的には「本人が悪い行いをしたら、それが何らかの形となって報いがある」と定着していますが、何も悪いことがあった時だけに因果応報を使うわけではありません。

また、場合によっては因果応報という言葉を使うまでもなく、「身から出た錆」や「自業自得」、「自分で蒔いた種」といった類語で済ませるような時もあります。

どんな場合に正しく因果応報ということわざを使えばいいのかを知るためにも、まずは因果応報の正しい意味から学んでいきましょう。

因果応報の基本


因果応報ということわざを正しく使うためにも、まずは因果応報の正しい意味を知ることから始めましょう。

正しい意味を知ることで、正しい使い方が出来るようになります。

また因果応報にはどのような類義語があり、それらをどんな時に使うかを学ぶことでも、より因果応報ということわざの使い方が分かることでしょう。

因果応報の意味や類義語、反対語やその語源について解説していきます。

意味

因果応報は、「善い行いをすれば善い結果が得られ、悪い行いをすれば悪い結果がもたらされる」という意味です。

元々は仏教の用語の一つであり、人が生き死にを繰り返す輪廻の中でもたらされることであるとされています。

そのため、単純に自分がしたことが返ってくるという意味で使うこともありますが、どちらかといえば前世での行いが現世へ返ってくるという、壮大な意味合いのものとなります。

日常生活で使うにしては少々大げさに思えますが、例えば不倫や略奪愛の果てに不幸になったり、自分の命の危険を顧みずに人を助けたら、大きな幸運に恵まれたりなど、自分が行った内容の規模が大きい時には違和感なくこのことわざが使えます。

一方で、日常のささいなことであれば、わざわざ因果応報ということわざを使わずとも、他の類義語で事足りるでしょう。

類義語


因果応報は、善い行いに対して良い報いが返ってくるという意味合いもありますが、それよりも悪い行いに対する悪い報いが返ってくるという意味合いでの類義語の方が圧倒的に多いです。

例えば「身から出た錆」「獣食った報い」「悪事身に変える」「墓穴を掘る」など、聞き覚えのあることわざから聞き慣れないことわざまで、実に多くの類義語があります。

そして、類義語だからといってどんな場合でもどのことわざを使っても良いかというと、そういうわけではありません。

本当にささいな違いではありますが、「この場合にはこのことわざ」というように、その場に最もふさわしいことわざがあります。

因果応報ととても近しいことわざとしては、以下のことわざがあります。

因果因縁

因果因縁とは、「物事を成立させる原因と、それによって生じる結果」という意味です。

例えばカラスが近くにいる場所で、道路に食べ物を投げるとします。

そうすると当然のようにカラスが飛んできてそれを食べます。

カラスが落ちている食べ物を食べることは誰しもが分かっていることです。

そしてまた、そのカラスの近くで食べ物を投げれば、カラスが飛んでくることも分かり切っています。

ごく当たり前のことのようでいて、そこにはきちんと物事を成立させるための原因と、それによって生じる結果の形が成されているのです。

もう一つ例を挙げるとすると、目の前に机があるとします。

その机の端のギリギリに水の入ったコップを置いた場合、何もしなければ絶妙なバランスを保ってコップはそのままの位置にあります。

しかしもしその場で誰かが大きくジャンプをしたら?振動が伝わった結果、コップは地面へ落ち割れてしまうでしょう。

この例えの場合、物事を成立させる原因となるのは机の端ギリギリに置かれたコップと、その場でジャンプをする行動。

そして生じた結果というのが、コップが地面へ落ちたことです。

私たちは日頃何気なく行動していますが、それには必ず結果がついてきます。

因果応報ではそれが善い行いと悪い行いで考えられていますが、この因果因縁は善悪に関係なく、物事にはそれを成立させる原因と結果があるのだという意味を持っています。

因果覿面

因果覿面(いんがてきめん)とは、「悪事の報いとしての悪い結果が直ぐに目の前に現れること」を言います。

因果応報と似ていますが、因果応報の場合には悪い報いのみでなく良い報いもあります。

また、報いがあるまでに長い時間がかかることもありますが、因果覿面は直ぐにその報いが現れます。

例えば翌日にテストがあるのに勉強をサボって遊んでいた結果、テストの結果がさんざんで親に怒られてしまった、またはお金が欲しくて親の財布から少し盗んでしまい、直ぐにそれがばれて大目玉を食らうなど、悪事を行った結果が直ぐに現れるのが特徴です。

