純粋。

子供から大人まで誰もが知っている言葉ですね。

そして誰もが生まれた時は持っているものです。

ところが、人間は経験し成長していくと、その過程で、少しずつ「純粋」を失っていきます。

それは大なり小なり誰もがそうです。

人間は知識や教養を得て理性的な判断をする唯一の生物だからです。

本能のままに生きる動物とはそこが大きく異なります。

ある意味では、その時点でもう純粋ではないということでもあります。

一方で、大人になっても純粋でいたいという希望も常に持ち合わせています。

純粋でいられるわけがない

と思ってしまう確かに大人もいます。

はたしてどうでしょうか??

今回はそんな「純粋」についてじっくり考えてみたいと思います。

純粋な人って?

本当の意味で純粋な人を定義した場合

100パーセント混じり気がない人

ということになってしまい

理性を持つ人間に純粋な人がいるか、どうかの議論ははてしなく永遠に続くことになります(;・∀・)

それを見極めることは周りにはできず、その本人にもできません。

ただし、人間の心において「純粋」という言葉を使った場合は、概ね

「気持ちに打算や駆け引きがない人」

という人を指します。

そういう意味で言えば、いることはいます。

が…

ループしてしまう理屈で言えば

打算や駆け引きをしない

と言ってる時点で、それもまた打算や駆け引きに値するのでは?

というやや揚げ足を取るようなことも言えます。

なので「純粋」という言葉を使う場合は、かなり用心して使う必要があります。

悪く言えば、この現代社会では

「ややうさん臭い言葉」とも捉えられがちです。

それは当の本人が仮に純粋だったとしても、それを受け止める周りが「純粋」に人を見ることができないからです。

残念ながら、この情報社会では打算や駆け引きが当たり前になりすぎて、みんなそうだと決めつける傾向が非常に強いです(-_-)

「そんな人いるはずがない。だからあの人は嘘をついている」

とすぐさま懐疑的になり、相手の純粋性を否定します。

打算や駆け引きをしない気持ちいい人がそんな目で見られるのは、残念としか言いようがありませんね(T_T)

いわゆる正直者はバカを見る、というあれですね…。

おかしな話ですね。

正直者こそ、一番バカを見てはいけないはずなのに…。

いつからこんな懐疑的な世界になってしまったのでしょうか…(-_-メ)

他人と接する時は、きちんと相手を判断したいものですね。

確かに世の中、悪党もいますから、そういった人は信用せず、純粋で打算や駆け引きをしない気持ちがいい相手は、こちらも純粋に相手を信用してあげたいものです。

純粋って?

よく使う言葉ですが、実際にはどういったものなのでしょう?

意味

実はいわゆる生活用語と学術用語で、若干意味が違います。

1 混じり気のないこと

2 邪念や私欲がなく打算や駆け引きをしないこと

3 そのことだけをひたむきに一途に行うこと

4 哲学において、外的、偶然的なものを含まず、それ自体の内的な普遍性、必然性を指す

5 学問において、応用を考えず、理論だけを追求する分野

などですね。

なんとなく、人は純粋という言葉を認知し使用していますが、実は幅広い使い方をされています。

根本的には1の混じり気がないという意味になりますが、4の内的な普遍性と言われても

(。´・ω・)?

となりますよね笑。

なので哲学的な意味で判断するならば「人の心」は純粋とは言えません。

心は外的、偶然的に変化するからですね。

ただし、2の意味で使えば、そういう人は確かにいます。

純粋

よくよく考えれば、妙な言葉ですね(;・∀・)

使い方

混じり気がないという意味で使えば

例えば純粋なアルコールなど、化学物質などで使用されます。

一途ならば、純粋な情熱

打算がないならば、純粋なあこがれ

などと使うことができます。

類義語

純真、実直、潔白、無垢、などがそうでしょうか。

色ならば、白に何かほんの少しでも混ざれば、純粋な白ではなくなりますよね?

対義語

正に不純です。

不純…

なんかものすごく不愉快になる響きですね(゚д゚)!

