感無量とは、喜びの感情だけを表わすものではありませんが、一般的にはとても嬉しいときや幸福を感じたとき、またしみじみと感慨深くなったときなどに用いられる言葉ですので、良い意味の言葉として使われることがほとんどです。

そのため、「感無量だ」という言葉を耳にしたとき、私たちの誰もが「あの人にとってとても喜ばしいことがあったのだな」と無意識に思うのです。

️感無量…そんな経験ありますか?

あなたはこれまでの人生で、感無量になった経験はありますか?

自分がしみじみと深く心に染み入るようなことがあったり、感動で言葉も出なくなってしまったりしたことがある人は、きっと感無量の気持ちを経験したことがあるのでしょう。

夢にまで見た結婚式当日や、自分の日々の努力が皆に認められた瞬間、また有名な画伯の作品に魅入っているときなど、人によってさまざまなシチュエーションで感無量になることがあります。

️周りが喜ぶ感無量の12個の反応方法


感無量の心持になったとき、一番嬉しいのはもちろん本人ですが、周りの人も一緒に喜ぶことがあります。

試合で優勝したときや、希望の進学先や就職先に合格したときなどは、本人と同じように周りも喜んでくれることでしょう。

しかしそんなとき、控えめな性格の人や恥ずかしがり屋の性格の人では、素直に周りに対して喜びの感情を表わせないことがあります。

周りの親や友達、恋人が喜んでくれるほど、自分の感情を隠してしまおうとする人もいますが、せっかくの嬉しい出来事ですから、周りの人と一緒に感無量を分かち合う方が、嬉しい気持ちが2倍になって良いでしょう。

また、自分を応援してくれていた周りの人たちに報いるためにも、感無量の気持ちを表に出した方が良いときもあります。

周りの人たちに喜んでもらえるような感無量の反応とは、どのようなものがあるのでしょうか?以下にご紹介していきます。

とびきりの笑顔を見せる

嬉しい気持ちになったとき、誰でも自然と笑顔になりますよね。

人から親切にしてもらったときや、自分が誰かのためになったとき、また欲しかったものを手に入れたときや数年越しの親友に会えたときなど、たくさんの「嬉しい」と感じる出来事に対して、人はその喜びの感情から自然と口元に柔らかい笑顔が浮かびます。

ちょっとした出来事であればはにかむ程度ですが、嬉しいと感じる出来事が本人にとって大きければ大きいほど、その感情も露になります。

例えば大好きな俳優の舞台を観に行けば、本人を目にして嬉しさから大きく口を開けて喜びの感情を表すでしょう。

また、希望していた進学先に合格すれば、目を見開いて友達や両親と大声で叫んで笑い合うことでしょう。

本人にとって「とても嬉しい」という感情が大きいほど、一瞬の驚きの後で喜びの気持ちが爆発します。

人によっては少々騒々しいと思えるほどの喜びようでも、その全身からは「感無量だ!」という気持ちが溢れているので、周りの人たちもそれを見ていっそう「嬉しい」「良かった!」と思えるのです。

目を開いて言葉を詰まらす

感無量の気持ちとは、予期せぬ僥倖を目の当たりにして、咄嗟に言葉が出なくなることもあります。

例えば大好きな恋人とデートの最中に、予想していなかったプロポーズをされ、驚きに目を見開いて言葉を詰まらせることがあります。

言葉が詰まってしまうのは、驚きで頭が真っ白になってしまって、咄嗟に言葉が何も思い付かなくなってしまうからです。

または、急激な感情の波によって胸がいっぱいになってしまい、言葉が詰まって何も言えなくなってしまうからでしょう。

しかし、その一瞬の沈黙も、当人の表情や振る舞いによって、相手にはそれが感無量になっている状態だというのが分かります。

大きく目を見開いて口元に手を当てたまま声を失ったり、胸の辺りで両手をぎゅっと抱きしめて何も言えずにいるさまは、「嫌がっている様子」などではなく、「驚きと歓喜の感情で何も言えない様子」に相手の目には映ることでしょう。

