突然ですが、みなさんは「ブス」と言われたご経験はありますか?ショックですよね、言われると。

相手を小突きたくなることもあるかもしれませんが、相手のその「ブス」という一言、

実は「的を得ている」、「周りのみんながそう思っている」という事もあるかも知れません。

そこで今回は「ぶす」に纏わる特徴や、対処法をまとめていき、「ぶす」と言われない為の振舞い方を一緒に勉強していきましょう。

意外なところに落とし穴があるかも知れませんね?必見です。

内面が外見に出る

まずは前提として、今回の記事は主に「内面ぶす」を取りあげていきたいと思います。

あなたの「ぶす」はもしかすると、あなたの性格、振舞い、価値観、心、つまり内面から外見に顕在化しているのかも知れません。

では見ていきましょう。

 

内面をキレイにして心も体もキレイにしよう

「ぶす」はもしかしたら、内面から出ているのではと言う事を語らせて頂きました。

そう言った考え方からすると、内面をキレイにすれば当然、外見も変わってくるということになると思います。

思わず内面から滲み出てしまう人の性質、本音、そんなところを少し気を付ける事ができれば、あなたは「美男美女」と周りから褒められるようになるかも知れません。

細かい要素を各項目に分けて順番にご紹介いたしますので、是非とも最後までよろしくお願い致します。

1.人の悪口を言う

ではまず、他人から「ぶす」と言われてしまう特徴の1つ目として、「悪口を言うこと」を挙げておきたいと思います。

あなたは普段の生活で、「他人の陰口や悪口」を言ってしまう事はありませんか?

