今回のテーマは「ナイスだと思う人の行動」についてです!!

ナイスな人って…

ナイスですよねえ…←そのままかっ!!

世の中にはナイスな人がたくさんいると思います。

ところが不思議なもので、ナイスな人がそのまま「良い人」となる…

わけでもないようです…。

なぜでしょうか??

それはひとえに

周囲の受け止め方が千差万別だからでございます。

時代性も関係しますが、残念なことにナイスであればあるほど、誤解も招くらしく…

本人は善意のつもりでも、周囲がそれを疎んじてしまう、といったこともあるのですね。

今回はそういった人達の「善意」についても鋭く切り込んでいきたいと思っております!!

あなたの周りにナイスな人はいますか?

そりゃまあ…いますよね笑??

ナイスな人が誰一人いなかったら…

よほど悪い環境ですよそこは苦笑。

ただし、そのナイスな人が周囲全員に「良い人」と思われているかは、きっと別問題でしょう。

というよりも、周囲の人が全員、誰か特定の人間を好意的に受け止めるということは、ありえませんよね…。

それはどこかで誰かが必ず「あら探し」をするからです。

この人達をあえて「バッドな人」と呼ぶことにしましょう笑。

なぜか他人に無理やりケチをつけるような人ってどこにでもいますよね??

A「あの人ナイスだよねえ」

B「うんうん。ナイス。でもさあ。あの人ってちょっとこういうところあるよね??」

A「そう??うーん、どうかなあ??」

B「えーあるよ絶対!!だってこれこれこうでしょう???ならやっぱりそういうことだよ」

A「どうかなあ。まあそうかもしれないけど…」

このBさんのBはBadのBです!!←だから何っ!?

何かにつけて「でも」を連発して、相手が納得しない場合は、誘導して相手を自分の意見に染めようと試みるのは、バッドな人ですよねえ。

否定せずにはいられない質なのでしょうか…。

こういうタイプの人はたとえどんなに「ナイスな人」相手でも容赦なくいちゃもんをつけようとしますね笑。

相手の善意は、素直に善意と受け止めましょうよ…。

…と言いながらも、ナイスな人自身にも実は弱点があります。

手放しで「ナイス感」を褒めちぎる、というわけにはどうやらいかないようです。

仮にBさんのような人がいなくても、です。

周囲の受け取り方とは別に、その人自身に弱点があります。

…まあ弱点なんて誰にでもありますが…苦笑。

それら弱点も踏まえた上で「ナイスな人がやりがちな行動」を少し挙げてみたいと思います。

ナイスだと思ういい人がやりがちな5個の行動


このよくありがちなパターンについて、当の本人がどう感じているかの本音は多分誰にも分かりません。

もしかしたら本人自身、よく分かっていないのかもしれませんね。

本当にそれがいいと思ってやっているのか、それとも何かしらの思惑があるのかは、永遠に闇の中です。

仮に何かの思惑があったとしても、本人は絶対にそれを口にすることはないでしょうからね…。

さっきのBさんのような「重箱の隅をつくような理屈」ではなく「極端な親切心」に対しては、つい身構えることは誰にでもあると思います。

何か裏があるのでは?と疑ってしまうのですね。

本当に善意の場合、その「裏」はないのですが…

あまりに極端だと、もう条件反射とも言える速さで、周囲は疑心暗鬼に陥るでしょう。

そして一度疑いの目を持ってしまうと、なかなかその疑いがはれることはありません。

問題はこの時です。

当の善意に満ちたその人は一体何を考え感じているのでしょう??

きっと本人にも周囲の疑いは伝わっているはずです。

(もし伝わっていなければかなりの天然ですね)

その時の行動は二種類しかありません。

そのまま善行を行うか??

空気を読んで控えるか??

この二つです。

この本人の気持ちと周囲の気持ちのずれを念頭に置きながら具体例について考察してみましょう。

1.人への親切

ナイスな人の根底は「親切心」です。

つまり善行ですね。

…良い行い、良い心…

という言葉を聞いただけで、すでに何か頭の片隅に引っかかるものがあるような…苦笑。

端的に言えば…

うさん臭く感じてしまうのでしょうね…。

でも何でもかんでも疑ってはいけませんよ笑。

日常レベルの「親切心」は、大抵の人はありがたく頂戴するでしょうが、さっきも書いた通り、それが「極端」になると、どうしても人は素直にそれを「親切」として感じられなくなります。

きっと、自分の中で「ここまでなら自分は他人の為に努めてもいい」という線引きをしていて、その一線を軽々と越える他人を見るとつい

「そんなはずあるわけがない」

と「自分尺度」でその親切を捉えてしまうのでしょう。

つまり、その人の親切心は「非常識」なもの、という認識をしてしまっているのでしょう。

これはあくまで、極端な場合における他人の心情ですが…。

やり過ぎてお節介になってしまうことも


度を越えた親切心が「他人の猜疑心」を生む以前に

ただのやりすぎ

というパターンも存在します苦笑。

別にそこまでは望んでいないから!!

