毎日テレビや新聞で様々なニュースが報道されています。

たった一日で大なり小なりたくさんの社会的問題が取りざたされ、人為的にも、自然的にも多くの悲しい事件が発生しています。

そのような事件や問題を見たり聞いたりすると、なんとも生きにくい世の中になったもんだと思ったりします。

しかし、逆に「“生きにくい社会”なんて昔からそうだ」という人もおられます。

確かに、今も昔も起こる事件や、自然災害のカタチや規模は違っても、世の中の生きにくさはその時代時代で存在していたかもしれません。

でも良く考えてみれば、この世に生を受けた人間の大半はその「生きにくい社会」を生き延びてきているわけですよね。

「生きにくい社会は今も昔も変わらない」のが世の中の実際であるとしても、現にその時代、その社会を生き抜いているのが過去の先人や今の我々であるわけで、それが何を意味するかというと、人は皆、その時代を生き抜く力を持っていたのであり、サバイバルの知恵が今日まで受け継がれてきているということです。

そこで、今回はその先人の知恵や私達が受け継いできた能力、「社会を生き抜く力」を身につける方法をご紹介したいと思います。

【児童編】社会を生き抜く力とは?


人は皆、大人になる前は子供でした。

大人として生きていくには、まず子供の時代を生き抜いてこなければなりません。

でも、子供の頃、「将来のために社会を生き抜く力を身につけよう」なんて思ってチャンバラごっこしていた人はいないはずです。

しかし、大人になって社会に出てからも、その社会を生き抜くために必要な事を、子供の時代を生き抜いた経験の中で身につけているはずです。

それは、意図的な教育であったり、子供が心身ともに成長していく中で自ら無意識のうちに学んだものであったと思います。

では、それがいったいどういったものであるのか、考えていきたいと思います。

1.自主・自律性

自主性も自律性も似たような言葉ですが、ちょっと違います。

まず、自主性というのは、他人が指示したことだけやり、指示されないことはやらないというような他人に依存したものではなく、自分の考えで責任を持って行動する。

それがうまくいかなくても、他人や何かに責任転嫁しないこと。

一方で、自律性というのは自分自身の欲求に流されたりせずに、衝動を抑え、最善策を模索しながら行動すること。

といった感じです。

この二つの性質を聞いてなんとなく解ってもらえたかと思いますが、人として何か行動を起こすときは、他人に頼らず自分の責任において行動する自主性と、その場の感情や衝動に流されない自律性を両立させないといけないものなんです。

自主性だけだと、自分で責任はとるからと言っても間違った道を進んでしまうかもしれない。

そうなると、それは単なる「わがまま」だったりします。

そこで、自分の欲求を抑えられる自律性があれば、自主的に動こうとする動機が単なる我欲でないかを一旦確認することができます。

子供の時にこの自主性と自律性を育むことができれば、将来はどんな仕事をしようとも、立派な大人になりそうですよね。

さて、結局その自主・自律性をどうやって身につけるか、いや、身につけさせるかなんですが、いかんせん子供ですから、ゼロからの状態で何かを自主的にやるということはまずありえません。

まずは大人が手本を見せて興味を持たせ、やる気になったら明確なゴールと手順を示してあげることが大事でしょう。

そして、ゴールした後、もしくは目標を達成した時に「褒める」ということが大事です。

褒められたことによって、子供は次の目標へ向かうモチベーションを高めます。

これが子供たちの自主性につながってくるはずです。

また、子供を指導する上で、褒めるだけではいけないこともあります。

「叱る」ということも必要でしょう。

叱られることは子供にとってあまり歓迎できません。

大人もあまり使いたくない指導方法です。

しかし、先ほどの「(子供が)頑張った→(大人が)褒める」を日常的に行っていると、叱られたときにさほど子供は嫌な思いをしないはずです。

「叱られた」のは単に「褒められなかった」だけの事で、「褒められることではないからやっちゃいけないんだ」という風に理解してくれるはずです。

ここでは「叱る」と「怒る」は明確に分けておきましょう。

「叱る」は“人のある言動に対し、それが本人、もしくは他人を直接的にも間接的にも傷つけてしまうようなことであると判断した場合、その言動を今後慎むよう戒めること”としましょう。