共通の人が嫌いで、友人同士愚痴を言い合う事に関しては、まだ良いかもしれません。

しかし、別に嫌いでも無い人の悪口を他人から何度も何度も聞かせられるのは、「とても鬱陶しいこと」です。

もしかしたら、あなたのその悪口が、その人にとっては「うるさいなぁ、またかよ」、「お前の方が鬱陶しいんだよ」となっているかも知れません。

人の悪口を聞かされる事は、こちらまで何だかは腹が立ってくるものです。

しかもその理論が、偏ったものであるのなら、「悪口を言っているこの人の方が悪い」となってしまっても、何とも不思議な事ではありません。

人の悪口を周りに吐きまくるのは、「毒を吐きまくって、いづれはその毒で自分が死ぬ」というように、最終的には「自分に返って来る」と思った方が良いでしょう。

そんなあなたを結構周りは気にしています。

プライドが高い

「人の悪口を言ってしまう理由」としては、いろいろと考えられますがその一つとしては「プライドの高さ」があると思います。

「プライドが高い」から、人から怒られたり、または他人が自分よりも優遇されていると思うと、

「その高いプライドがズタズタに引き裂かれて、最終的に悪態をつく」という最悪の状況になってしまうのです。

しかも、厄介なのが、怒られたり、自分よりも他人が評価される事に対しては、

その他人の行動が大体は「自分よりもその人達の方が合っているということ」から、直接言い返す事が出来ず、

八方塞になり、結果的に「他の人に悪口を言うしかない状況」まで追い込まれてしまうということです。

つまりは「その悪口」は、「負け犬の遠吠え」になってはいませんか?相手の理不尽さに怒って悪態をつくのは分かります。

他者からの幾分かの賛同はあるでしょう。

しかし、その悪態の理由が「自分にある」ときは、他者に悪口を言っても、「理解されない」ということを考えた方が良さそうです。

また、悪口を言ったところで「物事が解決する訳ではない」ということも関係していると思います。

それが分からず、悪口ばかりを言うと、どんどんどんどんあなたの周りから、「信頼性と共に人が離れていく」という、「孤立」の事態に陥ってしまうかも知れません。

悪口もほどほどにした方が良さそうですね。

2.人によって態度が変わる

つづいては「表裏がある」、「人によって態度が変わること」です。

多少の態度は人によって変わると思います。

例えば、上司と同僚では「敬語を使うか、使わないか」でも相当変わってきますし、

同世代の人に対しては、挨拶も軽くで良いかもしれませんが、目上の方に対しての挨拶は、席をきちんと立ってするのが、社会人としては「常識」なのではないでしょうか。

こういった一部の「マナー」に属するような事に関しては「人によって態度が違う」ということには、むしろ当てはまらない、「当り前のこと」なのでしょう。

つまり、ここで扱いたい「人によって態度が変わる」というのは、明らかな「計算」で態度を激変させていることです。

こうなっては「ぶす」と周りから言われても仕方ない事かも知れません。

これにはどういった心理状態が関わっているのでしょうか?

自分だけが気に入られたい

「人によって態度が変わる」というのは、嫌われる為にやっている訳ではないでしょう。

つまりは少し乱暴な理論展開かも知れませんが、嫌われる為にやっていないなら「好かれる為にやっている」、もしくは「嫌われない為にやっている」ということでしょう。

誰でも自分は特別な存在です。

中には「自分さえよければいい」という偏った考えの人もいるでしょう。

そう言った中で、周りの人間の「自分への評価」はとても気になるところです。

余りに気にし過ぎて、「あの人はもしかしたら私の事を嫌いなのでは?」と一旦思ってしまうと、夜も眠れなくなり、

過剰なほどの「点数稼ぎ」を始めてしまうのではないでしょうか?

それも、全ての人に対して行うものなら、それは「ぶりっ子」で、嫌いな人もいるかも知れませんが、個人的には「まだマシ」と考えます。

ここで問題なのは、己の頭の中で「損得勘定」をして、「意味のある人には媚びて」、それ以外は「全くの知らん顔」の差が余りにも酷いというところでしょう。

何度も言いますが、「皆、自分が一番カワイイ」と思っています。

しかし、その考えが過ぎると、結果的に敵を作ってしまいやすいと言う事もあり得るということを自覚しておいた方が良さそうです。

「自分の利益」ばかり考えてなりふり構わず行動し、ふと周りに目を向けると、そこには誰もいない「虚無空間」が広がっているかも知れません。

3.愚痴が多い

次は「愚痴が多い」ということについて考えたいと思います。

自分が好きな友人や、家族、または恋人の「愚痴」なら何時間でも聞いてあげたいと私なら思いますが、

「ビジネスパートナー」の愚痴は一体どこまで聞いてあげられるでしょうか?

あなたの限界はどこにありますか?あまりに愚痴が多いと、他人から「ぶす」と勝手に思われているかも知れません。

ネガティブになっている

「愚痴を言ってしまう」のは、どこか悩みや不安があったりと、「ネガティブ」になっている事が関係しているのかも知れません。

さまざまな不安から「人生上手くいかない…」などと、「マイナス思考」になってしまい、

自分よりも幸せそうな悩みもなさそうな、「多幸感のある人」をみると、「どうせ私なんて…」となって

最終的な思いの捌け口が「愚痴」となってしまうのではないでしょうか?

怒られるかも知れませんが、「人は平等ではありません」。

私はそう思っています。

生まれてくる家の経済状況も違えば、顔や身体も違います。

自分ではどうしようも出来ない「生まれつき」という避けられない要素があるのです。

しかしそれを「親のせい」にしたり、運命を呪っても、「何の前進もありません」。

多幸感があるように見えても、その人だって苦痛に追い込まれ、挫折をした経験がないと、どうして決めつけられるでしょうか?

確かにその人は、あなたよりもチャンスの数が多かったのかも知れません。

しかしあなたにもチャンスは訪れています。

ただ、その訪れたチャンスに気が付く事が出来るだけの「準備」が足らなかっただけではありませんか?

