バイアスがかったモノの見方、すなわち自分の考え方や意見に過度な先入観や偏りを生じさせることですが、そういうモノの見方をしていると、自分の考え方には合わない人や社会を受け入れることができなくなります。

また逆に、自分が他人や社会から受け入れてもらえなくなります。

そうなると、周りから単なる「変わり者」と思われるならまだしも、もしかするとこの世界で生きてはいけなくなる程までに追い込まれるかもしれません。

今回は、そんなことになってしまわないように、いくつかアドバイスをしていきたいと思います。

️バイアスってなに?

ところで、この「バイアス」という言葉、最近よく使われるようになりましたが、実際どういう意味があって、どういった状態を「バイアスがかった」と表現できるのでしょうか?

バイアスには多くの意味がある

布の布目に対して斜めに裁つことを「バイアスを取る」と言ったり、真空管やトランジスタを適切に作動させるために加える直流電流のことをバイアスと言ったりします。

これらは少し専門的な用語として使われていますが、基本的に「真っ直ぐ」に対して「斜め」であるとか「傾いている」ことや状態を言うようですね。

ですから、人の考え方から専門的な技術にまで多くの場面で使われる意味を持っています。

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バイアスの語源


もともとの語源はフランス語の「biais(ビエ)」という言葉で、「傾斜」という意味です。

英語の「bias」から派生

このフランス語の「biais」にあたる英語が「bias(バイアス)」、意味はやはり「斜めの」とか「偏った」という意味です。

ここから派生して「偏りのある考え方」という意味でも使われるようになりました。

日本で「バイアスのかかった考え方・モノの見方」と言えば「偏見」とか「先入観」という意味で使われていると思います。

️なぜバイアスをかけてしまうのか?

まず、どうして人はわざわざ偏ったモノの見方や考え方をするのでしょうか?

単純に考えても、人は皆周りから遠慮されるようなことはしたくないはずです。

でも、バイアスがかった考え方をしてしまい、バイアスがかった意見を言ってしまう人がいる。

もしくは自分がいる。

どうやら、それは「無意識」にやってしまう仕方のないことなのかもしれません。

人が生きていくうえでは仕方のないこと


人は皆、性格や考え方は生まれ育った風土や文化、また両親や通った学校、付き合った友達などの影響によって形成されていきます。

それはごく自然なことで、私たちの人間としての成長と人格形成には必要不可欠なことです。

しかし、この世の中には、その自分が生きてきた環境や受けてきた教育、培ってきた以外にも、それとは異なりはするけれども、整然と存在する他人の世界があります。

自分とは違う出身地、親、言葉、習慣というものが存在し、そのなかで生きてきた人がこの世の中には70億ほどいるということです。

実はこの当たり前のことに気づかないままでいると、どうしても自分が知り得る世界の価値観でしか物事を考えなくなり、視野が狭まり、考え方が偏って凝り固まってしまうわけです。

このように、私たちは生きて、教育をうけているだけで、自分の考えにバイアスをかけられてしまっているのです。

脳が無意識にバイアスをかけてしまう

私たちは毎日何気無く生活しているように思えますが、実はその行動すべて、自分が「こうしよう」と脳内で選択した上で行動に移しています。

「朝起きる、顔を洗う、ご飯を食べる、テレビを見る、本を読む、働く、勉強する、友達と話す、つっこみをいれる、彼女に会う、別れる、結婚する」といった日常から人生のイベントにおけるすべての行動は、自分の頭の中で選択した結果生じることなのです。

ですから、逆に私たちは多くの情報や物事が溢れ、色んな可能性、選択肢があるこの世の中で、毎日大小様々な選択を迫られていると言えます。

しかし、私たちにはこの毎日の膨大な選択肢を1つ1つ時間をかけて検討して選んでいる時間はありません。

そのため人はその選択肢のほとんどを無意識に任せて選び行動しているのです。

脳は生まれてから培ってきた経験や常識を基準に勝手に判断して選択肢を選んでいますので、前項で述べたように、その基準となるものが狭く、偏ったものであるとしたら、おのずと脳が無意識に選ぶ道はバイアスがかったものになってしまうのです。

️バイアスがかかった見方はやめよう

さて、「無意識に」ではありますが、基本的に人は自分が良いと思う方向へ進むようにできているとは思います。

そこで、頭と体が「これが正しい」と思い込んでしまっている意識に従って無意識に次の行動を選択しているとなると、「これが正しい」と思い込んだ意識にバイアスがかかっていたらどうなるでしょうか?

