友情とはなにか。男女間に友情は成立するのか。
これらは、とても曖昧で、哲学的な問題でもあります。
友情というものの形については、きっと多くの人が議論し、考えを共有しあった経験があるのではないでしょうか。
人によって、色々な考え方や価値観があります。
皆それぞれ、友情に対して求めるものや、理想として抱くものが異なります。
男女間の関係や、友達関係を維持するためにやってはいけない10個のこと(同性編)
友達関係を長続きさせるためには、どうしたら良いのでしょうか。
友人にせよ、恋人にせよ、人同士が関係を築き、付き合っていく過程には、さまざまな出来事が待ち受けています。
全てがすべて、自分の思い通りに進むわけではありませんので、時に『こんなはずじゃなかったのに』というような想定外の出来事に見舞われることもあるでしょう。
しかし、どんな時でもこれだけは胸に留めておいて欲しい、という10個のポイントがあります。
友人付き合いというのは、同性同士と異性とでは少し勝手が違いますので、まずは同性間の友情について考えてみましょう。
文句を言う
相手に対して不満かある時や、自分の虫の居所が悪い時など、いつもは一緒に居て楽しい友達だとしても、イライラ・モヤモヤしてしまう瞬間は確かにあるものです。
しかし、どんな時も、頭ごなしに文句をぶつけるような真似は決してしてはいけません。
相手の機嫌が悪い時や、意見が合わなくて変な空気になってしまった時など、衝動的に苛立ちを言葉にしてしまう時もあるでしょう。
ですが、感情に任せて発した言葉は、自分が思っている以上に悪意を帯びていたり、非難めいた言葉になってしまいがちです。
勢いに任せて口から出た文句は、ヒートアップして、遂には言わなくていいような事まで引き出してしまうこともしばしば。
一時的な感情で、言葉を言ってしまわないよう、もし文句が口をついて出そうになった場合は1度その場を離れるなどしてクールダウンしましょう。
これまで仲が良かった相手に対して、突如不満や苛立ちが湧き上がることもないとは言えません。
しかしそれは、単純に相手に非があるわけではなく、自分の精神状態や、ストレスなどによって生まれたものかもしれません。
普段は全く気にならないことに苛立ったりする時は、心に余裕がなく、切羽詰まった状況である可能性がありますので、相手を傷つけないよう自分から距離を取ることも大切です。
その逆もしかりで、相手の様子がおかしい時は、あえて詮索せず、ソッとしてあげることも優しさです。
もし、相手に不満や憤りを感じて、自分の気持ちを伝えるにしても、文句として伝えるのではなく、冷静に話をしていきましょう。
一方的な文句になるか、話し合いになるかは、後の友情にも大きく影響してきます。
無視する
どんな時でも、相手を無視してしまうのは絶対にいけません。
意図して行う無視は、とても悪意的で、傷つく行動です。
イジメの典型的な行動パターンの一つでもあるので、友達に対してするというのはもっての外。
時折、自分の機嫌や気分次第で、相手への反応や対応を変えるような自己中心的な行動をとる人がいますが、これは、友情云々の前に、人として、大人としての品格が問われる問題です。
自分本位の考え方しかできず、自分の感情に周りを巻き込むような人は、とても幼稚なので、周りの人も呆れて離れていくでしょう。
そもそも、無視をするという行為をとる人は、無視された相手の気持ちを考えることができていない、考えようとしないということ。
さらに、無視した相手を軽んじているということになります。
友達関係というのは、互いの性格や気持ちを理解し合い、共に尊重しあいながら築いていくものです。
他人よりも身近に存在する大切な人であるからこそ、一層大事に扱わなければいけません。
約束を破る
約束を守るというのは、人として最低限のマナーです。
自分の言葉に責任をもって、言ったことはきちんと守る。
仕事でも私生活でも、こうした約束事を守れない人は、信用することはできません。
良い信頼関係を築けない相手とは、深く親密な友情を育むことはできないでしょう。
どんな小さな約束でも、きちんと有言実行を果たし、相手の期待や想いに報いることが出来る人ならば、仕事仲間として、友人として、長く付き合いを続けていきたいと思うはずです。
