弱っている人に対して「あきらめないで!」と声をかけることは簡単です。

自分が代わりにすることがない時には、「頑張って!あきらめないで!」なんて、大きな声で激励することはできます。

しかし、声をかけた相手が非常に苦しい状態であることは分かっています。

あちこちで開催されているフルマラソンもそうです。

仲間が挑戦するという時に、沿道で大きな声で激励します。

フルマラソンをそれほど走った経験がない人は、30キロも走ると足腰に相当ガタが来て、脚が痛くなって立ち止まってしまったりするものです。

有名なマラソンでは、タレントや著名人も走るので、テレビ取材が入ったりして走りながらインタビューを受けていることもあります。

沿道に詰めかけた応援団の人から「もう少しよ!あきらめないで!」と声が飛ぶわけです。

走っている当の本人は、脚の痛みで表情も歪んでいたり泣きそうになっていたり、ここで棄権して帰りたいと言わんばかりです。

このように、もう少しで目標をクリアする寸前まで来ていると、周りにいる人達はつい「ここまで頑張ったのだから、あきらめるな!」という気持ちになってしまうのです。

マラソンだけではありません。

人生のいろんなシーンで、あと一息というところに来ていて停滞してしまうことがよくあるのです。

今まで来たペースで行けば、きっと上手く達成できたのにと悔やんでしまう結果になることもあるようです。

この文章を呼んでいる人も、自分でも思い当たることがきっとあるはずです。

でも、それが思うように行かないところが人生なのです。

あと一息という時の壁を「試練」という人もいます。

わたしたちの人生には、時としてこの「試練」が立ちはだかることがあるのです。

大学受験の試練、就職試験の試練、入社してからの試練、新しい恋愛を始めた時の試練などなど、大小いくつもの試練が待ち構えているのです。

その様々なシーンできっと誰かに「あきらめないで」と声をかけられたか、「あきらめるものか」「きっとできる」と自分で自分を励ましたりしたはずです。

あきらめかけてる…その夢「あきらめないで!」

「あきらめる」とは、漢字で書くと「諦める」「明らめる」となります。

「諦める」とはみなさんがよく知っているように、何かの目標を達成することを止める、途中で投げ出すというネガティブな気持ちを表現する言葉です。

別の言い方をするなら、「放棄」「断念」「ギブアップ」というネガティブなイメージの言葉です。

「あいつは、すぐにあきらめる」などと言われると、「我慢できない」「根気がない」さらには「やる気がない」などと批判される言葉でもあるのです。

あきらめるとは、本当にいけないことなのでしょうか?

先ほど「あきらめる」を漢字で書くと「明らめる」という表現もあると書きました。

「明るい」という漢字を使うということは、何か良いことを表す言葉ではないのかと思い、語源を調べてみました。

「諦める」は「明らめる」という仏教用語で、①事情や理由を明らかにする、はっきりさせる、②心を明るく楽しくする、気持ちを晴れやかにする、という意味のようです。

つまり、仏教教義上の「諦」の誤った慣用句になって、負の意味に誤用されているようです。

だから、「真相を諦める」(真相を明らかにする)という使い方もできるようです。

「諦める」という言葉に「断念する」とか「放棄する」というマイナスの意味がついたのは歴史的にはごく最近のことで、明治期以降の使い方のようなのです。

それまでは、逆にポジティブな意味で使用されていたとは驚きです。

ということは、諦めるということは仕方なく断念するという概念ではなくて、前向きに生きていくために物事の本質を見定めて、自分にとって必要なものを「見極める」「選択する」という意味なのです。

人生を生きていくための「取捨選択」なのです。

大切なことは目的であって、方法ではないということです。

本来「諦める」とは逃げ出すことではなくて、不要な方法は勇気をもって諦めて、選んだ選択を受け入れることなのです。

このような難しい解釈は横に置いておいて、現代では目的を達成するために頑張っている人に対しての、激励の言葉となっています。

「苦しいことにつまずく時も、きっと上手に越えていける」という歌詞が記憶に残る歌手岡村孝子の「夢をあきらめないで」(1987年2月発売)という歌は、高校野球の高校球児たちのアンケート調査で第一位に選ばれました。