そして「怒る」は“他人や物事が自分の思い通りにならずに腹を立てること”ということです。

ま、だから怒られる時は良いことをしたって、相手の癇に障れば怒られるという理不尽な話です。

その点、ここで言う「叱る」は相手や周りのことを考えてのことです。

このような指導を受けていれば、物事の良し悪しの判断が客観的にもできるようになり、自律性も培えることでしょう。

あと、叱らなくても、「褒めることだけでしつけはできる」と言う人もいます。

聞いてなるほどなんですが、要は「やってはいけないことをやらなかった」事を褒めれば、しかるタイミングなど一度もやってこないということです。

「確かに」と思いますね。

ですから、「叱る」にしても、同じ過ちを何度も繰り返すようなら使っていくべき手法と言えるかもしれませんね。

さて、自主・自律性を培い伸ばしていくには以上のようなやり方以外にももちろんあるとは思いますが、おそらく、「褒める」「叱る」をうまく使い分けて、子供が何かに向かおうとする気持ちを応援したり、時に我慢させたりすることが、やはり基本的な方法ではないでしょうか。

学びに向かう力


人間が人として成長するには教養が絶対に必要です。

つまり、勉強しなければいけないのですが、勉強と言っても学校で学ぶことだけが勉強ではありません。

教科書や参考書だけがすべてではないし、試験だけで人は測れません。

小説や映画、たとえその話がフィクションであっても、読み進むうちにいつしか自分をそのストーリーに投影させ、「自分だったらどうするか」とか「この主人公の様になりたい」と自分の心を振り返ったり、目標をもったりできます。

自然や動物と触れ合うことで、自然の摂理や物事の道理がなんとなくわかるようになり、人としての成長や人類の繁栄もそれら摂理や道理と同じルールが存在することに気づきます。

そして、自分以外の人間と付き合うことによって、自分の足りないところを知り、自分の優れた部分を見つけることができ、時には反面教師として、学ぶべきところではないことを学ぶことができます。

このように、勉強というのは、いつでもどこでも何歳になってもできるものなんですが、肝心なのは子供を「いかにして学びに向かわせるか」ですよね。

そこが知りたい。

まず、子供というのは「学びに前向き」です。

新しいことに興味があり、新しいことを発見する楽しさを知っており、自分に新しい知識が増えていくのが嬉しく思えるのが子供、特に小学校低学年ぐらいの時は皆そうだったのではないでしょうか。

だから、心配しなくても子供は勝手に勉強する。

ということではなく、逆にそんなつもりでいると、気づいたときには赤点テストを持って帰ってくることになります。

子供は学ぶことには天性の素質がありますが、「勉強」すなわち、大人が用意した学ばなくてはならない義務みたいなものにはあっという間に興味をなくします。

そんなものよりも子供はゲームや遊びから無意識に楽しく何かを「学ぶ」道を選んでしまいます。

大人が用意した教科書以外の物事から子供は毎日何かを学んでくるので、子供って大人が思いもよらない発想や、驚く行動をするんですよね。

とはいえ、その大人が用意した勉強も大事であるということは子供以外みなわかっています。

その教科書を読んで、その時間割の中で学ぶことの素晴らしさとかに気付いてくれたらいいなと思うわけです。

そこで、子供を学びに向かわせる一番てっとりばやい方法が、やはり「褒める」ことだと思います。

しかも、ほめる方法も「ご褒美」を用意しておくと、子供は非常にモチベーションを上げて学びに取り組みます。

また、「約束」という形で、学びの結果が出たあかつきには、ご褒美をあげるというやり方は子供のモチベーションを最初から最後まで高レベルに保つことができるでしょう。

「みかえり」のために頑張るような子供になってほしくないと思っている親御さんには少し抵抗があるかもしれませんが、どんなご家庭も子供に対し、赤ちゃんの時から、何をやっても褒めてきたと思います。

