ひと昔前までの人類の移動手段としては、馬に跨って走るのが最も早い方法でした。
これに人を乗せて引っ張る馬車ができ、荷物も馬に引かせたのです。
かっての古代ローマ軍は、戦車と称する兵士が乗って戦地を勇壮に走り回る戦闘用の馬車も活用していました。
草原での戦いにはなくてはならない兵器だったのです。
古代ローマの戦闘シーンを映画で観た人にとっては、馬車が砂煙を上げて疾走する雄姿を思い出すかもしれません。
モンゴルの平原を走り回る遊牧民、アメリカ映画でおなじみのアパッチと戦う騎馬隊など、馬が勇壮に走り回る人馬一体の姿を思い浮かべます。
日本の戦国時代でも、馬の活躍はご存知の通りです。
ただ、現実的には戦国時代に日本では多くの馬を飼育して戦闘に活用する余力がなく、近年のの情報では馬と言っても小型のポニーのような馬が多く飼育されていたこと、馬車に使われる車軸の開発が遅れたことから、西洋のような高速で走る馬車よりも、牛が引いてゆっくりと動く牛車が多かったのです。
若い人にとっては、馬とは競走馬のことを連想するかも知れません。
年に何回か開催される最高格付け競走馬が走るG-1レースは人気が高く、競馬場には多くの愛好家が集まるようです。
この競走馬は、体重が400~500キロもあって、これを4本の脚で支えているのです。
これも愛好家ならよく知っていることですが、万一脚を骨折してしまうと安楽死させるケースが多いようです。
というのも、骨折部分の治癒には時間がかかることと、残りの脚の蹄(ひずめ)に血行障害が起こり蹄葉炎(ていようえん)という病気を発症して壊死するために死に至るのです。
そこで馬主は、馬を苦しませずに安楽死を選ぶそうです。
女性にとっては、馬の胎盤(プラセンタ)も人気があります。
プラセンタ配合の医薬品や化粧品、健康食品などがたくさん販売されていて、この言葉を知らない女性はいないと言っても過言ではありません。
とにかく人気なのです。
人間を除くほ乳動物は、自然分娩した時には出産したときに本能的に自分の胎盤を食べてしまうのです。
この胎盤には出産によって失った体力を回復させるための栄養素を多く含んでいるからです。
この栄養素としては、各種のアミノ酸や核酸様物質、ビタミン涙、ミネラル涙、酵素、ムコ多糖体などが含まれていますが、中でも特別なのは細胞の分裂や増殖を促進させる成長因子(EGF:グロースファクター)を含んでいることなのです。
この成長因子が、傷んだ肌を修復したリ若々しく保ったりさせる作用があるので、アンチエイジングとして女性には絶大な人気があるのです。
しかも、利用できる胎盤は豚や羊、馬が一般的ですが、妊娠期間が長く一匹しか産まない馬は、胎盤の中に多くの栄養素を含んでいるため貴重であり高額で人気なのです。
馬のプラセンタは最近人気になっているようです。
このように、役に立つ馬なのですが、一方では「どこの馬の骨?」などと懐疑的な表現として使われることもあるのです。
もう少し、馬について調べてみました。
️馬の骨ってどういうこと?
