思いもよらない出来事に遭遇してびっくりしたり、この上なく驚いたりした時に、「呆然としてしまった」などと表現することがあります。

驚いた時には、「呆然」「唖然」「驚愕」などの言葉が使われることが多いですが、これらの言葉の違いや使い分けについて、しっかりと理解できているという人は、意外と多くはないでしょう。

何となくのニュアンスで使い分けることも多いですが、この機会にそれぞれの違いや使い方についてきちんとマスターしておきましょう!

呆然とは

「呆然」とは、「呆気にとられているさま」や「気抜けしてぼんやりしているさま」などの意味があります。

あまりに驚いてしまった時、人は一瞬頭が真っ白になってしまいます。

何も考えられずにぼんやりしてしまって、少ししてからやっとまともに頭が働くようになるため、その様子をまさに「呆然」と表現するのでしょう。

例えば家に帰ったら知らない人が勝手に上がり込んでいるのに遭遇した時や、仕事で思いもよらないミスが発覚してしまった時、旧友との突然の別れなど、当人が心底思いもよらないことが起こった時には、思わず呆然としてしまうことがあるでしょう。

予想もしないことに出会って呆気にとられるさま

人は予想もしないことに出会った時、呆気にとられてしまいます。

例えば会社の同僚同士であれこれとお喋りをしている時に、自分には関係ないと話に耳を傾けずに、自分の作業だけに集中していたら、突然「あなたもそう思うでしょう?」と問いかけられて呆気にとられてしまうことがあります。

呆気にとられた瞬間には、何も反応することができませんが、少しして周りの反応などから、それとなく作り笑顔で話を合わせることでしょう。

また、例えば家に帰り何気なくリビングに入ったところ、親のいちゃついている姿や兄弟が恋人と仲睦まじくしているところを見てしまった時などにも、一瞬呆気にとられてしまうことがあるでしょう。

予想だにしない出会いに呆気にとられてしまった時、ほとんどの人は目を見開いて驚きそのまま固まってしまうでしょう。

また、感情表現が少ない人でも、表情が止まってしまうことがあり、誰が見ても「ものすごく驚いている姿」であることがありありと伝わってくることでしょう。

呆れ果ててものも言えないさま

「呆然」には、呆れ果ててものも言えないさまという意味もあります。

突然の出来事にびっくりするのではなく、あまりにも露骨な態度や非常識な言動を堂々とする人に対して、怒りを通り越して呆れ果ててしまった時などにも、「呆然としてしまった」と表現することがあります。

例えば店内で子どもが好き勝手に動き回り、商品を落としたり壊したりしてしまっているのに対し、子どもの親が叱るでもなく素知らぬ顔で無視をしていれば、当然店員は商品の弁償を親に求めるでしょう。

それに対し親が「子どものすることだから仕方がないし、そもそも商品を落としやすいように配置していた店が悪い。

」と厚顔無恥も甚だしい開き直りを見せたとしたら、店員はいっそ呆れ果ててものも言えなくなってしまうことでしょう。

また、公共の場で堂々とマナー違反をしている人に対して誰かがそれを指摘した時に、「お前には関係ないだろう!」と開き直って罵声を浴びせるような人に対しても、周りの人たちは呆れ果てて何も言えなくなってしまうでしょう。

呆れ果てるとは、相手に対する怒りや期待など、さまざまな感情をすべて諦めてしまうといった意味もありますので、まったく手がつけられないものに対して呆然としてしまうといった意味があるでしょう。

気抜けしたようにぼんやりするさま


「呆然」は、その漢字からも何となく想像がつくように、気抜けしたようにぼんやりするさまといった意味もあります。

気抜けしてぼんやりしている理由は、言葉も出ないほど驚いていることが多いですが、場合によっては驚きとはまた少し違った理由から、何も考えることが出来ずに頭が真っ白になってしまっていることもあります。

気が抜けてぼんやりとしている時は、周りから何を話しかけられてもそれがまともに頭に入らないことも多いですし、一方で話しかけられたことによって、気抜けからハッと覚醒することもあるでしょう。

