人間はよく不平等だということを耳にしますよね(^_^;)

立場、環境、才能など、天に二物を与えられた人はたくさんいるじゃないか!と思うことがよくあります。

でも不平等だと思えることは、だいたいがその人自身が努力で手に入れたものが多いように思えます。

例えばです。

ルックスが整っていて、性格も良く、スタイル抜群の女性がいたとしましょう。

そしてこの女性は表向き、特にこれといった努力をしていないように見えます。

その女性よりも、美しくなる努力をしてるにも関わらず、劣等感を感じている周囲の女性は、不平等だと思っていることでしょう。

「特に努力しないであんなにキレイな人もいるんだから人間不平等だよね」と。

確かにルックスという一点においては、不平等だとは思います。

どうしても顔の造形には「持って生まれたもの」が関係しますから。

ただしその一点のみ、です。

性格やスタイルは、その人は見えない場所で磨いています。

表に出さないだけです。

しかもそのルックスという一点でさえ、絶対的なものではありません。

他人との比較、自分との比較によって判断される相対的なものです。

なので、外見における「不平等さ」があったとしても、それはあまり問題になることではないように思えます。

それは努力ではどうしようもない「不平等さ」をあっさりと覆すほど「絶対的に平等なもの」がこの世界には二つあるからです。

一つは時間です。

誰にとっても平等ですよね?

今回のテーマはもう一つのものです。

「可能性」

でございます(・ω・)ノ

時間と可能性だけは誰にとっても平等です。

この二つと比較すれば、とある一点において「不平等」と感じても、それらは全て些細な問題と言っても過言ではありません。

もしかしたら、不平等さによって劣等感を感じ悩んでる人がいるかもしれません。

が、悩むことはありません。

もし悩むなら、時間と可能性の使い方で悩んだ方があなたの為になります(・ω・)ノ

森を眺めて、その森の価値を計る時、一本一本の木の優劣はさほど問題ではありません。

その森全体が調和してるかどうか、だけが問題になりますよね?仮に一本だけ、世界遺産並みに価値がある木があったとしても、その森の美しさにはあまり影響しません。

さらに言うならたとえ全ての木が劣っている木でも、調和しているなら、その森の価値は非常に高いと言えます。

一本一本の木は不平等で相対的なものですが、その森の価値を決めるのは調和という絶対的なもの、というわけですね。

この理屈は人間にも置き換えることができると思います。

おそらく人間にとって最も大切なことは先に挙げた絶対的な二つでしょう。

時間と可能性。

この二つはかなり密接に関係しているので二つで一つ、と言うこともできます。

前置きが長くなってしまいましたが、今回はこの「可能性」の秘密に迫りたいと思います。

️よく聞く可能性は無限大というフレーズ

これこそが今回のテーマの論点です(・ω・)ノ

可能性は無限大です。

生きている「時間」の中で、無限かつ平等です。

人は皆、「あれが正しいこれが間違っている」という議論を交わしますよね?僕もついよく言ってしまうのですが(;・∀・)

この議論は実際は不毛です。

本来正しい間違いなどはありえません。

ただの個人主張のぶつかり合いで答えなき論争です。

「絶対にこれが正しい!!」と言うことが可能なのは、このフレーズのみではないでしょうか?

可能性は無限。

もしこのことに関して「いや、そうじゃないよ」と思えない人がいるならば…

今の状況、心境に具体的な原因があるかもしれません。

可能性は無限大だと思えない原因

たった一つの真理、とさえも言える可能性ですが、そうは思えない人もたくさんいます。

これにははっきりとした原因、理由があります。

諦めようとしている


根本的な原因はこれに尽きるでしょう。

その時々において、やはり心持ちは変化します。

それまで生きてきた中での経験則もあります。

それらを照らし合わせると、これは無理と判断することも、往々にしてあるでしょう。

概ねそれは無理、ではなく無理という判断をしているだけです。

0か1か?

たったそれだけのことで大きく意味が変わってきます。

当然0では無理ですね(;・∀・)

70才のおじいちゃんが、「わしゃ、今からイタリアに渡ってセリエAのサッカー選手になるぞい!!」

は0ですね(^_^;)

でも1は可能性が低いだけで無理ではありません。

セリエAの選手は無理でも、イタリアに渡ってサッカーすること自体は70才のおじいちゃんでも0ではありません。

1を無理と判断するか、1あるならチャレンジするか?

