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大正三美人は誰?美女と呼ばれた女性たちの6個の特徴


時代とともにうつり変わっていく美人の定義。

いつの時代も美人は、男性からチヤホヤされる存在ですが、美人の定義は時代によって変化をしていくものです。

古風な女性が求められる時代もあれば、派手目な女性が求められる時代もあり、その時代によって、美人の定義は、変化を遂げているのです。

では、今から100年前の大正の時代は、どんな女性が美人だと言われていたのでしょうか?大正という時代は、海外からの文化も入ってくると同時に、日本の文化も進化を遂げた時代。

現代の日本へ大きく近づいた時代ともいわれています。

時代によって、変わっていく美人の存在。

大正という時代の美人は、どのような女性だったのか、今回は、「大正時代の美人」はどんな人達だったのかをお伝えしていきたいと思います。

この記事の目次

大正時代の日本人は美人だった?!

大正時代というのは、教科書などにもあまり取り入れられない時代。

だからこそ、大正時代のことをあまり知らない人も多いでしょう。

しかし、実は大正時代は現代の日本に通じる様々な変化が起きた時代であったといわれています。

大正時代は、外国の文化などが盛んに入ってくるようになった時代です。

それまでの日本人は着物を身に着けていましたが、洋服などの文化も取り入れられるようになり、現代の日本へと変化を遂げようとしていた時代であるといえます。

また、働く女性等も増えてきて、知識と教養を身に着けた女性も増えてきました。

大正時代の美人の写真を見ると、気品と知性溢れる美人が多く、今でもはっと息を飲んでしまうような美人が多くいます。

時代によって美人の基準も違う

時代によって、求められる美人は変わってきており、時代ごとに美人の基準にも変化が生まれていきます。

昔の日本の美人化を見ると、のっぺりとした印象の顔が多く、おたふくのような顔が美人と言われてきました。

昔の日本の絵画に描かれた女性を見ると、「これが美人なのだろうか?」と疑問を抱くよう女性も多く描かれています。

現代では、目鼻立ちがくっきりとした女性の方が美人と言われることが多くなってきており、昔の絵画に描かれているような顔立ちの女性は、お世辞で美人とは言えません。

時代によって求められる美人にも変化が生まれてきているのです。

大正はどんな時代だった?


大正時代というのは、明治以降の元号では一番短く、15年間しかありませんでした。

しかし、その間に第一次世界大戦や、民主主義への発展を目指した、大正デモクラシー、関東大震災などがあり、たった15年だったのにも関わらず、激動な時代でもあったといえます。

女性が仕事に就くのも増えた時代であり、デパート店員、バスガール、カフェなどの新しい職業が生まれてきた時代とされています。

「女性の社会進出」もテーマとされ、今までの日本とは大きく変化した時代であったのです。

海外の文化も取り入れつつ、日本国内でも文化が進化するようになった時代。

まさに革命期であったともいえる時代でしょう。

仕事、ファッション、食生活…とあらゆるものが、変化を遂げていった時代です。

洋食文化が広まったも大正時代であり、人々の生活にどんどん変化が生まれていった時代であるといえるでしょう。

大正時代に栄えていた地域は?

江戸時代から大正時代にかけて、銀座が賑わうようになり、どんどんと変貌を遂げていく地域となりました。

東京の一等地とされた銀座は、現代でも建築史として名が残るビルが次々と建設されていきました。

現代でも、当時に建設されたビルが残されており、大正時代の歴史を感じさせる建物があります。

栄えていた街の女性はお洒落に敏感だった

大正時代は、女性のファッションにも大きな変化が生まれた時代です。

着物から洋服を着こなすようになり、「モダンガール」というのは、大正時代の流行語と言われてきました。

お洒落に敏感になった時代でもあり、ファッション以外に、メイクなどにも変化が生まれてきており、現代でも有名な「資生堂」が今まで白色しかなかった「おしろい」に豊富なカラーを取り入れブームになったりもしています。

またシャンプーなどが生まれたのも大正時代であり、まさに現代のお洒落へと変化を遂げようとしていた時代であったといえます。