馬は古くから人間とは馴染みが厚く、人間にとっては随分助けになっている動物なのですが、馬の骨となるとちょっとニュアンスが違ってきます。
「どこの馬の骨ともわからない」という言葉は、どうやら余り良くない時に使う言葉のようです。
つまり、「あいつはどこの馬の骨か分からないやつだ」と言うと、「あの人は素性がわからない人で用心した方が良い」という意味なのです。
では、馬以外にはそんな骨は無いのでしょうか?犬や牛、猫、豚、ニワトリなどももちろん骨を持っています。
「どこの牛の骨」とも「どこの豚の骨」なども使われません。(調べると、「牛の骨」も同じような意味で使われていた時代もあったようなのですが、最近では使われていません)
骨の大きさにも関係があるのでしょうか?何か骨に問題があるのでしょうか?そこで、「馬の骨」についてもう少し調べてみました。
️馬の骨についての解説
馬の骨の話しに入る前に、馬の身体についてまとめました。
馬の身体の大きさを比較する時には、体高(地面から肩の高さ)、胸囲、体重を比較します。
荷物を運んだり、競走馬のように走ることが目的の馬など、馬の種類によって差があるようです。
・大きな馬=体高170~180cm、体重800~1000kg、馬車を引いたり荷物を運ぶ馬。
ペルシュロン種、ブルトン種など。
・中型の馬=体高160~170cm、体重400~500kg、乗馬や競馬用の馬です。
セルフランセ種、サラブレッド種など。
・やや小型の馬=体高120~150cm、体重350~400kg、乗馬やポロ競技用。
ハフリンガー種、アラブ種など。
・小型の馬=体高80~100cm、体重30~100kg、世界一小さいファラベラは体高80cm以下です。
アメリカンミニチュアホース種、ファラベラ種など。
用途によって、様々な馬があるのです。
馬はもともと野生だったので、おもしろい特徴も持っています。
馬の目は350度も見ることができ、しかも左右の目で別々のものを見ることができます。
馬の眼球はほ乳動物の中でも最も大きいそうです。
馬は鼻呼吸しかしません。
走ると呼吸をするために鼻を全開にしています。
そして、臭いにも敏感で、自分の子供や飼い主、厩舎の場所を臭いで区別するのです。
馬の耳も動きが活発です。
180度回転して音を検知するのです。
敵を威嚇する時は後ろに寝かせたり、警戒する時は耳を立てて音を探るのです。
大きな体重の馬を支えているのは、大きな骨です。
骨の数は、人間と同じように様々な形をした骨が約210本あるそうです。
ちなみに、人間の成人の骨の数は、一般的には206本とされています。(馬も人間も、資料によって骨の数にバラツキがあるためです)
人間も馬も、身体を支えたり臓器を守ったりと重要な働きを持つ骨ですが、なぜか馬の骨だけは悪者にされているようなのです。
馬の骨に恨みはないのですが、大きくて重いはずなのに軽くあしらわれているのです。
️馬の骨の意味
人間の骨については、「気骨のある人」というように良い意味で使われることがあります。
気持ちと骨が重なった「気骨」という言葉は、背筋をピンと伸ばして筋が通った信念を持って生きているというイメージを持っています。
また、「骨太」とは骨が太くて骨格がしっかりしているという意味で、頼りがいのある人間のイメージです。
政府までも、「骨太の方針」として財政に関して基本方針を発表しています。
このように、人間では良い意味で使われる骨ですが、人間よりも太くて大きな馬の骨は逆のようです。
日本で使われる「馬の骨」の語源は、中国のことわざからきているようです。
中国では役に立たないものという意味で、「一に鶏肋(けいろく)、二に馬骨」ということわざがあります。
鶏肋とは鳥の肋骨のことで、小さすぎてなんの役にも立たないものという意味です。
また馬骨も大きいけれどもなんの役にも立たないし、むしろ処分に困るという厄介者のイメージなのです。
さらに日本では、「気骨」という意味にある様に、「骨」には信念のある人という人柄も表されています。
そこで、役に立たない「馬の骨」とは、「役に立たない人柄の余計な者」さらには「どのような人間なのか素性の知れない者」という相手をののしる意味に使われるようになったのです。
