こんにちわ!!

今回は戦う人達必見のテーマになっております。

なぜ山に登るのか、登山家に尋ねると彼らはこう答えます。

そこに山があるから、と…。

まさに戦う人達ですね(・ω・)ノ

今回のテーマは「試練」でございます。

人生における試練とは、まさに彼ら登山家にとっての山のようなものなのです。

そこに試練がある限り、俺達は越え続けるのさ…ふっ…。

…という妙なダンディズムはあまり必要ありません(;・∀・)

我々人間は強いて言うなら、常に試練を抱え、それに挑んでいるとも言えるでしょう。

目標を設定して、その目標を達成する為には必ず何かしらの試練が目の前に立ちふさがり、努力してそれを越えなければ、目標には手が届かない…

いつの間にか目標自体よりも、目の前にある試練を乗り越えることが目標になっていたり…

など、試練とは誰の前にも現れ、悠然と立ち尽くしていると思われます。

そしてそんな毎日を大半の人が過ごしているでしょう。

もしかしたら、人は人生の中で、成長と充実を求めるがゆえ、自らの手で試練を作り出しているのかもしれません。

山がなければ、登山家も登ることは不可能です。

それと同じで、試練があるからこそ、人はそれに立ち向かいます。

目標と試練がなければ、誰も苦労して高い壁など登ろうとはしませんからね。

そんな戦う人間達と切っても切れない「試練」をもっと詳しく考えてみましょう。

試練は乗り越えるべきもの

目標が初めにあり、その障害としてその壁はふと目の前に現れます。

気付いた時には、頂上が見えないほどの高さで、目の前の道を塞いでいて、先に進む為にはそれを越えなければいけない…

というよくできたシステムのようになんとも都合よく試練は現れます笑。

先に進めないのであれば、越える以外方法はありませんよね笑。

まれに迂回して、避けるという裏ワザもあるようですが、裏ワザを使うと、結局遠回りになって越えた方が早かった、というのがよくあるオチです。

人間とは不思議なもので、少年漫画の主人公のように、「ライバル」がいるのと、いないのでは、成長速度がまったく変わるようです。

ライバルという競う相手がいるからこそ、成長を求め、厳しい試練に立ち向かい、ライバルに勝とうとするのは、王道ですよね??

もし、彼ら主人公にライバルがいなかったら…

多分田舎の山奥で、静かに暮らし、悪の帝王に立ち向かうことも無く

一話で物語は終了するでしょう笑。

このように目標やライバルという手が届かないかもしれない相手がいる状況では特に、試練が必要不可欠な存在になります。

最終的な目標は、設定したゴールにたどり着くことではあるのですが、どうやら試練という壁を登ること自体にも大きな意味が隠されていそうです。

生きていれば辛いことや悲しいことは必ずある

た、確かに…。と納得してる場合ではございません。

誰にでも悲しいことや辛いことはあります。

どうやらこれに関してだけは神様は皆平等に与えるようですね苦笑。

そして人間はそれらを乗り越えるのに必要なものを修練して得ることができます。

特効薬というものは存在しませんが、「免疫」というものを得ることは可能です。

一度味わった辛いことや悲しいことは…

もう二度と同じ思いをしないように努めたり、仮にまた同じ状況になった時は、以前のように「ただの棒立ち」ということもないでしょう。

できる限り心の被害を最小限に努めようとするのもまた、一度味わって「免疫」がついているからです。

それはひとえに、一度試練を越えているからでもあります(・ω・)ノ

それはあなたにとっての”試練”

悲しみや苦しみは誰だって嫌なものですし、好き好んで感じたいと思う人はいません。

それでも、それらは人生という道の中で至る場所に潜んでいます。

これを完全に避けることは不可能でしょう。

道端でそれらに出くわした時にどうするか??

見なかったふりをして逃げるか?

猛然と立ち向かうか?

実際、どちらも可能です。

逃げようと思えば逃げることもできます。

でも…それは必ず追ってきます。

思ってる以上のスピードで軽々とあなたに追いつくでしょう。

そしていずれ捕まります。

つまり一次的に逃げることは可能ですが、結局はそれに立ち向かうことになる、ということですね(;・∀・)

まさにそれこそが試練です。

辛さや悲しみに立ち向かい、どう対処するか??

