小さい頃に、外国人が数人集まってこちらに歩いて来ると、「外人が来たぞ!外人だ外人だ」と仲間で声をかけあって、なぜか分からないけれども身構えた経験があります。

最近は海外からの旅行客も増えて、様々な国から日本に観光に来たり、あるいは仕事に来たりする人が増えたために、特に気にはならないようです。

外国の人を指して「外人」と言うのは差別用語なのでダメだという話を聞きました。

特に最近は、差別に対して敏感になっているので、このような論争が起きているのかも知れません。

年を取ったおじいちゃんは、やはり「外人」という人が多くいるようです。

つまり戦中派の人にとっては、日本を攻撃して来る外国の部隊の兵隊は「外人」だったのです。

日本人以外の兵隊は、全て「外人部隊」なのです。

「外人」=「日本人を殺しに来る兵隊」のイメージが強いためだったと思います。

だから、幼い頃に「外人には気をつけろ!外人から身を守れ!」と教えられてきたので、怖そうな外国人を見ると「外人」だと表現したのではないでしょうか?

また古い話ですが、1831年にアフリカのフランス領の植民地で大規模な反乱が起こった時に、フランス政府は外国人の志願兵で構成された「外人部隊」を送り込んで、反乱を鎮圧したことがありました。

いろんな国の命知らずの兵隊がフランス政府に雇われていたので、外人部隊は非常に恐れられたのでした。

この部隊の名称は、「外国人部隊」ではなく「外人部隊」でした。

外国人の中でも外人と言うのは、何か特別の存在であったのかも知れません。

命知らずの無法者というイメージでしょうか。

外国人の中でも、荒くれ者というイメージなのです。

こういう話を知っている人達(もう高齢ですが)は、「外人」というのはこのようなイメージの外国人と思っているようです。

最近では、善良な外国の旅行者が増えたために、この人達のことは「外人」とは呼ばずに「外国人」と呼んでいるようです。

ただし、何か犯罪を犯したのが外国人の場合には、やっぱり「外人」の仕業だったのかとも言います。

プロ野球の世界でも、弱小のチームに助っ人として来る外国人のプレーヤーは、彼の強力な腕力に期待しているので、「助っ人外人投手」「今度入団する外人選手は」などと新聞に載ることもあるようです。

「強力な外国人バッター」と書くよりも「強力な外人バッター」と書く方が迫力があるのです。

外人は差別用語になる?その理由は?


「外人」の「外(がい)」について考えてみましょう。

「外」は「ほかの、よその、他の」という意味と、「正式でない、正統でない」などの意味もあります。

「外」を使った熟語は多数ありますが、いずれも外れた、外にある、という意味合いで使われています。

例えば、「法外(ほうがい)」(法に外れていること)、「心外(しんがい)」(思いもよらないこと、不本意なこと)、「言外(げんがい)」(直接言葉としては表現されていないこと)などのように、正式でない、正統でないなどの外れた状態を表す言葉のようなニュアンスなのです。

だから、「外人」というと外国の人というよりも、正統な日本人でない人、日本人の感性から外れている人と、日本人との違いに重点を置いた表現のようです。

日本の国の出身でなく外国出身の人=外国人で、国籍や民族・人種の違いに重点を置く言葉だと思われます。

このように、「外人」は「外国人」の略語ではありますが、語源も現代での使い方にも「外国人」とは異なるニュアンスがあるのです。

では、外人と呼ばれる人の国籍はどこなのでしょうか?「中国人」「韓国人(朝鮮人)」「台湾人」「タイ人」「フィリピン人」などと東洋系の国の人は、それぞれの国名や民族名で呼ばれることが多いのです。

ということは、「外人」とは非東洋系の外国人で、特に白人に対して使用されるようです。

新聞やネットでも、期待外れの外国人選手には「ダメ外人」とか「害人」などと揶揄することもあり、それの意味を知っている外国人は「外人」と呼ばれることに抵抗を持つようになったのです。