多少は「ネガティブ」になってしまうのは誰でもある「仕方のない事」だとは思います。

しかしそれをいつまでも「仕方ない」とし続けるのなら、世間からはあなたにチャンスすら与えてくれないでしょう。

少しは前向きになって、「自分は自分」と吹っ切れることも人生では必要です。

「世の中って、理不尽で成り立ってますからね?」

4.人のせいにする

次に自分の非を認めない、「人のせいにする」ことが癖になっている人の性格を考えていきたいと思います。

「人は絶対に間違いを犯します」、完璧な人間などこの世には居ないでしょう。

つまり、「失敗の無い人間など居ない」のだからと、その「失敗」を受け入れ、

次回までに「修正」出来る人は、少なからず「失敗の少ない」、成長した人間にはなれると思います。

しかしながら、この「自分の失敗」を頑なに認めず在ろう事か、「他人のせい」にしてしまう迷惑な人が、この世の中には居るのです。

「己の失敗」を認めずに、「成長するという向上心も忘れ」、ましてやそれを「他人のせいにする」という己の保身に走った間違った行為をすることで、

「成長の機会も失い、他者からの信頼も失う」といった、二重苦の最悪の事態を招いてしまうのでしょう。

こういった一連の行為こそが、その人の「一番の失敗」なのかも知れません。

責任転嫁がうまい

人のせいにする人は、他人に罪を着せる「責任転嫁」が上手かったりします。

いわゆる「口が達者」というヤツでしょう。

別に口が達者な人が「ぶす」と言われ嫌われるのではありません。

その能力の「使い道」がどうかということです。

自分の保身のためだけにその「弁が立つ能力」を使う事で、信用を失うということです。

また、嘘泣きなどもする人がいるかも知れませんね?明らかに嘘なのに、「辛くて仕方ない」とか、「むしろ私のせいなんです」とか、

パフォーマンスじみている行為を連発する人も、もれなく「ぶす」と言われて仕方が無いかもしれません。

何かの行為で、「他人に罪を着せる事が成功」しても、「その時点で見抜いている人もいる」ということを忘れてはいけません。

そうやって「上っ面だけの演技がバレている」から、あなたの周りには「人が寄り付かなくなっている」のかも知れません。

5.人の幸せを喜べない

次に、「人の幸せを喜べない」というものをご紹介したいと思います。

このことですが、確かに「人の幸せ」は、「正直素直には喜べないところもある」というのが「非常に素直な本音」だと思います。

しかし、だからと言って「人の幸せを否定すること」は誰にも出来ないし、そんな権利もないはずです。

ですから、「人の幸せ」に対し、何か疑問に思う、違和感のようなものがあったとしても、

少なからず「受け入れなくてはならない」というのが、世の中のルールなのではないでしょうか?

別に「人の幸せを喜べない人が一方的に悪い」という訳では決してないと思います。

ただ、その気持ちの「表現の仕方一つ」を言っているのだと思います。

誰だって「好き嫌い」はあるでしょう。

例えば数人で定食屋さんに行ったとしましょう。

そこで誰かが「カキフライ定食」を頼んだとします。

あなたは「カキフライが大嫌い」です。

そのカキフライ定食が提供されるや否や、「カキフライなんてどこが美味しいの?」、「気持ち悪い、苦いし不味いし」と、

別に自分が食べる訳でもないのにそこまで隣で言われると、あなたの一方的なその「好き嫌い」を隣でガミガミ言われ続けたら、「もういい加減、うるせぇな」となるのは自然でしょう。

「別にお前の意見なんて聞いてないよ?」と思っている人もいるかも知れません。

周りで幸せな人がいて、その人が「幸せなんだから、お前も喜べ、笑え、俺を祝福しろ」と命令してくるのなら、その人に非があるような気もします。

しかし、別に幸せを見せつけている訳でもないのに、勘違いして「何あれ?鬱陶しい」と

一方的に他人の幸せを「否定」するような行為は、控えた方が良いと思います。

もし立場が逆なら…、考えたら嫌ですよね?

他人に嫉妬する

人は幸せな時、周りが見えなくなるという性質があると思います。

「恋は盲目」と誰かが言っていました。

付き合いたてのカップルが、街中で人目もはばからずイチャイチャしているのもそうですよね?