不純な交際…

など…

絶対にいけません(・ω・)ノ

慣用句

慣用句とは

「二つ以上の単語が結び付き、それが全く異なる意味を持ち、習慣として広く使われてきた言葉や言い回し」

のことを指します。

例えば

肩を落とす

などですね。

肩が落ちることはありませんが、がっかりした時よく使いますよね?

それでは純粋における慣用句とは一体どういうものでしょうか??

正直に言いますが、当然僕は調べてこれを書いていますよ(・ω・)ノ

純粋概念

カント哲学における

「経験を交えないアプリオリな概念」

だそうです(。´・ω・)?

アプリオリとは経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念

だそうです(。´・ω・)?

ちなみに時間や空間はアプリオリな概念です。

カントさんとは18世紀の有名な哲学者ですね。←さん付けしてますが決して友人ではありません(;・∀・)

コペルニクス転回という言葉くらいは聞いたことがあるかもしれませんね?

太陽が地球を回ってるように見えるけど、実際は地球が回ってるんですよ

というあれですね。

この理論を自分の哲学の中心にした人です。

ものすごく大雑把ですが(^_^;)

さらに大雑把に言えば

人間には物を見る能力はなくて、心が物を決めてるんです!!

と言ったのがカントさんです。←哲学に詳しい人、雑ですいませんm(_ _)m

純粋経験

反省を含まず主観客観が区別される以前の直接に与えられた経験

です(・ω・)ノ

また哲学用語ですいませんm(_ _)m

ただこれには理由がありまして(・ω・)ノ

そもそも人の心が持つ理性と純粋性は、昔の哲学者が、人生をかけて研究してきた分野の一つなのです。

人は何のために生きるのか?

人は純粋でいられるか?

といった議論はもう数百年も前から行われていたことなのです。

そんなの答えなんてあるわけないでしょう

と決めつけず、曖昧なものの秘密を探るべく、勇敢に立ち向かったのが、かつての学者達です。

その為、純粋という言葉は学術的に使われる場合が多い、ということなのです(・ω・)ノ

純粋経済学

近代経済学の一つです。

経済的社会制度は人が作ったものだから、純粋に「経済現象だけ」を研究しましょう

といった学問のようです。

こういったことを研究してる人達もいるのですから、世の中、本当にいろんな人がいるんですね(;・∀・)

いろんな学問によって形成されてる現代

学者さん達に感謝ですね。

純粋詩

経験、教訓などのあらゆる散文的要素を排したポエムです。

散文的とは味気なく、趣がない文章のことです。

簡単に言うと

「教訓とかは説教くさくなって、味わい深さの邪魔になっちゃうから排除して詩を書きましょう!!」

といったところでしょうか(;・∀・)

純粋培養

細菌などを他の種類を混ぜないで一種類だけ培養することです。

混じり気がない、という意味ですね。

純粋物質

単一の成分から成る物質です。

二種類以上のものが混ざったものは混合物と呼ばれます。

科学用語ですね。

純粋理性

またまたやってきました。

カントさんです(・ω・)ノ

広い意味で言うと

「経験から独立した先天的認識能力、および先天的意思能力」

だそうです(・ω・)ノ

…(-_-)

一体どういう生活をしていたらこんなことを考えるようになるんでしょうね( ゚Д゚)

カントさん

すごいですね。

←雑な尊敬ですいません(^_^;)

こんなこと言ったら、ほんとに学者さん達に怒られるかもしれませんが、真面目に噛み砕いて読んでみると…

カント哲学は面白いです(;・∀・)

一番初めに書きましたが、人間は経験し成長すると、純粋さを失っていきます。

理性的判断をするようになるからです。

それはカントさん風に言えば

「経験によって得た後天的認識能力」ということなのでしょう。

純粋な人っているの?

という疑問を持ってる人がいるのなら、カントさんを読んでみるのもいいかもしれません。

でも

読むだけで、すさまじい体力と集中力が必要なのでお気をつけて(^_^;)

純粋な人の特徴

さて…記事を書いてるだけで体力が奪われる哲学ネタでしたが…(-_-)

もうちょっと親近感がわくような身近な特徴を挙げていきたいと思います!!

素直

偏見や先入観がない人は素直ですよね?

