沈黙は口を聞かないこと、黙りこむことなどを意味します。

では、なぜそのような行動である沈黙が金であるのか?

不思議ではありませんか?

黙り込むことが良い行動と思う方もいれば、良くない行動と思う方もいるので、ますます疑問が大きくなります。

では、「沈黙は金」という言葉が生まれたのか?

なぜ、金なのか?

などを今回はご説明したいと思います。

言葉の由来から、意味まで細かく表し、なぜ、そのような言葉になったのか?

実際はどうなのか?

などの説明と、日常生活の事柄と合わせてわかりやすく説明したいと考えています。

これが正解かどうかはわかりませんが、あくまであなたの参考になっていただけましたら幸いです。

ちなみに「チンモクハカネ」ではなく、「チンモクハキン」と読みます。

もし、お金と勘違いしていた場合は「時は金なり(トキハカネナリ)」こちらの方がお金を使った表現としてあり、よくこちらと混同される方が多いので注意しましょう。

では、まずは「沈黙は金」の言葉から始めてみましょう。

「沈黙は金」とは?

こちらは日本人がよく好んで使用される諺の一つであり、学校ではうるさい生徒などに使用したりします。

また、社会人でもよくしゃべる人にこちらの諺を使用し、寡黙に仕事へ打ちこませようとさせる人は多いと思います。

これは、黙って作業することが日本では美徳されていて、自分が黙って仕事をしていることの肯定や、寡黙なことを肯定してくれる人などを現しています。

似たような意味では「言わぬが花」という言葉と混同しています。

仕事でガタガタ言うよりも黙っていた方が良いという考えにも広がっています。

しかし、本当にこのような行動は金なのでしょうか?

極論として考えると沈黙で徳を得られるとなれば、議論もしない方がいいと考える方も出てくるかもしれません。

ここで改めて「沈黙は金」の言葉をしっかり整理してみましょう。

「沈黙は金」とは

日本では寡黙な人や行動を肯定することで、寡黙に作業することに価値があるというように表していて、おしゃべりな人よりかは黙っている人の方が好感を持てると言った感じにも捉えられるので、日本で寡黙な人を育てようと努めます。

そのせいか、言葉を仕事としている職業(営業、コメンテーター、漫才師)にいい印象を持とうしません。

これは日本人が持つ独特の固定概念にも近い感じがします。

では「沈黙は金」の意味を説明します。

意味

現在の日本でが「おしゃべりなことよりだまっていることの方が良い」といった意味で使用されています。

果たしてそれで本当に金の値するのかと言うと、黙々に作業をすることで余計なことに集中が行かず、それ1点に集中してできるので仕事がはかどり利益を生みやすいと言う点はあります。

しかし、その一方で、会議などでは議論が生まれず発言者だけの意見で会議が進み、それで解決してしまうといったこともあります。

これでは金に値しないのではと思いますが、沈黙することで争いが生まれないと言う視点では金に値します。

これは1つの意見があると、反対意見が生まれると考えるため、それで議論になり争いが生まれ、時間を擁してしまうと思ってしまうため、利益につながらないと考えてしまうからです。

しかし、長い目で見ると、こうした議論をすることでさらにアップグレードした考えが生まれるということもありますが、時間と利益を優先するために早く解決することが美徳となっているために議論を避けようとします。

要は早く解決することと、よりいい意見を生むこと、どちらに視点を置くかで沈黙の価値が代わります。

では、次に「沈黙は金」の言葉の由来をご説明します。

由来

元々「沈黙は金」という言葉は日本だけの言葉ではないのです。

イギリスやドイツなどのヨーロッパでも使用されています。

こちらでも、沈黙の大切さを説いていますが、日本とは少し違った見方での大切さになっています。

それは、雄弁は大切であるが、沈黙も大切で沈黙すべき時やその場面をわかり得ていることが大切であると言う感じで意味を現しています。

実はヨーロッパではこの言葉には続きがあり、「沈黙は金 雄弁は銀」という言葉で英語にすると「Speech is silver, silence is golden」と表現されています。