確かに他人の見たくもない幸せそうな姿を見せつけられたら、「鬱陶しい」でしょう。

しかし、その人達にもその人達の「権利」があります。

あなたに例え恋人が出来たとしても、街中でイチャイチャするような、あなたが言う「愚行」はしないのかも知れません。

しかし、するような人がいてもあなたにそれを「否定する権利」はないのです。

客観的に見て、「ルール上、迷惑行為」に該当するのなら別です。

しかしそれ以外の行為は全て「自由」なので、それを一方的なあなたの主観で制限することは、日本の憲法では禁止されています。

ですから結局、他人の幸せは、何か「客観的な理不尽さ」、つまり法律違反等に該当するものがあるときには、

その「他人の幸せは、制限されるべき」となるかも知れませんが、それに該当しない「他人の幸せ」は受け入れるか、見逃すかしか、あなたが取れる行動は他に無いということです。

ましてや、否定することは以ての外で、あなたも何か幸せを勝ち取り、それが他者の一方的な理由で奪われたら、「不条理な気持ち」、それよりも「怒り」がこみ上げてくると思います。

他者の幸せが嫌でも、大人なら、基本的には笑って祝福してあげる事の方が、

「自分の幸せな時」を考えると、そちらの方が良いような気がしますよね、どうでしょうか?

6.上から目線

次にご紹介したいのが「上から目線」というものです。

私もたまに言われてしまう事がありますが、「上から目線」は「偉そう」と印象づけられ、

「何でお前なんかにそんなことまで言われなきゃいけないの?」、「お前何さま?分かったような口ききやがって」と相手から反感を買う事態が予想されます。

こうなると、そもそも「あいつはいつも、上から目線」と先入観が出来上がってしまい、

何か良い事を言っていても、他者からは「ぶすがまた何か言っている」といい意見が門前払いされてしまい、「非常にもったいない事態」になってしまう事も考えられるのです。

理屈っぽい

「上から目線」に付け加えるのなら、「理屈っぽい」というのも当てはまると思います。

物事すべてに「理屈」を強引に取り付け、その不格好な理論を相手に押しつけます。

しかもその理屈が相手でも理解できる事ならまだしも、

相手には到底受け入れられないような無理矢理な理論を言って、「自分が正解、お前は間違い」と決めつけてしまうことも問題です。

はたして合っているのかも間違っているのかも分からない、物事をきちんと見れているのかも見れていないのかも分からない、

「中途半端な自分理論」で相手を責め立て、吐き捨てるように物を言うさまは正に「ぶす」と言ってしまってもなんら可笑しいところはありません。

中には「知ったかぶり」をする人もいますよね?

【理屈っぽい人の特徴は、こちらの記事もチェック!】

人のアドバイスや忠告を受け入れない

また、「上から目線ぶす」の特徴として、他人に言うだけ言って、自分では何も聞き入れない人が多いと思います。

人は自分を肯定し、他人の言う事に耳を傾けなくなったら終わりです。

この「終わり」というのは、文字通り「先が無い」ということですが、「人は誰しも失敗をする」と書いたと思います。

その失敗を乗り越えるには、他者からの協力も必要な場合があります。

しかしこれは、他者の言葉を鵜呑みにするという事ではありませんよ?飽くまでも、今回の自分の判断は「間違っていた」と仮定したときの話です。

つまり、人は定期的に他者の考え、価値観を入れ、「脳をアップデート」する必要性があるのです。

この「アップデート」、更新をやらなくては、いつまで経っても「古い考え方」や、「固定観念」、「間違いの訂正」ができず、

現代でよく言われる所の「時代錯誤」という言葉で片付けられてしまう可能性もあります。

「人生死ぬまで勉強」と言った人がいました。

正にそう思います。

どんなに若い時代に厳しい訓練を積んだ「名人」でも、己の地位や実績に安住したその瞬間から、

その人は時代から取り残された、次世代に世代交代を待つだけの存在で、だんだん「死」というものが近づいているという事なのかも知れません。

7.嘘をつく


つづいては「嘘をつく」です。

これは分かりやすいかもしれませんが、童謡の「オオカミ少年」ってありますよね?