約束を交わす時は、自分の発言と行動に責任が伴うということ、そしてその約束は人間関係に大きな影響を与えかねないということを忘れないようにしましょう。
お金を借りる
どんなに親しい間柄でも、お金の貸し借りはトラブルの元になります。
お金は人を変えてしまうことがあるほど、とても扱いが危険な存在です。
金額の大小関係なく、お金を貸すことも、借りることも容易にするべきではありません。
お金を人から借りようという概念を持っているだけでも、人によっては、あまりよく思いません。
その上、友人からお金を借りようというのもいただけません。
金銭の貸し借りが発生した時点で、対等な友人関係ではなくなると、わきまえた方が良いでしょう。
お金を貸す、貸さない、という判断は信頼関係や仲の良さとはまた別問題ですので、もしとても親しい友人から頼まれても断る勇気を持つことが重要。
もちろん、自分からお金を借りたいというような打診をかけるのも良くありません。
友人だから借りてもいいという考えではなく、友人だからこそ借りるべきではないと自分を厳しく律することが大切になります。
対等に良好な関係を続けていきたい相手ならば、お金関係の処理は厳しくしていきましょう。
気を遣わない
相手の顔色や気分をうかがって、気を遣う優しさは人と付き合いを深めて行く中でとても大切です。
親しい相手になればなるほど、遠慮なく言葉を発したり、遠慮しなくなったりしてしまいがち。
気を許すことと、気を遣わないことは全く違います。
友人であれ、家族であれ、相手に対して不誠実な行動は絶対にしてはいけません。
自分の言葉や行動が、相手にどう映るのか考えたことはありますか?
どんなに感情が昂っても、冷静さを忘れずに客観性を持って自分の言動を制御できなければいけません。
喜びはもちろん、怒りなど、激しい感情が生まれた時には、興奮して自分の本性が出やすくなります。
お酒を飲んで酔っている時なども、知らず知らずのうちに、人に対する配慮を忘れてしまうことがあります。
自分勝手に振る舞い、周りを困らせたり不快にするような行動は人間関係を破綻させます。
常に視野を広く、周りの人の気持ちを汲んだ行動をすることができる人は、気配りや心配りの行き届いた優しい人です。
そういう人は、周りからも同様に優しさを与えられるため、必然的に双方がwin-winになる良い関係性を築き、良い人間関係に恵まれるでしょう。
相手が傷つくことを平気で言う
視野が狭く、自己中心的な考え方ができない人は、思いついたままの発言をするため、時に不適切な言葉や表現を使って人を傷つけてしまうことがあります。
いつも自分の事を優先させたり、自分の考えが正であると考えて疑わないような人は、他人の気持ちに鈍感です。
なぜなら、自分以外の意見を受け入れようという気持ちがなければ、相手に対する興味も持たないから。
こういう人は、周りの人の顔色の変化に気づくことができないのです。
本人的には、特に深い意味を持たせて発言した言葉でなくても、受け取る相手が誤解したり、傷つくような事態になることがあります。
たった一言で、良好だった関係が崩れたり、印象を悪くしてしまったりすることもあるので、一言ひとこと重みをしっかりと考えて発言しなくてはいけないのです。
無意識に相手を傷つける言葉を発する人ももちろん悪いのですが、わざと相手を攻撃するような言葉を選んだり、威圧的な話し方をするような人は、もっと悪いです。
強い態度を取ることで、自分の力を誇示しようとしたりする人は、非常に幼稚なので、周りから嫌われます。
もし、周囲に言葉を使って人を傷つけようとする人がいる場合、言われる側の人も間に受けないようにしましょう。
意見を否定する
人にはそれぞれ、価値観や考え方が異なります。
自分の考え方やこだわりを持つことは悪いことではありませんが、固執しすぎてしまうのは問題です。
柔軟性がなく、自分の考え方だけを正当化してしまう人は、周りの意見に対して否定的になってしまいます。
友達や家族など、近しい人であっても考え方が全て合致するなんていうことは殆どありません。
考えが違って当たり前なのだという大前提を忘れてしまうと、人付き合いはとても苦しいものになります。
互いの異なる考え方を全て受け入れ合い、理解し合うというのも無理な話です。
それぞれの意見を尊重し合いながら、歩み寄ることが大切です。