ここで人の道は左右します。

この左右分かれてる道のどちらに進むか?にも、もちろん正解はありません。

石橋を叩いて渡るなら無理ですし、進んでから考えるという人には大きな可能性となるでしょう。

あきらめる、というとひどく言葉が悪いように感じられますが、これは「別の可能性」を模索するという意味でもあるので、決してネガティブな要素ばかりではありません。

1を無理と判断して、別の2を探す

ということも、無意識のうちに無限の可能性を信じてる行動の結果でしょう。

もし可能性は無限じゃないよ、と言う人がいるのなら、2を探す為ではなく、1を無理と判断して止まってしまった人でしょう。

もしくはプロのサッカー選手を目指すおじいちゃんですかね(;・∀・)

パワーが尽きた

あきらめてしまった理由の一つですね。

根性論にも限界はあるので、パワーは補充しないと、いずれ尽きてしまいます。

パワーが尽きて、もう無理とあきらめた場合、もしかしたら「結局何をやってもダメだったな…可能性なんてしょせん言葉上のものなんだ…」と思うかもしれません。

でも、これは「パワーの補充に失敗した」だけです。

残念ながら、可能性とは全く関係ないところで心が折れてしまったのですね。

個人的意見ですが、僕はあまり「何事も全力」というのが好きではありません。

まず継続できないし、パワーの補充も難しいからです。

響きはとても美しく、その場、その場は対応できますが、いずれバランスは崩れていくように思えます。

パワーが尽きる前に優先順位をしっかりと確保することが、何事も継続できる秘訣なのかなあと僕は思っております。

疲れてしまった


そしてパワーが尽きると、深いため息とともにこう言います。

「なんか疲れた…」

心身ともに枯れる寸前ですね。

そこまで疲れると人は間違いなくネガティブになります。

一度このネガティブの流れにはまるとなかなか抜け出すのは困難です。

休息をとって疲労は回復しても、一度負った「精神的なネガティブな流れ」を変えるのはそうできるものではありません。

可能性は無限?そんなのキレイごとだよ

と半ば怒りにも似た気持ちを抱え続けることでしょう。

そしてそう考えている自分にもストレスを感じてしまう日々。

本来キレイなものを「キレイごと」と侮蔑を込めて感じた時

それは心が曇っている証拠です。

肯定より否定の方が意識は強いものですから、最近の自分は否定ばかりしていると感じた時は、細心の注意をしてください。

気付かないうちにどんどん心が黒くなっていきますよ(;・∀・)

才能の壁を感じた

才能とは何か?というテーマもなかなかディープなのものになりますね。

ここで書くのは辞めておきましょう笑。

壁を感じる時は概ね結果が伴わない時でしょう。

頑張って頑張って頑張り続けたのに、結果がまったく出ない

こんな時は誰もがくじけそうになります。

「才能がない」「何をやっても無理だ」と心はネガティブ一色になることでしょう。

確かに人間には向き不向きがあります。

向いていること、それを才能と呼ぶのかはまた別問題ではありますが、結果がなかなか出なければ、いずれ不向きだと自分で感じることはまず間違いないでしょう。

それでもやはりやり続けている限り0ではありません。

えてして結果というものは、ふとした時についてくるもので、いつどんな形で舞い降りるか、それは誰にも分かりません。

なので問題は「才能がないかも…」と考えた時にどうするか?ですね。

きっぱりあきらめるか?しがみついて踏ん張るか?

その判断は非常に難しいところですが…どちらにしても可能性はあります。

きっぱりあきらめて、別の可能性を模索した方が賢い選択なのかもしれません。

時間は有限ですから、出来る限り可能性が高い道を歩いた方が人生が効率的になります。

「才能はないし、結果も出ないかもしれない。けど、好きだからまだまだやり続ける。
やってる限り可能性はあるから!!」という不器用で前向きな姿勢の方が、賢くはなくても、人の生き様として素敵に思えます(^_^;)

自分に自信がない

特にネガティブになってるわけでもないのに、性格として、自信が持ちづらい人も世の中にはたくさんいますよね?

