日本人として当たり前のように教わり、日常で使用している“漢字”ですが、意外と調べてみると奥が深い意味合いを持つものもたくさん存在します。

たとえば、二つ以上の漢字を組み合わせてできる熟語について取り上げてみると、普通に使っていたけれど、「どんな意味?」と聞かれると意外と答えられないものも結構あるかもしれません。

漢字を二つ使った、いわゆる“二次熟語”の中で、漢字を前後入れ替えてもだいたい同じ意味を持つ熟語もあり、この違いって何だろう…とふと考えてしまうこともあります。

前後入れ替わっても同じ意味を持つ熟語というと、皆さんならどんな漢字を思い浮かべますか?

たとえば、「対応と応対」「議論と論議」「愛情と情愛」「和平と平和」「便利と利便」「労苦と苦労」「明言と言明」などがあるかもしれません。

「論理と理論」と思いついた方もいるでしょうか?

この二つの熟語、漢字を入れ替えただけの同じ意味でしょう?と思われている方も意外と多いようですが、実はまったく意味が異なるんです。

つまり、同義語ではない、という事なんですね。

では、論理とは何か、理論とはどう違ってくるんでしょうか。

そして、論理的な人の特徴についても考えてみましょう。

論理ってどういうこと?

よく「あなたは論理的な思考の持ち主だ」とか「もっと論理的に話してもらえないかな」などと言うのを聞くことがあります。

なんとな~くぼんやりとは論理の意味合いや雰囲気をとらえられる、という人はいたとしても、正確に論理とはどういうことかを説明できる、という人は果たしてどれだけいるでしょうか。

はっきり言って、「論理」の意味について子供でも分かるように、納得いく論議ができる人は少ないと思います。

人によっていろんな解釈の仕方があったり、説明の仕方も難しいからです。

論理の意味


「論理」という熟語の意味を辞書で調べてみると、「考えや論議などを進めていく筋道や筋立て。

思考や論証の組み立て。

思考の妥当性が保証される法則や形式のこと」となっています。

さらには「比喩的に、物事の法則的なつながり」のことである、ともあります。

これだけ見てみると、何が何だかさっぱり…??という感じがしますね(笑)

では、一つ一つさらに詳しく意味を考えてみることにしましょう。

考えや議論の筋道・筋立て

まず一つ目は「考えや論議を進めていく筋道や筋立て」を意味するとなっています。

初めに「筋道」というものが何かを考えたいと思いますが、物事の順序やルールを指して使われます。

なにかある特定の目的を果たそうとする時、その目的に達するまでには物事の順序を組み立てる必要があります。

「まず初めにこれをして、次にこういう行動を取って、最後にこうして…」といったように、目的を果たすために踏むステップや手順のようなものです。

そう考えると、論理とは「物事を考えてある目的を果たそうとするにあたって、必要になる答えの導き方や手順」のことであると言えます。

そもそもこの「論理」という漢字を見てもそれがよく分かります。

「論」とは物事の思考や意見や見解を指しており、「理(ことわり)」とは物事の普遍の原理や法則を指します。

論が先に来ていることからすると、まず「物事の思考や意見、見解」があり、それを正当化したり、納得させるために「原理や法則」が付いてくると考えることができます。

物事の法則のつながり

二つ目に考えるのは、論理とは「物事の法則のつながり」のことである、という点です。

世の中にはさまざまな法則があり、ある物事や事物はその法則的なつながりに基づいて働いています。

法則のつながりというと難しく聞こえるかもしれませんが、物事の関係性を明確にするということです。

たとえば、「食事をした」ということを誰かに論理的に話そうと思う場合、「いつ食べたか」「どこで食べたか」「誰と食べたか」「何を食べたか」「なぜ食べたか」「どのように食べたか(割引券を使った、無料招待券をもらって食べたなど)」「いくらで食べたか(外食をした場合において)」といった事を明確にします。