「どこの馬の骨」という表現は、相手をののしる意味なので、相手を軽蔑するような場面で使われます。
「あいつはどこの馬の骨か分からん奴だ」という時には、「あいつはどこの誰だかも分からないし、用心するに越したことはない」という感覚なのです。
素性がわからない人
「どこの馬の骨」と言う表現は、初めて紹介してもらった場面で、どんな人かも理解できていないのに急にあなたと親しくやってくれと強要されたときに使うようです。
この言葉の裏には、もしかしたらわたしが損害を被るかも知れないという不安があって、紹介してくれた人への疑念と軽蔑を込めた表現なのです。
もう少し時間をかけて順序正しく紹介してくれればよいのに、何でまた急に紹介するんだという怒りも込めているのです。
「どこの馬の骨かも」という表現には、相手の素性が分からないうちに、早く決断しろと急かすことと同じなので、「ちょっと待てよ」ととにかく進行を停止させる時の言葉なのです。
絶対にその相手がダメだと完全拒否する訳でもなのですが、まずは判断できる情報をわたしに見せろということなのです。
例えば、自分達の職場の上司が、ある日突然交代することになって職場の全員が集まった。
交代の理由も分からないうちに、「新しい上司の下、しっかり指示を聞いて頑張ってくれ」と元上司から別れの挨拶を受けたが「どこの馬の骨とも分からないのに、簡単にいうことを聞けないし」と陰口を叩く人もいるのです。
素性も性格も、ましてや能力も分からないうちから、全幅の信頼をしろと言っても抵抗があるようです。
もし、あなたの可愛い大事な娘さんが、仕事の帰りに手を繋いで彼氏とデートしている現場を奥さんが見つけた時、帰ってからそのことを夫に報告します。
まだ子供だと思っていたのに恋愛をしていたことに驚いたのでした。
そしてある晩に彼氏と一緒に帰ってきて、娘から「彼と結婚したいの」と紹介すると、「どこの馬の骨か分からん奴と結婚は許さん」となってしまうのです。
こんなシーンはまれですが、素性もわからない相手をすぐには認められないという表現なのです。
つまらない人
ある程度信用していたにも関わらず、期待に反して出来が悪い時にも使います。
例えば、10人ほどで野外でバーベキューをすることになって、それぞれが準備をして車で現地に集合しました。
野菜・米・肉も用意し、それぞれが作業を分担することになりました。
友人の一人が連れて来た人は初参加ですが、野外活動の経験がありそうな雰囲気でした。
ご飯も食べたいというリクエストに応えて、飯ごうで炊くことにしました。
そこで、このご飯の担当を初参加の人に任せて手分けして準備にかかりました。
バーベキューの火起こしも完了し、待ちかねた者はもう肉を網に乗せて焼きかけています。
煙と共に焼けた肉の香りがしてきます。
ビールで乾杯して食べ始めた時に、ご飯が欲しいという人がいます。
そうだ、それは新人に任せていたと思い出し、できたかどうかを確認しました。
すると、飯ごうのふたを取ると水の量が間違っていたのか黒こげのご飯ができていました。
ご飯大好きの者にとってはガッカリなのです。
焦げ臭くて食べられない状態です。
「どこの馬の骨か分からん奴に任せるからだよ」と怒り出す始末です。
バーベキューは上手く行ったのですが、飯ごうで炊いたご飯を待っていた人にとっては、ショックだったようです。
期待していたのに役に立たない者を、役立たずあるいはつまらない者と蔑む時にも使われるようです。
「馬の骨」に期待してしまった自分にも反省といらだちを覚えているのです。
地位が低い人
プライドが高い人や自分がやってきたことに自信を持っている人が、後輩や後任の人に対して言う「捨て台詞」にも使われます。
長い間真面目に仕事を続け、立派な業績を残して去る人に後任の若者がつくことになりました。
その若者はどれほどの能力を持っているのかは分からないのですが、自分の後を受け継ぐということに対して、そんな若者で良いのかという内心穏やかではない感情が湧いてきます。