「外人」は差別用語だと認識するようになったのです。

そこで、公式用語としては「外国人」と呼んで、差別的用語の「外人」は使用しなくなったようです。

「外国人」はよくて、「外人」は良くない

テレビのトーク番組でも、ゲストとして招かれた芸能人が、つい「あの外人は・・・」などと話した場合には、すぐにレギュラーの出演者が「外国人」と訂正するぐらいシビアに感じています。

差別用語を使用すると反響が大きいので、差別的用語としての「外人」は、使用しないように徹底されています。

理由は差別用語になるから

そもそも、「外人」も「外国人」も日本の国籍を持たない外国から来た人という意味であって、何も差別用語ではありません。

日本国内では、日本人以外のひとはみんな「外人」なのですから。

日本人も海外に出かけると、その国の人から見れば「外人」なのです。

「外人」似も「外国人」にも、差別的な意味はありません。

ほとんどの人は、それらの言葉に差別的な意識は持っていないはずです。

しかし、来日する外国人には様々な国の人がいます。

しかし、東洋系の顔立ちの外国人には、「外人」と呼ぶことは少ないのです。

話している言語を確認すると、「中国人」「韓国人」「タイ人」などと親しみを込めて国籍で分けるようです。

しかし、アメリカ人やフランス人、ドイツ人、イギリス人などの場合は、なぜかひとまとめにして「外人」と呼ぶ人が多いのです。

地方に行くと、外国人と接する機会が少ない人々は、東洋人以外の人達はみんな「外人」と呼んでいたのです。

この習慣は、それぞれの国を尊重しない排他的な言葉だと考えるようになったからです。

日本人とは違う排他的な民族の呼び方だと思って嫌がるのです。

ある地方で、仕事で訪れた外国人が「私はドイツから来ました」と日本語で挨拶したにもかかわらず、「ドイツ人」とは紹介せずに誰にでも「外人」「外人」と紹介したようです。

外国人をひとくくりにして、「外人」と呼ばれることに抵抗があるのです。

日本人も、海外に行った時に「東洋人」とひとくくりにして呼ばれると、つい「わたしは日本人です」と叫びたいのと同じです。

どちらとも意味は同じ

「外人」も「外国人」も、どちらも日本人以外の外国人という意味では同じなのです。

しかし、街角では「外人」と言う人と「外国人」と表現する人とに分かれています。

なんだか素性がわからないような外国の人を指す時には、「外人」と呼ぶ場合が多いのかなと思います。

そういう私も、「外国人だ」というよりも「外人だ」と言う時の方が多いようです。

昔は、全て「外人」で通していたと思うのですが、外国からの観光客が増えてきたころから、外国から日本に観光に来ている人=「外国人」と言い方を変えたように思えます。

ただ、「外人」と言っても特に差別をしている意識もありません。

お花見に集まっている外国人に出会った時に、フランス語を話していると「フランス人だ」とか、英語を話している白人や国人を見ると「アメリカ人かな?」などと、言葉や雰囲気で想像する時もあります。

そんな時には、あえて「外国人」とは言わずに、国の名前で呼んだりします。

日本人とよく似た顔立ちと服装だと、通り過ぎる時の言葉を聞いてから「韓国人だ」とか「中国人だ」などと推測するぐらいです。

大雑把に言うと、道を聞かれたときに相手が日本人でなければ、なに人というよりも「外国人に道を尋ねられた」となるようです。

日本人同士での会話では、「今来ている人は日本人じゃないね?」と誰かが確認すると、「そうよ、外国人」とか「外人よ」などと、どちらでも使うようです。

どちらも同じ意味ですから、区別する意図はないのです。

外国人が「外人」を差別と思う理由

では、当の本人(外国人のことです)は「外人」と呼ばれる時には、どのように感じているのでしょうか?

