「感受性が強い」という表現は良い意味でも悪い意味でも使われますよね。
良い意味では、美術や音楽などの芸術にセンスを発揮したり、人の心に寄り沿う能力が高いといったもの、悪い意味では他人を気にし過ぎて疲れやすいとか、ビクビクしがちとか…。
ただ、実際のところはどうなのでしょう。
なんでもかんでも感受性が強いことのせいにするのも問題があるので、これを機に感受性とはなにかについて掘り下げてみたいと思います。
感受性が強い人ってどんな人?
何かの変化に気付きやすい、他人には全く気にならないことにも気づく、自己と他人との感情の境界線が曖昧、というあたりがイメージにあると思います。
ただ、これらはあくまでイメージで、感受性が強い人全般を示しているわけではありません。
感受性が強いといっても、どの分野に強いのかによってメリットとデメリットの比率が違います。
感受性とは
まずは「感受性」という言葉の意味と使い方について見ておきましょう。
参考として類義後も紹介します。
意味
「外的な刺激や印象を受け入れる能力」です。
「感受性が強い」と表記する場合には、物理的な刺激はもちろん、場の空気感や人の態度など抽象的なものを受け入れやすい、影響されやすい特徴を指します。
意識しているか無意識かの違いもあるようです。
意識的に感受性を強めるということは、美術などの知識を得てそれを基に芸術作品を鑑賞し、その魅力を感受するといった場合です。
一方、無意識の場合は、なんとなく表情が優れないように“見える”人を相手にしたときに自然と自分のテンションも下がる、といったものです。
使い方
感受性が「強い」「高い」「豊か」などと表現することが多く見られます。
とはいえ、強弱で表すことが多いようです。
その他の表現としては「感受性の鋭さ」「感受性の乏しい人」「奇妙な感受性」「感受性の早さ」「感受性が鈍い」などがあります。
分類として名詞になるため使用方法はわりと自由です。
類義語
「感性」「鋭敏」「感度」「センシビリティ」などが類義語です。
いずれも印象や感情の変化、外的刺激、精神的な反応を示す言葉で用途の幅は広いです。
感受性が強い人の14の特徴
先述の通り、感受性が強いといっても意識的か無意識か、対人か対物かによって、性質や特徴は大きく異なっています。
それぞれの特徴を掴むことで、メリットになり得る感受性は何なのかがわかってくるはずです。
人の気持ちを汲んであげることが出来る
場の空気や人の気持ちを汲み取る能力に長けているため、チームで仕事をしているときに、ちょっと不調な人に気付いてフォローできたり、落ち込んでいる人を励ましたりできます。
視線、顔色、声のトーン、表情、姿勢などといった非言語かつ複数の情報を同時に処理しているため、感受性が高い人の方が言葉の裏に隠された気持ちや言葉に出せない気持ちを把握する能力に長けているのです。
具体的な例としては「元気だよ!」と言っている人の声色だけで「あ、疲れてるなこれ」と気付いたり、逆にめちゃくちゃ辛そうな人の姿を見ても「あ、これはパフォーマンスだ」と気付いたりもします。
気遣いができる
人の気持ちが汲み取れれば、それに合わせて行動できる可能性も高いため「気の利く人」と呼ばれるでしょう。
普通は気付きづらいことにも目や気持ちが向くため、その人がいると物事がスムーズに進む、楽だなと思われることが多くあります。
たとえば好き勝手に使っていいはずの職場のデスクも、周囲の人に不快感を与えないよう整理されていたり、食事会をしていてもグラスが空いてしまっている人に声をかけずにはいられない、などです。
「と思っている」だけのことも多い
感受性の強さが究極の状態(エスパー級)であれば相手の気持ちにぴったりの行動もできるでしょうけど、現実的に考えるとエスパーは超特殊能力なので、感受性が強いからといって毎回的確に相手の気持ちを汲み取っているとはいえません。
たとえば、少し遠くにいる人を「知り合いかな」と思ったとき、近視の人が裸眼の状態なら目を凝らすでしょう。
しかし、その人が近視であることを知らない相手からすれば、その目を見て「ガン飛ばされた」と思うはずです。
感受性が強い人は、この誤った認識こそが真実であると受け止める傾向があります。