ある平穏な町に突然、「オオカミが来たぞぉ~」という叫び声が聞こえ、恐怖でパニックになった住人達は、血相を変えてそれぞれ自宅へと逃げ帰り隠れました。

しかし、待てども待てどもオオカミなんて来ません。

むしろ外に居たのは取り乱して逃げて行った住人達の姿を嘲笑っていた「少年」がいるばかりでした。

つまり、「オオカミ」なんて「少年の嘘」だったのです。

その日からというもの、少年は何度も何度も「オオカミが来たぞぉ」と叫んでは、住人達を恐がらせ、その姿を見て笑うという「嘘」を繰り返していました。

その後のある日、少年は町を出て、歩いていると向こうから「オオカミ」がやって来ました。

血相を変えて逃げる少年、あともう少しで町だという時、「オオカミが来たぞぉ~、助けてくれぇ」と力の限り叫びました。

しかし、住人達は「いつもの少年の嘘だ」と思い、誰も少年の言葉に耳を傾けてはくれません。

そして皮肉にも「その嘘の言葉」が、少年の断末魔の叫びとなってしまい、その日を境にその町から、「オオカミ少年」は消えてしまいましたとさ、めでたしめでたし?というものです。

あなたもこの「オオカミ少年」になりたくないなら、「人を深く傷付けてしまうような嘘」は止めておいた方が賢明でしょう。

周りの目が気になる

なぜ、人は嘘を付いてしまうのでしょうか?その理由の一つには、「周囲の目」が関係していると思います。

つまり、「見栄を張る」ということですかね?

人からの目を気にし過ぎて、見栄を張りたくなってしまい、嘘をつく、

それがバレそうになったら「更なる嘘」で自分を守る、そういった「嘘で嘘を塗り固める行為」が、「新たなオオカミ少年」を生んでしまう理由なのかも知れません。

人間は完璧ではありません。

誰でも「欠点」はあるのです。

その欠点は人に見られたくはないかもしれません。

しかしその欠点と向き合い、時には「恥をかくこと」も辞さない行動が人の心を打ち、「人間味のある人」と周りからある程度の信頼を勝ち得る事が出来るかも知れません。

自分の為にも、他人の為にも、「恥をかける人」は少しカッコ良かったりもします。

8.面倒くさがり

何をやるにも「面倒」であると、こういった発想も行き過ぎると他人から「ぶす」と認定されてしまう事があるかも知れません。

あなたが面倒な事は、おそらく他人も面倒です。

でもどうでしょうか?周りの方々は文句も言わずに面倒事に誠実に取り組んではいないでしょうか?

例えば、暑い日に隣で「あぁもう、暑い暑い」と何度もしつこく言う人がいて、「もう分かったよ、皆暑いんだから我慢しろよ」と怒られるような会話は、「ドラマ」とかでも良く観ますよね?

自分にとって面倒だからといって「面倒面倒」といろんな事から避け続けていて、

そうかと思えば、関心事になると飛びつくようにテンションを上げて取り組むような振舞いは、「自分に興味のある事しかやらない嫌な奴」と周りから思われても仕方がありません。

嫌な事はみんな嫌です。

しかしそれも含めて「生活・勉強・仕事」なんだと思います。

たまには弱音を吐く事もいいですが、あくまでも「たまに」ですよ?

口先だけで行動しない

「○○~、宿題やっちゃいなさぁ~い」、「はいはい、やるやるぅ」。

そして、気付いたら朝になっている。

こんな日々を学生時代どんなに過ごしたか?と思う方は結構いらっしゃるのではないでしょうか?