つまりこの言葉が日本に渡ってきて、日本独特の美徳観から今のような意味で使用されている可能性があります。

要は時代背景やその国の情勢などによりとらえ方に変化が生じているのです。

では、次に由来の元になった「沈黙は金・雄弁は銀」の説明をさせていただきます。

「沈黙は金・雄弁は銀」とは

初出はドイツ語で執筆されたスコットランド人のトーマス・カーライルの著書である「衣装哲学」に書かれていた言葉であり、この時は「沈黙は雄弁より価値のあること」と言った感じで表しています。

しかし、言葉自体はトーマス・カーライルがスイスの石碑から借用したなどの諸説もあり、誰が唱えたかははっきりしていません。

そして、この言葉がイギリスで流行した時、意味に少し変化が生じてしまいます。

それは、イギリス人は他の国に比べておしゃべりな人が多く、話すことが価値のあることのように取られられていました。

今のアメリカ人が陽気な!と表現されるのは、おそらくこのイギリス人の特色からではないでしょうか。

アメリカはイギリスからの移民で作られた国なので、その国民性は繁栄されている感じがします。

また、当時のイギリスには沈黙な方が少なかったこともあり、少数派ということで価値がある人間に見られていた傾向もあり、それが金の値を意味することにつながったのではないかと思われています。

では、改めて「雄弁は銀」の意味をご説明致します。

雄弁は銀の意味

よく「沈黙は金」と対になる言葉として日本では認識されていて、「金」と「銀」ということから「金」の方が重宝されるように認識されています。

これは「金」と「銀」の高価さから認識されていますが、イギリスでは「金」は「銀」より発掘されにくいもので価値のあるものと認識され、沈黙な人は金を発掘するぐらい少ないと意味しています。

これはおしゃべりな人が多いために、それでも仕事の交渉事や会議など沈黙が必要とする場面があり、その時のために沈黙が必要となる場合もあり、沈黙の大切さを忘れないために使用されていたと考えられています。

しかし、実はさらにその前に違ったとらえられ方があり、それが時代とともにこのように変化していったのではと言われています。

次に元々の説を説明したいと思います。

元々の説

「沈黙は金・雄弁は銀」という言葉が成立された当初は、実は金よりも銀の方が価値が高かったので、雄弁を沈黙よりも称えた表現であった。

おしゃべりな人が多いイギリスなどでは話ができたり、議論ができないと仕事にならないという状況になっていたために、このような意味になったのではないかと言われています。

確かに、おしゃべりな人が多い分、議論ができないとなるとプロジェクトなどについていけなくなる可能性もあり、おしゃべりだから銀に値する仕事ができ、稼ぐことができると説いています。

しかし、現在は「金」の方が「銀」よりも価値が上がったこともあり、沈黙が雄弁より価値のあることのようにとらえられるようになってしまいました。

この言葉に限らず言葉は時代背景や物の価値などによって意味が変化してしまいます。

日本では古くから「金」は価値のあるものという認識があったため、この言葉が来たときではさえも沈黙に重きを置いていたのではないでしょうか。

「金」と「銀」の価値の違いではメダルなどで表すこともできますが、日本ですと「金閣寺」と「銀閣寺」の違いが如実に表されますので「金」に絡む方が、価値が高いと思われても仕方がないのかと思います。