実際には「誰かなぁ」と確認しているだけなのに「お前のことは嫌いだ!」と言われたような感覚に陥るのです。
それで相手を避けるようになり、本当に嫌われてしまうことで「やっぱり嫌われてたんだな」と思うような、悪い結果を自ら導くケースが見られます。
感受性というのは、あくまで主観的な判断に基づく認識に過ぎないため、その判断自体が間違っていた場合、気持ちを汲み取ったつもりで行動しても大きく空回りすることがあるため、注意が必要です。
様々なものに感動している
これは素晴らしい特徴ですよね。
なんてことない定食がとても美味しく感じられる、道端の花が美しかったり可愛いと感じられる、空模様に情緒を感じるなど、日々のちょっとしたことに感動できるという心の柔軟性があれば、贅沢をしなくても幸せに暮らしていける気がします。
ただ、この特徴については生まれ持った感受性が鈍くても後天的に身に着くことが多いです。
年をとると涙もろくなるといいますよね。
それは経験してきたさまざまなことが、ちょっとしたきっかけで記憶として蘇り、心を動かすからだといわれています。
美しい夕日の色彩だけに感動できるのは感受性が強い人の特徴ですが、その夕日に関連した記憶によって感動することは誰でもできるのです。
芸術的なセンスをもつ
感受性が強い人の全員が芸術的センスを持っているわけではなく、芸術に対する感受性の強さを持っている“人もいる”と述べた方が的確です。
感受性が強いといっても、何に対してなのかは違いますからね。
他人の言動にだけ感受性が強い人なら、芸術的センスの感受性は0という可能性があります。
「気にしいな性格だから芸術的センスもあるんだ!やったぁ!」と喜んでいる人には「残念ですが…」と言わざるを得ません。
芸術に対する感受性の強さの中でも、鑑賞することに長けている人、生み出すことに長けている人に分かれます。
抽象画などの表現が曖昧な物というのは一部の、感受性が合致した人にしか理解できない世界です。
「え、なんでコレが話題なの?すごいの?」と思ってしまうような作品が世間では素晴らしい評価を受けているということもあります。
しかし、その作品は自分と違う感受性を持つ人たちにとっては価値のあるものなのです。
生み出すにしても鑑賞するにしても、芸術的なセンスというものは人に認められて初めて形を成します。
独自の世界を突っ走っていても、誰一人共感しない場合「アイツは変わってる」と言われるだけにとどまり「芸術的なセンスの持ち主」と呼ばれることはないでしょう。
共感覚は別物
しばしば、文字や数字に色が見える、音を聞くと匂いまで感じるという人がいますが、それは感受性が強いのではなく共感覚というものです。
無意識に起こるため自分でコントロールすることはできず、たとえば「1」の色が自分の中では「黒」なのにポスターなどで「赤」に塗られているのを見ると「うーん…」と思ったりします。
これは、脳が外的刺激を受けた時に、本来反応しない部分も同時に活動することで起きるものです。
たとえば、文字を見れば言語野が活動するのが一般的ですが、共感覚の持ち主は色知野も同時に活動するため色が見えます。
これに近いのか、第六感のようなものなのか、筆者の子供の頃の同級生に、木を真っ赤で描く子がいました。
美術の写生の時間だったのですが、その子は夏の青々とした木の幹を赤く塗り、葉をさまざまな色のグラデーションにし、周囲には光の玉がいくつも浮遊しているという絵を描いたのです。
当然ながら先生には「今は写生の時間だから自由な表現しないで」と言われてしまったのですが、その子は「私にはこう見えるんです」と言い放ちました。
それはとても美しい絵だった記憶があります。
このように、見えないものが見えること、共感覚などの特性は芸術的センスとして発揮されることも多く、他者より多くの情報を受け取っているため感受性と混同されることもありますが、全く別物です。
人だけでなく動物も好き
犬は長い歴史の中で人間と暮らしてきたので、人間にもわかりやすく表情を見せてくれたり尻尾を振ったりしますが、犬以外の動物は人間からすると気まぐれに見えますよね(そこが良いっていうのもあるんですけど、それは置いておくとして)。
