尊敬という言葉を大辞林で引いてみます。

①人格、識見、学問、経験などのすぐれた人を、とうとびうやまうこと。

「-する人物」「-の念」「ーを払う」②文法で、話し手が聞き手または話題の中の動作主をうやまう言い方。

とあります。

②の意味はつまり尊敬語ということです。

ここで少し中国語との比較をしてみましょう。

中国で宴会に出席すると、ホストは来賓に対し、「尊敬する〇〇先生、ご出席ありがとうございます。」と呼びかけます。

最初のうちは大げさな言い方だなあ、と違和感をもっていました。

しかしこれは②の尊敬語だったのです。

あなたは重要な人です、という意味で、ニーハオを丁寧にした感じでしょうか。

日本と違って第三者の好意につつまれていない、回りを敵ばかりに囲まれた中国では、あなたは好い人で敵対関係ではないことを表明する必要があります。

それがニーハオです。

格が上がって、あなたは大切な人です、と表明しているのが「尊敬する〇〇先生」という言い方になるのでしょう。

日本語中国語とも①の意味もあり②の使い方もあります。

尊敬という言葉は、日中で意味は変わりません。

ただし使い方はちょっぴり違っています。

これが英語になると訳語の候補がたくさんあり、ニュアンスを伝える、または読み取るにはより苦労が多いかも知れません。

尊敬を集める人の21個の特徴

ここからは普通に①の意味において尊敬を集める人には、どのような共通点があるのかを考察していくことにしましょう。

1. 人一倍努力している


尊敬を集める人の共通項として、人一倍努力していることが挙げられます。

さらにその前提にプラスして、ある程度の実績、または無限とも思える将来性のどちらかを備えています。

努力の結果としての実績、または努力の結果として今後の成功が見通せることは、人の尊敬を集める重要な要素です。

年配の人はその人の実績を重視します。

若い人はその人の将来性を重視しているでしょう。

いつも努力をかかさないでいることは、すべてにわたる前提条件なのです。

2. 誰に対しても平等に接する

誰に対しても平等に接するということは、口で言うほど簡単なことではありません。

人は誰しも普通に偏見のフィルターを持っているからです。

たとえば宗教家と言われるようなスピリチュアルな人たちでも、多宗派の信者たちを平等に扱っているようには見えません。

それでは偉大は宗教家たちは人を社会的な背景によって差別していたのでしょうか。

仏教の祖ブッダは王族の家に生まれながら、出家して求道者の道を選びました。

イスラム教の預言者ムハンマドは神の前での平等を説きました。

イエス・キリストは若死にしたため、当人は何をしたかったのかよくわかりません。

キリスト教とその教団は後継者のペテロやパウロの作ったものだからです。

しかし選ばれたものにだけに救いが訪れるという、選民思想の持主ではなかったようです。

世界宗教の祖たちは、やはり誰に対しても平等に接していたものと思われます。

それこそ世界に広まった理由に違いありません。

人と平等に接することは、非常に大きな力となり得ます。

3. 知識が豊富


尊敬を集める人は、実践的に役に立つ豊富な知識を備えています。

世に言う物知りには、ゼネラリストとエキスパート、一般に2つのタイプがあります。

知識の在り方が、広く浅いのか、または狭く深いのかのどちらかです。

尊敬を集める人は、自分がどちらのタイプなのかよく理解しています。

そのため不必要に知識をひけらかすこともなければ、周囲に気を遣わせたり、ましてや摩擦を起こすようなことはありません。

自覚の足りない、口やかましいだけの物知りではないところが押さえるべきポイントです。

4. 謙虚である

日本社会において謙虚さは大きな美徳であり、尊敬を集める人にはたいてい備わっています。

しかし実は日本以外の他の世界では、尊敬される人の条件には入っていません。

例えば中国・韓国では、尊敬されるための条件とは、ただただ頼もしいこと、力を見せつけることだけです。

その目的を達成するために演技・演出を厭いません。

アピールして説得することができれば、真偽など問題ではないという考えからです。

誠実で謙虚であれば、やがて人は自分の良さをわかってくれる、などと期待できる風土があるのは日本だけかもしれません。

外国人と交渉するときは、謙虚をかなぐり捨てて、堂々と主張を展開しましょう。

外国人は謙虚で自己主張を欠き、何を考えているかわかりにくい人よりも、タフ・ネゴシエーターの方を尊敬するからです。

5. 人のために尽くそうとする

人のため公のために尽くそうとする意識は、実はそれほど古くからあるものではありません。