そんな時に親友につい「どこの馬の骨かも分からないやつにバトンタッチするのは辛いよ」と本音を漏らすのです。
技量も経験も未知数の若者に引き継ぐことは、地位が低い者に取って代わられる気がしたのです。
このように、自分よりも地位が低いとか技量が低い人という意味でも使われます。
役に立たないもの
超多忙になって仕事の応援に来てもらったのだが、手は遅いし要領が悪いと仲間からヒンシュクを買っている人がいます。
本人は一生懸命に頑張ってるつもりなのですが、結果はなかなか厳しいものがあるようです。
あいつに手伝ってもらうのはいいけれど、全体の仕事の流れが遅くなってしまい、仕事の効率が悪くなったようだ。
急がせて何か問題が起きても大変だし、それを気にしているとかえってみんなの作業効率が悪くなってしまうと苦情が出てきます。
本人も役に立ちたいと思って来ているので、無下に断ることもできないと仲間は悩むのです。
その時に、リーダーが「君の作業は遅いが正確に出来ているようだ。複雑な仕事が多い隣の部署の応援に回ってくれないか?」と変更をお願いしたのです。
当人は、自分の技量を認めてくれたと喜んでいました。
しかし、「どこの馬の骨かもわからない者は大変だ」とため息をつきました。
何かの役に立てば良いのですが、場合によっては役立たずで会った時に、期待外れになります。
こんな意味を含めて役に立たないものを「馬の骨」と表現するのです。
馬の骨は罵りの言葉
ここまで「馬の骨」に関する意味を書いてきましたが、中国のことわざにあったように、大きくても何の役にもたたないものである、つまりは簡単に捨てることもできない困ったものという意味です。
日本でも、気が利かない人、役に立たない人のことを「木偶の坊(でくのぼう)」と表現します。
「木偶の坊」とは平安時代の木彫りの操り人形のことで、手足がない木の棒のような形をしていたので、言われたことはするが役立たずという意味で、その人を罵っている表現なのです。
同じように「うどの大木」「大男の見掛け倒し」という罵りの言葉もありますが、どちらも大きいだけで普通の生活においては何の役にも立たないと蔑んで嘲笑する言葉です。
「馬の骨」も役に立たないことで腹が立っている怒りの表現も含めた罵りの言葉になっています。
この言葉を使われると、まったく期待外れで唖然とされていることを表しているのです。
きつい言葉なのです。
️馬の骨の由来
「どこの馬の骨ともわからない・・・」と続く表現の中の「馬の骨」とは、素性が分からない者を罵っていう言葉なのです。
すると、罵って言う言葉に、なぜ「馬」を使うのでしょうか?他の動物ではダメなのでしょうか?
まず、「骨」という言葉には、単に動物にあるカルシウムでできたもので、身体を支えたり内臓や心臓を守るためのものだけではないのです。
日本人が考える「骨」には、「気骨」(強い信念を持った何ごとにも屈しない気質)という言葉のように骨だけではなく人間性を指す意味もあるのです。
だから、「馬の」と区別しているのは、人間の骨ではないことを強調しています。
中国では馬以外には、実は「牛の骨」という表現もあったのです。
「馬の骨」と同じ意味で使われていたのです。
馬も牛も人間の生活には必要な動物で、親しみもあったようです。
中国では、奏の国を滅亡に導いた悪名高い悪臣と言われた趙高が、皇帝に「馬」と言って「鹿」を献上しました。
趙高は強い権力を持っていたので誰も「鹿」だとは言えなくて、「鹿をさして馬となす」と「史記」に故事が残されています。
鎌倉時代に「無知」を意味する「バカ」が使われていて、中国の故事の「馬鹿」が当てられたようです。
この動物も「馬」が登場することから、馬鹿のような人間の骨とも重なったようです。
素性が分からない役立たずな性格の人間という意味で定着したようです。
いつごろからある言葉なのか?
「馬の骨」と同じ意味で「牛の骨」という言葉が使われていたのは、1600年代~1700年代の江戸時代からと考えられます。
当時、生活に身近な牛や馬がいたことから、この言葉も定着したのでしょう。
ただ、牛よりは馬の骨の方がインパクトが強く庶民に定着したと推測されます。
なぜ馬なのか?
