人間、この世の中を生きていくということは、自分の思い通りにならないことがいくつも出てくるということです。

つまり「納得」できないことばかり、ということですね。

「納得」。

つまり自分の思う事や方針・指針と周囲の行いがほぼ狂いなく一致して行われている状態の時の精神的な心のありようを表しています。

さて、この「納得」が叶わない時、私たちはどのようにしてその事態を打開してゆけばいいのでしょうか?

今回は「納得」についていろいろと考えてゆきたいと思います。

人生、納得できないことだらけ?

今の世の中、納得できないことが巷に溢れかえっているのではないでしょうか?一歩、外に出れば公衆道徳やルールを守らない輩がわんさか。

かといって家の中に籠っていても世の中の流れに置いてけぼりにされそうで焦るばかり。

本当に納得いかない今の時代です。

政治の世界も国際情勢も不安を増長させることばかり。

人生、納得できないことだらけ?と言わんばかりの今の世の中です。

会社に入れば、何とかハラスメントやブラックを意識してばかりの毎日。

かといって楽しいことも起こらない。

本当につまらない毎日の連続。

これではとても「納得いく人生」なんて歩めそうにもない今の社会情勢なのかも分かりませんね。

納得できないことはストレスになる


とにかく、自分自身が納得できないことが多すぎると、それらがストレスの種になって自分自身を追い込んでいくのは火を見るよりも明らかなことでしょう。

現代社会はストレスとの闘い。

いかにしてストレスを溜めないようにするかがこの世の中を上手に生き抜いていく一つの戦法となるでしょう。

我慢と納得は表裏一体。

納得できなくとも表向きは納得しているように見せなければならない辛さ。

本当にストレスが溜まるばかりでやっていられない気分になるでしょう。

納得できないことはどんなデメリットを生む?

では次に参りましょう。

それでは自分自身が「納得できないこと」を腹の中に溜めこんでしまうと一体どのようなデメリットを生んでしまうのでしょう?

それについて少々、見てまいりますね。

不満が募る

自分の中に納得できない事を溜めこんでいると起こり得るデメリットの1つ目は「不満が募る」です。

そもそも、納得できないこと、というのは自分の意見や考え方が中心となってくだされたものであり、周りの意見や動向に対して少なからず妥協しない姿勢が生み出したものとも言えます。

よってここで取り上げております「不満が募る」も自分の考えを最優先に取り上げて行動しようとするから、自分の思い通りに事が運ばないから不満が募ってきて納得いかなくなる、という図式が成り立つのでしょう。

「不満」というものは人間が自分の意思でもって行動する限り、多かれ少なれ周囲の環境や人間関係に対して生まれてしまうものです。

だから、べつに不満点が出て来たからと言って特別あなたの行動がおかしいわけでもありません。

いえ、むしろ現状の問題点に対して「おかしい」と思える点を発見しているからこそ「不満」が募るわけですから、あなたはそれなりに問題意識をもった優秀な人間ともいえるわけです。

