あなたは劣等感を持っていますか?と質問すると、大抵の人は「はい」と答えるでしょう。

人は誰でも劣等感を感じながら生きていると、私は思います。

筆者である私自身も、劣等感を感じる部分は沢山あります。

背がとても低いこと。

その上胴長短足ぎみで、スタイルが悪い。

肌荒れがひどく、特に学生時代はニキビだらけの顔で、今はそのニキビ跡だらけ。

女性ですが、あまり可愛げのない性格で、どちらかというと人づきあいが苦手…などなど。

挙げればキリがありません。

皆さんにも、何かしら劣等感を感じる部分はあるのではないでしょうか?

しかしながら、この劣等感に囚われて苦しさを感じる人もいれば、劣等感を感じる部分はありつつも、気にせずに過ごしている人もいます。

私も、劣等感はあるか?と聞かれればいくらでも挙げられるのですが、普段はほぼ忘れています。

劣等感ってどういう意味?

ところで、この“劣等感”ってどういう意味かをご存知ですか?

みなさん言葉は知っているし、聞いたこともあるでしょう。

でも、改めて聞かれると…?何となくは分かっているけど…と思う人も多いかもしれませんね。

劣等感という言葉の意味について調べてみると「劣等感とは自分が他人に劣っていると感じること。(wikipediaより)」とあります。

皆さんの理解とあっていたでしょうか?

また、劣等感って「つまりはコンプレックスのことでしょ?」と思っている方も多いと思いますし、特に日本では実際にそういった使われ方をしています。

ところが、本来コンプレックスと劣等感は関係がないんだそうです。

心理学的に、コンプレックスとは、複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表わす用語とのこと。

例を挙げれば“マザーコンプレックス”などは、正常な状態ではない愛のカタチであり、倒錯的な要素が強いことがわかりますよね?

劣等感はアドラー心理学から広まったと言われている

先に、劣等感とコンプレックスについてそれぞれ解説しました。

この劣等感を最初に表現したのは、アルフレッド・アドラーだと言われています。

この人物こそが、2013年に出版され大ヒットした『嫌われる勇気』で解説されているアドラー心理学の創立者です。

この中で、劣等感やコンプレックスの違いについても詳しく解説されています。

アドラーは劣等感のことを「“価値”が“より少ない”“感覚”」と表現しているそうです。

実際にはドイツ語なのですが…つまり劣等感は「自らへの価値判断に関わる言葉」であると、『嫌われる勇気』の中で解説されています。

アドラーは、「個人心理学」を提唱した人物とも言われています。

劣等感においても、全ては“自分で決めた価値判断により生み出された感覚”であると言えるでしょう。

アドラー心理学では、劣等感さえも、それを感じることによって、自分にとって都合のいいある目的を果たしていると考えるそうです。

過去の原因ではなく、今の目的を考えるのがアドラー心理学。

劣等感を感じるようになってしまった原因ではなく、劣等感を感じることによって得られる目的があるということなのです。

劣等感が強い人の特徴

さて、この記事を読んでいるあなたは、ご自身が強い劣等感に苦しんでいる人でしょうか?