そしてその様子から、プロポーズをした側にも相手が喜んでくれているのだと伝わり、お互いに幸せな気持ちに包まれることができるのです。

涙を流す


涙を流して喜ぶ様子というものも、感無量の気持ちが周囲の人たちにはとても伝わりやすいものです。

例えばお葬式で涙を流しているとすれば、それはまず間違いなく悲しみの気持ちからです。

誰もが喪に服し、悲しんでいるときにはその涙を見て、「ああ、感無量なんだなぁ」と思う人はいないでしょう。

一方で、結婚式で娘のウエディングドレス姿を見てひっそりと涙ぐんでいる父親を見れば、それが悲しみの感情などではなく、感無量の気持ちから涙ぐんでいるのだということは誰が見ても一目で分かることでしょう。

感無量の涙は、当人が置かれている立場や起こった出来事、シチュエーションなどによってそれが喜びの感情からきているのか、そうでないのかが客観的に判断されます。

それゆえ、当人にとって喜ばしいと感じられる場面で涙を流しているさまを見れば、誰もが「感無量から涙している」のだと理解できるのです。

また、笑顔や言葉とは違い、涙というものは役者でもない限り、早々嘘で出せるものではありません。

涙は感情の激しい波によって起こるものであって、決して取り繕って出せるものではないでしょう。

そのため、涙を流している様子は、嘘偽りなく感無量の気持ちに浸っていることが周りにもしっかりと伝わるため、周りも当人の感無量に共感しやすいのです。

頑張って言葉をつなぐ

例えば結婚式という晴れの舞台を迎えた新郎新婦が、式の途中で両親に当てた手紙を読むとき。

花嫁が涙を流し、言葉を詰まらせながらも頑張って言葉をつなぐ場面がありますよね。

この日のためにと予め手紙をしたためていたときには冷静だった花嫁も、いざ結婚式本番になると、これまで自分を育ててくれた両親に対するさまざまな気持ちから、手紙を読み上げながらも感無量で涙して、何も言えなくなってしまいそうになることがあります。

しかしそれでも、大事な場面ではただ涙することは許されないため、きちんと最後まで言葉をつなぐ必要があります。

そんな健気に言葉をつなごうとする花嫁の姿を見て、娘の両親も感極まって涙してしまうことでしょう。

感無量とは、時と場面によって周囲の人にも伝染していきます。

花嫁の両親はもちろんですが、花嫁の友人や親戚など、当人と関わりの深い人や他人の気持ちに共感しやすい人は、花嫁の様子を見て自分まで感無量になってしまうことでしょう。

その感無量の広がりはその場に一体感を生み出し、より場を盛り上げることになるのです。

重要なポイントだけは逃さない

どんなに感無量から言葉に詰まりそうになっても、重要なポイントだけは逃さないように気をつけましょう。

あまりに言葉に詰まって相手に伝えたいことも言えないと、その感無量は一人よがりのものになってしまい、周りの人との間に温度差が生まれてしまったり、周りの人がその気持ちを理解しづらくなったりしてしまいます。

自分だけで感無量を噛みしめるならばまだしも、周りの人にも自分の気持ちを理解して欲しいと思ったら、必要なことは言葉にしなければなりません。

そのため、例えば先に挙げた結婚式での両親に対する手紙であれば、手紙の内容で、「自分を産んでくれてありがとう」や、「育ててくれて本当に感謝します」といった重要なポイントだけはきちんと言葉を詰まらせずに両親に伝えるようにしましょう。

言葉に詰まるさまは見ている周りの気持ちも高ぶらせることに繋がりますが、そこでさらに重要なポイントを逃さないようにすれば、その場の一体感はより強いものになるでしょう。

同じ言葉を繰り返すのも効果的

普段何気ない話をしているときに何度も同じ言葉を繰り返すと、相手には「しつこい」「うっとうしい」と思われてしまうことがあります。

しかし、同じ繰り返しの言葉も場面を変えると重要な強調部分になったり、感無量をより強調させたりすることができます。

例えば落とし物を拾ってもらった相手に対して何度も「ありがとう」と繰り返すのは、親切なことをした相手に対して不快な気持ちにさせてしまう可能性があります。

しかし、先の例のような晴れの舞台で、両親に対する手紙の中で何度も「ありがとう」という言葉を繰り返すと、それだけ感謝の気持ちが溢れているのだということが自然と周りにも伝わります。