ただ、何から何まで全てを不満に思ってしまってはいけません。

必ずやどこかで妥協点というものを見つけておかないと人間は組織内で活動できなくなってしまいます。

いかにして不満を募らせないようにするか、が納得いく人生を歩む一つの道でもあるのです。

が、これがなかなか難しいのですよ。

所詮、それが人間の姿、というわけになるのかもしれません。

人と人が衝突する


自分の中に納得できない事を溜めこんでいると起こり得るデメリットの2つ目は「人と人が衝突する」です。

「納得」という概念はあくまで自分の価値観が主体になっています。

よって自分の気にいることがすなわち「納得」となるわけです。

そこには他者からの一切の介入も押し付けも許されません。

あくまで自分の考え最優先なのです。

よって自身の「納得感」を阻害するような他者からの思惑や指示・命令等が入り込んでくると、自身の優位性を守ろうとするための「衝突」が生じてしまうのです。

これには絶対に譲れないその人の信念というか、プライドが「許さない」という行動を起こすがために起こりえる「格闘」とも呼べるでしょう。

つまり自分が「支配者」という自負をもっているからこそ起こり得る現象ともいえるのです。

よってこのような人と人の衝突はお互いの地位や位が同等の時に起こりやすくなってしまいます。

反対に上司や部下との関係などになればこのような衝突も起こりません。

双方の間の力の差が大きければこのような争いを起こしてしまう原因が生まれないから、とも言えるでしょうね。

納得できないことはメリットも生む

では次です。

それでは人間は自分が納得できないことがあったら誰とでもすぐに争い事を起こしてしまう生きものなのでしょうか?

いえいえ、そうではありません。

いくら自分が納得できないからといってそうそう、相手と衝突ばかりしていたら私たちの社会生活は成り立たなくなってしまいます。

今度は納得できないことが逆にメリットを生み出す、という作用について考えていきたいと思います。

諦めないで探求しようとする

納得できないことが生み出すメリットの1つ目は「諦めないで探求しようとする」です。

人間には「探求心」というものがあります。

自分の知らなかった未知なるものや分野について詳しく、納得いくまで知り尽くそう、という一種の欲望です。

この知的好奇心があるからこそ人類は多くの他の生きものとの生存競争に勝ち抜けたのではないでしょうか?

とにかく自分のそれまで持っていた常識や知識では推し量れないような物事が目の前に現れた時、諦めずに徹底して調べていく姿勢を持てる人がその後の「納得感」を得ることができるのです。

この諦めない姿勢こそが人間の成長力の礎となっているのでしょう。

納得できた時の達成感が大きく自信につながる

次に2つ目に考えられることは「納得できた時の達成感が大きく自信につながる」ということです。

「達成感」。

これほど人間を大きく成長させてくれる要素はありません。

何かを成し遂げようと思えば1日2日で簡単にできるものもあれば1週間、あるいは1カ月もかかるような気の遠くなるものもあり得ます。

それらのものを一つ一つ、途中で投げ出さずにゴールに向かって努力を続け、結果を出した時の「達成感」といったら何ものにも比較することもできないくらいの喜びと充実感があなたを包み込んでくれることでしょう。

このひと時の感情、これが「達成感」なのです。

そしてこの達成感を何度も味わうことによって人は2倍にも3倍にも成長できるのです。

と、同時にちょっとやそっとの事では揺るぎようもない「自信」をも掴み取れるのです。

そしてそのあとに「納得」という感情が生まれてくるのです。

これだけの努力を積み上げてきたからこその「納得」です。

この感情を手に入れるための原点は納得できなかった自分がいたからこそ成し得られたことを忘れないでいてほしい、という事なのです。

納得できないことがあった時の6個の気持ちの整理の仕方

それでは次に参りましょう。

今度は納得できないことがあった時の気持ちの整理の仕方についてです。

人間、各々の考え方が違いますから、社会に出てから全ての事を納得済みで行動するのは非常に困難な事です。

時には自分の考えと大幅に違ったことに遭遇しながらもそれをしぶしぶ了承しなければならない局面も出てくるでしょう。

そういった時にいやな顔をせずに済む方法を考えてみたいと思います。

全部で6個のご紹介となります。

自分の不満なんてちっぽけだと思おう

納得できないことがあった時の気持ちの整理の仕方の最初の1つ目は「自分の不満なんてちっぽけだと思おう」です。

要するに自分の考え方を重要視し過ぎない姿勢を保とう、という事です。

そうすれば自分が抱いた不満も多少は抑えられ、納得いかない事態があったとしても何とか我慢することができる、というものです。

これは一種の自分のプライドの保ち方とも関わってくるでしょう。

自分のプライドが高過ぎれば、ちょっとした些細なことでもすぐにイラッときて納得できなくなってしまうからです。

そのあたりの気持ちの整理を上手につけるのです。

プライドは捨てずに、しかし納得いくかどうかの分近点は思いっきり下げてすぐにカッとなるような事を「ちっぽけな事」と寛大に考えられるように自己コントロールする手法なのです。

