「おもしろい」も同じで、大多数が自分と同じように面白いと感じるだろうと思っているから「普通に面白いよ」という発言になるのですね。
「すげーすげーとみんなに広めて歩くくらいおもしろいわけではなかったが、つまらなくもなかったし、まぁそこそこおもしろかった気がする」なんて、わけのわからない感想になってしまいましたが、つまりこういった感想を短く言うと「普通におもしろい」になるわけです。
️まずは普通の意味から知っておこう
「普通」とはどんな意味なのでしょうか。
あまり考えたことのある人もいなさそうなくらい普通の意味しかなさそうに感じますが…普通の意味について一応調べてみました。
普通の意味とは
「普通」とは「当たり前」のことです。
特に何も変わっていない、その状態であって当然のことを言います。
やっぱり普通の意味でしたね。
通常は一般的であり、誰にでも通じるもののことを言いますが、時には周りの人に非常識だと思われるようなことでも、自分にとっての普通だったということもあるでしょう。
普通の意味は当たり前のことですが、それは「自分にとって」の普通と「世間一般から見て」の普通と2種類あるのかもしれませんね。
いつどこにでもあるようなもの
世間一般の人から見て、その大多数が「そうだ!」と言えるもののことを普通と言います。
いつでもどこにでもある。
まったく珍しくもなく、他と比べても何ら変わりがない。
特別な部分は全くない当たり前のこと。
それが普通です。
「どこにでもいる普通の子ども」などというように、一般市民の大多数が「そうだね」と言えることです。
ありふれているもの
世の中にありふれてあるもののことです。
「あの草はどこにでも普通に生えている」などというように使います。
他と特に異なるものがない様子
周りと一緒と言うことです。
「ごく普通の家庭」などという感じで使います。
広く通用する状態
その内容が世間一般にある多くの事例に当てはまるという意味です。
「日本では、入学式は普通4月に行われる」などという使い方をします。
当たり前であること
多くの人から見て、感覚的に「そういうもんだよね。」と言えるような内容であることを言います。
「早起きとは普通6時に起きることを言う」などです。
一般的であること
どこに行っても変わりがないことです。
例えば「普通科」「普通高校」のようにどこへ通っても同じ教育内容になるような場合を言います。
️普通という感覚の線引きの例
その人の性格や過去の生い立ち、育てられ方、現在の環境など、さまざまな要因によって、「普通」の概念は決まってきます。
だいたいはみんな同じように見えても、細かい部分ではかなりの異なりを見せるでしょう。
「普通」という感覚は幼い頃にだいたい決まってきます。
それは、小さい頃、親から受けた教育が感覚として身についてしまっているからです。
ですから、親に「◯◯は××である」と教えられれば、それがそのまま自分の価値観として身につきます。
たとえ周囲が違うと言っていても後からではなかなか変えられるものではありません。