夢をあきらめないでと願う応援歌としても人気で、音楽の教科書に掲載されたり、一時は卒業シーズンの定番曲にもなったようです。

「あきらめないで!」とは、必死に夢を追いかけている人に対する、激励の応援メッセージになっているのです。

夢に向かって挑戦すべき10個の理由

夢を持って追いかけることは素晴らしいことです。

そして、何かに挑戦する姿も、頼もしく見えるものです。

「わたしは今やりたいことはただひとつ」「何かの資格を取りたい」「身体が元気になったらまた続けたい」など、夢の形はいろいろとありますが、挑戦したいと思ったら頑張ってやるべきです。

しかし、挑戦者にとってはリスクを伴います。

「もし、失敗してしまったらどうなるのかな?」「これは絶対に失敗できないぞ」「他の方法も考えるべきかな?」「慎重に考えた方がいいかな?」など、失敗した時のリスクを想定すると躊躇してしまうことが多いのです。

仲間の誰かが追い打ちをかけるように「この挑戦が失敗すると、何もかも失うぞ!」と脅しというか忠告すると「やっぱり無理に頑張らずに、今回はあきらめよう」と挑戦を諦めることになるのです。

しかし、思いついたことに向かって挑戦するということは、大事なことです。

「失敗」という言葉に恐れているのです。

そもそも挑戦している人にとっては、実は失敗なんて言葉は存在しないのです。

周りで見ている人にとって失敗だと思われることでも、挑戦者にとっては単なる結果や経験ということで、それは挑戦者の財産として蓄積されるのです。

挑戦者にとっては、失敗はないのです。

1.失敗は経験となるから


「失敗」という言葉は、嫌な言葉です。

失敗したとなると、人間性そのものを否定されているようで、ほとんどの人は失敗をしたくないと考えているはずです。

なぜなら、失敗をすると恥をかくからです。

「あいつは、見事に失敗したみたいだ」とみんなが後ろ指を差して笑うからです。

みんなに笑われるのが嫌で嫌で、恥をかいて笑われるくらいなら、十分ではないが無難に済ませておこうとなってしまうのです。

しかし、よくよく考えてみると、後世に天才だと言われるような偉人は、みんなとんでもない失敗を繰り返していることが多いのです。

あの発明王と言われるトーマス・エジソンだって自分のことを「わたしは今までに一度も失敗をしたことがない。

電球が光らないという発見を、今まで二万回したのだ」と言っています。

電球を光らせようと実験をした過程で、光らなかった実験は失敗ではなくて、それも発見であるという考えです。

普通の人は、それを失敗したと思うのですが、エジソンはそうではありません。

ある方法で実験をしたが光らなかったという事実は、経験だと考えているのです。

そして、その経験をいくつも重ねて行くうちに、どうしたら光ったかという発見もあったということです。

普通の人が考える「失敗」は、非凡な人によるとそれも貴重な経験なのです。

非凡な人には「失敗」という結果は存在しないのです。

失敗はすべて貴重な経験なのです。

失敗は成功のもと

平凡な人は、失敗することを恐れるので、何かにチャレンジすることはありません。

だから、「わたしは一度も失敗したことがない」という人は、一度も新しいことに挑戦したことがない人なのです。

無難な生き方しかしない人なのです。

失敗から学ぶことも多いので、社会に出ると失敗を恐れずに、目の前の何かにチャレンジすることが大切です。

そして失敗しても、その失敗にどう対処するかが重要です。

単純な失敗ばかり繰り返すと論外ですが、失敗という経験に落胆することなく、その経験をもとに挑戦を繰り返すことです。

失敗から学ぶことで、成功へと繋がるのです。

失敗は成功のもとなのです。

2.努力は報われるから


人生で成功した人が好きな言葉は「努力は必ず報われる」です。

成功者が口にする定番の決まり文句なのです。

何かを頑張っている人が、その辛さに耐えかねて投げ出そうとしている時に、その人に「あきらめないで」と激励します。

そしてその後に「努力はきっと報われるから、あきらめないで」と勇気づけるのです。

頑張って努力をすれば報われると思うと、とても勇気づけられてパワーが満ちて来るのです。

でも本当に、努力は報われるのでしょうか?