いずれにしても、キャパシティオーバーの状態になってしまった時に、呆然としてしまうことが多いです。

驚きのあまり言葉を失った様子


人はあまりに驚き過ぎてしまった時には、言葉を失ってしまうことがあります。

人が本当に恐ろしいものに遭遇した時や、恐怖体験をした時には悲鳴が上がらないという話をよく聞きますが、その恐怖の感情も、驚きの感情によるものが大きいため、「呆然」と通じるものがあるでしょう。

本当に心底から驚いた時には頭が真っ白になりますので、ろくに話す言葉も思いつかないことでしょう。

言葉が思いつかなければ、口からは言葉が出てくることはありませんので、言葉を失ってしまう状態になってしまいます。

呆然の類語や関連語

「呆然」は、呆気に取られたり、気抜けしてぼんやりしていたりするさまを意味します。

他にも驚くという意味で「唖然」や「驚愕」などの言葉もありますが、呆然には類語や関連語もいくつか存在しています。

もし他の言葉で呆然を表わす際には、これからご紹介する類語や関連語を参考にしてみても良いかもしれませんね。

以下に「呆然」の類語や関連語をご紹介していきます。

類語

類語とは、一言語体系の語彙の中で、互いによく似た意味を持つ2つ以上の単語のことで、類義語と同じです。

いかにもよく似た意味の類語もあれば、言葉自体は一見元の語とは関係がないものの、その言葉に含まれる意味は元の語とよく似ているものもあります。

「呆然」が呆気にとられることや、気抜けしてぼんやりしているさまであるのなら、類語もそれらの意味を持った言葉になります。

「呆然」の類語を、四文字熟語やことわざなどでご紹介していきます。

茫然自失

「茫然自失」とは、「呆気にとられて我を忘れてしまうさま」です。

例えばいつも通り通勤電車に乗っている時に、見知らぬ異性からいきなり連絡先の書かれた紙を渡されたら、その瞬間は呆気にとられてしまいますよね。

「えっ?」と一瞬頭が真っ白になってしまうため、その瞬間は我を忘れてしまうでしょう。

それから少しして、異性からアプローチをされたのだと理解できて、一気に嬉しくなったり、恥ずかしくなったりするでしょう。

当たり前の日常生活の中で、普段は起こりえないような突然の出来事があると、その瞬間には誰もが呆然としてしまいます。

その呆然とした状態を、茫然自失と表現することもできます。

茫然自失という言葉自体は、口にする機会はそこまで多くはないでしょう。

どちらかと言えば、「〇〇のことがあり、茫然自失になった。」など、文章として表されることの方が多いです。

肝を潰す

「肝を潰す」と聞くと、肝が潰れるくらいに不安になるといった意味を想像する人もいるでしょう。

実際には、肝を潰すとは「びっくり仰天する」ことや、「非常に驚く」といった意味があります。

例えば怖いのが苦手な人が、お化け屋敷に入ればまさに肝を潰すほどに驚くことでしょう。

また、例えば友人からドッキリをしかけられて非常に驚いたり、思いもよらない出来事が突然起こった時にそれにびっくり仰天したりと、まるで心臓が潰れてしまうのではないかと思うほどに驚いた時に、肝を潰すという表現をします。

非常に驚いた人が、時々「肝が潰れるかと思った~」と使うことがあるように、肝を潰すという表現は昔から私たちにとっては馴染み深いことわざでもあります。

開いた口がふさがらない

「開いた口が塞がらない」とは、「呆れ果てて茫然自失の状態」や「呆気にとられるさま」です。

意味は「呆然」とよく似ていますので、「開いた口が塞がらなかった」などと日常生活の中でもそれなりに使われる機会は多いです。

言葉にして「開いた口が塞がらないわ~」と言うこともあれば、小説などの文章で「〇〇のあまりの傍若無人振りに、空いた口が塞がらなかった。」などと表現されることもあります。

言葉がでない

言葉がでないとは、そのままのことです。

「呆然」の意味が、驚き過ぎて言葉も出なくなるというものですので、それをストレートに表現した類語が「言葉がでない」です。

驚き過ぎた時や、いっそ呆れてしまうようなことがあった時、何とも言うことができない精神状態を示す際に「言葉がでない」と使うことがあります。

例えばだらしのない友人に何度注意してもまったく聞かずに、さらに何かしらのトラブルを引き起こしてしまった時に、それに怒るよりもいっそ呆れてしまって、言葉がでない状態になってしまうことがあるでしょう。