「外人」とは、「外国人」の文字から「国」という文字が省略されているだけだと思うのですが、当の本人には丁寧な言葉ではないという感覚があるようです。

つまり、日本人を蔑ました呼び方で「ジャップ」という表現があります。

戦時中は、日本人や日系人を指す略称で、蔑称、差別用語なのです。

JAPANの頭文字のJAP(ジャップ)ですが、敢えてこの言葉を使う時には、日本人を侮辱する時に使われました。

直訳すると「日本人のくそ野郎」とでも言っているのでしょう。

最近では、公式な表記はJPNとなっていますが。

このように、言葉を簡略化するというのは親しみを込めた愛称の場合と、ちょっと侮辱したような場合にも使われるようです。

だから、「外国人」の中の「国」を敢えて省略して「外人」と表現する時には、何らかの排他的な意識を込めていると思う外国人も多いのです。

その気持ちが、差別用語だと感じる理由出もあるのです。

また「外道(げどう)」という言葉は、もともとは仏教用語なのですが「道を外れた人、道理に背く考えを持つ人」と言われ、災いをもたらす人、邪悪な人と定義されています。

「外」にはこのように外れているという意味合いがあるので、「外人」とは注意が必要な外国人と思う人もいるからではないでしょうか?

この感覚を身に付けている外国人は、「外人」と呼ばれると排他的に見られていると思うのです。

他の国とひとくくりになるのが嫌

人間というものは、のけ者にされたり大雑把にまとめられてしまうと、個人の存在が否定されたとか軽く考えられたと残念に感じてしまうものです。

例えば、社会人になってからサッカーチームに入って練習をしているが、練習試合にディフェンダーの一人として出場して勝つことができました。

他のチームから得点力の高いあるストライカーを呼んで来たからでした。

試合後に、監督から彼の得点力で勝ったと彼を褒め称えたのでしたが、「彼とその他の人の協力で・・・」とのことでした。

まあ自分もその他大勢の中に含まれているけれども、この試合ではディフェンスも頑張ったのにと不満でした。

ひとくくりにされたことに嫌だったのです。

こんな感じで、どこの国の人とかは関係なく、単に外国から来ている人間ということで「外人」とひとくくりにされると、個人をもっと尊重してよと言いたくなるのです。

だから、そんな時には「どこの国から来たの?」とか「国籍はどこですか?」などと聞いてあげると、とても喜んでお国自慢も始めたりコミュニケーションも活発になって親しみやすくなるのです。

ひとくくりにしないでください。

「外人」が差別用語になるという意見

最近では、「外人」は放送禁止用語になっています。

「外人」とは「外国人」の略語であって、どちらも同じ意味だと主張する人にとっては、放送禁止用語となっていることに疑問を持っています。

しかし、「外人」の方が「外国人」よりも否定的な意味で使われることが多いことと、さらには人種を指す意味でつくぁれる事が多いことが考慮されて、差別用語として位置付けられるためです。

だから「外人」は差別用語として分類されているのです。

「外人」が差別用語にならないという意見

先ほど書きましたが、「外人」も「外国人」も外国籍の人という意味では同じことなので、「外国人」がよくて「外人」は差別用語だとはおかしいという人もいます。

それならば、日本に住む外国人は、いつまでたっても外国人であって、何かの時には「外国人」ということで区別されてしまうのです。

いつまでたっても、「外国人だ」という好奇の目で見られることに耐えられなくなるのです。

ということは、彼らにすれば「外人」だろうと「外国人」だろうと、差別的に見られることに変わりはないのです。

差別と言うのは、された側がそう感じるのであれば、差別なのです。

だから、「外国人」は立派な差別用語なのです。

このように書くと、ここのテーマである「外人」は差別用語ではないという主張については、「外人」も「外国人」も同じ意味だから「外国人」が差別用語でなければ「外人」も同じと言えるはずです。

しかし、差別という意味では、「外国人」と言われること自体が差別だと考えるならば、どちらも差別用語だということになってしまいます。

「日本に外国人という言葉はいらない」という社会学者の言葉を残しておきます。

他の人種の差別用語も知っておこう


人種によっても差別用語だと思われる言葉があります。

これらの言葉は、単に略されているだけなのですが、軽蔑の意味も含んでいると考える人もいることから、ジャーナリストの間で論争もあるようです。

それらの一部を調べてみると以下のようです。