カントさんに影響されたわけではありませんが、経験によって得た知識は時として純粋さに、混じり気をもたらします。

それほど経験とは大きな影響を持つものです。

そしてそれらの知識を狭い視野で応用すると、それは偏見や先入観に繋がっていきます。

他人の意見を認めず、自分の意見のみを信じる人も固い偏見を持つようになるでしょう。

感情的になって一時的に素直になれない人はたくさんいますが、偏見や先入観はないに越したことはありません。

素直な自分でいられる時はいつですか?

それが異性といる時ならば、恋に落ちるサインかもしれませんね!!

人を信頼する

自分の心に不純物が混ざっていた場合、相手もそうだと懐疑的になってしまうでしょう。

自分を疑い、他人も疑うのは残念で寂しいことです。

かといって信用に値しない人間がいるのもまた事実です。

さっきも書きましたが、正直者が損をするようなことは決して許せません。

なぜそこまで簡単に他人を裏切ることができるのか、理解に苦しみますよね…(-_-)

卵が先か、鶏が先かの理屈になってしまいますが、他人を信用しなければ、自分も信用されません。

そして自分自身を信用しなければ他人も信用できません。

純粋でいるとは、本当に難しいものですね。

素直に受け入れる

事実をありのままに受け止めるのも、また難しいですよね?

特に他人から否定的な意見をされた場合などがそうです。

誰だって否定されたらいい気分はしないものですが、純粋な人ならば、すっと自然に否定的な意見も素直に受け入れることができるでしょう。

どうやらカントさんは「ありのままに受け入れるのは無理で、心がそれをありのままと判断するしかないんだ」

というようなことをおっしゃっているようですが…

どうなのでしょうね(^_^;)

そういった哲学的な観点ではなく、シンプルに他人の意見を受け入れる人は魅力的ですよね?

難しいことは分からなくても、言い訳せず、素直に認められること

ただそれだけで純粋な人にも思えてしまいます。

感情移入しやすい

偏見や先入観を持たない、ということは影響も受けやすいということでもあります。

心が柔らかいので、感情そのものが豊かなのでしょうね。

その為、感情移入もしやすく、いろんなことに共感できます。

泣ける映画を見れば号泣したりします(T_T)

ちょっと水を差すような話なのですが…

感情移入しやすい人が純粋

ではなく

純粋な人が感情移入しやすい

ということです。

純粋でなくても、という言い方は嫌らしい言い方ですが、そういった人でも感情移入しやすい人はたくさんいます。

許されざる悪党でも感情表現が豊かで、移入しやすい人もいるでしょう。

映画で泣く人全員が純粋

というわけではありません(^_^;)

素直に喜ぶことができる

他人のことでも自分のことのように嘘偽りなく喜べる人がいます。

自分のことで、どんな些細なことでも喜べる人がいます。

もちろん貪欲にもっともっと、と上を目指すことも必要ですが、良いことが起きたら、素直に喜びましょう。

純粋に良いことは良いと受け止めて喜ぶことは、心身ともに回復させてくれるはずです。

嫌味っぽくならない

例え素直でもなぜか嫌味っぽい人…

正直いますよね…(^_^;)

そういった人と出会った時、僕は考えます。

「この人が素直なのは分かるけれど、どうして鼻についてしまうんだろう?」と。

僕が出会った人達は「どこかで純粋でいるために自分を作っている」ように見えました。

悪く言うと「自分は純粋です」というプラカードをこっそり抱えてる人ですね(*_*)

ちょっと浅い素直さといいますか、不純物が混ざってるのですね…それはけっこう他人に伝わったりするものです。

そういった人達はやはり嫌味っぽく感じられます。

本当に純粋で素直なら嫌味っぽくもなりません。

自然に信用もできます。

むしろ、無理に純粋でいる努力をするよりは

不純物が混ざっている自分を、それこそ素直に受け止めている人の方がよほど純粋性が高いように感じられます。

自分がしてる背伸びは案外すぐ他人にばれるものです( ゚Д゚)

夢中になれる何かがある

夢を一途に追いかけてる人は、好感度ナンバーワンかもしれませんね!?