動物との交流こそ非言語コミュニケーションですから、感受性があまりにも鈍いと動物と仲良くすることはできません。
その点、感受性が強い人は人間相手でも非言語の情報を常に処理しているため、動物に対しても気持ちを感じ取りやすいといえます。
動物は基本的に、自分の欲求に的確な応答をしてくれる人間に懐きます。
よくご飯をくれる人、遊んで欲しいときに遊んでくれる人などです。
つまり、非言語ながら動物が訴えていることがよくわかる人なら動物と仲良くできるということを示しています。
仲良くなれれば可愛いとも思えるでしょうから、動物好きになるのも当然です。
良くも悪くも雰囲気に流されやすい
対人的な感受性が強い人は、場の雰囲気を感じ取る力に長けているので、その空気に溶け込もうとする癖がついている傾向があります。
一度出来上がった雰囲気をぶっ壊すのは大変ですし、そこで生まれる新たな反発に対しても感受性が強い人は真正面に受け止めてしまいます。
それはストレスがかかりますから、無駄な争いを避けるという意味では自然です。
しかし、正しいことに向かっている雰囲気なら流されても良いのですが、悪口大会などにも流されてしまうのはデメリットといえます。
傷つきやすくて繊細
感受性が強くメンタルも強いというすごい人もいますが、一般的なメンタルの持ち主なのに感受性が強いと、処理する情報が多すぎてまいってしまう人が多いようです。
情報が多すぎると処理能力が追い付かなくなるため、明るい考え方がしづらくなり、他人の何気ない言動に敏感に反応しては落ち込みます。
ストレスが溜まりやすい
「ありがとう」と言われたら言葉通りに感謝されたと捉えてもいいのに、その人の表情や声のトーンから本心なのかどうかを探ってしまうことを無意識にやっているので気疲れします。
この気疲れ状態が人と会っている間に延々と続くのですから、そりゃあストレスも溜まるでしょう。
そのストレスを吐きだせる場を持っていればいいのですが、友人に愚痴るにしても相手を不快にさせない範囲で吐き出させてもらおうと気を遣うし、カラオケで大声を出すにしても透けたドアの向こうが気になるし、ジョギングでもしようものなら自分の呼吸音が大きくないかが気になります…。
結果、自宅でゲームをするくらいしかなく、それで発散しきれない分がどんどん蓄積していくのでストレスと一緒に生きていかなければならなくなるのです。
感情移入してしまう
ドラマや映画、小説などを楽しむには感情移入できた方が良いのでしょうが、あえて「してしまう」と記載したのには理由があります。
そのレベルが尋常じゃないからなんです。
たとえば、感動物の映画って大体誰か死ぬじゃないですか。
主人公とか愛する人とか大事な友達とか親とか犬とか。
それでみんな何かしら感動して泣きますよね。
でも、その感動って心のすごく浅いところで起きていることなんですよ。
泣きはするけど、シアタールームを出るころには「あー!感動した!」って感じで、Twitterに真顔で「泣けた!」とか書きこめるくらいには余裕があるというか。
なんなら火事のシーンもあったのに次の瞬間には焼肉を食べにいけるほど、感情がすっ飛んでいくのが早い。
でも、感受性が強い人は、本当に身内の誰かが死んだくらいの悲しみを抱えてしまうのです。
「泣いた!」とか書きこめる余裕なんてないし、火事のシーンを思い出して焼肉なんて行けませんし、むしろ食事が喉を通りません。
そして、その気持ちの持続時間は長くなります。
他人の悩み相談にも感情移入しすぎるので、親身といえば親身ですが、当人と同じかそれ以上のレベルで悲しんだり怒ったりします。
しかもその感情を自力で切り離せないとなると、日々の感情のアップダウンが激しすぎて苦労するでしょう。
人が多いところが苦手
感受性が強い人は、赤の他人のことですら気になるので、自分と切り離して捉えることができません。
パーティや大人数の飲み会など、一般的には目の前にいる人や周辺の4,5人にだけ注意を向けるものですが、その場にいる人たち全員へ注意が向いてしまうため疲れ果てます。
自分では注意があちこちに向いていることに気付いていないことが多いため、自己認識としては「うるさいところが苦手」「たくさん話をするのは疲れる」と思っています。