他人や周りから受け入れられなくなる

前述の通り、人は生まれてから無意識のうちにバイアスにかかりながら生きており、そのバイアスがかった意識の赴くままに物事を見たり行動したりしているのであれば、自分とは違った人生を歩んできた人達(自分以外全員)に受け入れてもらえなくなる可能性は高いのではないでしょうか。

争いの火種になる

バイアスのかかった考え方をし、それをそのまま口に出し、行動に表していると他人を傷つけてしまったり、逆に攻撃を受けてしまう可能性も大いにあります。

というより、世の中の争いのほとんどは、お互いの、もしくは一方のバイアスがかった考え方が原因なのです。

人にはそれぞれ他人とは異なる「個性」は必要ですが、他人の個性を理解し認める能力があってこそ、自分のキャラクターは「個性」として認められます。

過度に偏った考えやモノの見方をしいると、他人の「個性」を否定してしまいがちです。

自分の個性がそうされた時、どう思いますか?

百害あって一利なし

上記のように、周りからは受け入れられず、争いの火種のような存在として嫌われ、さらに自分は間違っていない(と思っている)のに攻撃される。

こんなになってしまうのなら、バイラスががるような考え方は百害あって一利なしです。

万が一、相手を持論で論破できたとしても、もしかすると、それは自分の人相だったりとか腕っぷしとかも影響しているかもしれません。

また、自分の意見に賛同・共感してくれる人がいたとしても、もしかすると、その人たちも自分の考えにバイアスをかけてきた人なのかもしれません。

バイアスがかったモノの見方は世の中の為にも自分の為にもしないようにした方がよさそうですね。

️バイアスがかかった見方をしないための10個の注意点

何度も言うようですが、人は無意識のうちにモノの見方にバイアスをかけてしまいます。

これはある意味仕方のないことですが、それを少しでも防ぐ方法をこれから紹介していきたいと思います。

自分とは違う経験を積んできた人、そこから自分とは違う考え方を身に付けてきた人がこの世の中には70億ほどいるのですが、人はそんな当たり前の事が当たり前すぎて気づけないのです。

どうしても自分が知り得る世界の価値観でしか物事を考えなくなり、モノの見方にバイアスをかけてしまうということをご理解いただけましたでしょうか?

ということは、自分が持つ知識や経験以外の情報を知ることにバイアスがかった見方をしなくなる鍵があります。

それは、例えば以下のようなことでしょう。

経験を重ねる

自分を成長させ、バイアスがかったモノの見方をしないための方法はすべてこの「経験を重ねる」ということに集約されるでしょう。

バイアスがかったモノの見方は、自分の知識や経験の不足から生じているものです。

より多くの知識や経験を得ることによって、物事にはいろんな可能性があることに気づき、「こうでなければいけない」というようなことも減ってくるはず。

特に若いうち、体力も気力も充実していて、且つまだモノの考え方も、その若さゆえに柔軟な時期に趣味やスポーツや旅行など楽しみながら沢山の経験を積んでいくことをオススメします。

もちろん、「経験を積む」ということは若者だけの特権で、かなりの体力や時間がなければできないという訳ではありません。

以下でも述べるように、本を読んだり、人と接することでも自分にとって新しい経験を得ることができます。

人は生きている間に行ける場所ややれることというのは限られています。

仕方がありません。

しかし、だからといって自らその範囲を決めてしまう必要はないのです。

新しい知識を得たり、体験することは、何歳になっても自分を変える(成長させる)ことができる材料です。

勉強をする

「勉強する」といってもいろんなスタイルがありますが、ここではとりわけ学校でする勉強について考えてみたいと思います。

とどのつまり、これも「経験を積む」ということの一つなんですが、どうして学校の授業や机に向かってする勉強によってバイアスがかからないモノの見方ができるようになるのでしょうか。

