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認識とはどう使う言葉?大人の仕事用...(続き3)

一般人にこれを当てはめるのならば、熟練した職人さんとか、どの分野にも精通していて隙のないコンシェルジュが1番近いイメージです。

人は若い頃多くの人が、悟りを開いた大人になってみたいと思いますが、「認識」というレベルから「悟りの境地を開く」までになるには、時間も経験も必要です。

この性質は天才とはまた違って、積み重ねていく努力の上に成り立つものですよね。

「認識」という行為を何十年も続けていれば、いつの日か悟りが開ける日が来るはずです。

見抜く

「見抜く」というスキルは、天性の気質というか、元々生まれた時から備わっている能力が肝になります。

見抜ける人が見抜けない人に、何度も見抜くプロセスを説明したところで見抜けない人は「何のことを言われているんだかさっぱり」と思う人もいれば、誰かに何かを教わったことがないのに、最初から人を見抜ける人がいるんです。

生きることに命懸け、子供の頃から比較的苦労してきた人の方が、この「見抜く」能力が備わる可能性が高いような気がします。

あれは私が、ちょっと治安の悪い外国に、旅行に行った時のことです。

そこでの生活環境はあまり良くない状況でしたが、人によっては鋭い目をした人を何人か見かけました。

彼らは「生きるんだ」というサバイバル精神や、誰も守ってくれない状況から、生物学的にその能力を身に付けたのではないかと推測できます。

見抜ける人が「認識」すれば、より視野の広い理解ができるはずです。

飲み込む

「飲み込む」という行為は普通大人でなければできません。

子供の中にも、幼くしてそうせざるおえない状況の子もいます。

「飲み込む」とは、例えば、自分が正しい、自分の意見をいいたい、そう思ったとしても、その気持ちを飲みこんでぐっと我慢して口を開かない行為のことをいいます。

これってめちゃくちゃ凄いことですよね。

これができなくて、すぐにイライラしてしまう人がいたり、自分に有利な立場ばかりを押し付けてしまう人がたくさんいます。

我がままばかりいって、他の人の状況を考えない人・・・それに比べてぐっと言いたいことを飲み込める人、こういう人が世の中を支えていたりするんです。

サラリーマンなら言いたいことを「飲み込む」なんてお手の物、そういう人は「認識」なんて朝飯前というところでしょう!

とらえる

「とらえる」といっても、とらえる対象は獲物ではありません。

何をとらえるのか、認識すべき内容をとらえるのです。

例えば、同じ部署のメンバーと会議をして話し合っている時、新人以外は話を理解しているのに、新人だけは口をぽかんとあけて、何やら「何の話をしているのか」話の本筋をとらえられずに、理解できていない場合があります。

話の内容をとらえていないのならば、ほぼ100%「認識はできていない」でしょう。

そういう時はぐっと我慢して静かに自分が成長するまで辛抱するのです。

知ったかぶったり、分かった振りをしないで、余計なことを口にしない、そうすれば「認識」できるようになるのです。

つまり、話のまとをとらえられるようになったら、その先に「認識」が見つかるというわけですね!

認める

「認める」、これは簡単なようで、大人になればなるほど難しいことです。

「自分が悪かった」「認識できていなかった」「自分は分かっていなかった」「部下は理解していたのに、先輩の自分は分かっていなかった」そんなこと認めさせらえた日には、お酒でも飲まないとやってられません。

社会人になれば、ミスはミスだと認めなくたって、なんとなくそういう状況は周りに伝わり、「あ~今回の失敗はあの人のせいだよね」という空気になります。

認める・・・それはしかるべき時だけにして、できるだけ謝罪を口にしない!それが社会人になった後の新しいルールなのではないでしょうか。

「認識」できるレベルが上がれば、自ずと謝らないといけないことも減ってくるはず、「私が悪いんです」と素直に認めても、会社では意味がない時もあります。

それより、会社の利益になる働きができるようになること、それが「謝る」の代わりになる「謝罪」なのかもしれません。

認識の使い方も認識しておく?

如何でしょうか。

社会にでると、それまで常識だったことは覆され、そこには新しいルールが、まるで落とし穴のようにいくつも隠されていたのです。

もちろん「認識」だってその隠された大事なキーワードの一つですよね。