「いつ、どこで、誰が、どのように、何を、なぜ、いくらで」-こうした事を元にして、一つの出来事の間につながりを持たせることによって、相手が抱くかもしれない不安や疑問を取り除き、余すところのない筋道を通すことになります。

思考や論証の組み立て

三つ目に考えるのは、論理が「思考や論証の組み立て」である、ということです。

これには、物事を直感的にとらえて判断するのではなく、さまざまな角度から冷静に分析し、考えを積み重ねた上で結論を導き出すことが関係しています。

つまり、ある結論が正しい事を証明したい場合、その結論に説得力を与えるための、納得のいく根拠や理由、前提を提示できることが求められるということです。

ある一つの結論に達するよう説明しようと思う時に、自分とは異なる考えや意見を持つ人にも遭遇します。

そうした人に対しても納得させられるように、あらゆる角度から判断したり、考えを組み立てて証明できることが関係しています。

思考の妥当性が保証される法則や形式

自分が正しいと主張する事柄が妥当であるとか、正しいという事を証明するためには、それを判断するためのある程度明確な基準(法則や形式)が必要になります。

述べることが「本当なのか?」「なぜそうなるのか、あるいはそう言えるのか?」などと理由や根拠をきちんとした法則や形式に基づいて証明したり、正当性を提示することで初めて、それは論理的なものとなります。

論理は必ずしも結論の真偽が明確でなければならないわけではありません。

特定の法則や形式に沿ったものであり、ある程度妥当性が見いだされるのであれば、その結論が真実かそうでないかは別として、妥当であるとみなされることになります。

論理の意味の理解は難しい

いろいろと述べては来ましたが、「論理」の意味を明確に説明するのは難しいですね(-_-;)

解釈の仕方はさまざまだと思いますが、まとめてみると「論理」とは、ある物事の説明をしようとする時に、筋道立てて順序良く考えや論議を進めていくプロセス、といったところでしょうか。

そしてそれには、すでに存在している当たり前の法則や形式、ルールに乗っ取ったものでなければならない、という点も関係していましたね。

相手が納得のいく根拠や理由に基づいていなければなりません。

また、その結論にある程度の妥当性が見いだされているのであれば、論理的であると言えるということです。

論理と理論の違いとは

論理について考えてきましたが、では漢字を入れ替えただけの「理論」との違いは何でしょうか。

言葉を入れ替えただけで同じ意味を持つと考えている人も意外と多いですが、この二つは全くの別物です。

それでは次に、理論とは何かを考えていってみましょう。

論理との違いがあること、また理論と論理の関係性なども分かってくると思います。

間違えやすい2つの言葉


「理論的には…」とか「論理的に言うと…」などといった言い方をする人に出会ったことがあるかもしれません。

なんかよく分からないけど、結局同じ意味?と考えている方もいたり、間違った使い方をしている人も見られたり…

意外と間違えられやすい「理論」と「論理」のようですが、使い方を正しく覚えて用いるようにできたらいいですよね☆

理論とは

理論とは「対象となる事象の原因と結果の関係を説明する一般的な論述」のことである、となっています。

「1+1=2」であるという考えも理論の一つと言えるでしょう。

さらに理論について調べてみると、「実際の経験から離れて、純粋に思考の中で組み立てられた知識」のことであるとか、「科学研究において、個々の現象や事実を統一的に説明し予測する力を持つ体系的知識」さらには「個々の学者が学説や見解を披露すること」となっています。

「理論」はまず先に理(ことわり)、つまり物事の道理とみなされているものがあって、それを論ずることですから、すでに証明されたものに基づいて、さらに説明するための知識といったところでしょうか(笑)