公という概念が成立したのは、近世とよばれる、ヨーロッパでは宗教改革以降、日本では江戸時代以降だと考えられます。

それまでは家がすべてにおいて優先でした。

一番大きな家が国王、皇帝というわけです。

例えばハプスブルク家は、フランス以外の中部ヨーロッパをほとんど支配していました。

日本の江戸時代も徳川家という家が、全国を間接支配していました。

世界では未だに部族国家のようなところがたくさんあります。

おとなりの中国・韓国でも公の意識は極めて希薄です。

利益がしょっちゅう対立するため、交渉術ばかり発達しています。

日本でも公のため、人のために尽くす、というのは同じ志を持つ人の間以外では、なかなか通用するものではありません。

建前で終わっていることが多いからです。

尊敬を集めている人は、苦も無く自然にこれをこなしているように見えますが、実際は言葉ほど簡単なことではないことは認識しておきましょう。

6. 自分よりも人を大切にする

尊敬を集めている人は、基本的にセルフコントロールがしっかりできています。

自分や家族が精神的にも経済的にも安定していることが何よりの強味です。

その上で人の気持ちを汲んで行動するように心がけています。

しかし闇雲に人に同情するようなことはしていません。

かえって弊害をもたらすことの方が多いものだからです。

同情はいつも正しい行為とは限らない、人を大切にしていることにはならないこともある、このことをよく理解しています。

7. 人の悪口を決して言わない

尊敬を集める人は、口が固いものです。

口が軽いという評判の人はまずいません。

余計なことも言わなければ、悪口も言いません。

もともと人の悪口を言わないというのは、ビジネスで成功するための最大の格言でもあります。

ビジネス界では、仕入れ先、売り先、社内、同業他社、外部機関(金融、役所等)、評判はあらゆるところについて回ります。

先行することさえあります。

人の悪口を決して言わない、口が固い人という評判は、それだけで大きな信用となります。

外部に応援団が形成され、仕事はますますスムーズに回るようになっていきます。

エースとしての期待を集めることも十分可能です。

8. 常に冷静

尊敬を集める人は、常に冷静に振舞っています。

ちょっとしたことでいちいち怒りをあらわにするようなことはありません。

感情のコントロールは得意とするところです。

ささいなことでは動じない、大人の風格を備えています。

ただし冷徹というわけでも、ましてや人の感情に反応がにぶいというわけでもありません。

周囲の感情はよく理解できています。

その上で、どっしり構えているわけです。

ある意味では演技をしているといえるのかもしれません。

9. リーダーシップがある

尊敬を集める人は、職権の有無に関りなく、何かと意見を求められることが多いものです。

大事なことを相談できる雰囲気を持っているからです。

結果的にすぐれたアドバイスが得られると評判になり、ますます人を集めることに繋がります。

そしていつの間にかリーダーになっているというわけです。

これは会社などの場合、組織図と重なっているとは限りません。

もし重なっていなけれなインフォーマルなリーダー、影の実力者ということになります。

10. 自分より若い人にも丁寧に接する

セクハラ、パワハラが普通に行われていた四半世紀くらい前のオフィス環境では、後輩やその他の若い人に丁寧に接する、というベテランはあまり見かけませんでした。

ところが21世紀を跨ぐころから、先人の経験が役にたたず、陳腐化する傾向になります。

Windows95に始まる新しいIT環境は、ベテランの前にも、新人の前にも平等に表れたからです。

しかも次々に更新されていきます。

こういう状況では、先入観がなく、反射神経にすぐれる若い人の方が、使いこなすのに時間はかかりません。

ベテランが若い人に教えを乞うシーンも増えました。

こうしたこともあずかって、年功序列感覚はどこの組織でも薄れているようです。

もちろん尊敬を集める人は、そうした周囲の動きには関わりなく、誰に対しても丁寧です。

もちろん自分よりはるかに若い対しても同じです。

例外は設定していません。

11. 目標の設定が高い

尊敬を集める人は、職業生活を超えた、もっと人生の高いところに目標をおいています。

それは力強いオーラというようりも、むしろすがすがしい風雅を感じさせるものです。

思わず「ああ、いいなあ」と思わせます。

単なる私利私欲から距離をおいた理想を、目指していることがはっきりわかるからです。

現実にどっぷりつかって抜け出せない大多数の人とは、漂う香りが違ってきます。

12. 人に優しく自分に厳しい