ですので、相手の意見を否定したり、論破したりするような行動はナンセンス。
無理に打ち解け合う必要もありませんが、人の意見を否定する権利もありません。
自分と違うものを頑なに受け入れないような頑固な人や、自分の意見を人に押し付ける人は、深く付き合いにくい人だと思われてしまうでしょう。
マナーを守らない
マナーは、日常生活を送る時、仕事をする時、どんな時にも必要になる常識的な部分です。
キチンと挨拶をする、TPOを守った行動をする、適切な言葉遣いをする…などなど、マナーはとても幅が広いので全てを挙げていくことはできませんが、安直に言うと社会で生きている上で当然出来て然るべき大人の言動ということです。
マナーがなっていない非常識な人と共に行動すると、一緒にいる人まで、品位を疑われます。
一緒にいて恥ずかしい、と思うような相手とは隣に並びたくないですよね。
身だしなみ、立ち居振る舞い、言動の一つひとつから、その人のイメージに繋がりますから、気をつけたいところです。
ドタキャン
直前で約束を破棄したり、なにかと理由をつけて延期するようなドタキャンは非常に迷惑な行為です。
遊びにせよ、仕事にせよ、その日のために予定を調整したり、時間を合わせるために準備をしているわけです。
ドタキャンをされると、その労力を全て無駄にしてしまうような感覚になるので、テンションもダダ下がり。
さらに、相手への信頼も一気に失います。
ドタキャンは、約束を守ることが出来ないという不信感だけでなく、相手の都合を考えず自分勝手な行動をしている点においても悪質だと言えます。
親しい相手だから、ドタキャンしても理解してくれるだろう。
遅刻しても許してくれるだろう…など、ルーズな付き合いをする人の周りには、同じようにルーズな人しか残らないでしょう。
ドタキャンは、約束を守るという当たり前のことをしている人が損をするものなので、守らない側が信頼を失い、友達としての価値を見限られるのも当然の摂理です。
友達の恋人を取る
友達の恋人と親しくなって略奪してしまうような行為は、必ずと言っていいほど友情を破滅させます。
恋をすることは自由ですが、自分の友達の恋人と分かっていながら恋愛関係へと発展させるのは友達への裏切り行為です。
こういった三角関係で、全員が快く了承した上で略奪愛が成り立つことは99%ないでしょう。
もし、恋愛関係が上手くいったとしても、必ずどこか一遍の関係は破綻します。
それはもちろん友情の部分です。
恋情に流されて友人を切り捨てるのか、友情を守るために恋を捨てるのか。
この判断は、人それぞれ違いますが、どちらも手に入れたい、手離したくない、というような都合のいい話はありません。
何かを切り捨てる覚悟と、それだけの価値のある感情かどうかを真剣に見極めなければ後々深い後悔をすることになるでしょう。
男女間の関係や、友達関係を維持するためにやってはいけない10個のこと(異性編)
男女間での友情というのは、とても難しいものです。
人によっては「男女間に友情は成り立たない」と言い、人によっては「友情に男女性別は関係ない」と言います。
果たして、あなたはどちらのタイプでしょうか。
確かに男女間では、友情と恋情の境目が曖昧になりがち。
男女は一般的に同性同士の友情と異なり、情を交わし恋人となり、夫婦となることができる関係です。
友情止まりではなく、その先を想像させる要素が多い関係だからこそ、友人の1人として関係を深めて行くことが難しいのでしょう。
男女の友人同士が、互いに恋人や伴侶を持ってしまうと、特定の異性を親しい友人というポジションに置いておくことはさらに難しくなります。
では男女間の友人関係において、恋愛要素を排除して異性同士の友人であり続ける時のポイントはどんな部分なのか考えてみましょう。
肉体関係を持たない
恋愛関係ではなく、友人関係であるというのならば、男女間の性的な関係は一切無いということです。
もし、その一線を超えているようなら、それは既に友人ではありません。
あくまで、友人と言うからには、性別問わず全員同じレベルの付き合いができているはずです。
異性であれ、同性であれ、関係性に差がなく、同じ目線で相手を捉えられていてこそ、正しい友情の形。
性別という概念から特別視する部分があるならば、友情と呼ぶのは厳しいでしょう。
