CoCoSiA(ココシア)

年代別に見る「懐かしのモノ」28選...(続き2)

なんと口から哺乳瓶で水を飲ませることができ、なんとお尻から水が出てくるのです。

かなり話題性がありますよね。

そして、横にすると目を閉じるのでまるで赤ちゃんにミルクを飲ませて、そして寝かしつけることができる、という赤ちゃんごっこができたわけです。

1954年には国産のミルクのみ人形が発売され、日本橋の百貨店ではこの人形を買うために大勢の人が開店前から長蛇の列を作っていたそうです。

一日に約2400個も販売されたというほどで、きっと女の子たちがみんな欲しがった思い出があるのではないでしょうか?

このころには、着せ替えの洋服なども発売されていたようで、別売りでベットやソファーも売られていたようですよ。

野球盤

1958年にエポック社が創立し、創立と同時に発売され、大人気となったのが野球盤です。

こけし人形がついている盤面は家具職人が作っていたという代物。

当時としてはとても高額だったため、みんなが持っているわけではなかったようです。

でも、男の子たちはこれに夢中になりましたよね。

初期のころの野球盤は変化球がなく、直球だけの勝負でしたが、毎年のように改良されていき、かなり高性能なゲームへと変化していった歴史があります。

ミルキー

「ミルキーはママの味♪」。このメロディーで思い出す、みんな大好きミルキーキャンディー。

甘くて優しい口どけで、ミルクのこく深い味わいが癖になる飴ですよね。

このミルキーは、日本のお菓子業界を代表するロングセラー商品として、たぶん知らない日本人はほとんどいないのではないでしょうか?

このミルキーが不二家から初めて発売されたのは1951年です。

北海道産の牛乳を使った優しいミルク味のキャンディーで、初期には箱の表にはペコちゃん、裏側にはポコちゃんがイラストとして描かれていました。

そして、小箱にはモールの取っ手がついていて、箱をゆするとペコちゃんの黒目が動くということでみんなで箱を振っていましたね。

今では、不二家の誰もが知るマスコットキャラクターであるペコちゃんも、このころはこのミルキーのみのキャラクターだったそうです。

60年以上がたった今でも、みんなに愛されている日本人にとって心を癒してくれる大人気キャンディーです。

ホッピング

今でも、たまあに子どもだちが遊んでいるのを見かけるホッピング。

1950年代に大流行したものだったんですね!かなり息の長いアイテムです。

1956年に発売され、当初の発信地は大阪付近だったようです。

そこからどんどんと東西に人気が拡大していきました。

価格は600円台~900円台だったようです。

小さい子供たち用のものから、高校生や大人用のものまで6種類が販売されていたようです。

ホッピングが大流行して、大人も子供も夢中になっていたころは、ただただ回数を競うのではなくて、いろいろな乗り方をして楽しんでいた模様。

片手乗りや手放し乗りなど、自由に飛び跳ねられる感覚がみんなを虜にしたようです。

1960年代

どんな出来事があった?

1960年代は、ベトナム戦争が激化した時代。

さらに、ビートルズが世界の音楽シーンに大きな変化をもたらした時代でもあります。

そのころ日本では、ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんがデビューし、大勢のプロレスファンを魅了していました。

今でも、その人気は衰えることを知りませんね。

さらに1960年にカラーテレビが登場。1961年には、テープレコーダーも登場しています。

NHKでは連続テレビ小説がこの年から始まっていて、プラレールやプラモデルも人気になりました。

首都高速道路が開通したのもこの頃で1962年なんです。