尊敬を集める人は、公平、公正を旨としています。

自分を含め、第三者の目で状況を俯瞰することができます。

客観性は申し分ありません。

まずいことがあって何かの処置を行うときも、その姿勢は変わりありません。

自分に甘く、人に厳しい態度をとることはないでしょう。

そのため人に優しく自分に厳しいイメージが出来上がります。

13. 人の気持ちが理解できる

尊敬を集める人は、公正な立場で人に接するため、相手の心をすぐに開くことができます。

そういう人には、しばしば大事な相談も持ち込まれるようになります。

そうしているうちに周囲の人の動きや願望などが非常によくわかるようになってきます。

やがて相手の気持ちがすぐに理解できるようになり、ますます信頼を集めることになるでしょう。

14. 決断力がある

尊敬を集める人は、普通決断力に富んでいます。

誰に対しても、優柔不断なモタモタした様子は見せません。

そして迅速に決断をした後の、テキパキした動作は、いかにも頼りがいのある印象へと繋がっていきます。

そうなってしまえば、もう多少の間違いくらいは問題になりません。

人格によって失点をカバーしてしまうことが可能です。

それがまた次の思い切った決断の支えにもなります。

【決断力がある人の特徴は、こちらの記事もチェック!】

15. いつも堂々としている

尊敬を集める人は、いつも堂々としています。

しかしスキがなく取り付く島もない、という冷たい感じはありません。

堂々としていながら、親しみやすさも備えているというのがミソです。

ちなみにアメリカの大統領は、キレッキレの冷たいインテリイメージでは当選できないそうです。

確かに90年代以降だけでも、クリントン、ブッシュジュニア、オバマ、トランプ、と能力の評価を別にすれば、それなりの威風と、確かな親しみやすさは備えているようです。

16. 家族をとても大切にしている

尊敬を集める人は、自分からべらべらと家族についてしゃべることはありません。

しかし直接言及することはなくても、言葉の端々に家族を大切にしていることがうかがえます。

それはおのずと周囲には伝わるものです。

そしてそれは周囲に安心感を与えます。

お互いに気を使うことがなくてすむからです。

17. 大きな困難があっても前向きに生きている

尊敬を集める人は、人生の悩みを表に感じさせるようなことはありません。

何かを抱え込んで、暗い影をまとっているようには見せないようにしています。

訓練が自然にできているのでしょう。

もちろん不幸な生い立ちなどを語るような、無粋なまねをすることもありません。

ポジティブな印象がこわれるれような行動はとりません。

何があってもあくまでも前向きに生きていく決意を秘めています。

18. 時間を大切にしている

尊敬を集める人は、時間の使い方も合理的です。

何事もテキパキと進めていきます。

仲間内でクダを巻いて時間をつぶしているような姿は見かけません。

公私それぞれの時間を、より濃密なものにしようとしているように見えます。

それでいて自分の都合を人に押し付けるようなことはなく、周囲も安心していられます。

19. 常に向上心を持っている

尊敬を集めている人は、相手によって対応が変わることはありません。

誰からも話を聞き、学ぼうとする姿勢は崩さないのものです。

常に向上心を維持しています。

また周囲の方でも話を聞いてもらいたい、という気持ちが強まっているものです。

向上心を持ったもの同士のよい緊張関係が維持され途切れることはありません。

20.有言実行

尊敬を集める人は、有言実行です。

常に発言には責任を持とうとしています。

ただしそのために言動や行動が窮屈になったりはしていません。

伸び伸びと過ごしていながら、いい加減なイメージを与えることもありません。

よくバランスが取れています。

だからこそ尊敬されているともいえます。

21.責任感が強い

尊敬を集める人は、無責任に物事を途中で放り出すようなことはありません。

一度手をつけたことは、完結させるのことをポリシーとしています。

また人に責任を押し付けて、まるで部外者のように振舞う責任逃れとも無縁です。

問題から目をそらさず、自分が解決の労をとることを厭いません。

尊敬される人になるために

尊敬される人になるためには、何をすればいいのでしょうか。

実際のところ、尊敬を集める人となるためのノウハウなどは存在していません。

練習を重ねて技術を向上させれば、効果が上がるというようなことではないからです。

尊敬とは尊敬される当人の周辺に、磁力のように集まってくるものです。

その力には法則性はなく、人によってさまざまです。

尊敬とは?