また、仕事に対する姿勢がいい加減でミスが多い同僚が、上司の前でだけできるふりをして、実際には他の同僚に仕事の尻拭いをさせたり、仕事を押し付けたりしていたら、最初こそそれをいちいち注意していた周りの人たちも、いつしか呆れて言葉もでない状態になってしまうことがあるでしょう。

このように、「言葉がでない」という表現は、単に驚いた時だけでなく、怒りや諦め、呆れなどの感情からも表現することがあります。

放心状態

「放心状態」とは、「茫然としていること」や「ぼーっとしていること」「放心しているさま」などの意味があります。

「放心」が「他のことに気をとられてぼんやりしていること」や「何も考えずにいること」「心にかけないこと」などの意味を持ちますので、要するに他者から見てぼんやりとしてしまっているさまが放心状態と言えるでしょう。

よく「心ここにあらず」という言葉が使われますが、放心状態はまさに心が今この場にないかのように思える様子を表わしています。

絵で描かれる時には、ぽっかりと口を開けて、目は虚空を見上げていかにも心がない様子が多く、誰が見ても放心状態だということが分かります。

何かとてもショックなことがあって頭が真っ白になってしまった時や、驚き過ぎて何も考えられなくなってしまった時などに、放心状態になることがあります。

とはいえ、非常に驚いた場合には驚きは一瞬だけのことが多いため、放心状態にまでなる場合は、単純な驚き以上に何かショックなことがあることが多いでしょう。

例えば会社をリストラされたり、大好きな恋人にフラれたりと、一瞬頭の中の考えが一切追いつかないような状態になってしまった時に、人はまさに放心状態となってしまうのでしょう。

関連語

関連語は、ある言葉と関連した言葉や用語、関連性のあるキーワードなどの意味があります。

例えばバナナであれば「黄色い」「フルーツ」などが関連語であり、「南国」「甘い」などは連想される言葉となります。

連想はある言葉から想像されるものですが、関連語の場合には、もとの言葉と直接関連する言葉であったり、キーワードとなったりしていますので、類語ともよく似ているでしょう。

では、「呆然」の関連語にはどのようなものがあるのでしょうか?以下にご紹介していきます。

びっくり仰天

「びっくり仰天」とは、「非常に驚くこと」です。

「呆然」と同じように、大層驚いた時にする表現ですが、こちらの表現の方が少々コミカルで笑いを含んでいますので、純粋に大きな驚きの感情に襲われた時に使うことが多いです。

例えば男性だと思っていた人物が実は女性だったり、予想していたよりもボーナスが多く支給されていたり、友達が実は自分の身内のことが好きなのだと打ち明けてきたりと、あらゆる「とんでもなくびっくりする」ような状況に出会った時に、思わずびっくり仰天してしまうことが多いです。

一方の「呆然」は、怒りを通り越しての諦めの感情や、強いショックを受けた衝撃で言葉を失うなどの意味を含んでいますので、単純な驚きの感情だけでなく、他の意味合いでも使われることがあります。

絶句

「絶句」とは、「話や演説の途中で言葉に詰まること」また「役者が台詞を忘れてつかえること」などの意味があります。

よく「思わず絶句する」という表現をされることがありますが、これは単に「驚き過ぎて言葉を失う」というわけではありません。

「絶句」を「言葉を失うほどに驚くこと」と誤った覚え方をしている人の場合、何も話をしていないのに驚いた時の表現で「絶句した」と使ってしまうことがあります。

しかし「絶句」の元々の意味は話しの途中で言葉に詰まることですので、何も話していない状況であれば、「絶句」を使うのは間違いでしょう。

例えば何か話をしている途中で突然の知らせに驚いて言葉に詰まってしまった時には、「思わず絶句してしまった」と表現することができます。

立ちすくむ

「立ちすくむ」とは、「驚きや恐怖で身動きが取れなくなり、立ち続けること」や「立ったまま動けなくなること」です。

怖い話の中では、よく「恐怖に立ちすくむ」という表現を聞くことがありますが、まさに恐ろしい出来事から身動きが取れなくなり、金縛りのようになって立ち続けてしまう時にこのような表現をします。