その赤ちゃんは褒められるのが嬉しくて色んなことに挑戦していきます。

うんちしただけで褒められていた赤ちゃんが、やがて歩くようになり、一人で食事ができるようになり、逆上がりができるようになり、その度に褒められて、嬉しくてどんどん挑戦し、クリアし、成長していきます。

ご褒美はとはその「褒める」ことの延長だと思うのです。

小学校から本格的に勉強が始まるわけですが、今までは好きなことを好きなだけ学べばよかったのが、これからはそうはいかず、苦手なものや嫌いなものからも学んでいかなくてはなりません。

そうなると、やはり子供は子供ですから、学びに対するモチベーションを保つことができなくなります。

そこのところを「ご褒美」なんかを使ってうまく導いてあげられれば、はじめはみかえり欲しさに頑張っていたものが、テストで良い点を取った時の快感や苦手なものを克服した時の喜びを覚え、学ぶことの素晴らしさを体感していくことによって、いつしか「ご褒美」や「みかえり」は親からではなく、「学びそのもの」から得られるものだということに気づきます。

問題発見・解決力

上記の「学び」における、もうワンランク上の能力であると言え、社会を生き抜くためにはものすごく大切な力ですので、小さい時に身につけておきたいものです。

社会に出ると「問題」ばかりですよね。

子供の時は毎日楽しかったし、学校での勉強も嫌ではなかった。

未来は明るく希望に満ち溢れたものだと思っていた。

でも一歩社会に出ると、どうしてこうも問題ばかりで大変なんでしょう。

どこからが「社会」でいつのタイミングを「一歩出た」と言えるのかはわかりませんが、これだけ世の中に問題が溢れているのに、どうして子どもの頃に気付けなかったのでしょうか。

どこまでが「社会の一歩手前」なのかはわかりませんが、その境界がわからないからこそ、逆にこの世の中の問題の多さに気付けないことが不思議なのです。

その疑問の答えとして、一つ言えるのが、子供の頃も確かに「社会の問題」は子供たちの周りにはたくさんありました。

しかし、それらは「親が排除してきた」のです。

親が子供に降りかかる問題をできる限り振り払ってきてくれたおかげで、子供時代はあんなに楽しいことばかりだったんです。

でもそうやって子供を守り、学びへの動機と楽しみを与えて未来への希望を育む教育の一方で、子供が大人になってからも、親からすれば「大きくなっても子供は子供」とか言って、いつまでも子供に欲しがるものを与え、めんどくさい事は身代わりになり、何不自由なく生活させようとしている親たちもいるのではないでしょうか。

または、子供の頃に必要以上に親から守られ、いわゆる過保護で育ってきたために、社会の仕組みや、お金の稼ぎ方、人との関わり方もわからず、困惑したままの人もいることでしょう。