肉体関係を1度でも交えてしまったのなら、ただの友人ではいられなくなるので、もし本当に友情を成り立たせたいのであれば節度のある関係を築きましょう。
カップルっぽいことはしない
男女での友情を語るなら、カップルに勘違いさせるようなコミュニケーションはとるべきではありません。
カップルのように手を繋いだり、飲食店で横に並んで座ったり、特別ね日でもないのにプレゼントを送りあったりするような言動はNG。
同性同士の友人と接するように、ラフな関係でナチュラルな自分でいられる相手でないのなら、友情以外の気持ちがある証拠です。
文句や否定はしない
友達と恋人では、明らかに異なる点があります。
友達は、言ってしまえば大勢いるうちの1人です。
しかし、恋人とは唯一無二の存在。
この違いは、その人にとって踏み込んでいい範囲の差でもあります。
例えば恋人であれば、介入して口を出していい問題でも、友人では深く踏み込むべきではない、というように、入り込んで良いスペースが違うのです。
友人にも関わらず、この部分を勘違いして、まるで恋人のように相手の生活に踏み入ったり、小言を言ったりしてしまう人も多いもの。
そもそも、人の生活態度や考え方に対して文句や否定をできるのは、本当にその人にとって近しく、その人の将来を左右する力を持つ人の特権です。
それこそ、将来を見越して結婚を視野に入れている恋人や家族であれば、その人の行動に対して責任を負うことになりますから、文句や否定の一つや二つするでしょう。
ですが、友人はあくまで友人。
そこまで言える権利は持っていません。
恋愛感情を抱いてはいけない
友達であり続けたいと思うならば、恋愛感情を抱いてはいけません。
もしも恋情が生まれてしまったのであれば、友情だと誤魔化すことなく潔く恋愛感情を認めましょう。
もし、恋愛関係に発展することを望まないのだとしても、一度自覚してしまった感情はなかなか消すことができないので、相手の傍で素知らぬ顔をし続けるのは難しいでしょう。
ましてや、相手に特定の恋人ができてしまったともなると、辛い気持ちを抱き続けることになります。
もし、友情にとどめて置けない感情がわいてきてしまった場合は、大いに悩み、自分が一番納得する道を選びましょう。
遠出やお泊りはしない
いくら友達と言えど、異性と同性では、全て同じ距離感や扱いではいられません。
「友達を性別で区別すべきではない」という人もいるかもしれませんが、これは人としてのモラルの問題です。
一般的に付き合っていない男女が、泊まりを伴う遠出をしたりするのは違和感があります。
なんの下心もないのだと言ったところで、男女間の友人以上恋人未満という絶妙なラインの関係は、世間に容易く受け入れられるものでは無いのです。
男女複数名グループでの旅行ならまだしも、2人きりのお泊まりや旅行というのは、恋人同士と同等の行動をしているということになりますので、自分たちはどうであれ、周りからの視線は変わるでしょう。
相手によく見せようとしない
必要以上に自分を着飾って、相手からの興味や好意を得ようとするのは恋愛感情の典型的な思考パターンです。
友達同士であれば、素の自分でナチュラルに過ごすことができるはず。
それに引き換え、恋愛感情を抱いている好きな人が相手になると、いかに自分をよく見せるか試行錯誤したりするものです。
相手の視線を妙に気にして、ソワソワしてしまう場合や、浮き足立つようなウキウキする感情を感じる場合は友情の域を超えた気持ちかもしれません。
期待はさせない
友人関係とは、双方共に互いを友達だと認識していなければ成り立ちません。
仮に片方が「友達だ」と思っていても、もう片方が友情以上の好意を持っていたら、その友情は長く形を保っていられないでしょう。
ですので、本当に恋愛感情を一切抱かない異性に対して、健全で先の長い友情を求めるなら「恋」を連想させる期待を与えるべきではありません。
あまり行き過ぎた気遣いをしたり、過剰なスキンシップをはかったり、他の人よりも気を許しているような態度をとるなど、その人が特別感や優越感を感じてしまうアクションはNG。
ほかの友達となんら変わらない、同じラインの対応をしましょう。
それこそ、遊ぶ日に普段より気合を入れたお洒落をしたりするのも、期待を煽る要素になりかねません。
友情って何?何を注意すればいいの?
