時代とともにうつり変わっていく美人の定義。

いつの時代も美人は、男性からチヤホヤされる存在ですが、美人の定義は時代によって変化をしていくものです。

古風な女性が求められる時代もあれば、派手目な女性が求められる時代もあり、その時代によって、美人の定義は、変化を遂げているのです。

では、今から100年前の大正の時代は、どんな女性が美人だと言われていたのでしょうか?大正という時代は、海外からの文化も入ってくると同時に、日本の文化も進化を遂げた時代。

現代の日本へ大きく近づいた時代ともいわれています。

時代によって、変わっていく美人の存在。

大正という時代の美人は、どのような女性だったのか、今回は、「大正時代の美人」はどんな人達だったのかをお伝えしていきたいと思います。

大正時代の日本人は美人だった?!

大正時代というのは、教科書などにもあまり取り入れられない時代。

だからこそ、大正時代のことをあまり知らない人も多いでしょう。

しかし、実は大正時代は現代の日本に通じる様々な変化が起きた時代であったといわれています。

大正時代は、外国の文化などが盛んに入ってくるようになった時代です。

それまでの日本人は着物を身に着けていましたが、洋服などの文化も取り入れられるようになり、現代の日本へと変化を遂げようとしていた時代であるといえます。

また、働く女性等も増えてきて、知識と教養を身に着けた女性も増えてきました。

大正時代の美人の写真を見ると、気品と知性溢れる美人が多く、今でもはっと息を飲んでしまうような美人が多くいます。

時代によって美人の基準も違う

時代によって、求められる美人は変わってきており、時代ごとに美人の基準にも変化が生まれていきます。

昔の日本の美人化を見ると、のっぺりとした印象の顔が多く、おたふくのような顔が美人と言われてきました。

昔の日本の絵画に描かれた女性を見ると、「これが美人なのだろうか?」と疑問を抱くよう女性も多く描かれています。

現代では、目鼻立ちがくっきりとした女性の方が美人と言われることが多くなってきており、昔の絵画に描かれているような顔立ちの女性は、お世辞で美人とは言えません。

時代によって求められる美人にも変化が生まれてきているのです。

大正はどんな時代だった?


大正時代というのは、明治以降の元号では一番短く、15年間しかありませんでした。

しかし、その間に第一次世界大戦や、民主主義への発展を目指した、大正デモクラシー、関東大震災などがあり、たった15年だったのにも関わらず、激動な時代でもあったといえます。

女性が仕事に就くのも増えた時代であり、デパート店員、バスガール、カフェなどの新しい職業が生まれてきた時代とされています。

「女性の社会進出」もテーマとされ、今までの日本とは大きく変化した時代であったのです。

海外の文化も取り入れつつ、日本国内でも文化が進化するようになった時代。

まさに革命期であったともいえる時代でしょう。

仕事、ファッション、食生活…とあらゆるものが、変化を遂げていった時代です。

洋食文化が広まったも大正時代であり、人々の生活にどんどん変化が生まれていった時代であるといえるでしょう。

大正時代に栄えていた地域は?

江戸時代から大正時代にかけて、銀座が賑わうようになり、どんどんと変貌を遂げていく地域となりました。

東京の一等地とされた銀座は、現代でも建築史として名が残るビルが次々と建設されていきました。

現代でも、当時に建設されたビルが残されており、大正時代の歴史を感じさせる建物があります。

栄えていた街の女性はお洒落に敏感だった

大正時代は、女性のファッションにも大きな変化が生まれた時代です。

着物から洋服を着こなすようになり、「モダンガール」というのは、大正時代の流行語と言われてきました。

お洒落に敏感になった時代でもあり、ファッション以外に、メイクなどにも変化が生まれてきており、現代でも有名な「資生堂」が今まで白色しかなかった「おしろい」に豊富なカラーを取り入れブームになったりもしています。