では一つずつ、かみ砕いて考えてみることにしましょう。

思考の中で組み立てられた知識

一つ目は、「思考の中で組み立てられた知識」であるという点です。

これは、根拠があるかないかは別として、自分が信じている法則に基づいた考え方をすることを言います。

「今までこのやり方で失敗したことはない。

だからこれからもこの方法でうまくいくはず!」といった考え方は「理論上ではそうなる」とよく言います。

さらに、実情や現実は無視して、実際からはかけ離れている、なんの役にも立たない考えや知識のことを指して用いられます。

説得力に欠けているため、否定的な意味で用いられる場合がほとんどです。

実践は無視して、頭の中だけで説明できる知識、といったところでしょうか。

現象や事実を説明し予測する知識

さまざまな現象や事実を説明し予測したことに基づいて、さまざまな科学研究がなされ発表されてきました。

今では当たり前のものとしてとらえられているものをいくつか挙げてみると、たとえばアイザック・ニュートンが見いだした「万有引力の法則」や、アルベルト・アインシュタインが提唱した「一般相対性理論」や「特殊相対性理論」といったものがあります。

これらは、研究者たちがある仮説に基づいて、まだ知られていない新しい事実を予測し説明することにより、新たな仮説を立てたことにより証明されてきた事柄です。

さまざまな原理や原則を元に結論を出していくことを指して用いられることがある、ということです。

学説や見解を披露すること

専門家や学者が、自らの独自の学説や見解を述べ披露することを、理論と呼ぶこともあります。

「机上の空論」「机上の理論」などと呼ばれることもあり、頭の中だけで考え出した、実際には役立たない意見や考え方である場合がほとんどです。

物事のできるできないは無視した考え方や知識に基づいており、「理論的にはそうだけれど、実際は異なる」ということになります。

つまり、理屈の上ではそうだけれど…といった専門家の考えです。

世の中にはさまざまな学説がありますが、それらの真偽が他の専門家などによって検証されて証明される時に初めて、その学説が一つの理論としてまとめられ提唱されていくことになります。

理論=考え方や知識

このように考えてみると、理論というのは根拠の有無は抜きにしても、自分が信じている何らかの法則や知識体系、あるいは考え方のことであるということが分かります。

もともと証明されている“理”に基づいて、自分の考え方や意見を持つことであるとも言えます。

しかしそれらの考え方や知識は、あくまでも実際的かどうかは無視した、理屈上のものであるという事です。

論理=考え方の道筋や形式

それに対して、論理の考え方をまとめてみると、自分の意見や考えを一定の法則やルールの下で筋道立てて説明し、論議を進めていく「考え方の道筋や形式」のことであるということができます。

その考え方や形式は必ず物事のつながりに基づいており、誰もが納得するような筋の通った説明や思考方法でなければなりません。

2つの違い

「理論」と「論理」、それぞれの意味や正しい使われ方について取り上げてきましたが、さらにこの両者には明確な違いのようなものがあるでしょうか。

一般的に「論理的な人」な人は好まれたり、受け入れられることが多いのに対し、「理論を述べる人」は理屈っぽくて、自分の意見を通そうとする人として否定的な見方で受け取られることが多いです。

それはどうしてなのでしょうか。

理論は他人の意見を考えない

理論は基本的に自分の信じていることや、自身の意見や考えを述べます。

そこに他の人の意見や考えは必要なく、自分がこの方法が正しいと思ったその理屈に基づいて考えを進めていきます。

他の人からすれば、「それはあなたのやり方でしょ」「あなたの主観に基づくものでしょ」と思われるものであるとしても、自分にとってもっともだと思える筋道や道理があるので、その法則に基づいて決定したり行動します。