相手が「お父さん・お母さん」ならば、あなたの事が一番カワイイはずなので、あなたには「甘い」かも知れませんが、社会に出たらそうはいきません。

周りの人間は、別にあなたが一番カワイイとは思っていません。

むしろ、上司からは「給料払っているんだから、ちゃんとやれよ」、同僚からは「お前よりもいい成績とって出世してやる」と思われて、

あなたに対しては「部下や同僚」という最低限の認識しかなく、特別な感情は持ち合わせていないかもしれません。

しかしそれが普通です。

学校は勉強をするところ、会社は仕事をするところです。

「いつも口先だけで結果が伴わない人」は、すぐに「要らない人間」、「金喰い虫」とレッテルを貼られ、周囲の関心は、他の有能な人材へと気持ちが移っていっている事でしょう。

こうなれば、あなたは「ぶす」どころか、「あんた誰?」と誰にも印象の残らない「本当に要らない人間」になってしまうかも知れません。

意欲がない

また同じ様な事が言えるのは「意欲が無い事」です。

周りが家族なら、意欲が無いあなたを心配し助けようとするでしょう。

それが家族というものです。

しかし、社会に出たらどうでしょうか?ここまでこれば前述と同じですよね?
 

9.人の話を聞かない

「自分大好き」、これも他人から「ぶす」と言われる危険性があります。

いつも自分の話、聞かされる方からしてみれば結構苦痛だったりします。

あなたはどうでしょうか?人の話をどれだけ聞いていられますか?

余りに度が過ぎると「鬱陶しい」と思ってしまうのではないでしょうか?

もちろんあなたの話を聞いている周りの人間も同じ気持ちです。

そして厄介なのがこういう人に限って「同じ話を何度もする人」が多いように思います。

ただでさえつまらない話なのに、同じ話を聞かされたら「苦痛も苦痛」、「地獄」と思われてしまうかも知れません。

自分の話ばかりする

人の話を聞かず、自分の話しばかりしてしまうのはなぜでしょうか?

多分コレは、「もっと私を見てほしい」という願望から来ているのではないでしょうか?

こういった精神状態の時、とにかくマシンガントークで、「相手の気を逸らさないように」と思いがちですが、この強引なやり方がときに相手の「反発心」を助長してしまう時があります。

話は少し変わってしまうかも知れませんが、例えばある夫婦の話しで、夫が帰って来ると夕食の準備がまだ終わっていませんでした。

夫が妻に問い詰めると、「今日は忙しかった」の一点張りでした。

それに怒った夫は「なんで疲れて帰って来た夫に料理のひとつもできないんだお前は」と一方的に妻を罵り、

それに妻は「今日は気分が悪かったの、一日くらい食べなくても死なないでしょ?コンビニでも行ってこればいいじゃない」と返す。

こうして「俺の方が辛い」、「いや、私の方が辛い」、「お前は俺の辛さが全然分かってない」、「あなたこそ私の辛さが…」と延々「自分の話し」が続き、喧嘩に発展し泥沼状態になってしまいました。

こういった状況の時、夫と妻はどちらが悪いでしょうか?私はどっちもどっちだと思います。

というのは、皆さんのご家庭は知りませんが、少なくともこの家庭では、「夫が外で稼いできて、妻は家で家事をする」というのがお互いの役目になっているという状況です。

この「互いの役目」は、夫の仕事の辛さ、妻の家事の辛さ、お互いが分かっているようで分かってあげられていません。

つまりどちらも「自分自分」なのです。

これでは、自分の辛さへの相手の感謝、労をねぎらう真心、こんなものを相手が自分に一方的に抱くとは到底思えません。

自分の事を知って欲しいなら、まず「相手の事を理解」しようとしなければ、相手は自分の理解など考えてはくれないという事です。

思いは先行してしまうかも知れませんが「急がば回れ」で耐える事も必要でしょう。

そうすれば自ずと相手への感謝の気持ちが湧き、自分自分の性格から脱する事ができるかも知れません。

人が話しているときは余計な事を言う

「話しの腰を折る」とか「人の話に水を差す」とか言われる事があるかも知れませんが、

これは人が折角楽しく会話しているのに、「それって違うよ?」とか、「それは本当は○○だよ」とか余計な事を言う事を意味しています。

例えば、「この前の焼き肉とっても美味しかったねぇ?」と楽しそうに話している女子2人、

そこに「牛って人間に殺される時ってどんな気持ちなのかな?」、「屠殺って最低じゃない?」、「私は動物殺すの嫌だから肉は一切食べない」とか隣で言われたら、せっかくの話も嫌になります。