それは大きな壁となって道に立ち塞がるでしょう。

その壁に触るだけで、悲しみや苦しみが一気に胸に広がります。

触るだけで、です。

その壁を乗り越えなければ先に進めないという地獄のようなもの、それが試練です。

そして勇気をもって、それにしがみつき登ろうとしている時に、人はさらに苦しみ、悲しみを感じ、あきらめたくもなります。

本当にあきらめて落ちる人もたくさんいます。

ところが落ちてもその壁はなくなっていません。

むしろ体力が減っているので、一度登った時よりも乗り越えるのは困難になっています。

無意識でそれを悟っているのか、人はなんとかそれを一度で乗り越えようとするものです。

まさに必死です。

そうして乗り越えた時、道は以前よりも少し違った風景に見えます。

清々しい気分で、もう一度歩き始めることでしょう。

ところが!!またすぐこの壁は現れます(゚Д゚)

「またかっ!!」と言いながらも、一度克服しているので、以前ほど躊躇せずに登りきることができます。

なにせ一度苦しい思いをして「免疫」がついていますから、簡単ではありませんが、前ほどの悲しみと苦しみではありません。

いつの日か、ラスボスを倒すその日までこの道は続くのです。…という物語が成立しますね。

ラスボスを倒すのが目標ですが、その過程で現れる「壁」自体がすでに強敵なので、もしかしたら、ラスボスに出会った時には

レベルが上がり過ぎているかもしれません。実際にありますよね。

今まで長い間目標にしてがんばってきて、いざ目標に手が届くと「あれ?こんなもんだっけ??」という、なんともあっさりした結末が…苦笑。

これはきっと、度重なる試練の方が強烈すぎて、目標そのものが小さく感じられるからなのでしょう。

いつのまにか試練を乗り越えること自体がすでに一つの目標となってしまっていたのでしょう。

悲しみや苦しみはそれほど頻繁に現れるというエピソードでございますm(__)m

試練を乗り越えるべき10個の理由

今も書きましたが、もし志半ばにして、あきらめて壁から手を離したとしても…その壁がなくなることはありません。

それを登るのはもう嫌だと、迂回することはできてもいずれまたすぐに現れます。

しかも時間をおいたことによりその壁はより大きくなっていることも充分ありえます。

そしてまた迂回、さらに大きくなって再登場

と、この連鎖はほぼ永久に続きます。

そうして逃げ続けた結果…もう歳を取り、人生は佳境を迎えているでしょう。

その時はもうその壁を登る必要はありません。

なにせその先にはもう道はあまり残されていないのですから…。

もしこういった老人がいたとして、この老人は今何を思うでしょう??

逃げたことを後悔するか?逃げれたことを満足するか?

それは僕にも分かりませんが…多分自分の人生を振り返ると、あまりいい思い出は浮かばないのではないでしょうか…。

「恥の多い人生を送ってきました」的な文章を書いてしまうかもしれませんね(-_-)

逃げ続けた人が「失格」というわけではないでしょうが…悲しい結末になるのは予想できてしまいますね…。

と、実際にはそこまで意地になって試練を避ける人はまずいません(・ω・)ノ

登るべき理由は確かにあります。

それは本人だけが知る理由です。

そしてその試練を乗り越えて、自分が思い描くその先の道を歩かなければいけません。

そこまで厳しい試練を乗り越えなくてはいけない理由…一体何でしょうね(。´・ω・)?