子供の頃は自然に夢中になれたのに大人になるとなぜかそういったたものが減っていくように思えます。

でも

大人になって減っていくわけではありません。

大人になった自分のその心が夢中になることに制限をしているのです。

せわしない毎日

競争を強いられる職場や学校

など、心はみずみずしさを失いがちです。

何かに夢中になることはすごくエネルギーを必要とします。

しぼんだ心では、そのエネルギーを保つことは難しいでしょう。

これが大人の階段というものなのでしょうか(;・∀・)

そして問題なのは、そのせわしない毎日では、夢中になれるもの自体を見つけるのが困難ということです。

毎日、自宅と職場の往復だけでは見つかりません。

身近にあるものでさえ、見つけることは難しいでしょう。

今時の社会では贅沢なのかもしれませんが、心の余裕と時間の余裕を維持することは何よりも大切です。

人生とはやはり楽しむものであって、ただ消耗していくものではないと思います。

シンプルに自分が好きなものは何か?見つめてみてはいかがでしょうか。

難しいことではないはずです。

例えば音楽が好きなら、楽器を弾いてみるのもいいかもしれません。

お酒が好きなら、お酒を勉強するのもいいかもしれません。

きっかけは些細なことです。

踏み出す一歩が重いだけです。

夢中になれるものを見つけて「純粋」に楽しむ

とても素敵ですよね(・ω・)ノ

素直に謝ることができる

何か失敗した時、周りに迷惑をかけた時、など純粋な人は素直に謝ることができるでしょう。

もしそれが自分の過失ではなくても、責められた場合は素直に謝ってしまいます。

本来なら「自分は悪くない」など、考えてしまうものですが、あまりそういった思考をしないのも純粋な人の特徴です。

目の前にいる人が謝罪を求めているのであれば、条件反射的に謝ってしまうのでしょう。

そしてそれもまた嫌味っぽくならない為、謝られた相手も素直に納得することができます。

一途

これが純粋な人の一番大きな特徴でしょう。

一途といっても、恋愛だけではありません。

どんなことでも、ただそれだけを見つめて、ひたむきに実践することができます。

純粋な人が魅力的に見えるのは、このひたむきさがポイントなのでしょう。

素直でひたむきであれば、好感度が低いはずがありませんよね??

そして偏見や先入観を持っていないからこそ、ひたむきにがんばることができます。

逆にひたむきにがんばることができない人の原因もまた、偏見や先入観です。

何か実践しようとした時、強い偏見や先入観があると、実践する以前にいろいろと想像してしまうものです。

「この方法は合っているのか?」

「もしかしたら結果が伴わないかもしれない」

など、始める前から色々と考えてしまい、そのままの気持ちで行動に移ります。

多くの人はこういった不安や悩みを抱えて実践することも、純粋な人は

「目の前にあることはやるべきことだからやる」

と、シンプルに行動します。

考えながら、模索していくのも必要ですが、いざ行動に移した時は、あまり余計なことはことは考えずにひたむきにがんばりたいものですね。

そしてそういったひたむきに実践した方がきちんとした結果も出やすいでしょう。

恋愛で駆け引きができない

純粋な人は魅力的ではありますが…恋愛で駆け引きができないと…(-_-)

大人になると、どうしても恋愛でも色々と考えてしまうものですよね?

例えば片思いであれば、恋を成就させるために作戦を練ります。

両想いであれば、その恋が続くように作戦を練ります。

これは恋における、打算や駆け引きとなってしまうでしょう。

純粋な人はこれができません。

好きだからしょうがない

ただ好きだから

とここでもシンプルに考えてしまいます。

それは素晴らしいことではありますが…

やはり恋においては、駆け引きは非常に重要ということは、大人のみなさんならご存じでしょう(;・∀・)

相手が駆け引きをしてくるなら、それに対しても本来駆け引きをするものです。

これは恋愛に限らず、です。

なので、好き嫌い関係なく、打算と駆け引きをうまく使わざるを得ないのが現代社会です。

どうしても打算や駆け引きをする人は

「ずるい人」

といった悪いイメージを持たれがちですが、個人的には全くそんなことはないと思います。

むしろ、生きていく為にはしなければいけないこととさえ思います。

問題は打算や駆け引きで

「どういった方法をとるか?」

だと思います。

例えば、マラソン選手の場合で、ライバルがいたとしましょう。

どうしてもこの人に勝ちたいと思い、打算や駆け引きをしたとします。

正当な方法はもちろん相手のペースと自分のペースを分析して、駆け引きをしながら、最後に勝利する、という方法ですよね?