では、次に「沈黙は金」と言われることに対しての説明をします。

沈黙は金とも言われる8個の理由

「沈黙は金」と言われるのには8個の理由があることはご存じでしょうか。

おそらく知らない!と言う方が多いと思います。

そこで日常生活の事柄と合わせて8個の理由を説明していきます。

もしかしたらどれか1つぐらい、あなたにとって、その通り!と納得できる理由があるかもしれませんよ。

これらの理由からなぜ「沈黙は金」なのかを認識し、日ごろのお仕事や生活などの参考になっていただけましたら幸いです。

また、このようなシチュエーションの時などにこのような対応策になっていただけるように説明致します。

1.言い訳のように聞こえる

何か言われた時や意見を求められた時などに、自分の意見を言うと、相手や第3者には言い訳のように聞こえてしまう可能性があります。

これは、相手が自分の意見を正しいと思いこみすぎていて、自分の意見が正しいという前提で話している時に生じたりします。

正しいことを行っているのに違った意見が来た場合、不快に思い、言い訳だととらえられる可能性はあります。

外から見ると、言い訳しているようにしか見えないので、このような場合を避けるためには沈黙が最適な方法と言えるでしょう。

しかし、一番言い訳をしているように見えるのが、注意を受けている時に、いろいろと意見を言うと言い訳しているように見えます。

必死の説得や弁明ではありますが、相手が上司や目上の人の場合、外から見ても上司や目上の人の意見が正しいと考えている可能性が多いので、どんな意見を行っても言い訳にしか思えないという場合が多いです。

この場合は、ただ相手に言わせて、こちらは沈黙を通すことが余計な争いを生まないので得策と言えるでしょう。

必死に弁明していると捉えられる場合もある

意見を言うと、言い訳をしているように捉えられるのは仕方ありませんが、見る人によっては、必死に弁明していると捉えている場合もあります。

沈黙をして黙っていることで相手が飽きるのを待つのも得策と言えますが、こちらも意見を言うことで、相手の意見と衝突し、さらにグレードアップした考えに行きつく可能性もあり、そのようなことを知っている人などは弁明に捉える可能性があります。

また、相手に注意を指摘している場面でも、ただ、相手を怒りたいだけなのでは?

一方的に相手へ責任を負わせたいだけでは?

などと考えることもできるので、注意されていることに対し、意見を言うことを弁明として捉えることもできないわけではありません。

しかし、意見を言うことで無駄な争いやいたちごっこになってしまう危険性もあるので、そうなると無駄な争いになり、相手だけでなく、自分にも弊害が生じるので、ここは沈黙するのが得策だと考えるのもありだと思います。

結局、何を言っても聞かない人は聞かないので、弁明でも言い訳にしか思えない場面になってしまうこともあります。

この際は、意見を言う相手が話を聞くか聞かないかをしっかり判断して、聞いてくれる場合は、意見を言っても得策になるが、ただ注意しているだけのような方には沈黙が得策と言えるでしょう。

2.余裕がないと思われてしまう

意見を多く言っていると時々ただ言葉を羅列しているだけと思われることもあり、その場合に焦って話してしまうケースがあり、そうなると、余裕のない人のように見えてしまう可能性があります。

ただ、話しているだけで中身がない。

話すことでごまかそうとしている。

と見られる危険性があります。

これは、話す、喋ることで言い訳をしているように思えて、あげくただ話しているだけだと、考えているのかと思われて、喋るだけで考える余裕がないのかと感じてしまう可能性があります。

この場合、相手の意見をしっかり聞いたうえで、その対になるような返しができれば、言い訳のようには聞こえません。

しかし、相手の話を聞かずにただ自分の意見を言うだけでは、相手にいい印象は生まれず余裕がないように思われるので、相手の意見をしっかり聞いて考えたうえで言い返すことをおススメします。

喋りすぎると焦っていると思われる場合もある

喋りすぎは何も考えていない、ただ、マニュアル文を読んでいるだけだ!そんな印象を生ませやすく、余裕がない人に思われて損をします。

この場合を考えると沈黙している方が得策だと思えますが、ただ、相手の意見を聞いていないだけであって、沈黙することだけが得策なわけではない。

例えば、営業で訪問販売した際に相手から予想もしないことを言われた際に、ただ、商品の良さを言うだけでは余裕がない人に思え、逆に沈黙してしまうとそこで営業活動が終わりになってしまう可能性もあります。

喋るしても何を言うか、何を伝えるのかなどを明確にして喋らないと、ただ言葉を並べているだけで相手には何も伝わらず、ただ喋っているだけにしかならないので得策と言えません。

沈黙も言う言葉を失って言い返せないということで考えてないと思われてしまいます。

要は喋りすぎも良くないが、沈黙も得策と言うわけではない。

この場合、喋った方が得策なのか、沈黙が得策なのかを見極める必要が大事です。

喋る場合はただ、言葉を並べるのではなく、相手の意見を聞いたうえで言葉を選んで喋るようにしましょう。