自分の人生に必要なものだから


まずは理由というよりも登ること前提というパターンです。

なにせそれを乗り越えないと、道がないからです。

八方塞がりで、前には高い壁。では、もう壁ををよじ登るしか手はありません。

「ったく仕方ないなあ」とぼやきながら登るしかないでしょうね笑。

これは受験によく似ていますね。

受験に合格しなければ、その学校には行けない。

なら勉強するしかない。

嫌でも何でも、勉強しなければ、受験に合格することは不可能ですからやるしかありません。

偏差値と壁の高さは完全に比例します。

偏差値30の学生が東大を目指すとしたら、その壁のてっぺんは雲の中にあるかもしれません。

でも、登ることは不可能ではありません。

雲に刺さっているそのてっぺんを目指すだけです。

それを現実的に無理と先生は言うでしょうが、ほんとにたどり着きたいなら、まさに死ぬ気でその壁にチャレンジするのもいいと思います。

ただし、その先の人生が深く関わってくるので、壁のてっぺんだけではなくきちんと足元を見ることも大切ですよ(;・∀・)

自分のスキルが向上するから

分かりやすいのでまた漫画やゲームの主人公らしき人に登場していただきましょう笑。

ラスボスを倒すのにはレベル99が必要という条件が分かっている場合の試練ですね。

とにかくレベルを上げるためにひたすら、敵とバトル、バトル、バトルという習練を重ねなければいけません。

そして自分のレベルが上がると、敵も相応にしなければ自分のレベルが上がりづらくなります。

つまり常に際どいバトルをしなければいけないということですね。

ギリギリ登れるくらいの壁を登っては下りて、登っては下りてを反復して、自分のスキルを向上させなければラスボスは倒せません。

こういった反復の試練は、繰り返している間にけっこうラスボスそっちのけになり、試練に立ち向かうことが目的になったりします笑。

ストイックな試練のおかげで、レベル99という限界を突破してしまい、一撃でラスボスに勝つという、あっけないエピローグも充分考えられます笑。

まあ現実世界ではラスボスもレベル99もないので、充分すぎるほどスキルアップしても損はありません(^_^;)

ストイックな目標を持っているアスリートなどがこの試練に立ち向かうことになるでしょう。

努力し続けることの意味がわかるから


日々の努力が目に見える形になるのは、相当先の話です。

もしかしたら結果という形になって初めて自分がしてきた努力を実感するかもしれません。

そういった曖昧なものでしかない努力は、よく人をくじけさせます。

誰でも一度は思ったことがあるでしょう。

「こんなに努力してるのに…どうしてまだこんな状況なんだろう」と。

この時、努力し続ける意味を知っていないと、ふとしたことで心が折れてしまいます。

「やっても結果出ないし、無駄だよな…」

となり、もう二度と同じ試練に立ち向かうことはないでしょう。

なので、まずは「努力とは目に見えないもの」という意識を持って試練に挑むようにするのがいいと思われます。

そして試練に挑んでいる最中に知るでしょう。

「努力の意味は過程にこそある」と(・ω・)ノ

つまり高い壁にしがみついてること自体に努力の意味があります。

高い壁を乗り越えるという結果を手に入れる為にしている努力ですが、この努力は

「しがみついている努力の連続にすぎない」のです(・ω・)ノ

…分かりづらい表現ですいません…m(__)m

簡単に言えばその壁にしがみついて落ちないよう努力してればいいんですよ!!

少しずつでも上に登ってれば、いつか必ずてっぺんに着くから!!

