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大正三美人は誰?美女と呼ばれた女性...(続き2)

また髪型などにも変化が生まれた時代であり、ショートカットやウェーブなどの髪型をする女性も増えて来ました。

自分の個性を生かしたメイクや髪型をするおるようになったのも大正時代からであるといえるでしょう。

大正三美人を分析してみよう


大正時代はたった15年しかなかったものの「激動の時代」と言われており、その後の日本に大きな影響を与えた時代ともされています。

女性が社会進出をした時代でもあり、男性が働き、女性は家庭の仕事に専念するという時代は終わったのです。

そんな大正時代に「大正三大美人」と言われた女性達がいます。

大正時代の美人は、才色兼備な女性が多く、今でもその美しさには目を見張るものがあります。

大正三大美人はどんな人物だったのか、分析をしていきましょう。

九条武子

武子は、今の京都女子大学の設立に関わった人物とされています。

社会活動家でもあり、歌人でもある彼女は、才色兼備な美女と謳われていました。

左大臣でもあった九条道隆の息子に嫁ぎ、その後、天文学を学ぶためにロンドン郊外のバーンズで暮らしたとされています。

どこか古風な感じが漂う女性でありましたが、40歳の若さで亡くなっています。

江木欣々

東京新橋の芸者であり、社交界で名がしれた人物とされています。

「築地明石町」のモデルとも言われている人物。

社交界で、詩や絵画、歌、踊りなど幅広く披露し、趣味と才人ぶりが話題となったとされています。

法律学者の妻となりましたが、旦那が亡くなった後、5年後に自殺をしています。

柳原白蓮

NHKで放送されたテレビ小説「花子とアン」で仲間由紀恵さんが演じた主人公のモデルともされている柳原白蓮。

華人としての生まれであり、歌人としても活躍しています。

10代で結婚をしましたが、破綻。

その後、再婚をしたり、駆け落ちをしたりと、波乱万丈な生活を送っていた人物。

戦後は平和運動にも力を注いだ一人であり、一躍を担った人です。

大正時代の美人の6個の特徴

昔の日本美人とされた人達は、時代を遡れば遡るほど、写真などが残っておらず、絵画などが多くなってしまい、現実感が湧かない人達が多くいます。

しかし、明治から大正にかけては、「美人コンテスト」というものが開催されるようにもなり、大正美人の写真が多く残るようになってきました。

大正時代の美人は、現代の美人に通ずるものがあり、大正美人と言われている人たちの写真をみると、現代でも美人といえる人達が多い傾向にあります。

では、大正時代の美人の特徴について具体的にお伝えしていきましょう。

1.各パーツがはっきりしている

大正時代の美人の特徴として挙げられるのが、目・鼻・口などの各パーツがはっきりしていること。

古代の日本だと、のっぺりした顔が美人とされてきましたが、現代に近づくにつれて、目鼻立ちがしっかりしている女性が美人と言われるようになってきました。

いわゆる日本人顔と言われる顔立ちが好まれる時代もありましたが、明治や大正時代になると、日本人っぽい顔立ちよりも、しっかりとした顔立ちが美人と言われるようになります。

二重ではっきりとした目

大きく変わったのが、一重ではなく二重ではっきりした目が美人だと言われるようになってきたこと。

日本人は一重の切れ長な目が美人とされてきましたが、明治時代、大正時代になると、二重で大きな目が、美人の特徴だとされるようになってきました。

大正時代の美人の写真を見ると、くっきりとした二重の女性が多く、目力がある女性が多いと言えるでしょう。

2.色白で肌が綺麗

大正時代の美人の特徴としてあげられるのが、色白で肌が綺麗であるということ。

いつの時代でも、透き通るような肌質は求められますが、大正時代でもそれは変わらず求められる条件とされていました。