というパターンですね笑。

本人はよかれと思ってのことでしょうが、案外周囲はそこまで期待していなくて、むしろ

「ありがた迷惑」になっていることもあります。

ナイスな人の弱点の一つですね。

悪い言い方をすると

「自分の善行にばかり気を取られ、周囲の気持ちを汲み取っていない」ということですね。

これは「想像力が欠如してる善人」にありがちです。

良い人なんです。

この人はものすごく良い人なんですが

…ちょっと視野が狭いのでしょうね…。

親切心からなのに偽善と思われることも

これはさっき書いた極端なパターンそのものですね。

これは本人には何の落ち度もありません。

「常識的な親切の枠」を大きく越えてしまった為に起きる現象です。

偽善に関しては、話がものすごく複雑化します。

というのも、その境目を見分けることは結局誰にもできないからです。

偽の善か?真の善か?

これはいつの時代でもかなりの論争を巻き起こしています。

マザーテレサは、身近な人を助けず、遠くの人を助けるのは偽善と言ったそうです。

今でも大々的に年に一回やっているテレビのチャリティー番組がありますが、肯定派と否定派でいつも割れますよね。

結局はスポンサーがついていて、損益を伴う活動のわりに「慈善活動」とうたっているからです。

あれ結局偽善番組でしょ??

と言う人が僕の周りにも多くいます。

大々的に番組を作るのはその方が募金が集まるからなのでしょうが、「本物は虚飾を嫌う」という生理的な拒絶が、常にこの番組の否定派を生んでいるようです。

このように、何をもって善の真偽とするかは、かなり困難です。

つまるところ、本人の受け止め方次第なのかもしれませんね。

偽善と呼ばれても構わない、という覚悟がある人でなければ極端な善行は避けた方がいいのでしょうね…。

誰でも彼でも助けようとしない方が良い

さっきのマザーテレサではありませんが、人を愛し、人を救いたいと思っても当然限度があります。

人類を救いたい、と考えるのは良いと思いますが、実際にそれができると思うのは、傲慢な考え方かもしれませんね。

思うに一般人が日常の中で誰かを救いたいと切に願っても、せいぜい救えるのは家族、恋人、仲が良い友人程度ではないでしょうか??

それ以上望むのは…自分にも他人にも逆に悪影響を及ぼしかねないように思えます。

例えば川で溺れている犬がいたとしましょう。

助けに行ったその人がもし命を落とした場合、その人のことを周囲はどう思うでしょうか??

立派な善行を行い命を落とした偉人でしょうか??

犬の為に命を落とした惨めな人でしょうか??

どちらにしても命を落としたことには変わりありません。

そして何が正しかったか、という論点もこの事故には存在しません。

善行とは定義できないものです。

偽善と呼ばれることもありがた迷惑と受け取られることもあります。

どんなにナイスな人でも「親切の枠」を自分で設けることが必要なのかもしれませんね…。

2.人をすぐ信用してしまう

これもナイスな人の弱点ではありませんね…。

人を信用することは本来素晴らしいことです。

たとえ治安が悪いとされている海外でも「本来」は信用するべきだと僕は思います。

ところが、です。

世の中には平気で人を裏切る悪人がいることも事実です。

「裏切りセンサー!!」

みたいなアイテムを猫型のロボットがポケットから出してくれればいいんですけどね…センサーをかざせば誰が裏切るか、すぐ判別できるようなもの…欲しいですよね…。

残念ながら、21世紀の今も彼は現れず、全ては直観に委ねるしかありません。

そんな悪人がはびこる世界でもありますから、本来信じて当たり前の他人を警戒する必要がもちろん出てきますよね。

それでも直観に頼った結果、騙されてしまい、悪人の被害に合う人が後を絶ちません。

人によっては「騙された方がバカだ」という考え方もします。

残念過ぎる考え方ですね…どう考えても騙した方がバカに決まってますよ!!