その繰り返しの言葉を決して不快に感じる人はいないでしょう。

むしろ、感無量をより深めるものになりますので、場面によってはお同じ言葉を繰り返すことが効果的になる場合もあるのです。

手紙を書く

感無量になったとき、どのような反応をするのかは人それぞれです。

大声で騒いで喜びを露にする人もいれば、涙を流して歓喜する人もいます。

また、胸が詰まって何も言えなくなってしまう人もいますが、言葉が詰まってしまうタイプの人は、手紙を書くことによってその胸の内の喜びの感情を自分以外の相手や周りの人たちに伝える方法もあります。

例えば誰かに何かをしてもらって感無量になったときには、その相手に対して手紙を書くことで、相手に自分の気持ちをきちんと伝えることができます。

「感無量でとても言葉にはできないので、お手紙でこの気持ちをお伝えさせていただきます」と書いてあれば、手紙を読む人も「そんなに喜んでもらえたなんて良かった」と、自分自身も嬉しい気持ちになってくれることでしょう。

言葉にすると一瞬で終わってしまうことでも、手紙にすればいつまでも形として残ります。

何度も読み返すことができますし、その度にそのときの感無量の気持ちがこみ上げてきますので、いつまでも形に残しておきたい人や、相手に覚えておいてもらいたいという人にはおすすめの方法です。

抱きしめる

あまりにも感極まってしまったとき、自分以外の人を抱きしめることで心中の歓喜を表現する人もいます。

例えば受験に合格したとき、親や一緒にきていた友達と抱き合って喜びを露にする場面を目にしたことがある人もいるでしょう。

また、スポーツの大会で優勝したときにはチームメイトで抱き合って喜び合うこともありますし、感無量で言葉にならない感情を、それでも抑えることができなくて思わず誰かに抱き着いてしまう人もいるでしょう。

フレンドリーな人の場合は、普段はそこまで親しく関わることのない相手であっても、感極まったときについ相手を抱きしめてしまうこともあります。

とはいえ、日本人は海外の人に比べると、基本的にはシャイな性格をしていますので、どんなに嬉しいことがあっても早々誰かを抱きしめるようなことはないでしょう。

しかし、だからこそ思わず抱きしめてしまったときには、それだけ当人が感無量の心地なのだと、周りの人にも分かりやすく伝わることでしょう。

肩に寄っかかる

女性に多い喜びの表現で、友達や家族、恋人に対して寄りかかることがあります。

そもそも、人にはパーソナルスペースというものが存在していて、ある一定の距離まで他人が近づくと、無意識に自分を守ろうとして不快な気持ちになることがあります。

そのパーソナルスペースには、自分と関わりのない人が近づくほど嫌な気持ちになりますが、自分にとって親しい人や心を許している人であれば、無条件にその内側まで侵入を許す傾向があります。

そのため、日頃からさりげないボディタッチを交わしている人たちは、それだけパーソナルスペースも近くて親しい仲だということが誰からも見て分かります。

片方が親し気に接していても、ボディタッチをされる人が嫌がっている様子の場合には、片方が一方的に相手のパーソナルスペースを侵していることになりますので、相手と親しくなろうと思っても逆効果になってしまいます。

パーソナルスペースとは、誰もが意識せずとも自然と様子を見ていれば気付くものです。

そのため、感無量の気持ちから誰かの肩に寄りかかるという行為は、それだけ相手に対して心を許していることの表れになりますので、寄りかかられた人も無意識に「嬉しい」と感じることが多いのです。

手で背中を叩く

元々人とのボディタッチを用いたコミュニケーションを好む人や抵抗が少ない人は、親しい人に対しては自らボディタッチをしに行く傾向があります。

例えば仲の良い相手をからかう際に頬を指先でつついたり、肩に寄りかかったり、手を繋いだりと、同性や異性に関係なく触れ合いのコミュニケーションを好む人は意外と少なくありません。

シャイな性格の多い日本人の場合には、触れ合いのコミュニケーションは嫌がるイメージがありますが、親しい仲になってしまえば抵抗なくボディタッチをする人たちは多いです。