しかし、実際には話すらしない赤の他人の集まり(講習会など)に参加しても疲れるはずです。
外的刺激に敏感
天気予報は晴れなのに雨が降るとわかるなど、多くの人は察知しづらい空気の変化にも敏感に反応します。
そのほか、蛍光灯の光の強さに不快感を覚えたり、いつも行っている飲食店の微妙な味の変化に気付くなど、五感全部が鋭いというより特定の感覚に敏感というケースもあります。
これらは持って生まれた才能ともいえるもので、敏感すぎるがゆえにストレスを抱えることもありますが、極めればその道のプロフェッショナルになる可能性を秘めています。
自分のことは後回し
自分と他人の感情の線引きが曖昧であるため、他人が悲しいと自分も悲しくなり、それを解決しなければいけないと考えます。
その結果、いつも誰かの感情に突き動かされて行動してしまうのです。
引きこもって数日間一人にならない限り“自分がすべきこと”“自分がやりたいこと”が分からず、本当は存在するそれらの思いに気付かないまま、自分のことが後回しになります。
常に謙虚
これは性格の特徴なので、感受性の強弱が直接関係しているわけではないのですが、自分のことを後回しにしがちな姿がそう見えることがあります。
また、感受性が強い人は相手の怒りや悲しみを察知するのが早いので、不要な争いを避けるために謙虚な振る舞いに素早く変化させて相手の感情をなだめようとします。
そして、自分が感じていることが周囲の人にはわからないということも、ある程度の年齢になればわかってくるので、口に出さなくなります。
たとえば、聖人のような評価をされている人に対して「いや…この人は絶対裏があるよ…目つきおかしいじゃん…」とわかっていても、周囲の人の評価に合わせて懸念を述べたりしないということです。
この無口さも謙虚に見える所以でしょう。
自分の気持ちに正直
自分の気持ちに気付くことができれば、の話です。
対人的に感受性が強いのであれば自分の感情がわからなくなることが多いので正直になれる場面は少ないと考えられます。
しかし、ちゃんと自分だけの時間をとることができれば、自分の気持ちに向き合い、本心が早くわかるでしょう。
しかし、いざ気づいてもまた他人の中に自分を放りこむと感情が揺れてしまうため、ついさっきまでは熱意があったのに周りの批判で急激に冷めたりもします。
HSPとは
HighlySensitivePersonの略で、1996年にエレイン・N・アーロン博士が考案した言葉です。
生物学上の差異(個体ごとの違い)について論じたものであることから、後天的に身に着けた感受性とは違います。
また、感受性の強さがもたらす行動に関しても、周囲の環境による要因が大きいため、HSPはそれらの行動について指摘するものではありません。
つまり、内向的、シャイ、怖がり、引きこもりがちならHSPだろうと認定するようなものではないのです。
社交的なHSP、自己中心的なHSPも存在するでしょう。
単純に、脳、神経システムの差異です。
全人口に2割ほどいると推定されています。
感覚の入力、処理が平均値よりも深く行われる傾向があり、行動に表すかは別として脳の中では数多の反応が起こっています。
自己認識として「感受性が高い」部類であったとしても、HSPかどうかは素人判断ができないため、気になる人は専門家のもとを訪れましょう。
感受性の磨き方
先天的な感受性についてはどうしようもありませんが、今よりも多くの物事に感情を動かされるようにすることはできます。
「泣ける!」と評判の映画を見ても泣けなかった人が泣けるようになったり、どれだけ相手の話を聞いても全く共感できなかった人が共感できるようになったり、ということです。
いろんなものに触れる
持って生まれた感受性によらずに感情を動かすためには記憶が必要です。
夕日を眺めたとき、夕日にまつわる思い出が何もない人と、青春時代に失恋し、友達になぐさめてもらいながら見た夕日の記憶がある人とでは、夕日に対する感情の動きの度合いが変わります。
このように、紐づけられる記憶を増やしていきましょう。
また、できるだけ色々なものに触れることも大切です。