言うまでもなく、足を引っかけたりするのは反則です。

でも、足を引っかけて勝利を手に入れるのも

「打算や駆け引きの結果、正攻法では勝てないと判断したから」

ということになります。

当然、悪ですが(-_-メ)

これを恋愛に置き換えてみましょう。

好きな人がいて、どうしてもその恋を成就させたいと思っています。

でも、ライバルがいて、相手がどちらに振り向くかは分かりません。

その時、打算や駆け引きをして相手を自分に振り向かせようとするのが当然です。

好きな人に自分の長所を伝えるよう努力しますか?

ライバルの短所を伝えるよう努力しますか?

これによって打算と駆け引きの意味合いがまるで変わってきますよね?

打算と駆け引きをしない人は、嘘もつかない気持ちがいい人というのは正しいでしょう。

ただし、打算と駆け引きをする人が、全員嘘つきで悪党

というわけではないと思います。

打算や駆け引きが上手くても、気持ちがいい人はたくさんいます。

純粋な人は打算や駆け引きをしない気持ちがいい人です。

ただし恋愛においては、それがやはり弱点になってしまうかもしれません。

「ただ好きなだけ」

で恋が成就すれば、何も言うことはないのですが…(^_^;)

キラキラして魅力的

ひたむきで、素直で、一途

もう言葉にしただけで、星が見えますね(;・∀・)

恋愛では、不器用になってしまうかもしれませんが、やはり人として魅力的ですよね。

純粋に何かをがんばっているのなら、きっと周りも応援してくれるでしょう。

純粋な人にもデメリットが?!

純粋というと、良いイメージを持ってしまいますが、もちろんそんなことはありません。

恋愛における打算や駆け引きなどでもそうですが、デメリットはあります。

どちらかと言うと、現代社会ではデメリットの方が強く印象に残るかもしれません。

純粋な人は、この情報社会ではやや生きにくい性質を持っています。

さっきも書きましたが、正直者は利用されたり、損をしたりする可能性が非常に高いですよね。

残念な話ではありますが…(-_-)

そんな時でも世間は「騙された方が悪い」という評価を下します。

これには、やはりインターネットの影響もあると思います。

匿名で自己表現できるバーチャルな世界では、相手を騙すことも簡単です。

当然そういった人間が増えますよね。

それを理解していれば、インターネットで安易に相手を信用することもできなくなります。

むしろ疑うことが前提とも言えるでしょう。

こうしたことも社会的風潮として、「純粋性」が失われていく要因の一つだと思います。

便利ではありますが、いささか生きづらい世の中になってしまいましたね(*_*)

そういったことも踏まえて、純粋な人のデメリットを挙げていきましょう!!

空気を意識的に読むことができない

対人関係において、空気が読めない人ほど嫌われる人はいません(-_-)

そして純粋な人は「意識的」に空気を読むことはできません。

さっきも書きましたが、良くも悪くも「打算や駆け引き」をしないからです。

純粋ですから、たった一つのことに夢中です。

それはつまり他のことには無頓着という意味でもあります。

それを周りはどう感じるでしょうか??

「この人は純粋だから仕方ない」と思ってくれるでしょうか?

…まずそんな評価はしないでしょうね(・ω・)ノ

その場の空気を読むことには、打算と駆け引きが必要です。

相手がどう考えているか、それに対して自分はどう対応するかといった計算ですね。

これができないと…

社会ではブーイングされます(;・∀・)

もちろん純粋な人はそれにも気付きません。

仮に気付いたとしてもどうして自分がブーイングされているのか、原因が分からないでしょう。

無意識レベルでは対応しようとしても、意識的にそれを改善することはできません。

計算しないからですね。

これは致命的とも言える弱点です。

せっかくの美点が汚点にすらなってしまうほどのデメリットですね(T_T)

妄想や思い込みが激しい

ひたむきに夢中、とは言い換えればこういうことになります。

物は言いようですね(;・∀・)