そしてそういったタイプの人は「自分には無理だよ!!」と、ごくごく自然に判断します。

その姿勢はあまりにも自然なので、卑屈な感じもあまり受けません。

こういう人は自信がないわけではなく、自分の向き不向きを自然に理解して、賢い選択をしている、ということが多いようです。

本当に自信がない人は謙虚を越えて、卑屈に見えてしまいます。

何事にもネガティブで、「どうせ自分なんて…」「どうせやっても無理だし…」と

「どうせ」という言葉をもっぱら使います。

生理的に周囲をイライラさせてしまう人ですね(;・∀・)

確かにこういった人であれば可能性の神秘にはまったく気が付かないでしょう。

とはいえ、その人がほんとに無理かどうかはもちろんやってみなければ分かりません。

案外、あっさりと結果が出るということも充分にあり得ます。

行動に移せれば…ですが(;・∀・)

年齢や社会的な目を気にしている

可能性に関してネガティブになるのは、もしかしたらこれらが最大の理由かもしれません。

さっきのセリエAを目指すおじいちゃんではありませんが、現実的に年齢は大きく影響しますよね。

肉体的な問題において、可能性が0ということは残念ながら大いにあり得ます。

例えばプロのアイドルを目指すとしても、事務所では年齢制限があります。

いかに可能性は無限といっても現実的に不可能なことは存在します。

じゃあ可能性は有限じゃないか!?

と言われれば、そうかもしれません…(-ω-)/

一言に可能性が無限大といっても、こうした現実的なルールや物理法則を無視することはできません。

あくまで「ルール」を守ったうえで初めて無限、と言えるのが可能性です。

比喩ではよく使いますが

頑張れば人は空を飛べる!!だって可能性は無限だから!!

というのはあまりにも幼い考えですよね。

羽がないので人は空を飛べません(・ω・)ノ

少し話はずれてしまいますが、根本的に人間は自由です。

ただし、その自由は「何でもやっていい」という意味ではありません。

法律というルールを守った上で主張できる「自由」です。

これと同じ意味です。

土台になるルールを無視して、「可能性の無限」を叫ぶことはできません。

言い換えるなら「常識的に考えて不可能ではないこと」において「可能性は無限」となります。

なんだか、理屈っぽい話ですが(;・∀・)

なので「常識的には不可能ではない」のであれば、その場合、年齢や社会的な目は些細な問題となります。

僕の知ってるおばあちゃんで70才の方がいらっしゃるのですが

先日ご結婚されました(・ω・)ノ

70才で結婚??と社会は思うでしょう。

本人は婚姻届けを出しに行くのが恥ずかしかったと言ってましたが、残りの人生を好きな人と過ごしたいという気持ちに比べたら、そんな社会の目は些細な問題です。

全く気にする必要はありませんよね(*´▽`*)

サッカー選手は無理でも結婚はできる

可能性の神秘とはこういうことですよね(・ω・)ノ

でも努力を続けていれば可能性はまだまだ無限大

今も書いたとおり、常識的に不可能ではなければ、可能性は無限大です。

あきらめなければ、努力を続ければ

結果はついてくるでしょう。

もしかしたら望んだほどの結果ではないかもしれません。

イメージできる中で最悪の結果、ということも充分にありえます。

でも、やり続けてる過程でそれを考えても不毛なことです。

良い結果をイメージすることはとても大切ですが、イメージと期待は違います。

姿勢として、イメージは能動で、期待は受動です。

良い結果を想像するのと、良い結果を待つのでは、その後のモチベーションを大きく左右します。

元旦にひくおみくじのようなものですね。

待ち人来る

と書いてあって来ないと、落胆しますよね笑。

それは想像どおりになることを期待しているからです。

可能性は無限大ですが、その言葉に「期待」するのはあまりおススメはできません。

期待は落胆を生み、焦燥感に変わります。

そしていずれ疲れます。

つまり「こうなればいいな」が受動で

「こうなる」がイメージですね(・ω・)ノ

学生の試験勉強のように一夜漬けでなんとかなるものではありませんから笑。

いかに継続してその可能性を信じることができるか?これもまた可能性における大きな問題の一つです。

️可能性が無限大だと言い切れる3個の理由

明確な理由があるので、僕は可能性を無限と言い切ることができます(・ω・)ノ

大きく分けるとその理由は三つあります。

選択肢は無限大にあるから

人生とは荒野のようなもので、道はあるように見えて結局は自分で開拓しなければいけません。

社会的に「道のようなもの」は作られていますが、そこは何の舗装もされておらず、そのままでは歩けません。

そんな荒野にどういった道を作るか?