もっと苦しんでいる人は沢山いる

納得いかないという事は、悩みや理不尽な事を放置しておけないあなたの自負心の賜物でもあるわけなのですが、もう少し視野を広げることによってそれらの問題は「ちっぽけな事だった」あるいは「些細な問題」というように考えられるようになるでしょう。

その考えの一例となればいいのですが、例えばこの広い世の中にはあなたよりももっと苦しんでいる人や悩んでいる人が五万といるのです。

もしかしたらそれらの人たちは体のどこかに病気を抱えていて満足な活動が出来ないのかもしれません。

あるいは家庭環境が想像以上に劣悪でそれが原因となって満足な思想・思考が阻害されているのかもしれません。

「そういった方々と較べれば俺は何と恵まれた境遇の元で過ごしているのだろうか。そう思ったら俺の抱えている不満など取るに足らない本当にちっぽけなものに過ぎないんだ」という考えに行き着くことが出来たらしめたものです。

自分の不満をちっぽけなものと思えるようになったら、あなたは確実に大人の人間に一歩、近づけたとい事になるでしょう。

大自然に触れに行こう

納得できないことがあった時の気持ちの整理の仕方の2つ目は「大自然に触れに行こう」です。

人は会社という組織に勤めるために否が応でも「都会」という場所にしばらくの間、定住しなければなりません。

そこは多くの人間と交わる一種の「阿鼻叫喚」な場所と言えるかもわからない秩序も道徳観も崩壊した混沌とした世界かも分からないからです。

事実、そのような世界に長く在籍すれば確実にストレスでやられます。

それほど人間同士の関係というのは複雑怪奇なものなのです。

そのような環境下で納得いく生活を送ること自体、奇跡に近いことなのかも分からないのです。

そこで人々は憩いやリラックスを求めて息抜きの場所を求めに彷徨う訳なのです。

その一つが「大自然」という訳です。

小さな不満なんて、どうでも良く感じられるようになる

大自然の中に自分の身を置けば、それまでのイライラやモヤモヤは嘘のように吹き飛びます。

それほど自然界の持っている「パワー」というものは科学や理性では開設しきれない不思議なものを宿しているのです。

よって機を伺って定期的にプチ旅行を楽しみましょう。

あるいはドライブで遠くへ行ってみましょう。

気持ちが一気にほぐれ、また明日からの活力がふつふつと沸いてくるのが実感できると思いますよ。

人は人、自分は自分と割り切る

納得できないことがあった時の気持ちの整理の仕方の3つ目は「人は人、自分は自分と割り切る」という事です。

この考え方が身につけばもうあなたはいちいち納得できない事があったとしても世の中を渡ってゆくだけの度量と胆力を身につけたと言ってもいいかもしれませんね。

それくらい「人は人、自分は自分」と思えるようになるには経験値がたくさん必要になるのです。

だから容易にはこの考え方は身に付かないものと言えるのです。

自分と他人は違って当然と思おう

往々にして人間が自己中心的です。

自分の考えが全て正しい、と思ってしまう傾向があります。

特に人生経験の乏しい10代から20代にかけてはこの傾向が顕著に表れやすいとも言えるでしょう。

だから若い時は周囲の人間とのいざこざや言い合い、挙句は喧嘩や闘争が尽きないのです。

自分の考えが1番でありこの世の全てと思う事以外に発想が回らないのですから、これはこの時期特有の致し方ない思考傾向と言わざるを得ないのでしょう。

しかしながらそれらの経験を踏んでいく事によって人間は賢くなっていきます。

