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仁義を切るとはどういう意味?仁義を切らないとどういうことが起こるのか、ビジネスシーンでの使い方・例文・同義語・英語表現を紹介

ビジネスシーンにおいて上司などから「君は仁義を切ったのかね?」だとか「一応は仁義を切っておくように」なんていわれたことがありませんか?

仁義を切る”という言葉の意味を知っていれば、すぐにでも返事を返すことが出来るでしょう。

そこでこの記事では、”仁義を切る”とはどういう意味なのか、仁義を切らないとどういうことが起こるのか、ビジネスシーンでの使い方、同義語などをお伝えしていきます。

この記事を読めば、”仁義を切る”という言葉を受身で受け取るだけではなく、使いこなせること間違いなしです。

この記事の目次

仁義を切るとはどういう意味?

仁義を切るには「①ばくち打ち・香具師 (やし) などの間で、独特の形式に基づいた初対面のあいさつを交わす。」「②仕事上のことなどで、事が円滑に運ぶように同業者などに挨拶をしておくこと。」という2つの意味があります。

ビジネスシーンで使う場合「連絡をする、(何かあること・用件・現在の状態状況などを)伝える」という意味合いになります。

元々の意味

”仁義を切る”という言葉は、ビジネスシーンだけで使われているわけではありません。

ドラマや映画などで極道の人が使っていたり、中国の儒教についてのべられている書籍などに登場することもあるのです。

ビジネスシーンにおいて使われている”仁義を切る”という言葉が出てくる前に、もともとは極道などが使っていた”仁義を切る”という言葉がありました。

その前は、なんと中国の儒教において「仁義を切る」という言葉での意味で使われていたのです。

要するに、数十年前までは現代のようにビジネスシーンにおいて「仁義を切る」という言葉があまり使われていなかったことになります。

そのため、”仁義を切る”という言葉の元々の意味は儒教からの教えでの意味における「人が守るべき、守って当たり前な道徳」というものでした。

儒教というのは、日本の武道や武士の方たちの戦いの軸になっていたことでも有名ですよね。

それは”道徳を守る”という意味合いがとても強かったからなんです。

ビジネスシーンにおいても、どんなときでも”常識”だとか”道徳”というものが求められています。

道徳のない人間というのは、それだけで信用を得ることが出来ません。

たとえ信用を得ることが出来たとしても”道徳がない””その気持ちがない”ということが相手に伝わってしまえば、培ってきた信頼を失うことになってしまいます。

そのような道徳を重んじるやくざ社会においても、この”仁義”という言葉が遣われるようになりました。

特にやくざ社会では、縦のつながりが重要視されていますよね。

上の者を敬い、そしてその世界に伝わる道徳だとかを守ることが出来なければ、破門されてしまうかもしれません。

”仁義を切る”という言葉は、その業界内において「挨拶をする」そして、その業界内で守られている「ルールに従うと宣言する」という意味になります。

このように中国からの教えからのやくざ社会における”仁義を切る”という言葉の意味が、現在ビジネスシーンで使われている”仁義を切る”という言葉の元々の意味になります。

転じてどういう意味?

「ルールに従う」「業界内で挨拶をする」ということを考えると、「伝える」「自分から相手に発信する」という意味が共通しているのがわかるでしょうか。

これらから、現在のビジネスシーンで使われている”仁義を切る”の意味である「連絡をする」「相手に伝える」という意味に伝わったのでしょう。

とはいえ、なかには「業界内で挨拶をする」意味で使っている人もいます。

しかし、口頭で「仁義を切るように」と言われるような場合は、そちらの意味ではなく「(相手方などに)連絡をする・一言いれるように」という意味合いになるということを肝に銘じておいてください。

そもそも「仁義」とは?

そもそも”仁義”とは、「人が守るべき、守って当たり前な道徳」という意味合いになります。

また「道徳」とは、「生活を営んでいく上ですべての人が守るべき基準」のことをさしています。

要するに、社会ルールや暗黙に多くの人がしたがっているルールのことになります。

また、反対に不道徳というのは、そのように守るべきものから逃れ、本来であればやってはいけないということをやってしまうことをさしています。(窃盗・人殺し・不倫など)

ビジネスシーンにおいてもやっていいこととよくないことがありますよね。

まさに相手方に連絡をすること、伝えることというのは、とても重要なことであり、またできて当たり前のことであるということなのです。

ビジネスシーンで良く使われるようになった

”仁義を切る”という言葉は、もともとは中国の言葉で、しかも日本で使われるといってもやくざ社会のみでした。