確かに「牛を殺すこと」は人間の横暴なのかも知れません。

特別、食べる事を牛に固執しなくても良いのかも知れません。

しかし、そうだからと言って今その議論は本当に必要でしょうか?

楽しく話をしているのに、「自分だけ勝手に反論の準備をして」、全く違った観点の話しを急にされても、相手は不意打ちで、フラストレーションが溜まってしまうだけです。

何の問題の解決にもなりません。

10.おごってもらうことを当たり前だと思っている

つづいては「他人の好意を当り前と思っている人」も、同じく「ぶす」と言われてしまいかねません。

最近よくテレビとかでも言われる「おごってもらう事に何の感情もないこと」がその最たるものとして挙げられると思います。

お金は言わば「その人の人生の時間」です。

人はその寿命を切り売りして、その対価として受け取ったのが紛れもないその「お金」なのです。

よく「生涯賃金」とか言ったりもしますよね?人はその能力も関係ありますが、「一生で稼げる金額は決まっている」ので、要するに時は金なりで、「無限ではなく、有限」ということです。

そんな「人の寿命」を、せっかく自分の為に分け与えてくれたのに、

「全く無視」、「当り前」と思っている人がいたら、もうその人は人の気持ちも分からない、まさしく「ぶす」としか言いようのない人と言えると思います。

感謝の気持ちや払う姿勢が見えない

中には「奢ってもらうことに抵抗がある方」もいらっしゃると思います。

特に女性は「奢ったんだから、何か返せってこと?」と身の危険すら感じ、こんな人には一方的に奢られたくないと考えている人もいらっしゃると思います。

確かに「奢ったんだから、何か返せ」と思っている男は居るでしょう。

ですから「奢られるのに抵抗があること」は分かります。

これはものすごく分かります。

他の理由もあるでしょうが…。

しかし、「奢ってもらったのだから、感謝はしなくてはなりません」。

相手との年齢が近ければ、「こちらからも払う姿勢は必要」でしょうが、余りに年齢差がある場合は、「割り勘」を申し出るのも相手に失礼な場合があります。

そこは「ケースバイケース」でしょう。

とにかく、時は金なりですから逆に言えば「金は時なり」で、

お金はその人の寿命の一部と考えれば、奢られるという状況が確定しそうな時、自分はどうする事が一番良いかが、自ずと分かるような気もします。

相手からしてみれば、「どうしようか悩んでくれている」と分かるくらいでも十分、「感謝」に値する何かをあなたに感じているかも知れません。

誰かに奢ってもらったら、きちんとお礼を言いましょう。

これが最低限のマナーです。

借りを作るのが嫌なら本当に何か返せばいいだけです。

 

最後に

いかがだったでしょうか。

「ぶす」は内面から出てしまうものだと言う事が何となく分かって頂けたかなと自負しています。

しかし、考え方、物の見方は人それぞれなので、「こうしなければいけない」ということはありませんし、逆に「こうしていたら絶対に大丈夫」ということもありません。

だから人生って難しいんですよね?上手くいかないながらも、傷つきながらも、それでも頑張って生きていく事が、人の道、人生であるのではないかと思います。

人から「ぶす」と思われたらとても悲しい事かも知れませんが、「治すところはしっかり治して」、あとは「前向きにいく事」が重要だと感じます。

何でもかんでもすぐには治せませんからね?時間を掛けてゆっくり生きていきましょう。