極端な話ではありますが、「鍵をかける」という行為すら、本来は必要ないとさえ僕は思っています。

僕の田舎は東北の山奥なのですが、ここでは、他人が勝手にお茶の間にあがってきたりします笑。

「こんにちわ~」と玄関で一声だけかけて、自分の家のように平気で靴をぬぎ、気付くと僕の後ろに見知らぬお婆ちゃんがいる、といったことが日常茶飯事でした笑。

うちのお婆ちゃんやお爺ちゃんには、それが当然でむしろ

「あらあら!!お茶の用意ができてないわ!!ごめんなさいね~今すぐ淹れるわね!!」

となぜかこっちが謝ったりしてる場面を何回も見たことがあります笑。

この人達には警戒心というものがないのか??と子供の頃はよく思ったものですが、もちろん家に誰もいない時は鍵をかけています。

とはいえ、犯罪に対しての警戒心が都会よりも、かなり希薄なのは間違いありません。

例としては極端ではありますが、警戒心は本来それくらいでちょうどいいと思います。

自宅に勝手にあがるのはどうかとは思いますが…笑。

都会などでは、こんなことは絶対にありえません。

むしろ他人を警戒する傾向は日増しに強くなっています。

デジタルの発展に伴い、外でも家の様子を眺めることができるといったアイテムもありますよね??

確かに犯罪は増える一方のようですから措置としては適切だとは思います。

でも…

それほどに警戒しなくてはいけない社会になってしまった、という事実が、悲しいですよね…。

性善説の考え方が仇となることも

良い人をアピールするつもりは一切ありませんが笑。

どちらかと言うと、僕は「性善説派」ではあります。

他人への警戒心なんて無いに越したことはないですし、さっきも書いたとおり「本来」人は信用しあって安心、安全な社会を形成するべきだと思っています。

といってもあくまでそれは「本来」であって、現実では残念ながら限度があるのは、僕も重々承知しております。

信用すればするほど、裏切りに合う確率が高くなるのは間違いない事実です。

この事実をきちんと見つめなければ…

「正直者はバカをみる」

という腹が立つ理屈にさらされることになるでしょう。

…でも…

正直者は決してバカではありませんよ!!

【性善説については、こちらの記事もチェック!】

優しさにつけ込まれ、利用されてしまうことも

優しくされて、そこにつけ込むような人間は、どういう成長過程を過ごしてきたんでしょうね…。

いますよね、こういう人達…。

優しくされたら優しさで返しましょうよ…。

という理屈がこの世知辛い世の中では通用しないのも、認識しております苦笑。

決して他人を疑って生活しましょう

というわけではありませんが、どんなナイスな人でも、警戒心は常に持っていた方がよいでしょう

と言いながらもやはり僕はナイスな人が損をするようなことは、それこそ「本来」あってはいけないことだとも思っています。

なんとかしてよ猫型ロボット~!!

と叫びたくもなりますね笑。

3.ポジティブな言動を周囲から妬まれることも

これもまたナイスな人の問題ではありません。

周囲の器の小ささが問題なだけです。

きちんとした統計ではありませんが、現代社会は、昔よりも人間が持つ「業」のようなものがより深くなったように思えます。

これは社会全体が豊かで発達したことの代償とも言えるでしょう。

ものの三秒で、大抵の情報が手に入る時代ですから、その分、「欲」も膨らむのでしょうね。

今よく言われていることですが、たとえばSNSなどで、他人の情報を見て自分と比較し、つい劣等感を感じたり…などがいい例ですね。

SNSにアップされているものは、いわゆる「隣の芝生は青く見える現象」を誘発します。

おいしそうなご飯や楽しそうな笑顔を見ると、崖っぷちに立っている人ほど羨ましく見えたりもするでしょう。

実際、そんなことはまったくもって不毛なことなのですが、こればかりはもう「業」ですよ…。

ナイスな人が悪意なく情報をポジティブに発信すると…

もちろんこうした妬みや恨みも増えるでしょうね…。

恨み、妬みの心は誰にでもあります。

それをコントロールしないで許されるのは「子供」だけです。

理性でコントロールできない闇の心は、必ず他人を、特に善行を行っている人に危害を加えようとするでしょう。

被害を被った方は、たまったものじゃありませんよね…。