むしろ、冷静に他人と一線を引くことの多い日本人だからこそ、その線の内側へ一旦引き入れてしまうと、とことん心を許してフレンドリーになることが多いのです。

感無量になったとき、相手の背中を手で叩く行為もそのひとつです。

親しい相手にだからこそ、バシバシと背中を強く叩くことで、自分の感無量な気持ちを分かってもらおうと無意識にしてしまう人がいます。

その場合、叩かれる人は口では「痛いよ」と言いながらも、嬉しい感情を受けて、思わず自分の口元も緩んでしまうことが多いです。

その場で足踏みする

その場で足踏みをすることは、地団駄のように思えて印象が良くないと思う人もいるでしょう。

しかし、時と場合によってはその場で足踏みをすることが、言葉にはしがたい感無量の気持ちを表わしていることもあります。

例えば好きな人と話が弾んだ後で、嬉しさのあまりその場で足踏みをして喜びの感情を出してしまう人はいますし、美味しいものを食べて、感想を言葉にしたくても口の中に食べ物が入っているため、代わりに足踏みで美味しさを表現する人もいるでしょう。

元々大袈裟な言動をする人や、リアクションが大きめの人ほど感無量のときにはその場で足踏みをすることがあります。

しかしそれは決してストレスやイライラからくる地団駄ではなく、あくまでも「なんとも言えずに嬉しい感情」からしていることですので、それを見る人もそこまで不快に感じることはないでしょう。

また、人によってはオーバーリアクションなそのさまを、微笑ましく思えることもあります。

良いため息をつく

ため息には2種類あるってご存知ですか?

ため息と聞くと疲れやストレス、悩み事などのネガティブな印象を思い浮かべがちですが、実は幸せなときにも自然とため息が零れることがあります。

心地よい空間でリラックスしているときや、幸福感を噛みしめているときなど、何とも言えずに幸せな気持ちを言葉にする代わりに、「ふ~」とため息をつくことがあります。

そのため息は見るからに「良いため息」ですので、ため息をついた本人の表情は満足げで、口元は緩んでいることが多いでしょう。

また、もしかしたら心地よさそうに目を閉じた状態で、良いため息を零しているかもしれません。

いずれにせよ、良いため息もまた、感無量なときには零れやすいものです。

お礼をする

何かとても嬉しいことがあったときには、後日それに対するお礼をすることで、自分がどれだけ感無量だったのかをアピールすることができます。

例えば進学希望先に無事合格できたのなら、親身になって勉強を教えてくれた塾の先生や、背中を後押ししてくれた担任の先生へ、両親に相談してちょっと高級なお菓子などのセットをお礼として渡すことで、それだけ感謝していると相手に伝えることができます。

まだ受験中や受験前に渡してしまうと、相手によっては「賄賂」と感じて受け取りを拒否されてしまうことがありますので、あくまでも願いが叶った後で渡すのがポイントです。

また、結婚式のような晴れの舞台では、参列してくれた人たちには形式上ご祝儀のお礼として、頂いた額の半分程度のものをお返しすることになっていますが、これも当たり前の形式になっているとはいえ、新郎新婦からの感謝の気持ちの表れでもありますよね。

何か些細なお礼をするだけでも、相手にはきちんと感謝や喜びの気持ちが伝わるものです。

誰かに嬉しそうに話す

感無量の心地とは、笑顔や涙など、その人の様子からどれだけ喜び、また感慨に浸っているのかを感じとることができますが、人によっては一見では感無量かどうかが分からないことがあります。

特に普段からあまり感情の起伏がない人や、冷静な人では周囲の人が「本当に喜んでくれているのかな?」と不安に思うこともあるかもしれません。

そうした人たちへの気遣いにもなり、また本当に自分が感無量なのだと周囲にアピールするためには、誰かに嬉しそうに自分の気持ちを話すことがポイントです。

「この前こんなことがあってね、本当に嬉しかったんだぁ」や「しみじみと感慨に耽っちゃったよ」などと、直接自分が感じたことを誰かに話すと、それが自然と周囲には伝わっていくため、結果的に感無量を周りに伝えることができます。