つまり余計な争いは避ける、という生き方を選択できるようになるのです。

自分と他人は違っていて当然。

だからいちいち他人の意見に目くじら立てていてもこっちが損をするだけ。

それならば最初から他人とは距離をおいて接するようにしよう、という考え方です。

要するに他人の考えにも一目おける発想を身に付けられるかどうか、という事ですね。

これはどれだけ自分が痛い人生を歩んできたかによって身に付く能力です。

逃げてばかりの人生を送ってしまうと根本的に「自分は自分、他人は他人」というものの考え方が理解できない事になってしまうでしょうね。

最初からあまり期待しすぎないようにする

納得できないことがあった時の気持ちの整理の仕方の4つ目は「最初からあまり期待しすぎないようにする」です。

人間の感情は正直です。

自分がいいと思うものにはとことん、のめり込みます。

100の成果以上の期待を持ちます。

自分が選んだものだから自分を裏切るはずがない、とでも思っているかのような入れ込み方です。

しかし、世の中、そうそう自分の思ったように事は運びません。

必ずやどこかに落とし穴が待っています。

そして期待を裏切られ落胆します。

そんなに期待をしなくてもいいようなものなに、人間はいつも過剰な期待をしてしまいます。

そしてその結果が駄目だったら人は烈火の如く怒って自分の非を責めるのではなく期待した相手や物事に対して怒りをぶつけるのです。

ああ、なんて身勝手で愚かな行動なのでしょうか。

期待が薄いと納得できるようになる

そもそも期待をかけた事に対する納得感というのは他力本願で行われている事が多いものです。

例えば「競馬」。

公営ギャンブルの王者ですね。

この競馬に対して期待を賭ける気持ち、痛いほど分かります。

誰だって一攫千金でたくさんのお金を得たいですからね。

しかし、ギャンブルほど自力が及ばないものもないのではないでしょうか?人の思惑に関係なく競走馬は走ります。

それに対して人間が勝手にお金を賭けて熱狂しているのです。

期待を賭ける気持ちも分かりますが馬の気持ちになってみれば「そんなに熱くなるなよ」と言っているかのような錯覚にも陥りそうですね。

反対に期待が薄ければ妙な納得感も生まれてきます。

そもそもギャンブルで一攫千金できる確率なんて数パーセントもないのですからね。

そこを冷静になって考えたらおかしな期待などかけることもないのです。

でも、真のギャンブル好きの人にそれを言っても無駄でしょうね。

だってあの一瞬のスリルと興奮がやめられないから続けているのだ、と。

それを体感できない人間の方こそ、納得できない人生を歩んでいる、と言い返されそうですね。

あまり深くネガティブに考えても良いことは何も無いと思おう

納得できないことがあった時の気持ちの整理の仕方の5つ目は「あまり深くネガティブに考えても良い事は無いと思おう」です。

確かにおっしゃる通りです。

ネガティブに物事を考えて納得できる事などほとんどありません。

誰が自分が損をしたり不幸になる事を考えたがる人がいますか?そして実際にその通りになってしまったら一体、誰にその不満のはけ口を言うのですか?

ネガティブに物事を考えるという事は、全くもって納得いかない話の連続なのですよ。

単なる時間と神経の無駄遣いに終わる

ネガティブに物事を考えるという事は、自分を不幸のどん底に叩き落すようなものなのです。

いわば「疫病神」を自ら導いて自分の心の中に住まわせる行為です。

そんな事をやって誰がそれを喜んでくれるでしょうか?