「どこの馬の骨か分からない」という意味は、どこから来たのか、またその人の素性が分からない、という疑いの気持ちを表しています。
つまり、どこかにずっと定着していて、みんなもよく知っているという人ではなさそうです。
つまり風来坊のような感じで、どこからともなくやってきた人というイメージです。
遠いところからでも容易にやって来れるということは、足の遅い牛や地元で暮らす犬や猫とは違う、行動範囲が広い人間とも考えられます。
すると、牛よりも行動範囲が広い馬の方が合っていると思われます。
だから、牛よりも馬の方が神出鬼没なところがふさわしいように思えるのです。
牛の骨とも言われていた
1600年代には、「馬の骨」と同様の意味で「牛の骨」も使われていました。
ただ、牛よりも馬の方が威勢も良くインパクトがあるので、「馬の骨」の方が定着したのではないでしょうか。
なぜ骨なのか?
「骨」というのは、日本人にとっては単なる人体の骨格を形成しているだけのものではなくて、人格のことも表すようです。
「骨」という漢字には、「人柄」や「からだ」というように人全体を意味することもあるのです。
「馬の骨」という言葉の「骨」の意味も、人間という意味を帯びた言葉なのです。
馬の骨の使い方
「馬の骨」という言葉の使い方についてまとめてみました。
例文とともにチェック!
「馬の骨」を使用した例文を書いてみました。
「どこの馬の骨か分からない奴」
自分がまったく知らない人や面識がない人、そんな人が急に目の前に現れて、自分に対して何かの了解を取ろうとしている時に発する言葉です。
これまでに、何度か出会っていたとか、既に紹介してもらったことがあるなど、少しでもその人の人となりが分かるならまだしも、まったく初めてで判断のしようがない時に「どこの馬の骨か分からない奴に任せられるか」と拒否反応を示すのです。
つまり、信じられる人かどうかも判断できない状態なので、有無をいわせず拒否しているのです。
昔は、お見合いが主流だったころに、娘さんがある素敵な男性と出会って密かに恋愛をして、その人と結婚の約束をしました。
そこで彼氏が結婚の承諾を得ようと彼女の父親に会いに行きました。
そして、彼氏が父親に向かって「娘さんをお嫁にください」と申し入れをしたところ、「どこの馬の骨か分からない奴に渡せるものか」と怒ったそうです。
大事な娘を、素性の知れない男に嫁にやらせない、という怒りだったのです。
亭主関白でお父さんの権力が強い時代では、まずは恋愛中に俺に紹介しておけということです。
股、以前に紹介してもらっていたが、まっとうな仕事にも就いていないしギャンブルも好きなことが分かっている時には、「どこの馬の骨か分からない奴」という表現もして結婚を認めない時もあるようです。
ともかく、娘にはふさわしくないと判断する時のキメゼリフなのです。
「どこの馬の骨だか知れない奴」
どんな人かと不安になっていろいろと調べてみたが、それでもよく分からない時の表現です。
ある中小企業の社長さんが、会社も軌道に乗ってきたので、仕事を拡充することにしました。
事務員も営業マンも増やして頑張っています。
知人の紹介で中途採用したある営業マンは、仕事も真面目に一生懸命することは分かっています。
ある程度の能力も持っていることも分かっています。
しかし、忙しくなったからと言って大事な得意先を彼に任せることを躊躇しているのです。
家族のことや両親のこと、これまでの生い立ちがハッキリ分からないのです。
そんな話は一切拒んでいるのです。
ある日、営業部長から「あいつに大事な得意先を任せても良いでしょうか」との問いかけがあった時に、社長は「どこの馬の骨だか知れない奴にはまだ任せられない」と拒否したのでした。
謎が多い時にはこんな表現をするのです。
「彼はいったいどこの馬の骨でしょうか」
初めて顔を合わせた人だが、何だか随分物知りのように見えます。
しかも、英語とフランス語も得意で、欧米の旅行者とも笑顔で話しをしています。
地方の小さな町の観光案内所で働く人は、外国語が得意な人が少ないのです。