しかし、成功した人は自分が経験したことだから堂々と言えるのですが、まだ成功していない人にとっては百パーセント信じることはできないのです。

残念ながら、努力は必ず報われるとは限らないのです。

死に物狂いで頑張っても、報われずに終わることも多いのです。

努力は、必ず報われるとは限らないけれども、努力した事実と経験は消えることがないのです。

この経験を積み重ねることによって、いずれ報われることになるのです。

ということは、努力はいずれ報われるということです。

頑張りを誰かは見てくれている

誰もが期待するような成果が得られなくても、努力している頑張りは誰かが見てくれているのです。

会社で一生懸命に仕事をしていると、上司も仲間も実はしっかりと見ているのです。

ちょっと手を抜いたりごまかしたりしていることも、しっかりと見られているのです。

その時にはたまたま見られていなくても、他の出来事と重ね合わせると、見えないところでもしっかりと頑張っていたことが明らかになることもあるのです。

おもしろい経験としては、わたしが担当する部署の社員の評価をつける時に、関係のない別の部署の課長に社員の評価をためしに聞いてみると、なんとわたしが考えている通りの評価になったのです。

その評価の根拠と言うと、社員食堂での話し方や行動の様子、仲間との会話の状況、趣味の取り組み方、身だしなみなどを目にしていると、自ずと評価が決まってくるようなのです。

ちょっとした頑張りも、ちゃんと見ているようなのです。

自分の部下でもないのに、頑張る様子を見ているということなのです。

アルバイト先でも同様です。

手抜きするバイトもいれば、まじめに頑張っているバイトもいます。

誰かが見ているのです。

3.自分のことが好きになれるから

失敗を恐れずに何かに挑戦することは、多くの経験を積むということでもあります。

当初の目的を達することが出来なくても、それ以外のことで多くの知識も手に入れているはずです。

挑戦をした人達の気持ちとしては、なぜか同じような考えを持っているようです。

すなわち、「自分なりに思いっきり頑張ったので悔いはない」「悔しいこともあるけれども、充実していて楽しい」というような考えです。

つまり、何かを頑張って挑戦し続けると、心が充実してきて爽やかになる、楽しくなるのです。

失敗を恐れなくなって、むしろ頑張ってきた自分を好きになれるのです。

他の人ができない挑戦を成し遂げたことを誇りに思うようになるのです。

がんばる自分を好きになる

今までに、いろんな人が頑張っている姿を見ることがありました。

あんなに頑張っているけれども、どんな気持ちなのだろう、と不思議に思ったこともありました。

頑張り続けることによって、科学的には脳からドーパミンという物質が放出されます。

苦しい中にも達成感や幸福を感じる物質なのです。

失敗とか成功とかに関係なく、努力を続けることでドーパミンが放出されて、またやる気が出てくるのです。

頑張っている自分を好きになってしまうのです。

4.何がチャンスに繋がるかわからないから

失敗や挫折を経験すると、自分の描く夢が遠くに離れていくように感じるものです。

やはり無理だったのかと、落胆してしまうのです。

何を考えても、ネガティブ思考が働いて、よいアイデアも浮かんできません。

受験に失敗した、就活に失敗した、好きな人に振られてしまった、などピンチが訪れるのです。

しかし、自分ではピンチだと思っていても、他の人から見ると「そんなものはピンチじゃあない!」と軽く一蹴される時があります。

むかしから、「ピンチはチャンスだ!」ということわざがあります。

考え方を変えると、チャンスでもあることが分かるのです。

どんな些細なこともチャンスに変える

ピンチに陥ったり困ったことが起こっても、物事をもっとポジティブに考えてみること(逆転思考)によって、ストレスも大幅に減ってチャンスに変えることもできます。

ちょっとばかり好きな人に振られたと言っても、人生が真っ暗になることはありません。

実は、あなたにとって、前の相手よりももっと素敵な相手を見つけるチャンスが訪れるかも知れません。

新しいお相手を探すキッカケにもなるのです。

受験も就活も、いろいろとチャレンジすることは、これからの人生に大いに役立つのです。

人生で成功した人の多くは、若い時に挫折を何度も経験したのです。

あきらめないで頑張れば、いずれチャンスが巡って来るのです。