友情とは一体どんなものか、と問われた時に得られる回答はきっと、人によって全く異なるものでしょう。
『自分を支えてくれる大切な存在』
『一緒に笑い合える仲間』
『ありのまま見せられる相手』
『人生になくてはならない存在』
『いざと言う時に頼れる人』
表現方法は人それぞれになるはず。
友情に対して、何を求めるのか。
友人とは、どんな間柄の相手を指すのか。
自分にとって、しっくりと来る答えを見つけるのは、とても難しいことです。
ただ、一つ言えることがあるとするならば、友情は人にとって非常に重要なものだということ。
友情を育むことで、人と触れ合うことの楽しさを知り、社会を知り、多くの感情を知っていきます。
友情は、沢山の素晴らしいものを与えてくれるものですが、その反面、とても脆く儚いものです。
ちょっとした諍いで、それまで築き上げてきた友情が崩れ去ってしまうこともあります。
ホントの友情とは?
あなたには、本当の友情で繋がっている友人がいると言えますか?
人付き合いには、言ってしまえば上辺での付き合いや、切っても切れない腐れ縁というものがあります。
自分の意思を持って、付き合いを継続したり、より親密になることを望む友人は、あなたにとって大切なポジションの相手なのでしょう。
それに引きかえ、惰性で付き合いを持っている相手の場合、自ら関係を深めたり、わざわざ相手のために時間を作ることはしないはずです。
相手に対する気持ちの大きさやベクトルの方向性というのは、自然と付き合い方に反映されてきます。
人は、基本的に、相手にこうあって欲しい、という求める理想像を自らが演じる傾向があります。
優しくしてほしい人には優しく。
誠実に接してほしい人には、誠実に。
というように、相手に願う理想的な姿を、自分に反映させるのです。
これと同じ原理で、どう思われてもいいような相手には、きっと適当な対応をするでしょう。
嘘偽りがない
嘘偽りのない姿を晒すことができる相手は、あなたにとって心が安らぐ場所である証拠です。
無理に、自分を取り繕ったりせず、自然体で過ごせるということは、相手に心を許し、リラックス出来ているということ。
自分と相手の間に、嘘がある関係では、心から相手に気持ちを許すことができません。
互いに嘘をついていると、どうしても関係を深めることができないため、本当の友情とは言えないでしょう。
嘘というのは、相手への裏切り行為です。
本当のことを打ち明けず、偽りの姿を見せているということは、相手を信頼していない証でもあります。
相手のことを思いやる
親しき仲にも礼儀あり、という言葉があるように、家族にせよ友人にせよ、互いを思いやる気持ちを忘れてはいけません。
思いやりというのは、相手のことを大切にする優しさから生まれるものです。
『相手のためになることをしてあげたい』『喜ぶ姿を見たい』『辛いことがあったら助けてあげたい』など。
大切な友人に対して、見返りを求めない無償の優しさを注げるかどうか、考えてみてください。
友情とは一方通行では成り立ちませんので、あなたが相手を思うように、相手側もあなたのために思いやりを持って接してくれるかどうかもポイントになります。
強制しなくとも、ごく自然に互いを思いあった行動をとり、支えあったり、喜びあったりできる関係というのは、とても素敵です。
なんでも話せる存在
自分の意思を包み隠さずに話せる存在は、なかなかできるものではありません。
人は、ありのままの自分をさらけ出すことを、弱みだと思ってしまったり、恥ずかしいと思ってしまう節があります。
だから、どうしても見栄を張ってしまったり、強がったりして、自分の本当の姿を見せることができずにいます。
嫌なことを、嫌と言うこと。
好きなことを、好きと言うこと。
いずれも、簡単なようで、とても難しいことです。
ありのままの自分が周囲に受け入れてもらえるのか、自分の意見は反感を買ってしまわないか。
色々と考えているうちに、人は臆病になって、本当の気持ちを飲み込むことに慣れていきます。
しかし、いつも自分を隠して、押し殺すような生活をしていては息が詰まります。
もちろん一人の大人として、社会で生きて行くうえで、取り繕わなくてはいけない場面もありますが、ありのままの姿でいられる時間は必要です。
感情や気持ちを包み隠さず、自分の素の姿のまま接することのできる相手がいるということは、とても幸せなことです。
それは、家族でも恋人でもなく、友人であることが多いと言います。
近すぎず、遠すぎず、適切な距離感であなたの心を癒してくれるでしょう。