その「考え方や知識」が実際には何の役に立たないものであったとしても、根拠がないものだとしても構わないのが「理論」なのです。

論理は誰しもが納得できる

それに対し、論理は一つの考え方や、導き出したい結論に到達するために順を追って筋道を立てて説明をするプロセスが関係してきます。

という事は、そのプロセスの中で何らかの反対の意見を述べられたり、指摘を受けることもあるわけです。

そうした時に、論理に基づいて述べられる人は確かな理由や根拠を提出することができます。

決して感情的な思考ではなく、相手の疑問に思う事や不安要素を無くすために筋道立った考えや論議を進めていくわけです。

考え方の道筋を立てるということは、「なぜそうなるのか」とか「どのように導き出せるのか」といったように、物事につながりを持たせなければなりません。

そのように考えを組み立てながら起こされた「論理」は、誰にとっても分かりやすい内容であったり、ほとんどの人が納得せざるを得ない、的を得た結論となるわけです。

理論はセオリー

よく「これが僕の(私の)セオリーなんだよ」とか「恋愛はセオリー通りにはいかない」などと“セオリー”という言葉を見聞きすることがあるかもしれません。

セオリーという英語を訳すと、「理論や学説、原理、空論、理屈」という意味合いで使われていることが分かります。

しかし、日本人はそれだけでなく、持論とか意見としてセオリーという用語を用いることがあります。

セオリーという言葉は、ギリシャ語の「見ること」あるいは「見解」が語源となってできた用語です。

それで自分の意見が=(イコール)理論となったと考えられます。

このセオリーという用語は、確立されたものに用いられることもあれば、一般論や正論と言われるものに使われることもあるワードです。

論理はロジック

論理は英語で“ロジック”という言葉で表されます。

議論の筋道や、正しい事を証明する上での思考の形式や法則のことを指して用いられるワードです。

最近では「論理的な思考」のことを「ロジカルシンキング」などと呼び、ビジネスにおいて人に説明をする時や、文書を作成する際にもロジカルに説明することや、ロジカルシンキングを持つことを求められることがあるようです。

論理に基づいて理論を述べることができる

理論が「考え方や知識」のことであり、論理が「考え方の道筋や形式」であることからすると、論理とは理論を説明するための手順やプロセスであるとも言えます。

つまり、論理に基づいて自分の意見や持論を述べることができるということです。

「◯◯は■■です。なぜなら、◇◇だからです」といったように、自分の述べたい理論(考えや意見、持論)を、納得のいく理由や根拠に基づいて説明するというわけです。

まあ、かなり理屈っぽい人とみなされてしまいそうですが(笑)