応報覿面

応報覿面(おうほうてきめん)も、因果覿面と同じように「悪い行いの報いを受けること」を意味します。

「応報」は行いの善悪に応じた報いを意味し、「覿面」は直ぐに結果が正確に現れることを意味します。

そのため、応報覿面は「悪い行いの報いが正確に現れること」の意味でもあります。

意味自体はほとんど因果覿面と似ていますが、それが起こる場合によって微妙に使い方が変わってきます。

三世因果

三世因果(さんぜいんが)は、類義語の中でも特に因果応報と意味が近いです。

因果応報と同じく仏教用語であり、「過去・現在・未来の三世にわたり、原因があって結果が生じるという法則(因果律)が支配する」という意味です。

例えば過去に犯した罪が現在でも付きまとい、現在で起こった出来事が未來へ引き継がれるといったふうに、過去と現在と未来のすべてが法則によって定められているということです。

過去に起きたことが原因となって現在に影響するのは法則としては自然の流れですが、だからといってその法則を変えられないわけではありません。

過去に起こったことの結果が現在に現れた際に、それを反省して自分の行動を戒めれば、未來がその結果として明るくなる可能性も十分にあるのです。

輪廻応報

輪廻応報も因果応報とよく似ています。

輪廻応報は、「生き物が次の世へと生まれ変わり続けても、それまでの自分の行いの善悪に応じて禍福の報いを受けること」を意味します。

例えば前世で罪を犯した人は、現世でも何かの形として報いを受けることになります。

現世で一生懸命それに報いることが出来れば、来世ではまた少し違った形の報いを受けることとなります。

前因後果

前因後果とは、文字通り原因となるものが前にあり、後には結果がついてくるという意味です。

ダイエットをすると意気込んでいても、好きなものをつい食べて過ぎてしまうという原因があれば、自然と太ってしまう結果が現れます。

意味合いとしてはそこまで複雑ではなく、単純に自分がしたことに対しての結果が返ってきたということわざです。

元々中国で頻繁に使われている言葉でもあり、また戦国時代の武将がこの前因後果のことわざを用いて文章を残しています。

善因善果

善因善果は、「善い行いをしていれば、必ず良い結果に報いられる」という意味を持ちます。

因果応報と似ていますが、善因善果のことわざでは悪い行いをした時の悪い報いについては含まれていません。

あくまでも善いことをすれば良い結果が得られるという意味においてのみ使われる言葉と言えます。

自業自得

自業自得は、元は因果応報と同じく仏教用語で、その意味もまったく同じものでした。

しかし、現代の自業自得ということわざは、一般的には悪い行いをしたことに対して悪い報いがもたらされるといった意味で使われています。

因果応報よりも、自業自得の方が日常生活の中でも耳にする機会が多いですが、確かに悪い意味として用いられていることがほとんどです。

仏教用語の中でも一般的に親しまれていることわざのため、「因果応報だね」と使うところを「自業自得だね」と使うことの方が多いようです。

反対語

因果応報は、「善い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」という意味のことわざです。

そのため、基本的にはそれの反対語はありません。

しかし、「原因があって結果が起きる」という意味から考えると、「結果は最初から原因の中に含まれている」ということを意味する「因中有果(いんちゅううか)」ということわざが唯一反対語に当たると考えられます。