こんな発想、単なる時間と神経の無駄遣いであると早く悟る事です。

他人の文句、世の中への恨み言、悪口や過度な自慢話。

皆、ろくでもない結果を招いてくれます。

そんな風に考えたらその通りの結果が自分に却ってくる、という事を身をもって体験してしまうでしょうね。

楽しいことだけ考えるようにする

納得できないことがあった時の気持ちの整理の仕方の最後の6つ目は「楽しいことだけ考えるようにする」です。

そう、これが全てなのです。

そうすればこの世に起きること、全てが目出度くハッピーになるのです。

楽しい事だけ考えましょう。

嫌なことや苦しい事は極力、考えないようにしましょう。

そうすればおかしいくらい身の回りの全ての事に「納得」できるようになります。

心身共に「楽」になれるからでしょうね。

楽しみな予定を常に入れておこう

とは言ってもそれまでネガティブ的なものの考え方をやって来た方にとってはいきなり楽しい事だけを考えて生きるというのは難しい事かもしれません。

そこでこれからは一つ、工夫を凝らしてみましょう。

メモでもノートでもいいですからこれから自分が楽しみになれるような事を書きだしていくのです。

自分の好きな事を何でもいいですから書きだしていくのです。

好きな食べ物の名前でもいいです。

その好きなものを売っているお店の名前も書きだしていついつに行こう、と勝手な妄想をしてください。

その時に一人で行くのではなく気のおけない親しい友人と一緒に行ったシーンも妄想してみてください。

自分が楽しめる場面にいて納得できない人がいるでしょうか?

このように楽しみな予定を常に頭の中にたくさん入れている人に「納得でいない」という暮らしが待っているはずがないという事を早く悟ってくださいね。

納得できないと思いやすい人の特徴

では次に参りましょう。

今度は納得できないと思いやすい人の特徴についてです。

人を納得できやすい人とそうでない人に分けるとしたらどのような特徴がそのようにさせてしまうのでしょうか?