️感無量とは

表現しがたいほどに心に深く感じることがあったときに、人はそれを「感無量」だと言います。

しかし、感無量という言葉そのものはそれほど日常的に当たり前に用いられる言葉ではありません。

また、具体的な意味としてではなく、感覚として胸がいっぱいのときなどに用いられる言葉ですので、感無量が本来はどのような意味を持つのかということを詳しく知らない人も案外少なくはないでしょう。

感無量という言葉の本来の意味は何なのか、またどういったときに用いるのかを以下に具体的にご説明していきます。

感無量の意味

感無量は、「感慨無量」と同じ意味とされています。

すなわち、「計り知れないほどに身に染みて感じること」という意味です。

例えば「嬉しい」や「幸せ」といった感情が人にはありますが、それがどの程度なのかはその人や時と場合によって異なります。

両手に収まるほどの楽しさや幸福感もあれば、両手を大きく広げた大きさに収まるような楽しさや幸福感もあります。

感無量とは、それらの感情を「どこからどこまで」と計ることができないほどに深く広く、また大きく感じているときに用いる言葉なのです。

それはつまり、「計り知れないほどの楽しさ」や「計り知れないほどの幸せ」を本人が感じているということでもあります。

胸一杯になるほど、しみじみ感ずること

感無量とは、まさに自分の感情がどの程度なのかを計り知れないほどに深く広く感じている状態を示します。

それはその人の胸一杯になるほど満たされていて、またしみじみと深く感じている状態を示します。

例えば歴史が好きな人が遺跡を訪ねれば、当時の人々がその場所でどのようにして生活を送っていたのかを想像しては、しみじみと感慨に耽ってやまないことでしょう。

また絵が好きな人は、自分の好きな作品をあらゆる角度から眺めては、何ともいえない心地よくて興味深い心持に浸ることでしょう。

このように、感無量とはさまざまな理由や出来事から、胸一杯に詰まってしまうことや、しみじみと心に深く感じるさまを表わす言葉なのです。

感慨がはかり知れないほど大きいこと

感無量の心地とは、感慨が計り知れないほど大きいことを示しています。

まさに「言葉では言い表すことのできない」「自分の尺度では計ることのできない」ほどに大きくて深い感慨が、感無量なのです。

そのため、自分にとって言葉では言い尽くせないほどの感慨深さを感じたときに、人はそれを表わす言葉として、「感無量だ」と口にするのです。

感慨の意味

感無量の意味を表わす際には、「感慨」という言葉をよく用います。

しかしこの感慨という言葉自体も、具体的な意味を知らずに感覚として用いている人が少なくはないでしょう。

感慨とは、心に強く何か感じることがあって、それを具体的な感情としては言い表せないときに用いられることの多い言葉です。

辞書で引くと本来の意味は「心に深く感じて、しみじみとした気持ちになること」とあります。

まさに言葉では簡単に言い表すことのできないほどに深く感じ入ったときに、それを示す言葉が感慨なのです。

心に深く感じること

あなたはどんなときに、心に深く感じることがありますか?誰しも感情には左右されますが、そこまでしみじみと心に深く感じる機会というのは、そう頻繁にあるものではありません。

例えば結婚式や成人式、名画や名作を鑑賞したときなど、日常とは少し違った特別な出来事が起きたときに、人は感慨に耽ることがあります。

正しくは「感慨無量」

言葉には出来ないような、何ともしみじみと心に深く染み入るさまを感無量といいますが、それとは別に「感慨無量」という言葉があります。

そのため、2つの言葉でどう意味が違うのかと悩む人も時々いますが、実際にはこの2つの言葉は意味としてはまったく同じです。

一般的には「感無量」の方が当たり前に用いられることが多いですが、感無量という言葉自体が、元々感慨無量であり、それを略したものが「感無量」になったとされています。

略されて感無量になった

感無量は、感慨無量を略した言葉です。

そのため正式な言葉で用いるときには「感慨無量」といいますし、意味もまったく同じです。

ただ、言葉を略してあるためか、感慨無量よりも、感無量の方がやや感動が少ないといった印象が見られる傾向にあります。

略された言葉は、ときに気軽な印象を与えます。

そのため、名画を鑑賞して「感慨無量の心地です」と口にすれば、それはとても素晴らしく心に染み入ったという響きに聞こえますが、それを「感無量の心地です」と口にすると、「素晴らしい感動」が「まあまあの感動」に聞こえてしまうことがあります。