というだけの話です。

落ちないよう努力し続けましょう。

その努力だけ続けていればば

絶対に落ちません。

落ちなければいつかたどり着きます。

という方法論です。

努力の意味を結果に求めるか、過程に求めるかで、その人の試練に立ち向かう心構えは大きく変わってくるでしょう。

結果に求める人こそ、心が折れる人ですね。

過程の積み重ねが結果になるということですね。

この努力の意味は、無我夢中で必至に試練に立ち向かっている人だけが体感することができるでしょう(・ω・)ノ

人間として成長できるから

成長もまた、自分ではなかなか実感できないものです。

目に見えるようになるには、だいぶ時間がかかるでしょう。

いつもいつも目の前に現れる壁に、うんざりしながらも仕方なく登り続けてると、

ふとした時に感じるかもしれません。

「あれ?なんかいつもより楽かも…壁が低くなった??」

いえいえ、低くなる壁は存在しません。

試練は常に高さを増しています。

いうまでもなく、これは本人が成長してる証拠ですね。

こんな時でも、自分が成長したとは思わず、壁が低くなったと感じてしまうほど、人の成長は目に見えないものです。

ただしこれはメンタル面においてです。

フィジカル面は明らかに目に見える成長をしてくれす。

いい例が赤ちゃんですね。

日に日に成長し、言葉を覚え体が大きくなります。

筋トレやダイエットなどもそうですね。

大幅に変わるのは数か月かかるかもしれませんが、一、二週間で、ほんの少しの効果くらいは目に見えるかもしれません。

そういった面では、メンタル面の成長はなかなか体感できないものですが、試練を登り続けてるうちに、それはふとした時、やってきます。

試練を繰り返していて、成長しない人はいませんよ(・ω・)ノ

周りからの評価が上がるから

ストイックに試練に立ち向かっている人はすぐそれと周囲には伝わります。

メンタル的にタフな印象を与えたりするのでしょう。

何かに立ち向かっているという気迫が、毛穴からにじみ出てるのかもしれません(^_^;)

当然こういった人達は、周囲から信頼され好感を持たれます。

がんばっているいる人を批難する人は、よほど心が寂しい人間ですね。

もちろん試練に立ち向かっているのは、他人の為ではなく自分の為です。

間違っても周囲の評価を気にしてはいけませんよ(;・∀・)