獣道か?コンクリートで舗装するか?看板は立てるか?花は咲いているか?

など、選択肢は無限にあります。

さっきも書きましたが、ルール無用ではありません。

ルールは二つ、「法」と「モラル」です。

イメージしてみましょう。

広大な荒野にぽつんと一つだけ看板があります。

「注意書き。ここは荒野ですが法と道徳があります。絶対にこの二つは順守してくだい。そして生きているのは人間だけではありません。それも考慮してください。
それさえ守っていれば、あなたはどこに行っても構いません。まさに自由です」

無限の荒野、という奴ですね(・ω・)ノ

では、注意書きを守りながら、荒野に道を作って歩いていきましょう(´▽`)

諦めるのも続けるのも自分の意志

「あの山を越えたら湖がある」という噂をその荒野で聞きました。

もちろんただの噂で湖はないかもしれません。

山を越えたらまた山だったということもありえます。

あなたならどうしますか?

目的は水の確保です。

山を越えるのはとてつもない労力が必要ですよね。

なので山越えせず、その場で体力を温存させながら雨を待つ、というのも一つの選択です。

その噂を信じて山を越えるか?

体力的に無理と判断して、あきらめて別の方法を模索するか?

全てはあなたの意志で決まります。

山越えを選択した方がポジティブ、あきらめるのはネガティブに見えますが、決してそうではありません。

その場で「どうやったら水を確保できるか?」の正解はありません。

どんな方法でもリスクはあります。

どう動いていくのかの決定権は自分

雨を待つといっても、いつ降るか分かりません。

山を越えても湖はないかもしれません。

いずれにせよリスクはあります。

そのリスクを自分でどう判断するか?それすらも自分で決定することができます。

判断基準にも決定権があるということは全て自己責任ということでもあります。

誰のせいにもできず、失敗しても、自分を恨むしかありません(;・∀・)

すなわち可能性が無限ということは、自由と同時に責任を負うということでもあります。

自分で責任を負える範疇ならば、どこに行くのも自由で、全ての決定権は自分にあるということですね(・ω・)ノ

そして、その荒野において正解はありません。

それは確実に水を確保する方法はない、ということを意味しています。

だから選択肢は無限にある

確実ではないからこそ、選択肢は無限に存在しています。

山を越えたら湖があることが確かならば、間違いなく人は山を越えるでしょう。

その時、選択肢はその一つしかありません。

人生において言えば、絶対に正しいということは本来ありえません。

正しいという決定を自分でしてる場合がほとんどです。

それは無限にある選択肢からその一つを選択した結果と言えるでしょう。

そしてその一つを選択したのなら、それに対しての責任は全て自分で負わなくてはいけません。

仮に単なる噂を信じて、山を越えたのに湖が発見できなかった場合、山越えを決断した瞬間の自分を悔やむかもしれません

「あの時別の選択をしていればよかった」と、後々後悔することは誰でも一度は経験があるはずです。

可能性が無限にあるということは、希望でもあり、残酷でもあるということですね。

これからの未来は無限大だから

当然ですが、未来を予知することは不可能です。

今日の自分が明日の自分を作ることになります。

慢性的な日々を送っている人でも、昨日と全く同じ一日はやってきません。

似てる日々なだけですよね?

明日どうなってるかなんてわからない

どんな選択をしてもその結果がどうなるかは誰にも分かりません。

できるのはある程度の予測をするくらいです。

よく一日一日を大切に、と言いますが、これは未来を心配してもあまり意味はないから、その日を大切にすることが良い未来に繋がりますよ、という意味ですよね(・ω・)ノ

今日これをやったから明日は必ずこうなってるというのも予測にすぎません。

何が起きるか分からない

だからこそ未来は無限で、今日における可能性もまた無限と言うことができます。

未来は予測不可能

もし未来を予知することができたのなら…

人は努力もせず、選択することもないでしょう。

答えが決まっているのなら、考える必要もありません。

ただ時が流れるのを待っていれば、自ずとその未来はやってくるでしょう。

想像でしかありませんが、これほどつまらない人生はありませんよね?