草原の絵画を見たとき、実際に草原に行ったことがあって、柔らかな草の感触、青々とした匂い、肌をなでていく風の心地よさを体感している人の方が、絵画から奥行を感じ取れます。
これらの体験の有無が最もよく表れるのが小説を読むときです。
小説は文章の表現だけで世界を作っていくため、想像力の中に実際の経験を織り交ぜられる方が、はるかにリアルな世界に没入できます。
ファンタジーな世界が舞台でも、現実にあるものを応用したものが魔法などの形で表現されているにすぎないため、現実のものをどれだけ知っているかというのが重要なのです。
「風の魔法です」って言われても、風圧を体感していないと想像しづらいですよね。
本を読む
感受性、にまで発展させるのは時間がかかるんですが、本を読むことは感受性を高める要素の1つである“共感力”をもたらしてくれます。
人や状況に共感するためには、自分が生きてきた中で手に入れた価値観だけでは足りず、多種多様な価値観を自分の中に取り入れることが重要です。
本は、それがHowto本だろうとなんだろうと、自分とは違った価値観の持ち主が書いています。
つまり、それを読めば「こういう考え方、価値観もあるんだな」と認識することができるのです。
最初こそ共感までいたらなくても、違う価値観を認める、受け入れることを続けていくうちに、いつしか自分のものになる瞬間が訪れます。
若い頃はわからなかったけど、年をとって子供ができたりするとわかる、ということもありますからね。
五感をフル活動させる
既に感受性が強い人だと五感をフル稼働しようもなら疲れ果ててしまいますが、一般的、あるいは、やや鈍感な人はフル稼働させたところでストレスにまでは発展しません。
できるだけ日常生活で五感を意識してみましょう。
たとえば聴力。
人間は便利にできていて、本当は街中を歩いているだけで耳にはたくさんの振動(音)が伝わっているのですが、それを認識しないようになっています。
それによって、注意を向けたものだけの音を聞き分けられるのです。
しかし、それをあえて四方八方に意識を向けてみることで自分の周辺にあるさまざまな音に気付けるようになります。
視覚についても同じです。
注目している物以外は意識していません。
実際には光の刺激が瞳孔に伝わってはいるので、見えてはいます。
夢に出てくる人が知らない人であっても、その顔は街ですれ違った誰かであるといわれていて、意識してはいなくても脳は認識しているということを示しています。
見えてはいるのに見ていないものを捉えるために、意識的に動体視力、色の識別能力、形の把握能力などを訓練してみましょう。
食事をするときも、ただ美味しいか不味いかだけでなく、今噛んでいるものが何であるのか、どのような味の刺激があるかを意識するだけで、料理の絶妙な味の違いに気付くことができます。
このように五感を鍛えることによって、得られる情報量がアップし、心を動かしやすくなります。
芸術鑑賞する
いくつもの芸術をただぼんやり眺めていても感受性は磨かれていきません。
ただ眺めているだけだと、いつもと同じ着目点でしか受け取れないからです。
解説などを聞きながら鑑賞することで、芸術作品の細部に秘められた作者の思いに気付くことができます。
これをさまざまな作品に対して行うことで、見るべきポイントがわかってきて、いつか自力でも気付けるようになるはずです。
解説ではなくても、感受性の強い人に感じたものを聞いてみることによって「ははぁ、そういう見方もあるんだなぁ」と思えるかもしれません。
とにかく自分にはない着眼点を取り入れていきましょう。
マイナスなことも・・・
感受性を磨くと、人や物事から受け取れる情報量が格段に増えるため、人生が楽しくなることもあります。
ただ、その反面でマイナスなことも多いため「磨かなきゃよかった…」と後悔する人もいます。
どんなことがマイナスなのかを見ておきましょう。
気を遣いすぎる
まず、これは筆者の意見として考えていただきたいのですが、対人的な感受性を高める必要はないと思っています。
人間には言葉があるので、感覚で察知してあげなくてもいいのではないか、と思うからです。
なんで言葉にもしてくれない人の気持ちを察しなければいけないのでしょう。