そのため、本当に素晴らしいと感動を伝えたいときには、略語よりも正式な言葉として口にする方が良いでしょう。

️感無量な気持ちを表現しよう

あなたはどんなときに感無量な気持ちになりますか?
嬉しいことや幸せなことがあったとき、またはしみじみと心に染み入ることがあったときに用いることが多いでしょうが、悪い意味として用いる人はほとんどいません。

感無量という言葉自体が、自分だけでなく周りの人たちをも喜ばせることに繋がりますので、感無量だと感じたときには、遠慮なくそれを口にするべきでしょう。

感動したとき

人は自分一人だけでは、中々感動することができません。

自分を感動させてくれる何かの存在があってこそ、しみじみと感動して感無量の心地になることができます。

例えば遺跡を回ったり、名作品を鑑賞したりして感動する人は、自分ではない人たちが作り上げて遺したものに対して深く感動して感無量の心地になります。

また、例えば結婚式を挙げる新郎新婦の場合には、自分たちを祝ってくれる両親や友人、会社の人たちやプランナーたちの存在があって初めてそこで作り出された晴れの舞台に感動することができるのです。

結婚する当事者たちだけでは決してここまでの感無量に浸ることはできないでしょう。

このように、感動による感無量は、当人だけでは決して味わうことのできない貴重なものなのです。

嬉しかったとき

人は嬉しかったときにも感無量になります。

例えば希望の学校に合格できたときや、就職先が決まったとき、または試合で優勝したときなど、地道な努力や苦労が多かった人ほど、それが叶ったときには嬉しさで感無量になるのです。

棚から降ってきたような偶然の僥倖では、嬉しさは感じても感無量になるほどではないでしょう。

苦労した分だけ、それが実ったときには嬉しくて感無量になるのです。

幸せなとき

幸せというものは、必死になって作り出すからこそ、その感動もひとしおのものです。

また、不幸を経験しているからこそ、幸せを噛みしめてしみじみと実感することができます。

生まれながらにして何不自由のない生活を送っている人は、人から見たら幸せなその生活も、ごく「当たり前のこと」として享受しているでしょう。

そこには何の感謝もなく、感動も幸せもないのです。

何故なら当人が、それが幸せであるということに気が付いていないからです。

一方で、不幸や苦労を経験してきている人は、辛い状況から抜け出せたときに、言いようもない幸福感を覚えます。

そして当たり前に幸せな毎日を送れることに対して、感無量の心地を覚えて日々を大切に過ごすでしょう。

感謝を伝えるとき

感無量の心地は、感謝を誰かに伝えるときにも用います。

それはこれまでに挙げてきたように、幸せそうな笑顔を振りまいたり、涙を流して喜んだり、または手紙に書いたりして自分がどれだけ相手に感謝をしているのかを伝えます。

その感謝の気持ちが相手に伝わることで、相手もそれだけこちらが感無量なのだと感じとることができます。

【感謝を伝えるための方法については、こちらの記事もチェック!】

昔を思い出したとき

昔の素晴らしい出来事や、感動した事、幸せだった記憶を思い出して、それにしみじみと浸るときにも、人は感無量の心地になることがあります。

とくにある程度人生経験を積んだ人では、昔を思い出して感慨に耽ることも多いでしょう。

昔の思い出にしがみつくようで嫌だという人も中にはいますが、思い出して感慨に耽ることができるほど素晴らしい人生を送ってきているということの良い証拠でもありますので、昔を思い出して感無量になるのは何も悪いことではありません。

️私、今感無量です…!

感無量になることは、それだけあなた自身の心が強く物事を感じたり、しみじみと浸ることが出来たりするということです。

そのため、時には感無量な心地になるような出来事に、自ら進んで向かっていくことも大切です。

また、自分が感無量になると、周りの人もそれを感じ取って嬉しく思えることがあります。

何とも言えない感動や喜びの感情が周りに伝染していくことは良いことですので、日頃からあらゆる出来事に心を配るようにしましょう。