また、「呆然と立ち尽くす」という表現もよく使うことがあるでしょう。

こちらは驚きのあまり、ぼんやりと動けずに立ったままでいる様子を表わす言葉ですので、恐怖による立ちすくみとは意味が異なります。

「立ちすくむ」という言葉だけでも驚きや恐怖の感情を表現していますが、どんな感情によって立ちすくんでいるのかを付け足すことで、よりその様子が明確になります。

「呆然」と言葉を組み合わせることができるほどに関連の強い言葉です。

「唖然」や「驚愕」との違い

驚いた時の言葉の表現は実にさまざまです。

例えば「呆然」「唖然」「驚愕」「仰天」「びっくり」など、単語だけでもいくかあります。

また驚くさまを表わす慣用句も、「開いた口が塞がらない」「呆気にとられる」「泡を食う」「足もとから鳥が立った」「あっと言わせる」など、他にもたくさんの表現方法があります。

それだけ語や慣用句が豊富ですので、その場の驚きの感情に合わせて使いこなすことができるでしょう。

しかし誰もがすべての驚きの表現を使いこなせているわけではなく、世間一般でごく当たり前に使われている驚きの表現は限られています。

その中でも「びっくり」や「呆然」、そして「唖然」や「驚愕」は特によく使われている言葉です。

「呆然」と「唖然」「驚愕」にはそれぞれどのような意味の違いがあるのでしょうか?

1.唖然とは

「あまりのことに唖然とした」「唖然としてしまった」など、日常的にも驚きの表現として使われることの多い「唖然」。

辞書の意味は「思いがけない出来事に驚き呆れて声も出ないさま」「呆気にとられるさま」です。

驚きを表わす語の1つだけあって、その意味は「呆然」とよく似ています。

とはいえ言葉の響きから、純粋に驚いた時や呆れた時には「唖然」を使い、また何かショックで頭が真っ白になってしまうような驚きがあった時には「呆然」を使うという人も多いでしょう。

意味はよく似ていても、言葉の響きや一般的な使われ方で、場面に合わせて使い方を変えている人は多いです。

思いがけない出来事に驚き呆れて声もでないさま

思いがけない出来事に出会った時、人はその驚きの感情から何も反応が出来なくなってしまうことがあります。

純粋な驚きの感情だけの時には「えっ!」と思わず声が出てしまうことはあっても、そこに呆れの感情が混じると、何の声も出なくなってしまうことでしょう。

例えば今日は「体調が悪いから欠勤する」と言って会社を休んでいたはずの同僚が、近くの店で異性と仲睦まじくデートをしている姿を見てしまったら、一瞬の驚きと、それ以上に呆れの感情とが混じり合い、唖然として何も言えなくなってしまうことでしょう。

この唖然の感情には、嘘をついてデートをしていたという事実に対する怒りや、職場の同僚(自分)に見つかるような場所でのんびりとデートを楽しんでいる迂闊さに対する呆れの感情が混ざっています。

職場が繁忙期で忙しい時であれば、呆れよりも怒りの感情の方が強く、すぐに上司に報告しようと写真を撮るなりして証拠を押さえようとする人もいるでしょう。

一方で自分とはあまり関わりのない相手であれば、呆れの感情の方が強く、その後上司に密告して揉めるのも面倒なので、そのまま見なかったことにするという人もいるでしょう。

唖然にはそのように、驚きと呆れの感情がどちらも交じり合っています。

呆気にとられるさま

呆気にとられるさまという意味は、「呆然」も「唖然」もどちらもまったく同じです。

予想だにしない出来事に遭遇してしまった時には、誰でも一瞬呆気にとられてしまいます。

呆気にとられた瞬間は頭が真っ白になって何も考えられなくなるため、口からも言葉が何も出てこなくなるでしょう。

しかし、呆気にとられるさまはほんの一瞬のことですので、その後しばらくぼんやりとした状態が続くのであれば「呆然」と使うことが多いですし、また一瞬の驚きの後で呆れの感情が強いのなら、「唖然」を使うことの方が多いでしょう。