ただ流れる時に身を委ねるだけの人生にどんな価値があるでしょう?

未来が予測不可能だからこそ、人は暗闇の中でもがき、がんばることができます。

それは苦しいことばかりかもしれませんが、望んでいる未来を作る為の努力は、人生の中で最も価値がある行いではないでしょうか?

未来に対しては、数学のように方程式に当てはめて答えを導き出すということは不可能です。

だから未来の可能性は無限大

未来もまた、誰に対しても平等に訪れます。

人は皆、無限にある選択肢の中で常にたった一つだけを選択し、やがて訪れる未来に備えます。

一つの選択が一つの未来を作り出すわけですから、選択肢が無限にあるということは、未来そのものが無限ということです。

望んでいる未来を作る為には、どんな選択をして、どんな努力をするべきか?

無限の可能性は常に目の前に広がっているものです。

幸運が訪れるタイミングは無限大にあるから

幸運、というよりも「結果」ですね。

望んだ結果、望んだ未来が、いつ具現化されるか?

未来を予知できない人間には知る由もありません。

結果や幸運というものは、本当にいつどこで訪れるか分かりません。

誠実に努力を重ねている人でさえも、「結果が出る可能性がやや高くなる」というだけで、決して確約はされていません。

残酷ですが、結果がずっと出ない、ということも充分にあり得ます。

もちろん明日、ふと空から降ってくる場合もあります。

その瞬間にできることは、無限の可能性を信じて、選択し、努力するということくらいなものです。

ポジティブでもネガティブでも幸運が訪れる可能性もまた平等であり、無限の可能性を秘めています。

いつどんな話が舞い降りるか分からない

望んでいる時にはなかなか手に入らないのに、「まあ、なんとかなるか」と少し肩の力を抜いた時に良い話が舞い降りてくるという経験はありませんか?

不思議なもので、僕にはこういうことがよく起こります。

「あの時あんなに願ったのに、まさか今来るとはね…」

という嬉しい悲鳴を上げることが多いのです(;・∀・)

なぜかは分かりませんが、欲しいと思った時には手に入らないのに、少し距離を置こうとした時に舞い降りてきたということがけっこうあります。

目には映らない何か不思議な力が働いたとしか思えないんですが…。

振り返って考えてみると、意地になってがむしゃらにやってる時にいい話が舞い降りてきたという経験はあまりしたことがありません。

本当にふとした瞬間に手に入れた、ということばかりです。

未来と言うのはほんとに何が起きるか分からないものだなあとつくづく考えてしまいます。

偶然やたまたまは予想できない

運とは不確定要素満載ですから、期待するのも不毛で、完全に受け身にならざるをえません。

自分は強運を持っているから、明日は必ずいいことが起きる!!

とポジティブに考えるのはいいと思いますが…(;・∀・)

期待しても落胆することの方がきっと多いでしょう(*_*)

予想すらもできない運について考えても不毛ですよね…。

だから幸運は無限大

だからこそ運もまた、平等であり無限の可能性を秘めています。

よく自分は運がないと言う人もいますが、不運ばかりに見舞われているわけではないと思います。

幸運もあるはずですが、目に映るのは不運なことの方が多いということではないでしょうか?

もしくは運ではなく、そもそもの「選択」が失敗してたかのどちらかだと思います。

僕も今日はついてないな…と思うことはよくありますが、一日通して振り返ると、悪いことばかりが起きたわけではないと気付きます。

比較的不運な一日だったけれど、少しは幸運もあったかな

と捉えるようにしています(・ω・)ノ

そうして明日における無限の運を信じて、無限の未来を迎え入れようと努めます。

ネガティブをポジティブに変換するのもまた自由、というわけですね(*´▽`*)

️可能性を無限大にするためのアクション

ものは考えようで、発想を転換することにより、自分の中にある可能性を信じることができるようになる

と僕は思っています(・ω・)ノ

可能性は無限で、荒野における決定権は全て自分にありますから、それを行使し、実際の行動に移せるようにしていきましょう!!