そんな浅い覚悟では、壁から落ちてしまいますから、周囲の評価はありがたく頂戴するとして、端に追いやり、てっぺんだけをストイックに目指しましょう(・ω・)ノ

仲間とのより深い絆が生まれるから

もしもその壁を仲間と一緒に登っているなら、一生涯大切にするべき価値ある絆を作ることができるでしょう。

いわゆる酸いも甘いも、という奴ですね。

辛さも楽しさも喜びも共有できるのは、同じ環境でがんばってきたからです。

これは同じ環境にいない人には、絶対に知ることができない感覚ですね。

あまりに高く、一人では絶対に登れなくても仲間となら登れるという壁も確かにあります。

それこそ漫画やゲームのような話ですが、この壁は確かに実在します。

一人一人の能力は負けていても、チームなら勝つということですね。

例えば陸上のリレーのような競技がこれに当てはまるでしょう。

後から後悔しない選択ができるから

目の前にそびえたつ壁にチャレンジし、全身全霊で登り切ったとしましょう。

自分の全てを使い乗り越えた試練は、後々、大きな意味を帯びるようになるでしょう。

全力を尽くしたという実感は、後悔を生みません。

ここまでやってダメならしょうがないという潔い線引きもできるようになります。

人生とは常に選択を強いられるものです。

一度全力を尽くした経験は、この選択時に大きな自信となるでしょう。

もちろんこの時には新しい試練に挑んでいるかもしれません。

壁を登るという厳しい試練は、確実にその後の選択において良い糧になるでしょう。

メンタルが一層強くなるから

いつ登りきれるかも分からない、はるか高い壁に挑んでいる最中は、誰もが辛く早く楽になりたいと思っています。

でも、ここで離すわけにはいきません。

ここで離したら今までの苦労が水の泡ですから、必死に食らいつくでしょう。

これはすでにメンタル的にタフになる修行を積んでいるようなものです。

辛いときにあと少し、あと少しという努力の連続、これが努力の意味でもあり、タフなメンタルを作る最高の修行です。

いやあ確かにこれしんどいですよねえ笑。

でもこれをくぐり抜けた猛者は、その辺に転がっている石ころ程度ではもう躓くこともないでしょう。

まさに鉄人です(・ω・)ノ

これ以上にない達成感や喜びを味わえるから

あの山を越えると海が見えるとうい伝説的シチュエーションですね(・ω・)ノ

海を見たいから、必死で山を越える。

ある時は雨に打たれ、飲まず食わずでひたすらに山を登り、そうして見えた海はどんなに美しいことでしょう。

同じ海でも、車で行った時と山登りした時とでは、まるで別物です。

これはアーティストなどに当てはまる試練ですね。

日々黙々と創作し、生みの苦しみを味わい、時に挫折も味わうかもしれません。

それでもなんとか完成させ、自信作として発表し、周囲から評価もされれば…それ以上ない達成感を味わえるでしょう。

アーティストの創作意欲の根本はまさにこの「誰も見たことがない海を見ること」なのだと思います(・ω・)ノ

さらなる自分への自信につながるから

一つの結果は新たな目標を生む為に存在しているとも言えるでしょう。

目標とは常に上書き保存されていきます。

そしてそれは常に高い壁となって目の前に現れるでしょう。

一つ乗り越えればまたすぐ新しい壁があるということは、うんざりもしますし、意欲もわいてきます。

そうして文句を言いながら、新しい壁にチャレンジしていくのが我々人間のしかるべき形なのでしょう(・ω・)ノ

その連なりこそが新しい自分へ繋がり、乗り越えた時、初めて自信という形になって自分の中に入ってきます。

闘った人のみが得られる自信ということですね。

試練で試されるもの

それでは、この高い壁を乗り越えるにはどういったものが必要なのでしょうか??

といってもだいたい想像はつくと思いますが…(;・∀・)

試練を乗り越えるための必須条件、挙げていきましょう!!

意志・決意の固さ

誰であれ、まず初めに持っていなければいけないもの、それがこれです。

これなくして試練を乗り越えることは不可能と言えます。

もはやダイヤモンドよりも固い意思と決意が必須です。

もしその意思が「ゴムほどに柔らかい質」であれば…

壁に触った瞬間に「あ!これ辛い!やめよ!」となりますね(;・∀・)

何があってもやり遂げる意思がなければ、絶対に高みには届きません。

これは誰であれ、どんな才能の持ち主でも不可能です。

もしも大した努力もせず、なんとなく登れちゃったということがあればその人は天才…ではありませんΣ(゚Д゚)

全くもって違います。

壁自体が低かったか、人生に何度もないただの幸運です。

試練を乗り越えるための意志とはラーメンにおける麺のようなものです。

もし麺がなければ…「ラーメンじゃなくてスープじゃんΣ(゚Д゚)」となりますよね。

意思なく登れる試練は試練ですらありません。

試練という壁を楽して登っても何の意味も価値もありません。

大変だからこそ、それを試練と人は呼ぶのです(・ω・)ノ

実力

残念ながらその時々の実力も必要です。

必要というか分不相応の壁に上っても痛い目にあうだけで、収穫は得られないかもしれません…。

試練と言うのは「拮抗したレベル」で初めて効果があります。

ギリギリ登れるか登れないかそれが試練です。

楽しても意味はありませんし、無駄に高い試練はただの無謀です。

なので実力が必要というよりは、その時の実力に合った試練を設定するべき、という方が適切でしょう。

さっき書いた偏差値30の学生が東大を目指すというのは、これに相当します。

誰もが無謀と言いますよね(;・∀・)

でももちろん登ることは不可能ではありません。

受験勉強を一年死ぬ気でやれば、偏差値を倍にすることも夢ではありません。

無謀と無理は似て非なるものですからね(・ω・)ノ

個人的には無謀な壁を登ろうとする人は全力で応援したくなりますね(^_^;)

努力

これもまたさっきのラーメンに例えると…ラーメンにおけるスープのようなものですね(・ω・)ノ

もしスープがなければ…「それただの小麦粉じゃんΣ(゚Д゚)」となります(;・∀・)

意思と努力あって、初めて試練は試練となりえるでしょう。

どちらか一方がかけても試練は試練として機能しません。

崖っぷちの戦い、これこそまさに試練であります。

常識的に考えても「努力せず、意志もなくまっとうできるもの」に、そこまでの意味はありませんよね(◎_◎;)

強い意思を持って、辛い努力を重ねるからこそ、人は成長し、普段感じることがない達成感も得られるのです(・ω・)ノ

忍耐力

そして壁によじ登ってる最中に必要なのがこれです。

とにかく辛いですよね。

てっぺんはまだまだ見えず、結果なんてものを手に入れるのはいつになるかも分からない状況ですから。

それでも揺るがない意思と努力を継続しなければすぐ落ちてしまう…これはもう耐え忍ぶしかありませんよ…。

どんなに固い意思といえど、誰でも辛い時はつい甘えたくなるものです。

そんな時は休憩して、登ることを一時休止してもいいでしょう。

ただし常にぶら下がっている状態ですから、気を抜きすぎるとあっという間に落ちてしまいます。

休憩はほどほどにして、回復したら、再び登り続けましょう(・ω・)ノ

才能

これは非常に難しいですよね…。

才能があるから登れるのか??