またシャンプーなどが生まれたのも大正時代であり、まさに現代のお洒落へと変化を遂げようとしていた時代であったといえます。

また髪型などにも変化が生まれた時代であり、ショートカットやウェーブなどの髪型をする女性も増えて来ました。

自分の個性を生かしたメイクや髪型をするおるようになったのも大正時代からであるといえるでしょう。

大正三美人を分析してみよう


大正時代はたった15年しかなかったものの「激動の時代」と言われており、その後の日本に大きな影響を与えた時代ともされています。

女性が社会進出をした時代でもあり、男性が働き、女性は家庭の仕事に専念するという時代は終わったのです。

そんな大正時代に「大正三大美人」と言われた女性達がいます。

大正時代の美人は、才色兼備な女性が多く、今でもその美しさには目を見張るものがあります。

大正三大美人はどんな人物だったのか、分析をしていきましょう。

九条武子

武子は、今の京都女子大学の設立に関わった人物とされています。

社会活動家でもあり、歌人でもある彼女は、才色兼備な美女と謳われていました。

左大臣でもあった九条道隆の息子に嫁ぎ、その後、天文学を学ぶためにロンドン郊外のバーンズで暮らしたとされています。

どこか古風な感じが漂う女性でありましたが、40歳の若さで亡くなっています。

江木欣々

東京新橋の芸者であり、社交界で名がしれた人物とされています。

「築地明石町」のモデルとも言われている人物。

社交界で、詩や絵画、歌、踊りなど幅広く披露し、趣味と才人ぶりが話題となったとされています。

法律学者の妻となりましたが、旦那が亡くなった後、5年後に自殺をしています。

柳原白蓮

NHKで放送されたテレビ小説「花子とアン」で仲間由紀恵さんが演じた主人公のモデルともされている柳原白蓮。

華人としての生まれであり、歌人としても活躍しています。

10代で結婚をしましたが、破綻。

その後、再婚をしたり、駆け落ちをしたりと、波乱万丈な生活を送っていた人物。

戦後は平和運動にも力を注いだ一人であり、一躍を担った人です。

大正時代の美人の6個の特徴

昔の日本美人とされた人達は、時代を遡れば遡るほど、写真などが残っておらず、絵画などが多くなってしまい、現実感が湧かない人達が多くいます。

しかし、明治から大正にかけては、「美人コンテスト」というものが開催されるようにもなり、大正美人の写真が多く残るようになってきました。

大正時代の美人は、現代の美人に通ずるものがあり、大正美人と言われている人たちの写真をみると、現代でも美人といえる人達が多い傾向にあります。

では、大正時代の美人の特徴について具体的にお伝えしていきましょう。

各パーツがはっきりしている

大正時代の美人の特徴として挙げられるのが、目・鼻・口などの各パーツがはっきりしていること。

古代の日本だと、のっぺりした顔が美人とされてきましたが、現代に近づくにつれて、目鼻立ちがしっかりしている女性が美人と言われるようになってきました。

いわゆる日本人顔と言われる顔立ちが好まれる時代もありましたが、明治や大正時代になると、日本人っぽい顔立ちよりも、しっかりとした顔立ちが美人と言われるようになります。