本来学校で教えられていることというのは、社会で生きていくために必要最低限身に付けておくべきことであると思います。

簡単に言うと読み書き、数え方、社会の仕組みなどです。

これらを学習しながら、私たちは文字が書けるようになり、買い物ができるようになり、食事を作れるようになり、結婚し、子供を育てて行くわけです。

しかし、実は私たちは、この生きていく上で当たり前のように知っておかなければならない知識を学習していくなかで、他にもとても大事なことを無意識のうちに学んでいます。

それは何かと言うと、「自分以外の人の知識や経験」です。

歴史や社会の勉強のなかでのことに限らず、国語や外国語といった語学系の勉強は、自分や他人がどんな形体のコトバをどのように操り、意思を伝えてきたのか、また各言語に現れるその国の国民性、お国柄といったものが何となくわかる気がします。

数学はお金の計算ぐらいにしか必要ない気もしますが、身の回りの目に見える物から力、熱、速度といったものも、それらの形状や質はすべて数式で表すことができるはずです。

身の回りにあるものすべて数学で表すことができるのは先人の知恵です。

それを学ぶことは、身の回りに起こる出来事をちゃんと理解する為にも非常に大事なことをだと思います。

教科書に載っていることはすべて人の生活に必要なもの、つまり人の生活を豊かにするものです。

それをしっかり勉強することで自分の知識はもちろん、モノの見方に広がりが生まれるでしょう。

本を読む

上記の「勉強する」ということと同じことですが、「本を読む」ことも自分以外の人の経験や知識、そして自分の知らない世界を知り得る方法の一つです。

書かれてあることがフィクションであったとしても、「そんな考え方があるのか」「そんな世界観を描ける(人がいる)のか」と著者の知識なり経験を知り得ることができ、更に自分の思想を形成させる一材料とすることができます。

また、バイアスがからないモノの見方をするためには多くの経験を積むことが必要と述べましたが、人間は好き好んで辛く、悲しく、悲惨な経験はしたくはないと思います。

そこで、(苦労した人の)歴史書や伝記、体験談を読むことによって、そんな事件や物事があって、そんな時代があった。

また、その逆境を生きた人たちがいたということを知ることができます。

そのストーリーの中に自分自身を置いてみて、自分だったらどうするか、どう思うかなど考えながら、自分が経験したこともない出来事や環境を疑似体験することにより、視野や思考の範囲が広がります。

本に書かれたいい話、悲しい話、それらを自分の知識として得ることは、今自分が生きる現実の世界において意識的にも無意識にも処理を迫られる膨大な情報を処理し、(バイアスがかかっていない)良いと思える道を選択する上で役に立つことでしょう。

視野を広く持つ

とにかく上記してきたようなことに取り組んでいると、自然と視野は広がるものと思います。

しっかり勉強し、沢山本を読み、楽しいことだけでもいいから沢山経験を積むことで無意識に視野は広く持つことができます。

しかし、バイアスがかったモノの見方をしてしまう人は言い換えると「視野が狭い人」です。

人は無意識にバイアス眼鏡をかけてしまう為に、自然と視野は狭まります。

そして、視野が狭い人は、自分が視野が狭いとはこれっぽっちも思っていません。

今以上の勉強も経験も必要だとは思わないはずです。

このように、自己暗示のようにバイアスをかけてしまわないようにするにはどうしたらいいのでしょう?
それは、まずいつも「自分の周りには自分の知らない世界が有る」ということを意識の片隅に置いておくことです。

簡単な第一ステップだと思います。

現に私たちには生まれてこのかた行ったことのない国々が沢山あります。

日本にはない文化のなかで、日本語以外の言語で生きている人たちがいるのですから、自分の知らない世界が存在することを認識する事は容易なことでしょう。

ですから、自分はこれが正しいと思った時、ちょっと他の人、すなわち自分とは違う考えを持った人はどう思っているのかも気にして見ることです。

そうすると、まっすぐ前を見ていた自分の視線がちょっと他に逸れます。

そこにチラッと自分の知らなかった新しい世界が目に入ります。

その世界が気になったなら、もうちょっとよく見てみようとします。

こうやってだんだん視野は広がっていくものです。

一生理解できそうにない価値観や思想にも出会うこともあるとは思います。

しかし、まず何より心がけたい大事なことは「自分の生きる世界以外にも別の世界はあるということを憶えておくこと」です。

それが、視野を広げてバイアスがかったモノの見方をしないための第一歩です。