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コンプレックスの意味とは?乗り越え...(続き2)

コンプレックスという言葉に関しては、今現在では様々なコンプレックスの種別に分けて考えることができます。

これはどういうことかと言いますと、先ほどお伝えした通りコンプレックスという存在に関しては自分自身の精神状態によって大きく変化する存在です。

自分自身がコンプレックスだと感じなければストレスを感じることがありませんし、小さいことでも自分が大きい劣等感だと感じれば大きなストレスがかかるようになります。

そして、それは劣等感だけではなく、様々な精神状態において発症するものであると考えられています。

つまり、ただ劣等感を感じることだけをコンプレックスという言葉で表現するのではなく、様々な種類が存在し、その症状によって呼び名が変わるということになるのです。

なので、この機会に複数のコンプレックスの種類についてご紹介していきますので、自分が抱えているコンプレックスがどれに該当するのか自分自身で判断してみてください。

劣等コンプレックス


まずはじめにご紹介するコンプレックスの種類の一つとして「劣等コンプレックス」があげられます。

劣等コンプレックスはコンプレックスの中でもかなり一般的な存在として知られています。

では、劣等コンプレックスとはどのようなコンプレックスなのかと言いますと、これは自分が他人に対して劣っていると感じるようなコンプレックスに区分されるようになります。

つまり、一般的なコンプレックスの意味合いに最も近い存在のコンプレックスであると考えることができます。

例えば、一般的にはコンプレックスを抱えているということは、周りに比べて劣っているからこそ気になるような存在であるといえます。

例えば、足が遅いということがコンプレックスに感じるようになるのは、周りよりも足が遅いという事実が存在するからこそ気になるような存在になるものです。

もしも周りよりも足が速かったり、平均的な足の速さであるならば、そこまで強く劣等感を抱いたりすることはあまりないはずです。

なので、コンプレックスを感じやすくなる理由としては、周りよりも劣っていることがコンプレックスの原因につながると考えることができます。

そして、コンプレックスの中でも劣等感が起因になっていることに関しては、劣等コンプレックスという種類に区分されるということを覚えておきましょう。

メサイアコンプレックス

次にご紹介するコンプレックスの種類の一つとして「メサイアコンプレックス」があげられます。

メサイアコンプレックスは別名で、キリストコンプレックス、もしくはメシアコンプレックスという名前でも呼ばれたりすることがあります。

では、メサイアコンプレックスとはどのような存在なのかといいますと、「救世主妄想と呼ばれる個人が救済者になること運命づけられているという信念を抱く心の状態」です。

難しい意味合いになるので、解釈が難しいかもしれませんが、言い換えてみれば「自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で保証する人々」だと言い換えれます。

まず、メサイアコンプレックスの人は自分は不幸であるという感情を抑圧しているため、その反動である自分は幸せだという強迫的な思い込みを行います。

例えば、自分自身が他人を助けてあげることによって、他人を助けてあげられる自分は幸せな人間であり、存在価値がある人間であると考えるようになります。

それは一種の自分を必要な存在だと認めるような行動を行っていると考えることができます。

一見すると、相手を助けてあげるという行動自体が悪いことでもありませんので、問題がないようにも見えてしまいます。

しかし、メサイアコンプレックスの人の人を助ける行為というものは、必ずしも相手を満足にさせるものではない可能性があります。

なぜならば、自分の本心から相手を助けてあげたいという気持ちではなく、単純に自己満足のための援助であることが多いからです。

その結果、助けてもらった相手は必ずしも助けた人に対して良い印象を持つわけではなく、思い通りの結果にならなかった場合に不機嫌になったりすることなどもあります。

また、思い通りの結果に対して強くこだわろうとしてしまったりしたり、逆にすぐにそれをあきらめてしまうようなことなどもあります。

なので、メサイアコンプレックスとは言い換えてみれば偽善者であると考えることができ、その結果周りからは違和感を感じられてしまうということになってしまいます。

これもコンプレックスの一つであり、精神的な問題を抱えている一つの状態であると考えることができます。

エディプスコンプレックス

次にご紹介するコンプレックスの種類の一つとして「エディプスコンプレックス」があげられます。

エディプスコンプレックスとは一体どのようなものなのかといいますと、ジークムントフロイトが提示した概念として知られています。

意味合いとしては「男根期に生じ始める無意識的葛藤」とされており、簡単に言えば母親を手に入れようとし、その父親に対して対抗心を抱く精神的な問題を指し示しています。

もともとの語源としては、ギリシア悲劇の一つであり、父親を殺して母親と結婚したオイディプスになぞらえてその名前が付けられています。

通常では、母親に対して恋愛感情などを持ったりすることなどは考えられないことです。

しかしながら、実は人間は乳幼児から性愛衝動を持っており、異性の親の愛情を得ようとする傾向があります。

しかしながら、これは本来は抑圧されているので、大部分の人はこのような衝動は実際に強く感じることはありません。

ただ、この感情自分自分自身で理解して、何らかの方法で解放しないとそれがしこりとなって自分自身の精神的な面に残ってしまう場合があります。