最近は海外からの旅行者が増えたために、外国人の訪問が増えて困っていたのです。
その時に、最近この町に移住してきた中年男性は、観光案内所の職員とも顔なじみになって、困った時に通訳をしてもらっています。
職員たちは「彼はいったいどこの馬の骨でしょう」と不思議がるのです。
このように、何だか役に立ちそうだが素性がよく分からない、という時にも使う文章です。
「自分に被害を与えた馬の骨」
ある会社の営業会議で、「今年はみんなのおかげで目標が達成できそうだ。
あと1ヶ月頑張ってくれ」と社長が喜んで挨拶しました。
目標が達成できると待望のボーナスが出るそうです。
そんな時に、得意先から大きなクレームが来たのです。
納品していた商品の大部分が不良品であったので、返品を受けて新品と交換することになったのです。
たちまち利益は吹っ飛んで赤字に転落です。
仲間から「原因はあいつだ!我々に被害を与えた馬の骨だ」と憤るのです。
とんだ「馬の骨」だったのです。
馬の骨の使い方まとめ
「馬の骨」という時には、決して認められないという強い拒否の意思を持った時です。
生半可な意思表示ではなくて、ハッキリした感情を込めているのです。
その人のことを蔑んだり侮辱したリしているのです。
️馬の骨と言われるシチュエーション
「馬の骨」と揶揄される時は、自分がふさわしくないか認められていないことを表していることを知ってください。
拒否されているとか馬鹿にされていると考えると、分かりやすいと思います。
いずれにせよ、言われた方は気分が良いはずはありません。
グッと我慢するのみです。
自分に能力や実績があるなら、この言葉を浴びせられながらも、「今に見ていろ」と自分を奮い立たせることもできるのです。
結婚前のご挨拶にて
ある人のお嬢さんと恋愛をして、ふたりで結婚の約束をしたのです。
お互いを愛し合い、将来を見越して貯蓄もしっかりしているのです。
そして、良い日にお父さんに挨拶に出かけるのです。
初対面ですが、挨拶の後に「お嬢さんをお嫁にください。お願い致します。」と頭を下げたのです。
しかし、それまではニコニコしていた父親は急変して「どこの馬の骨か分からん奴と結婚させん」と拒否されてしまったのです。
その後は、何を言っても「知らん!」とだけで話しが進みません。
結婚前のご挨拶でこれを言われると、出直すしかないようです。
見知らぬ人の存在に対して
息子はある私立中学校でサッカー選手として熱心に部活をしています。
監督はもとJ2リーグのチームのレギュラー選手で、この人が熱心に指導しているのです。
そのせいか、このチームは市内の大会でも何回も優勝経験があって、優勝の常連校とも言われています。
しかし、最近ある公立中学校のチームが実力を発揮してきたのです。
最近は市内での成績も断トツで、優勝争いに加わったのです。
これまではまったく相手にしなかったのに、練習試合でも接戦になったのです。
そのことを息子から聞いたわたしは、息子のチームの監督に「そのチームの監督はどこの馬の骨だ」と聞いたのでした。
急に脚光を浴びる不吉な存在に対して、「どこの馬の骨だ」と確認したいのです。
跡継ぎを決めるときに
ある老舗の商店主は、わけあって跡継ぎをすぐに決める必要にせまられました。
かといって息子はまだ小さいし跡継ぎは難しいのです。
その間を埋めるために、他人にでも跡を継いで欲しかったのです。
親戚の人がある人を紹介してきました。
その人の履歴書を見ながら「どこの馬の骨とも分からん奴に、跡継ぎはさせん」と断ったそうです。
老舗のお店の跡継ぎとなると、それなりの素性がハッキリとしていないと継がせられなくなるようです。
仲良くなりたくない人に対して
市の商工会議所主催の異業種交流会に友人と参加しました。
講演会の後に立食パーティーが開催されたのです。
胸に名刺を付けて参加します。
パーティーも中盤に差しかかると、名刺を持って多くの人が挨拶に寄ってきます。
しかし、名刺交換をするのが苦手なのです。