セラピストや心療内科医になりたいというのならわかりますが、察することを職業としない限りは不要なことです。
あまりにも鈍感で、相手が露骨に嫌な顔をしているのにも気が付かないなら、ちょっと感受性を強くした方がいいかもしれませんが、微妙な表情な変化や声のトーンなどは気づかない方が普通です。
不要な情報まで受け取ってしまう
対人的な感受性が高いと毎日ストレスフルです。
聞きたくもないのに街中の汚い言葉が耳に入ってきたり、全く知らない人からの怪訝な視線が目に入ってきたり…。
飲み会でパーッと騒ぎたくたって、酔いのピッチが速まってきた人が気になり、何かを注文したそうなのに切り出せなさそうな人が気になり、結局それらのフォローに回らなきゃならなくなって、全然楽しみきれません。
不要な情報がやたらと刺激してくるので疲れます。
営業職などであれば「気が利くねぇ」なんて言われて評価されますけど、そんな評価じゃ補いきれないほどのストレスが溜まりまくります。
他人に流されやすい
否定も肯定もできなくなることが多いです。
職場の会議では、より利益を追求できる手法に決めれば良いにもかかわらず、出席者の感情に浸食されてしまうので、本来持つべき指針がブレてしまいます。
自分の将来などについても同じで、高校生の頃に「○○大学で文学の研究をしよう」と思っていたのに、教員や親から「あなたは優秀だから△△大学の法学部に入れるよ。
もったいないよ」なんて言われると△△大学に願書を出したりします。
この流されやすさが他人にバレていると利用されてしまうこともあるので、たとえ親でも親友でも恋人でも、自分の将来を担保してくれる存在ではないことを認識して、自分の感情と線引きする必要があります。
悩みが多い
感受性が強くない人でも、電車のドアの前で突っ立ったまま動かない人を見たら「なんだコイツ」と思うはずです。
こんなレベルのイライラが、感受性の強い人には毎日かなりの数で存在します。
頭では自分の感受性が強いのであって、他人はそこまで気にしないのだろうとわかっていても、他人が本当に全く気にしてくれないのは不快です。
でも、その不快感を言葉にしても周囲には理解してもらえないので我慢することになります。
自分でもわずかな音や臭い、光などの刺激を意識してシャットアウトできればいいのにと思っています。
美味しかったはずのメニューが美味しくなくなったりする
味覚を感じる力が強いと、お気に入りのレストランの大好きなメニューがほんのちょっと味が変わってしまっただけで残念な気持ちになります。
周囲の人は「コレコレ!やっぱり美味しい!」と言っているので「味が変わったのになぁ…」と思っても、それを言い出せないのでモヤモヤするのです。
満員電車がしんどすぎる
満員電車は刺激だらけなので感受性が強い人にとっては地獄です。
体臭、香水や柔軟剤の臭い、騒音、話し声、息の音、めまぐるしく変わる外の景色に人の動き、人との接触…味覚以外の感覚が刺激されっぱなしです。
イヤホンで音楽を聞き、マスクをし、視線はスマホなどに集中していれば、なんとか耐えつつ乗れますが、体調が悪いときは倒れそうになることすらあります。
良い人が良い人に見えない
周囲の人からの評価がとても高い人を前にしても、その人の微妙な表情の強張りや、嘘をついているときの視線などにすぐ気付くため「あ、この人悪い奴だ」とすぐに気づきます。
しかし、周囲の評価は高いので避けるだけで「お前が変わってるんだよ」「素直になれよ」「お前めんどくさいな」などコチラが悪者呼ばわりされてしまうことに悩みます。
それで結局その人が悪い奴だとバレる頃になってようやく、手の平返したように周囲の人が摺り寄ってくるのにも疑問を感じ、落ち込んでしまいます。
感受性は上手くコントロールしよう(まとめ)
日本人は共感を求める傾向があるので、ただでさえ周囲の人間に対して気を遣っていますから、これ以上感受性を強める必要はないと思います。
今よりも楽しい日常を送るために美的な感覚を磨くのは良いですが、対人に関してはほどほどにしましょう。
ただその場にいるだけで全ての刺激に反応するレベルだと疲れるので、自分の気持ちに集中する時と、外的刺激を受け入れる時とのオンオフをコントロールすることをおすすめします。