登れたからこそ才能があるのか??

鶏が先か卵が先か?のような問題ですね…。

才能というものをどのように見るかで大きく意見が分かれそうですが…個人的には才能とは継続できる力だと認識しているので、前者だと思っております。

才能があるから、その試練に挑むことができ、登ることができたということになりますね(;・∀・)

ではもし志半ばであきらめて落ちてしまった人は才能がなかったか?

とは言い切れないと思います。

登れなかったなら才能ないんじゃ…という人もたくさんいると思いますが…もう一度チャレンジすれば結果は変わるかもしれません。

一つの結果だけで才能を判断するのは早計かなあ…というのが個人的見解です。

もちろん結果登れなかったのなら才能はなかったのでしょう。

それはあきらめてもう二度と登らなくなったから、とも言えます。

登りきるまで何度もチャレンジする、そして勝つ!

この人は充分すぎる才能があると僕には思えますが…はたして…。

信じる気持ち

これがまさに才能の答えだと僕は思っています。

自分を信じられるからこそ、敗北しても勝つまで続ける意思と、勝つための努力を継続できるわけですから…

さっきのラーメンの話だと←またかっΣ(゚Д゚)

これはもう「器」ですね。

麺もスープも器がなければ盛ることができません。

ラーメンというもの以前に、食事として必要みたいなものです。

生きる上での根源的なものではないでしょうか??

信じているからこそできるし、信じていなければ、そもそも何もやりません。

そう考えると…器・麺・スープは人生における三種の神器とも呼べるものかもしれません…。

え??違います??

これは失礼しましたm(__)m

試練から逃げてはいけないの?

さて、長々と戦う人達について書いてきましたが…

現実的に逃げるのは決して不可能ではありません。

時と場合によっては、その壁からあっさり手を離し、迂回して進むということも大ありです。

でも…

どうしても辛いなら逃げるのも手、でも…

ちらっと書きましたが、まず迂回ルートは実は非常に面倒です。

道が入り組んでいて、そして何より距離があります。

がんばって壁を乗り越えた方が実は楽というのがけっこうありがちなオチです。

それほど逃げるということはエネルギーを時間を消耗します。

さらに、これが問題なのですが、迂回してようやく道が開けた瞬間同じ壁がさらに高くなって立ち塞がっているという悪夢のような状況が待っています。

結局は逃げられないということですね(・ω・)ノ

では登るしかありませんよね…。

…こういう言い方をすると批難っぽくなってしまうのですが…逃げて、でも回り込まれて、そしてまた逃げてという逃走劇のようなことを繰り返している人の末路は…最終最後は立ち往生です。

壁を前にして、逃げることも動くことすら止めてしまいます。

これはもう、意味と価値がない人生と言えるでしょうね…。

気力も体力もなく、ただぼんやりと、壁を眺めているだけの人間…廃人と呼べるかもしれませんね…。

さっきも書いた某小説の主人公です。

彼は最後、そこまでの年齢ではないのに老人のような見た目になり、誰も彼と識別できないほどの別人になってしまいましたが…

きっとそういうことなのでしょうね…。

試練を乗り越えるために、今はひたむきに努力するしかない

結局はそういうことになってしまいますね(;・∀・)

逃げてもダメなら戦うしか方法はありません!!

その戦いには色んな要素が絡んできます。

意思や忍耐力など、自分の全てをフルに活用する総力戦となるでしょう。

それは長く険しい戦いです。

でもそんな時こそ思い出してください。

ラーメンにおける三種の神器を…←もういいよっΣ(゚Д゚)

まさに後のことは、後に任せてひたむきにがんばるしかありません!!

闘う人達、陰ながら応援しています!!