語源・由来

因果応報ということわざは、元々は仏教の用語から来ています。

仏教語で「因果」は「原因と結果」を意味します。

また、「応報」とは「行いの善悪に応じた報い」を意味します。

これが一つの四文字熟語となり、「善い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」という意味のことわざとなりました。

仏教の教えが一般大衆の間に広まっていき、現在では当たり前に使われるようになりました。

英訳

因果応報をそのまま英訳すると、「retributive justice」となります。

「retributive」は「報復」を意味し、「justice」は「正義」を意味します。

英訳のままで因果応報を考えると、「正義のための行動はその身に返る」となるため、元々の意味と似てはいますが、まったく同じ意味にはならないようです。

また、因果応報と同じような意味のことわざも存在します。

「what gose around comes around.」これを日本語訳すると、「善い行為をすれば良い報いが、悪い行為をすれば悪い報いが巡ってくる」となり、因果応報とほとんど同じ意味を指します。

日常生活での使われ方

因果応報ということわざは、日常生活ではどのように使われるのでしょうか。

ことわざの中では比較的ポピュラーなので、因果応報を知る人は多いですが、実際に使われる場面はそこまで多くはないと思います。

では、どんな場面で使われているのを見かけることがあるのでしょうか。

道徳 ・ 絵本

最初に因果応報ということわざを知るきっかけとなるのは、多くが道徳の授業や絵本の内容からです。

道徳の授業では、善い行いをした人は結果的に幸せになり、悪い行いやずるいことばかりをした人は、幸せな人生からは転落してしまうといった内容のものが多いです。

それは善行を積むことで幸せになれるということだけを教えるよりも、そこに悪いことをすれば良くない未来が待っていると加えることで、より善い行いをした方が良いと教わる側に考えさせるためです。

そのため、道徳の授業では因果応報の内容の話が出てくることが多いのです。

子どもに読み聞かせをする絵本もまた、物語は面白おかしくなっていても、意味するところは因果応報であることが多いです。

子どもの内からそうして絵本を通して因果応報を学ばせることで、自然と子どもに「善いことをすればいい未来が待っている」と教えることが出来ます。

因果応報をテーマとした絵本をいくつかご紹介します。

「金のオノ、銀のオノ 」

「金のオノ、銀のオノ」は物語が短く、子どもが読んでも分かりやすく因果応報が描かれています。

ある男が湖の側で木を切っていました。

しかし手が滑って湖にオノを落としてしまいます。

すると湖から女神が現れて、ぴかぴかに光る金のオノを見せて言いました。

「あなたが落としたのはこの金のオノですか?」男は「いえ、私のオノはそんなに立派なオノではありません」と答えます。

すると今度は、銀のオノを見せて女神は「ではこの銀のオノですか?」と尋ねます。

男はまた違うと答えます。

すると今度は、男が落としたオノを見せたので、男はそれが自分のオノだと答えました。

すると女神は「あなたは正直者ですね。

この二つのオノもあげましょう」と男の落としたオノと、金のオノと銀のオノもくれました。

男が喜んでこの話を仲間にすると、その内の一人が自分も欲しいと思い、湖でわざとオノを落としました。

すると女神が現れて金のオノを見せ、男のオノはこれかと尋ねます。

男が「そうです、その金のオノが私のオノです」と答えると、とたんに女神は怒って「この嘘つきの欲張りものめ!」と湖に帰ってしまいました。

金のオノどころか、自分の落としたオノすらも返してもらえなかった嘘つきな男は、しくしくと水辺で泣き続けたというお話です。

原作では湖ではなく川が舞台で、女神はヘルメスという男神ですが、現在では湖の女神の話が一般的に定着しています。

この話からは、欲を出した男が損をするということ以外にも、嘘をついたことで自分に悪い報いが返ってきたという因果応報が描かれています。

「こぶとりじいさん」

昔あるところに右のほっぺに大きなこぶをつけたおじいさんがいました。

こぶはとても邪魔でしたが、おじいさんは気にせずのんきに暮らしていました。