二重ではっきりとした目

大きく変わったのが、一重ではなく二重ではっきりした目が美人だと言われるようになってきたこと。

日本人は一重の切れ長な目が美人とされてきましたが、明治時代、大正時代になると、二重で大きな目が、美人の特徴だとされるようになってきました。

大正時代の美人の写真を見ると、くっきりとした二重の女性が多く、目力がある女性が多いと言えるでしょう。

色白で肌が綺麗

大正時代の美人の特徴としてあげられるのが、色白で肌が綺麗であるということ。

いつの時代でも、透き通るような肌質は求められますが、大正時代でもそれは変わらず求められる条件とされていました。

また大正時代は、スキンケアなども進化を遂げるようになっており、化粧水なども美白タイプのものが販売されるようになり、ヒット商品になったと言われています。

女性がスキンケアを欠かさないようになったのも、この時代からといえるでしょう。

才色兼備で教養がある

大正時代の三大美人とされてきた女性や、その他美人だと語り継がれる多くの女性が、教養があり、才色兼備であると言えます。

女性が働くようになり、社会進出をするようになった時代だからこそ、外見だけではなく、内面の「美」も求められるようになったといえるでしょう。

また、この時代は女性運動家も出現し、女性の地位向上もぐっと高まった時代だとされています。

そのため、高等学校へ進学する女性も増えてきて、スキルアップを目指す女性も増えてきたと言われています。

薄化粧

化粧品なども進化を遂げ、お洒落に敏感になったとされる大正時代。

チークや口紅などが輸入され、女性のメイクの幅がぐっと広がったのも、大正時代とされています。

とはいえ、濃いメイクではなく、ナチュラルメイクが求められてきました。

お洒落であることと同時に、教養も求められた時代であるからこそ、品のある薄化粧が求められていたといえるでしょう。

また、女性の社会進出により、女性の働きぶりが注目されるような時代になってきました。

そのため、品と知的さを兼ね備えるメイクをする人達が増えて来たとされています。

厚化粧ではなく、薄化粧にして、自分の素材を生かしたメイクが好まれる時代であったといえるでしょう。

女性らしい立ち振る舞い

大正時代の美人は、女性らしい立ち振る舞いが求められました。

気品溢れる女性が美人とされたからこそ、女性らしさというのは重要視されたと言われています。

写真からも上品さが伺えるのが大正時代の美人の特徴といえるでしょう。

派手で目立つ女性ではなく、一歩引いた女性らしい立ち振る舞いができ、品がある女性が美人であったといえます。

しかし、女性らしさだけではなく、知的さや教養も兼ね備えているため、まさに才色兼備であったと言えるでしょう。

また、礼儀などもきちんと身に着けており、他人に対して失礼な態度をとらないということが当たり前とされてきた時代です。

当時、撮影された写真をみるとどれも気品溢れた女性が映っている印象があります。

おしとやか

大正時代の美人は、おしとやかな人が多く、清楚で家庭的、でも芯がしっかりとしている女性が多いとされています。

一歩引いて、落ち着いた対応ができることや、気品溢れた対応ができるスキルを身に着けているのが、大正時代の美人の特徴だといえるでしょう。

外見だけ綺麗であっても、内面からあふれ出る品の良さというのは、なかなか身に付くものではありません。

大正時代の美人というのは、内面の美しさも兼ね備えた美人であったといえるでしょう。

自分を目立たせるために必死になったり、他人を蹴落としてまで上に行きたいという図々しい女性は品がないとされていたため、大正時代の女性はおしとやかであったといえるでしょ。

芸事に勤しむ

大正時代の美人は、趣味などにも幅広く取り組み、自分の魅力を高めていたとされています。

この頃生まれたのが、現代でも人気がある「宝塚」。

女性のみで構成されたミュージカルの舞台は、老若男女問わず人気があったとされており、この人気を基に、芸術に携われる人も更に増えていくようになってきました。

また、大正時代は「自由」さが求められた時代でもあり、人々がやりたいことに対して、とことん向き合える時代にもなっています。

結果、芸時を勤しむ女性は増え、自分自身の魅力を高めるようになったのです。

踊りや芸術など

踊りや芸術なども近代化していき、趣味として嗜む女性が増えてきました。

自分の特技を身に着けることで、更に女性としての魅力を高めていたとされています。

また、踊りや芸術などが達者な人達というのは、社交界にも呼ばれるようになり、男性からのアプローチも多く受けていたと言われています。

まとめ

大正時代の美人は、外見の美しさだけではなく、内面の美しさも求められる時代でした。

女性が社会進出をする時代になったからこそ、教養や知性が求められるようになり、気品溢れる女性が求められる時代だったと言えるでしょう。

大正時代の美人というのは、現代の女性が目指すべき姿でもあると言えます。

いくら外見だけ美しく見せたとしても、内面を磨かれてなければ、本当の美しさを表現することはできません。

大正時代の美人は、知性や知識を兼ね備えた才色兼備。

非の打ち所がない女性が多かったといえるでしょう。

内面の美しさも兼ね備えた美人になるためには、努力は欠かせません。

外見は、メイクやファッションでごまかせたとしても、知性や品はごまかすことはできず、自分で努力して身につけなくてはいけないものです。

大正時代の美人は、まさに現在の女性が目指すべき姿であるといえるのではないでしょうか。