2.驚愕とは

「驚愕」も驚きの感情を表す言葉ですが、数ある驚きの感情の中でも、特に強い驚きを表現する際にはこの「驚愕」が使われることが多いです。

「驚愕」は、「突然の事件や衝撃的事実に接して酷く驚くこと」です。

辞書の意味からも、「驚愕」という言葉が通常の驚き以上の場面で使われるということが分かるでしょう。

コンビニ強盗や泥棒など、何かの事件に巻き込まれてしまった時や、知人の突然の訃報などがあった時に「驚愕してしまった」と使うことがあるでしょう。

【驚愕の詳しい意味については、こちらの記事もチェック!】

非常に驚くさま

「驚愕」は、普通ではない驚きの時に用いられます。

「仰天」も同じくひっくり返るほどに驚くことがあった時に用いる言葉ですが、「驚愕」の場合は、その驚きの内容が深刻な時にも多く用いられます。

例えば会社が不正をしており、それが露見して急に倒産になって職を失ってしまった時や、身に覚えのないことでいきなり警察から事情聴取を受けた時など、まさに当人が思いもよらない出来事にあった時に驚愕の感情を覚えることがあります。

「驚愕」は日常的に使われる言葉ではありますが、そこまで口に出して使うことはありません。

文章などで自分が驚いたことを後になって表す際には、「〇〇の時は驚愕だった」と用いることが多いでしょう。

とはいえ、口に出したとしても世間一般に知られている言葉ですので、直ぐにその意味は聴き手にも理解されることでしょう。

3.違いを解説

「呆然」と「唖然」そして「驚愕」は、それぞれに意味がよく似ています。

驚きの度合いやその時の状態などによって微妙にニュアンスが異なってきますので、意味を熟知している人は、最もその場面に相応しい言葉を選択して使うことが出来るでしょう。

しかし、なまじ意味がよく似ているため、いまいち場面ごとの言葉の使い分けが分からないという人もいるかもしれません。

とくに外国人にとっては、驚きの感情を表現するのにいくつもの言葉で使い分けることなど、かなり難解に思えることでしょう。

そこで、「呆然」「唖然」「驚愕」の使い分けがやりやすいように、できるだけ分かりやすく意味を以下にまとめました。

いまいち使い分けが分からないという人は、参考にしてみて下さい。

呆然は驚きのあまりぼんやりしてしまう

「呆然」は、驚きのあまりぼんやりしてしまうといった意味が強いです。

それが自分にとってショックなことであれ、嬉しいことであれ、あまりの予想しない出来事に暫し頭が真っ白になって、思考が停止してしまいます。

思考が停止すると何も考えられなくなってしまいますので、しばらくぼんやりとしてしまうでしょう。

例えば優勝できるとは期待していなかった大会で自分の名前が呼ばれた時に、一瞬それが現実のことなのか、本当に優勝したのが自分なのかということが理解出来ずに、呆然とその場に立ちすくんでしまうことがあるように、驚きのあまり時間が止まったようにぼんやりとしてしまう瞬間がある場合には、「呆然」という言葉を使うのが相応しいでしょう。

唖然は驚きのあまり言葉が出せない

「唖然」は、驚きのあまり言葉が出せない時に使います。

例えばマンガや小説の中で、ある日突然見知らぬ世界へと飛ばされてしまった主人公が、目の前に広がる異世界の景色を目にして思わず唖然としてしまう、といった描写がありますが、この場合の唖然も、驚き過ぎて言葉を失ってしまっている状態になります。

人間は頭でさまざまな物事を考えて、それを言葉にしようと脳が指示を出します。

そのため私たちが日頃話している言葉も、意識していなくても実は脳から細かく「こんなことを話せ」と指示が出されている状態なのです。

それがあまりに驚き過ぎてしまった時には、思考が一瞬停止してしまうため、脳から口へと何事かを話す指示を出すことも出来なくなってしまいます。

そのため唖然としている時には、口からも何も言葉は出てこないのです。

驚き過ぎて声が出せないような状況の時には、「唖然」の表現が最も相応しいでしょう。

驚愕は驚いた状態

「呆然」が驚いてぼんやりとしてしまっているさま、そして「唖然」が驚いて声も出せないさまを表わすのなら、「驚愕」は今まさに驚いている状態や、過去に驚いた状態そのものを表わします。