何事も行き過ぎがいけないわけですけど、親だって何が良い教育で、どこまでが行き過ぎでないのかなんてわかりませんし、ここでも断定できません。

ただ、子供のうちから「問題発見・解決力」を身につけさせるために必要なことで一つ言えるのは、「自分で考えさせること」です。

先ほども述べた通り、世の中には問題だらけです。

それらを問題と捉えるかどうかは人それぞれである部分もありますが、ここで大事だと思うのは、その問題に直面した時、どう解決するかを考える習慣と力が必要です。

その「問題発見・解決力」を子供に身につけさせるために、何事も自分で考えさせていく事を親は心がけましょう。

たとえば、夏休みの自由研究。

夏休みの宿題として必須のものでありながら、どんなことを研究しても自由であるこの課題は、子供たちの想像・創造力を掻き立て、培うのには最適なものです。

研究を完成させるために、その過程では色々困難なこともあります。

それを自分の力で解決していくことによって、問題解決力を身につけることができます。

ただ、いかんせん子供ですから、誰しも「自由研究」について、「“やってもやらなくても自由な宿題”という意味だったらいいのに」と思った事ではないでしょうか。

子供の性格によって、スタート地点からかなりモチベーションに差がでる課題です。

小学校低学年ぐらいまでは「自由研究」とはいえ、親のサポートが必要でしょうね。

子供が興味のありそうなことを上手に導入してやり、困難にぶち当たれば手伝ってあげないと、子供1人では「自由研究」はかなり難しい課題です。

余談ですが、最近は夏休みの自由研究や工作といった課題は「親の課題」みたいになってきているそうで、ちょっと親のでしゃばりを許し過ぎた学年では、毎年夏休み明けに子供たちが提出する自由研究や工作はどうみても親が作ったもので、教室に飾った様子はまるで「親の見栄の張り合い」になっているそうです。

「どこまでを親が手伝うか」を親が見極めるのが大事なんですが、自分の子供の事となると、難しいですよね。

しかし、1回ぐらいは「親が全部やって見せる」のも効果的といえば効果的です。

子供が作りたいなと思っているものを大人の技術力をもって大人げなく完璧につくる姿と完成品をまざまざと見せつけられた子供は、子供にもよりますが、「次は、自分でやってみよう」という気になります。

まあ、やはりこれも子供の性格にもよりますので、親は自分の子供を常によく観察しておくことは大事でしょう。

さて、子供が「問題発見・解決力」を身に着けるためには、その過程で「親のサポート・手伝い」も必要、もしくは「一度大人がやって見せる」ことも大事だと述べてきましたが、そこで注意することがあります。

子供の宿題や勉強に対する親の介入というのは、あくまで子供の自主性を身に付けさせるためのものであり、身に付けるまでのものです。

そこのところをよく考えてサポートしていかなければなりません。

例えば、子供が計算問題が解けないから教えてと言ってきたとき、大人からすると簡単すぎて思わず、答えや解き方を教えてしまったりしていませんでしょうか。

それは、まさに問題(困難)に直面し、それを解決する訓練ができるチャンスを子供の自律心とともに根こそぎぶっ壊していることにお気づきでしょうか。

「問題発見・解決」の力を養うために必要なことは「考える」事です。

子供が考える前に答えを出してしまっては、その子はそれからわからないことがあれば誰かに聞けばいいという道を安易に選ぶようになるでしょう。

「いや、考えても解らなかったから、聞いてきたんだ」と思われたかもしれません。

しかし、ここで大切だと言いたいのは、「問題発見と解決」力です。

子供が「考えてもわからなかった」状況、そこで初めて問題が発覚するわけです。

そこから親は子供がその問題を自ら解決しよう、もう一度挑戦してみようと思えるように導いてやらなくてはなりません。

学校や最近の塾などはただ勉強を教えるだけでなく、子供のそういう精神力も育てようとしてくれますから、預けておいても安心できます。

しかし、家庭での学習となると、親も忙しく、子供の勉強に付き合ってやれないのが現状です。

なので、宿題やなんやらは早く終わらしてやりたくてついつい子供の目の前の壁をひょいと取り除いてやっている家庭も多いでしょう。

しかし、そこは少し親の方が気持ちに余裕をもって、一人で勉強させていた子供がわざわざ「教えて」と聞きに来たときぐらいは見てやりましょう。

「もう一回よく考えてみなさい」とか、「教科書見てみたら?」と言うのもアリです。

一見冷たい対応にみえますが、いきなり答えを教える、問題を解いてやることよりもはるかに子供のためになります。

だいたい、宿題なんてものは学校で習ったことの復習ですから、解らなくなったら授業でつかった教科書を読み直せば答えもヒントも見つかるはずです。

大事なのは「そういう問題解決方法がある」と教えてやることですね。

そして、「解けたよ、答え解ったよ!」とまた戻ってきた時には「ほらー!」と思いっきり褒めてあげるのもお忘れなく。