しかし論理的な思考を持って人に説明したり意見や考えを述べることは、特にビジネスにおいては今必要とされている要素のようです。

論理的な人の特徴

「論理的な思考の持ち主である」とか「あの人は論理的だ」と言うことがあります。

これまで「論理」とは何かを考えてきましたが、では論理的であるとはどういうことを言うのでしょうか。

ここからは、論理的な人の特徴をいくつかまとめてみました。

よく使われる「論理的」という言葉ですが、具体的にどんな人のことを指すのかと聞かれると意外とあいまいかもしれません。

自分や周りにいる人の中で、この人は論理的だ!と当てはまる人がいるかどうか、思い浮かべながら見ていってください☆

冷静に客観視できる

論理的な人の反対は「感情的な人」です。

ということは、論理的な人は感情で物事を判断したり、感情的に騒いだり荒立てたりする人ではない、ということになります。

感情が乱されることがあっても、その感情を抑えたりコントロールすることができるので、話すことに説得力があったり落ち着きが見られます。

さらに、論理的な人は物事を客観的に見て判断する能力に長けています。

客観的であるとは、「特定の立場にとらわれずに物事を見たり、考えたりするさま」のことであるとなっています。

ということは、自分の立場や見方、視点だけで判断したり決定することはなく、他の人の立場や考え方や視点からも物事を見ることができる、ということです。

論理的な人は他の人の気持ちをよく汲んで、柔軟に対応することができます。

一つの考えや見方にとらわれたり、固執することはありません。

また常に冷静に対応できるので、とっさに生じたトラブルに対しても慌てることなく、落ち着いて柔軟に行動できる能力に優れているという点も特徴です。

語彙力がある

語彙力が高い人は、論理的な思考力も高いという研究結果も報告されています。

語彙力が豊かであるということは、筋道立てて考えられる思考力が高いことになりますし、知識量もそれだけ多い人であると言えます。

論理的な人は知識量も多く、思考力も優れているので、言葉の表現力においても、量だけではなく質も非常に高い人が多いと言われています。

また、さまざまなアイディアや考え方を持ち合わせているので、引き出しも非常に多いのが特徴的です。

論理的に他の人に説明するためには、物事を関連付けて話したり、納得のいくように筋道を立てることが求められます。

なぜなのか、どのように行なうのかを多くの人を納得させなければなりません。

そのためにはやはり、語彙力が豊富である事も必要になってくるに違いありません。

もし、ロジカルシンキングをもう少し鍛えたいと思っているならば、語彙力を増やせるように意識して努力しましょう。

そのためには言葉にたくさん触れて、インプットさせる必要があります。

本や新聞などを読んだり、ラジオ番組を聞いて学ぶのも良いでしょう。

自分の興味のある分野だけでなく、思考を広げるためにさまざまな分野に触れることも大切です。

もし自分の知らない言葉や、耳慣れない言葉を見聞きした時にはすぐに調べたり、誰かに聞いて習得することも、語彙力を高めるのに役立ちます。

理屈を重んじる

理屈とは「物事の筋道や道理が通っていること」を指して用いられます。

論理的な思考をもって話す人は、誰もが納得し、理解できるような筋道や道理を通した話し方をすることを大切にします。

理屈っぽいと思われる人は、どんなことにでも理屈で返してくるので、少し煩わしい人とか面倒くさい人と思われてしまう傾向があります。

細かいところにまでこだわって、すぐに指摘する傾向を持つ人もいるかもしれません。

また、いつも正論しか述べなかったり、物事を決定する時に誰も否定できないような、真っ当な決め方や考え方をするので、近づきづらい人とみなされてしまうこともあります。

しかし、本当に論理的な人は、理屈や道理を重んじるものの、幅広い視野を持てる人であるはずなので、理屈っぽい人というのはただの屁理屈を述べるだけの、固定概念しか持てない視野の狭い人と言えそうです。

淡々としている

論理的な人はいつも冷静沈着です。

ですから、どんな事態に遭うとしてもその事態を常に冷静に考えて判断し、自分がどのように行動すべきかを考えます。

そうしたところが周りからすると、いつも変わらず淡々としていると思われるかもしれません。

さらに論理的な人は、いつも落ち着いており、何事にも動じません。

喜怒哀楽のような感情を表に見せることも少ないので、表情が読めないとか、何を考えているのか分からない人だと思われることも多いかもしれません。

また、あまり感情のままに流されずに切り替えも早いので、さっぱりしている人だとか、さばさばしている、あっさりしている人と思われることもあるでしょう。

また、淡々としているので、物事にあまり執着したり、こだわりを持つことが少ないかもしれません。

柔軟にその場その場で対応したり、他の人の意見も上手に受け取りながら合わせることもできます。

【淡々としている人の特徴は、こちらの記事もチェック!】

知的に見える

どんな急なトラブルに対しても慌てたり、動じることなく冷静に落ち着いて対処している姿はやはり、非常に知的な人と写るかもしれませんね。

また、語彙力もとても豊かで、さまざまな角度から物事を見ることができたり、知識量も豊富であることも知的に見える理由の一つと言えます。

特にビジネスにおいて、論理的に物事を見て判断したり、会議やプレゼンテーションなどで誰もが納得できる案を出したり、考えや論議を筋道立てて、順序よく組み立てている姿はよりそう見えるに違いありません。

i常に根拠や確証を得て、いろんな角度から調査をしたうえで物事を述べるので、他の人からの信頼も得られますし、説得力もあります。

自分の述べることだけでなく、相手の話しを論理的にかつ正確に受け止められる能力やスキルも持ち合わせているので、コミュニケーション能力が優れているのも、なおのこと知的に見えます。