納得できない、と思いやすい人の特徴を探ってゆくことにしましょう。

全部で6個のご紹介となります。

我慢するのが嫌い

納得できないと思いやすい人の特徴の最初の1つ目は「我慢するのが嫌い」です。

なるほど、我慢する事が嫌いというか出来ない人にとったら、世の中全ての事に対して納得できない事だらけになってしまうでしょうね。

「我慢」というのは自分の気持ちや嗜好を抑えて周りの考えに合わす、という行為です。

これを行わない事には組織というものは粉々に崩壊してしまいます。

各々が好き勝手な方向に歩いていったら統制も何もあったものではないですからね。

よって「我慢が嫌い」な人はそれだけ納得できない事態が多岐に渡ってしまうという事になってしまいます。

これではただの「ワガママ」さんになってしまいますねえ。

子どもから大人に成長する一つの証しが「我慢」だということ、認識してくださいね。

自己主張が激しい

納得できないと思いやすい人の特徴の2つ目は「自己主張が激しい」です。

はい、自己主張は必要です。

何でもかんでも周囲のいいなりになっている人間に較べれば自己主張を持つ人間の方がよっぽど骨があって頼りがいもあると思います。

ただ、そこに周囲とバランスを取る感覚がないことにはせっかくの自己主張もただの「机上の空論」になり果てる可能性もあります。

自己主張を行えるということは、その人の考えにそれなりの「根拠」がある印でしょう。

ただその根拠を絶対的だ、と振り回し過ぎてしまってはいけないのです。

そうなってしまったらこれはただの「独裁」になってしまいます。

自分の意見にしか納得できない人の思考、これはちょっと危ない発想に走っているのかも分かりませんね。

ネガティブ思考

納得できないと思いやすい人の特徴の3つ目は「ネガティブ思考」です。

ネガティブ思考は何ものも生み出しません。

生産性も創造性もないのです。

ただ現実にあるものを否定するだけ。

それに代わる「代替え案」もありません。

ただ、周囲のやる事に反対するのみ。

そうする事に対して「納得感」を感じているという事は、やはり心がさもしい人、という印象をぬぐえないでしょうね。

批判ばかりする

とにかくネガティブ思考というものは物事を肯定する事が出来ません。

つまり人を褒めることが出来ないのです。

出来ることは何かをやった人に対する批判や悪口ばかり。

何一つ、その人の成果や功績を褒め称えようとしません。

こんな行為を行う事によってしか納得感を抱けないようでは、人間の底が悟られる、つまり中身のないただの器量なし、と言われても仕方ないでしょう。

恥ずべきは己の心の中、と早く気付いてもらいたいものです。

自分の考えは必ず正しいと思っている

納得できないと思いやすい人の特徴の4つ目は「自分の考えは必ず正しいと思っている」です。

人間というものは表立っては言わなくても自分の意見や考え方は間違っていない、と思う傾向を持つ生き物だと思います。

そうでないと何一つ自分の力でやり遂げられない半端な生き物になってしまいかなないでしょう。

しかし、そこが人間の賢いところ。

自分のやり方や行いに間違いがあったらそれを素直に認めて誤り、心を改めて考え方や行動パターンを変化させその場に合った最も最善な方法を模索しようとします。

これがあるから私たちの社会はより良いものに変わってきているのです。

しかしながら全ての人間がこの行動を行えるか、と言ったらそうではありません。

残念ながらそういった行動を全く顧みない「頭の硬い人」がこの世にはたくさん、存在しているのです。

自分の間違いを認めない

つまり、自分の考えは必ず正しい、と思い込んでいる人間がこの世には相当数、いるということです。

だからそのような人達は絶対に自分の考えを改めませんし、自分に間違いはないし、仮にあったとしてもそれを絶対、認めません。

このような発想の人達にとって「納得」とは明らかに自分の主張・考えに沿ったものだけです。

自分の考えと世の中の考え。

それを天秤にかけてバランスよい考えを導けることが世間の「納得」というものだと思っていただきたいものです。

思い込みが激しい

納得できないと思いやすい人の特徴の5つ目は「思い込みが激しい」です。

思い込みが激しい、という事も結局、「自己中」という範疇に入れられてしまうでしょう。

思い込みというもの、人間なら誰もが持っていて不思議ではありませんが、その思い込みが間違いであったと気づいた時には、それを修正し同時に周囲に謝るくらいの器量がない事には、とても周囲から納得いく人物、という評価は得られないでしょう。

思い込みの激しい人の納得は、領域も狭く、しかも偏っています。

それではとても周囲の人から好人物とは思ってもらえないでしょうね。

理想が高すぎる

納得できないと思いやすい人の特徴の最後の6つ目は「理想が高すぎる」です。

理想というものは人間ならば誰もが持っている普通に心理です。

自分にとって好ましいものがイコール、理想になるわけですから分かりやすいはずです。

しかし、理想というものも高すぎると、いくら努力しても手の届かない所からなかなか降りてきてくれません。

これでは心から納得できる事も当分の間、訪れないでしょう。

理想と現実には必ずやギャップが存在します。

つまり自分のコンプレックスがそのまま理想になっているからです。

そしてコンプレックスというものは目に見える部分が結構、ウエイトを占めていたりしますよね。

よって今更外見的に手を加えようと思っても無理な部分は諦める事です。

人間、諦めも肝心です。

そんなところにこだわり過ぎて納得しようとしてもそれは無理な相談です。

視点を変えなければなりません。

理想が高すぎるゆえの納得貧乏になっていては、人生がつまらないものになってしまいますよ。

まとめ

如何だったでしょうか?今回は「納得できないことがあった時の気持ちの整理の仕方」についていろいろとご紹介させていただきました。

ではそれらをもう一度、振り返っておきますと

・人生、納得できないことだらけ?
・納得できないことがあった時の6個の気持ちの整理の仕方
・納得できないと思いやすい人の特徴

という事になっていました。

納得いくかいかないか。

それは全てあなたも内面の中にある「器量」「度量」によって決まってきます。

許せる範囲の広い方であれば納得できる領域もそれだけ広がりますし、逆に狭量なものの考え方の人ならば、納得出来る事って、本当に少なくなってしまうでしょう。

そして腹の底から納得しようと思えばどうしてもそこには「我慢」「忍耐」というものも付随してきます。

つまり何でもかんでも簡単に手に入るような生活を送っている人になってしまうと「納得」がマヒしてしまって生活に満足感や潤い感がなくなってしまうという事なのです。

そう思うと、人間、多少の苦労というものは是非ともやっておかないと後々、とんでもない人生を送る事になってしまうかも分かりませんねえ。