尊敬とは何かということを極めるには、尊敬されることを望むよりも、まず誰かを尊敬することから始めた方が、理解は早そうです。

尊敬する人からその佇まいを学ぶことで、まずその人から他人をひきつける磁力を分析、研究から初めてみてはどうでしょう。

尊敬を集めてやまない、目に見えない人を引き付ける魅力とは一体何だろうか?具体的な事例を見ながら学ぶことができます。

尊敬されるのに年齢は関係ない

最近は各界で若い人たち、それもローティーンの活躍が目立っています。

卓球やフィギュアスケートが目立ちますが、それに将棋もそうです。

これは頭脳スポーツといってよく、若さには一般のスポーツと同様、大きなアドバンテージがあります。

史上最年少のプロ棋士、中学三年生の藤井聡太四段は、将棋界を席捲しました。

その活躍ぶりは、ワイドショーにもさんざん取り上げられるなど、完全に社会現象と化していました。

それらを見ていた視聴者の多くは、彼に好感を持ったのではないでしょうか。

とても中学生とは思えない落ち着いた受け答え、多少語彙は不足気味でしたが一生懸命、誠実に説明しようとするする姿勢、おごりのない態度、それらは間違いなく近い将来の大物を証明していました。

将棋の世界は、強ければ年齢に関係なく尊敬される実力の世界です。

上下関係やライバル物語などの感情を持ち込んでも効果はありません。

盤面に集中できなくなり、成績は落ちるといいます。

しかし一般の社会組織では、年齢や経験の差は、今も壁として立ちはだかっています。

年齢は関係ない、と断言できません。

新しい風土を持つベンチャー企業の成長などで、変えていくことが望まれます。

人はどうして尊敬されたいと思うのか

人はどうして尊敬されたいと思うのでしょうか。

多くの人たちは尊敬されたいというより、尊重してほしい、大事にしてほしいと願っているのでしょう。

人に何かを与えるより前に、人から何かを与えられることを欲しているのです。

このような心の持ちようは、本人にとって苦しい状況です。

慕ってくる人がいれば、こんな嬉しいことはないと思えます。

尊敬されたいと思う心とは、こういうところから発しているのでしょう。

1.男性のほうが尊敬されたいと思う気持ちが強い

男性のほうが尊敬されたいと思う気持ちを強く持っているのは、間違いなさそうです。

自然界における雄雌の役割は、生物によってさまざまに分かれています。

チョウチンアンコウやカマキリの雄は、単なる雌の生殖道具でしかなく、生まれたそのときから悲惨な運命を背負っています。

それとは逆にライオンや孔雀の雄は、実に美しく堂々としています。

人間の世界は、それらに比べちょうど中間になっているように思います。

しかし人間の男性は、ライオンや孔雀のようになりたいようです。

どうしても力を誇示したいという欲求を捨てきれません。

そうしておかないとチョウチンアンコウの雄のようになり、やがて雌に使い捨てにされるという恐怖感が、そうさせているのかも知れません。

2.他人から評価されるのは気持ち良いから

あらゆる人間には承認欲求があります。

他人から認められたい、と思うのは誰しも同じです。

とても心地のいいものだからです。

さらに大きなパワーにもなります。

しかしそれを人に強要するのは考えものです。

どう取り繕っても、それは品性を欠く行為に違いないからです。

もちろん周囲の尊敬を集める人は、そのような押し売りとは無縁のところで過ごしています。

ごく自然と高い評価を身にまとっていながら、作為的なものはどこにも感じさせません。

3.自尊心が強くなるから

自尊心は自分の内面にのみ存在するものです。

他人との比較で、表に出たり引っ込んだりするものではありません。

自尊心は自分のテンションを一定の高いレベルに保つため、大きな働きをしています。

これが強くなるのことは、鼻持ちならないプライドの高すぎる人間に、変わることを意味しません。

プライドの問題で身動きが取れなくなってしまうのは、人の境遇と比較するからです。

これとは違い自尊心は、精神的エネルギーの供給源としてとても有用なものです。

強くなるのは悪いことではありません。

大事に育んでいきましょう。

4.自己肯定ができるから

自然に周囲からの尊敬を集めるようになった人は、人生につまずいたなどと自分にマイナス評価を下しているようなことはないでしょう。

たいていの出来事は乗り越え、しっかり自己肯定できているに違いありません。

プラス思考の人は、周囲に安心感を与えます。

人に一緒にいたいと思わせることのできるからです。

自己肯定ができていることは、とても大切な財産です。

目減りしないように、いつまでも持ち続けるようにしましょう。

本当に尊敬される人は尊敬されたいと思っていない

尊敬を集めている人は、何も尊敬されたいと思ってパフォーマンスを繰り返しているわけではありません。

そんな意識は微塵も持っていないことでしょう。

尊敬とはその人の人格を慕い、自然に集まってくるものだからです。

無理のない、作為のない自然体こそ、その必要条件なのです。