たった一つのことに夢中になるのですから、その一つに対しての気持ちは当然強くなります。

その強い気持ちは妄想、思い込み、さらに執着心も生み出します。

自分一人の中で完結するのであればいいのですが…

例えば恋愛であれば…

危険思想ですね( ゚Д゚)

下手するとストーカーになってしまうかもしれません。

好きだから

相手が喜んでくれるだろうから

といって「純粋」に行動したとしても、相手が喜んでくれるとは限りません。

もしかしたら迷惑かもしれません…。

例えば学生が好きな人を校門で隠れて待つというシチュエーションですが…

相手が喜んでくれれば純粋な恋で

気持ち悪く思われたらストーカー行為

となってしまいます。

相手に理解されないほどの極端な純粋性は、実際には非常に危険なものです。

相手あっての人間関係、ということはどんな人にとっても大前提です。

純粋だから許されると思ったら痛い目見ることにもなりますね(・ω・)ノ

自分に酔いやすい

なにせ自分の行いに夢中ですから、それを良しとしてますよね。

自分に酔いやすいというよりは、すでに自己陶酔した状態で実践してるのかもしれません。

これもまた危険思想ですね(*_*)

妄想や思い込みにも繋がっていきます。

どうやら犯罪者の心理は、こういった自己陶酔からの妄想が多いようです。

さっきも挙げたストーカー行為が一例ですね。

本人としては「自分の純粋性」を信じて疑っていないのでしょうが、自分のことしか考えていないれっきとした悪です。

余談ですが、ゲーテの作品で「若きウェルテルの悩み」という小説があります。

ウェルテルという主人公は人妻に恋をしてしまいます。

それは純粋な気持ちです。

が、いけない恋ですよね。

そしてウェルテルは…。

ネタバレになっちゃいますから、これ以上は言えませんが、かなり悲劇的な結末です。

実際最後にウェルテルがとった行動は当時「ウェルテル病」と呼ばれ流行ってしまうほど社会的に影響があったようです。

今でいえば、完全にストーカー行為とされるウェルテルの行動は純粋そのものではありましたが、自己陶酔や思い込みもかなり強かったように感じられます。

それに影響された当時の社会は、今よりも「純粋性」が強かった、と言えるでしょう。

未練がましい

未練がましい、というよりは執着心が強いのでしょうね。

純粋な人はあきらめるという決断をなかなかしません。

なにせひたむきに夢中ですからね。

例え結果が出ていても、それを結果として受け止めず「最終的な結果への一つの過程」と捉えてしまうのかもしれません。

前向きと言えば前向きですが…

未練がましいですね(;・∀・)

恋愛では、別れてしまっても、いつかまた復縁できると思い、がんばってしまうのかもしれません。

…これを書いてて自分で思ったのですが…

恋愛面では、純粋な人は

「痛い人」に見られることが多いかもしれませんね( ゚Д゚)

悪く言うと、やや迷惑な行動をとりやすいと言うか…危険というか…。

夢中になれることはいいことですが、「執着」となると、話は変わってきます。

何事にも一線はありますよね(・ω・)ノ

恋愛面では特に気をつけたいものです。

騙されやすい

これもまた打算や駆け引きをしないのが理由ですね。

素直に相手を信じてしまう

決して悪いことではありませんが、社会では危険なことでもあります。

世の中悪い人もいますから…。

全員疑う必要はありませんが、いかに純粋な人でも「危機察知能力」だけは胸に持っていた方がいいでしょう。

騙されて大きな損害、となったら、純粋、不純、関係なく手遅れになってしまいます。

純粋な人にはメリットが多い(まとめ)

いかがだったでしょうか?

語れば語るほど奥が深い「純粋」

危険なデメリットもありますが、一線さえ越えなければ非常に魅力的なものですよね?

と思ったからこそ、カントさんも研究したのでしょう(;・∀・)

学術的な意味ではなく、日常レベルで

「生きていくことに純粋」

であるなら、人生そのものが素敵に見えてしまうかもしれません(・ω・)ノ

ほんの少しでも、読んでくれたみなさんの

「心の純粋」のお手伝いができたのなら嬉しいです(´▽`)