すなわち「驚愕」は驚きからぼんやりとしているさまや、声が出ないさまを表現するわけではありません。

純粋にひどく驚いている状態そのものを意味しています。

そのためとても驚くことがあって、その驚き自体を表現したいのであれば、「呆然」や「唖然」は用いずに、一言「驚愕」と用いることで、どれだけ驚いているのかを相手に伝えることができます。

また、ちょっとした驚きや、ごく普通の驚きの場合には、わざわざ「驚愕」という言葉を用いることはしません。

普通では考えられないほどに驚いてしまった時に用いる言葉ですので、心底驚いたことを相手や周りに伝えたい時にのみ使います。

4.使い方

「呆然」と「唖然」、「驚愕」のそれぞれのニュアンスの違いや細かな意味の違いが分かったところで、次はそれぞれの代表的な使い方について以下にご紹介していきます。

どれも元は驚きの感情を表す言葉ですので、多少ニュアンスの違った使い方をしていたところで、それを不自然に感じる人は少ないかもしれません。

しかし、きちんと言葉の使い分けができている人が聞いた時には、やはり「ん?」と多少の違和感を覚えてしまうかもしれませんので、正しく使い分けられるようにしておくと良いでしょう。

友人の訃報に呆然とした

仲の良い友人の訃報が耳に入った時、その前兆が今までまったくなかったのであれば、「信じられない」という気持ちから、思わず呆然としてしまうことでしょう。

例えばついこの間仲良く遊んだところだったのに、突然交通事故で亡くなってしまったら、悲しみの感情よりも、まずは「嘘だろう」「信じられない」といった気持ちの方が大きく、それが理由となって暫し呆然としてしまうことでしょう。

呆然としてしまう理由がこのような場合には、突然のことに現実を自分自身で受け入れることが出来ずに、思考が停止してぼんやりとしてしまうことがあります。

彼女はその光景に唖然とした

もしも目にする光景が、自分では信じられないようなものだったとしたら、誰しも唖然としてしまうことでしょう。

例えば小さな子どもを連れた親が、子どもに車道側を歩かせて、自分は歩道側でスマホを弄りながら子どものことに全く無関心なさまでいたとしたら、その普通では信じられないような光景に、誰もが唖然としてしまうことでしょう。

親であれば子どもが小さなうちは手を繋いで歩くなり、子どもを歩道側で歩かせるなりするのがごく当たり前の光景でしょう。

しかしそれとはまったく真逆の行動をしており、しかも子どもが危ない状態にも関わらず親が無関心だったとしたら、親や独身の立場に限らず、誰でもその光景には唖然としてしまうことでしょう。

彼の勇気に驚愕した

例えば自分ではとても出来ないような無謀な挑戦を誰かがしたのなら、その勇気には驚愕してしまうことがあるでしょう。

エクストリームスポーツのように、命の危険のあるスポーツに果敢にも挑戦する人や、前人未到の試みをする人など、世の中には時に「命知らず」な人たちがいます。

そうした人たちをもしも身近で目にしたのなら、きっと誰もがその無謀さや勇気に驚愕することでしょう。

違いを理解して使い分けよう

人が驚きの感情を抱いた時、それを分かりやすく表現する方法が「言葉」です。

この言葉選びによって、その人がいったいどんな風に、そしてどれだけ驚いているのかが第三者にも伝わるようになります。

「呆然としてしまった」なら、驚き過ぎてぼんやりしてしまったのだろうし、「唖然とした」のなら、驚きから声も出なかったのだということが分かります。

また、「驚愕した」と言うのなら、それだけ驚きが大きかったのだろうということも容易に想像できるでしょう。

それぞれの驚きの表現は、微妙にニュアンスが異なっています。

そのため使い分けるのは難しいでしょうが、使い分けの方法さえ覚えてしまえば、自在にその場面に合わせて言葉を使い分けることができるでしょう。

自分の感情を相手に理解してもらうためにも、驚きの感情を使い分けられるようになりましょう!