もしくは、周囲の人に劣等感が強い人がいて、その理由を知りたいと思っているのかもしれませんね。

自分の劣等感でも、身近な人の劣等感でも、その劣等感をいだいてしまう根深い理由があったりします。

それを知れば、考え方の変換が出来るかもしれませんね!
苦しさから解放される、キッカケを掴めるかもしれません。

ここからは、劣等感が強い人の考え方の特徴や、そこに至った背景を見ていきましょう。

劣等感は誰にでもあるものです。

それに支配され苦しめられてしまう人がいる一方で、自分の進化のバネにする人もいる。

捉え方がほんの少し違うだけ…

1.若い頃に勉強や容姿など何かで「劣っている」と感じた経験がある

では、劣等感が強い人は、いつからその感情に支配されるようになってしまったのでしょうか?その多くは、若いころの経験にあるそうです。

家庭や学校、社会生活…人は競争社会で生きており、常に比較される環境に置かれています。

嫌でも他人との比較をせずにいられない環境が、生まれながらにして整っています。

学校では、成績やテストの順位によって優劣が決められ、勉強が出来ないと劣っていると思わされます。

クラスメイトの可愛い女の子はちやほやされ、劣っているといじめの対象になることすらある。

また、家庭では兄弟姉妹で比べられ、「なんで兄弟なのに、あなたは出来ないの?」と比較される。

さらには親により、近所や同級生とも比べられ「うちの子はダメだから」と、否定され続ける。

こういったひとつひとつの経験から、「自分は劣っているんだ」という感情を、知らず知らずのうちに刷り込まれてしまうのです。

特に日本では、“謙遜”が控えめで美しいとされる気質があり、親の何の気なしの謙遜が、子供にとっては否定の感情を植え付けることになっている場合もあるのです。

2.理想が高すぎる可能性も

また、劣等感が強い人は“理想が高すぎる”場合もあります。

ただ、理想が高いというのは、決して悪いことではないと私は思います。

高い理想を掲げ、それを追求することは、自分の成長の糧にもなるはずです。

アドラー心理学では、このような欲求を「優越性の追求」と呼ぶそうです。

理想や目標を掲げ、「まだまだ未熟だ」「もっと極めたい」と、向上心を持って前進することは何ら問題ではないと。

ある種の劣等感が、自分の向上のための促進剤となる状況です。

でも、この理想に苦しめられてしまう人は、劣等感を成長のバネに使うことが出来ない状態にいます。

これもやはり、自己肯定感が希薄なことが原因だと私は思います。

他者から認められることを求め、他者から見た完璧な自分を思い描いていると、足りていない部分にばかり気を取られ、高い理想を持ち続ける無限ループにはまってしまいます。

3.自分が出来ないことばかりに目が行ってしまう

理想が高すぎる可能性のところでも少し触れましたが、劣等感が強い人は「自分が出来ないことばかりに目がいってしまいます」
これもやはり、自己肯定感が希薄なことが原因であると思われます。

自分の劣っているところばかりをクローズアップし、自分の優れている点にスポットを当てることが出来ません。

せっかく優れた面があるのにそれを無視してしまっては、自分が可愛そうだと思いませんか?優れている自分が「私を見て~!!」と叫んでいるかもしれませんよ!

自己肯定感を持っている人というのは、自分の出来ない部分同様に、自分が出来ている部分も見ています。

「ここまでは出来てる!では出来ていないここを頑張ろう!」と、劣等性を優越性の追求のために使うことが出来るのです。

4.いま目の前にある小さな幸せに気づけない

このように、自分の出来ないところばかりにスポットを当ててしまう劣等感の強い人は、目の前にある小さな幸せにも気が付くことが出来ません。

強い劣等感は、自分を認めることが出来ないだけでなく、他者をも認めることが出来ない強い力を持っていると私は思います。

周囲にはあなたを認めてくれている人がいても、心配して優しい言葉をかけてくれる人がいても、「そんなのウソだ」と、それすら否定してしまいます。

心配してくれている友達を目の前にして「私のことなんて誰も心配してくれない」と、相談しているようなものです。

それは、目の前の友達に対して失礼だと思いませんか?
そうやって、自分も周りも否定していると、今目の前にある小さな幸せにも気づくことが出来なくなってしまうのです。

5.自己肯定できていない

劣等感が強い人は、自己肯定が出来ていません。

簡単に言うと、自分に自信が持てないということです。

また、自己否定の感情が強いとも言えます。

劣等感が強い人というのは、他人と自分を比較して、自分の劣っている部分にばかりスポットを当ててしまいます。

そして自分を自分で否定してしまうのです。

人は誰でも、他者に認められることで、安心感や優越感を持つことが出来ますよね?でも、常に誰かが自分を認め、褒め続けてくれるわけではありません。

自分の価値を他者に依存しすぎていると、誰かに認めてもらえなければ、途端に不安になり、「自分は無価値な人間だ」と決めつけてしまうのです。

一方で自己肯定感を持っている人は、他者に認められていなくても、自分で自分を認め、自らを支えることが出来るのです。

自分の一番の味方は、自分だということです。

劣等感が裏目に出て、こういう行動や感情になってしまう人も

強い劣等感を持っていると「どうせ自分なんて」とあきらめてしまう人もいますよね?
自らの劣等感を言い訳にして、努力をあきらめてしまう状態。

これをアドラー心理学では“劣等コンプレックス”と呼んでいるそうです。

また、劣等コンプレックスを持ち続けていると、“優越コンプレックス”という特殊な心理状態に発展していくことがあるとも指摘しています。

これは、劣等性を自分の努力によって補修していくのではなく、“あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸る”ようになっていく状態であると。

たとえば、自慢話ばかりするというのも、自分に自信が無く劣等感の裏返しなだけだと…