友人がそれを見て、ドンドンと名刺交換すれば、と誘ってくれますが「どこの馬の骨とも分からん奴とは名刺交換しない」と答えるのです。
友人の恋人に対して
街をひとりで歩ていると、カップルの友人とばったり出会ったのです。
可愛い感じの女性で羨ましくなって、彼の耳元で「彼女って、どこの馬の骨?」と聞いてしまいました。
「俺にも、別の馬の骨を紹介しろよ」と催促したのでした。
仕事を人に任せるときに
上司から一言忠告されました。
「パートを採用する時には、どこの馬の骨か良く調べてから採用しろ」とのことでした。
採用してもすぐに辞めたりドタキャンするので困っているのです。
素性を調べてから採用を判断しろとのことです。
仕事を任せるには、どこの馬の骨かが大事なのです。
️馬の骨はとてもネガティブな言葉
「どこの馬の骨?」という時は、その人の人間性に疑問を持っている時に使うのです。
何も問題はないという時には使わないのです。
立派な人格の「馬の骨」はもともと存在しないのです。
いや、たとえ立派な人であっても、その人の素性や功績を知らなければ、やはり「どこの馬の骨だ」となってしまうのです。
このように「馬の骨」という表現は、とてもネガティブな言葉と言えます。
ネガティブだけでなく、同時に蔑んだりけなしたリ罵ったりと、侮辱する言葉なのです。
相手の人格も否定する酷い言葉なのです。
「どこの馬の骨だ」と言われると、「おまえなんかに用はない。目の前からすぐに消えろ」とその続きにこのように言っているのと同じ事なのです。
人格だけでなく、能力などにも触れます。
初心者を集めたサッカー教室で、難しいフリーキックの練習をしていました。
そしてペナルティーキックに挑戦していた時に、誰も思うようにゴールすることができませんでした。
そんな時に急に割り込んできて「わたしにやらせてください」と初めて見た人がコーチに懇願したのです。
真剣な表情で訴えたようですが、側で見ていた監督がコーチにひと言「どこの馬の骨だ」と聞いたそうです。
素性も能力も未知数で、あれだけ自信を持っているので不思議に思ったようなのです。
しかも、綺麗にキックしてゴールすると、さらに驚いて「あいつはどこの馬の骨だ」となるのです。
容易く使わないように注意して
この「馬の骨」という言葉は、あまり女性が話す言葉ではないようです。
どちらかと言うと、聞く耳もたないような頑固な性格の男性が話す言葉のような気がします。
自分の狭い知識をもとに、面倒なことには携わらないという気持ちから、断る時に出る言葉です。
しかも、相手を恫喝して怯えさせる意味もあるのです。
年下や弱者に向かって放つ言葉なのです。
上司や目上の人には、面と向かっては言えないのです。
もしも、その人が自分よりも能力があると分かったら、跡を継がせないように、要領よく拒否する言葉なのです。
だから、部下や弱者に向かって、容易く使ってはいけないのです。
この言葉を容易く使ってしまうと、その後は正常な会話ができなくなってしまうからです。
前向きな話しが進まなくなるのです。
️馬の骨の由来におどろき!
「馬の骨」の由来は、中国のことわざの「一に鶏肋、二に馬骨」という役に立たないものを表したものです。
中国では、古来から鶏と馬はなくてはならない家畜でした。
だから余計にうまく活用しようと考えていたのです。
肉や臓器は利用できても、最後の骨は食べられないので捨てるしかなかったのです。
鶏の骨は簡単に処分できますが、馬の骨は捨てるのも面倒だったようです。
そんな役に立たないものの代表が鶏肋と馬骨だったのです。
そこに居ても居なくても同じ、むしろ居る方が厄介な存在として認識される人のことを「馬の骨」と称して嫌がったのです。
もしも、「おまえはどこの馬の骨だ」と言われたら、しっかりと自己PRをして少しでも信頼されるように努めなければなりません。
信念を持ってその人に対応するのです。
そして信頼されるようになったら、「おまえは気骨のある男だ」となるのです。
「馬の骨」から「気骨」までの道のりは辛いのですが、頑張って見直してもらうしかないのですね。