絶対に諦めない

無理だと判断するのも自由です。

絶対にあきらめないのもまた自由です。

自分にならできると判断しているのなら、その可能性は無限です。

たとえ周囲に無理だと諭されても、本人にはあまり関係がありません。

自己責任ですから(^_^;)

納得できるまでやり続けましょう。

もちろんあきらめて別の道を探すのも一つの選択です。

正解不正解はありません。

その人自身がどういった未来を望んでいるか?

ただそれだけが道標です。

道標に沿って、無限の可能性を秘めた荒野を突き進んでいきましょう!!

努力し続ける姿勢を持つ

努力は一過性のものではあまり意味がありません。

継続して初めて意味と結果がついてくるものです。

個人的には毎日「100」出し切ってがんばるより、常に「80」をキープすることが、継続の秘訣だと思っております。

例えば、夜勉強していたとして、今日は眠くないから朝までやってやろう!!というよりは、眠くはないけど明日に備えてここでやめておこう

という方が継続できると思っています。

その場における全力を注ぎ込むより、少し余力を残しておいた方が、モチベーションも維持しやすいからです。

100の努力は素晴らしいものですが、完全燃焼すると人はだいたいガス欠を起こします。

それよりは気分や体調に左右されないよう、「80」を常にキープする、という姿勢が継続に繋がると思います。

ポジティブな思考を持つ

仮にネガティブなことがあったとしても、それをポジティブに変換するのもまた思考力です。

可能性は無限ですから、どう捉えようとその人の自由です。

無限の荒野にはよく道端に石が落ちているので、つまづくことがあります。

水がなかなか確保できない時もあるでしょう。

そんな時こそ、無限の可能性をポジティブに見るべきですよね?

落ち込んでいる時は、思考力そのものが低下しているので、難しいですが(^_^;)

未来の幸運と自分が建てた道標を信じて荒野を歩きましょう(・ω・)ノ

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広い視野で考える

視野の広さはその時の状況や環境、自分の精神衛生面が影響します。

無意識のうちに視野が狭くなっているということはよくあります。

頑張り過ぎたり、執着したりすると、どうしても狭くなってしまうものです。

その時自分の今の視野は狭いという自覚があればいつもの視野に戻すことも可能ですが、自覚がない場合は、狭いまま荒野の一本道を歩くことになります。

もちろん荒野にある道はそれだけではありません。

道は無限にあります。

困った時は冷静に辺りを見回しましょう。

周囲の人の協力を得る

自分に決定権があり、全て自己責任ですが、自分の力だけでは解決できないこともたくさんあると思います。

そんな時は他人が考える「可能性」も聞いて、ヒントを得ましょう。

いかに自分が無限を信じていても、自分が建てた道標だけでは目的地につけないと分かっているならば、他人の道標を参考にする、というのも一つの道です。

疲れて歩けない時は、他人の車に乗せてもらう、手を引っ張ってもらう

など、広い視野で考えれば、そういった方法もきっと思い付くことでしょう。

コネクションを広げる

他人との繋がりが多ければ多いほど、目の前にある道も広がります。

会社でも学校でも、コネクションを生かすことはとても重要です。

そのコネクションは自分が見たことない場所に連れて行ってくれるでしょう。

自分では思いもよらなかった方法で水を確保することができるかもしれません。

️可能性は無限大、あなたも分かっているはず

「可能性は無限?そんなことないよ」

と言う人もたくさんいると思います。

「有限なる可能性の中」で人生という荒野を歩いていくのもまた自由です(・ω・)ノ

「自分は西にしか進まない!!」と決めて西だけを探索するのも荒野の醍醐味なのかもしれません。

…が、もったいないなあと僕なんかは感じてしまいます。

いろんな方角に向かった方が、いろんな景色が見れると思いますから(・ω・)ノ

その分労力がかかるかもしれませんが、見合った景色を見ることはできるはずです。

無限の可能性を信じて、挑戦する人生素敵ですよね(´▽`)