感情を言葉や態度にストレートに出すのではなくて、誰に対してもスマートな対応ができるのも知的にみられる理由です。

思いつくままに感情だけで話そうとする人は幼稚に見えますが、論理的な人はそうではありません。

もちろん頭脳も明晰なので知的に見えるのでしょうが、実際に感情面でも知性を兼ね備えているということも、そのように判断される基準になっていると言えそうです。

理系に多い

「私は(僕は)文系だと思う」「あなたは理系っぽい」などと、自分や他の人の性格や気質を文系か理系かで分けたことはないでしょうか。

大まかに分けると、文系は文学や社会学などが得意な人のことを言い、理系は数学や物理学、科学などを得意とする人のことを指して用いられます。

論理的な人は理系に多いと言われています。

なぜなら、数学や化学式などは大抵の場合、結果ではなく、結果に結びつくまでの過程を意識した勉強の仕方を習得していくからです。

答えは一つでも、その答えに至るまでにはさまざまな方法や道筋があり、その色々な方法を導き出していくことが求められます。

それで理系を得意とし、理系的な思考を持っている人は、物事を感情を一切抜きにして、理論や理屈、事実に基づいて考えたり話す傾向が多いようです。

それは、誰が見てもそうであるという根拠の下に導き出され、反論しにくいものです。

この考え方はまさしく論理的思考(ロジカルシンキング)であると言えますよね。

それとは逆に、文系の思考を持つ人は、物事を直感的にとらえる傾向が強いとされています。

「答えは色々あって良い」とか「人それぞれだから一概には言えない」「考えても仕方がないからとりあえずやってみよう」という考え方です。

喜怒哀楽などの感情が豊かなのも文系の人に多いと言われています。

これは一般論として述べているので、全ての人に当てはまるとは言えませんが、こう考えてみると確かに、論理的な人は理系の人に多いと言えそうです。

口喧嘩が得意

論理的な人は、明快かつ明確な論理を常に持ちながら話すことができるので、誰かと口喧嘩のような状態になっても、言い負かすことができる場合が多いと思います。

理屈を並べることを得意としていますし、相手が何か反論してきても、それに対しさらに反論する思考を持っています。

語彙力も豊富なので、相手が太刀打ちできないと感じるような話し方や表現力も持ち合わせています。

感情的に話す人に対しても常に冷静で、感情を抑えながら話しを進めていこうとするので、相手は気持ちを受け止めてもらえないとか、見下されていると感じてしまうかもしれませんね。

一般的に、口喧嘩をした際に、感情的に話し気持ちを理解してもらおうとするのが女性の側に多いのに対し、論理的にケンカの内容をとらえて解決に導こうとするのは男性に多いと言われています。

ということは、論理的思考は男性の側に多いのかもしれません。

論理の意味を理解できましたか?

論理の意味と、理論との違いについて取り上げてきましたが、なんとなくは理解していただけたでしょうか?

普段何気なく使っている言葉でも、こんなに奥の深い意味があったり、同じ意味だと思って使っていたものが実は違う意味であったりすることもあるわけなんですね。

これを読んで、自分はすでに「論理的な思考の持ち主だ」と感じた方もいらっしゃることと思いますし、論理的に筋道立てて自分の考えや意見を述べる事ができるように、もう少し「ロジカルシンキング」を身に着けたいと感じた方もおられるかもしれません。

子供の時は、自分の思うことを無理にでも押し通そうとしたり、道理が全く通らない主張をした経験もあるかもしれません。

しかし大人になると、さまざまなシーンにおいて、自分の思考や論議を冷静沈着に、かつ他の多くの人に納得してもらえる仕方で説明する必要が出てくる機会も増えることでしょう。

ですからある程度、この「論理的思考(ロジカルシンキング)」を強化し、論理的に話すことができる訓練をしておくことは良いことと言えるかもしれません。

そうすることで、いつでもどんな状況でも落ち着いて冷静に話すことができたり、柔軟な対応のできるスマートな人として評価されることにつながるかもしれませんね☆