それは「根本的に悪い人なんていない」と信じていれば救われることが沢山あるからでしょう。
例えばパートナーが浮気した時には「魔が差したに違いない」と思いたいですし、家族が悪いことをした時にも「何か理由があるはずだ」と思いたいものです。
もちろん相手を信じたいという気持ちもありますが、性善説を信じた方が自分にとっても気分的に楽だというのが大きな理由でしょう。
子供の教育の際、どっちを教えるべきかとても難しい
世の中のママたちの頭を悩ませるのは、教育的な観点から見た性善説です。
人間は誰でも優しい気持ちを持って生まれてくると教えるのか?
または意地悪な心を持って生まれてくるのかという性悪説を教えたうえで人に優しくしなさいと教育するのか?
果たして子供のためにはどちらが良いのか?という答えは、その子が成長してからでないとわかりません。
しかし心理学的には性善説を優先させた方が優しい心が育つ傾向が高いとされています。
理想は性善説、現実は性悪説?
自分の周りにいる人々の中で「善」しか持ち合わせていない人が果たして何人いるか?と考えた場合、パッと思いつく人がいない場合もあります。
それだけ性善説を絵にかいたような人の絶対的な人数は少ないので、理想の人間像というイメージが強いのも仕方がありません。
人間だれしも「悪」の部分を持っていて、たとえ善人でも「どこか悪いところがあるはずだ」とあら探しをしてしまうのが一般的です。
また少し悪い所がある方が人間らしいという意見も多いように、性善説は現実的なことではなくあくまでも理想だとされる場合が多いです。
性善説のメリットとデメリット
性善説を信じてさえいれば幸せになれる!と思い込んでいる人もいるようです。
もちろんその方が幸せな場合もありますし、逆に損をする場合もあります。
メリット
人間は生まれながらに善の存在なので、悪いことをするのは環境や教育のせいだと思うことができれば、自分にとってのメリットは多いはずです。
1.人間関係が比較的円滑に進む
一番メリットを感じることができるのは人間関係でしょう。
極端に言えば世の中の人が全員善人であれば、まさに人類皆兄弟ということで全ての人との関係がうまくいきます。
相手を疑うことなく、もし裏切られたとしても「悪い人じゃないし…」という広い心でを持って接することができるので、人間関係がもつれる原因がありません。
2.心が荒まない
性善説を信じていれば誰に対してもおおらかな気持ちで接することができるので、心が荒んだり卑屈になったりすることがありません。
精神的にも経済的にも余裕がなくなるとついつい「どうせ私なんて…」というネガティブな考え方しかできなくなり負のスパイラルにはまってしまいますが、性善説を信じていれば救われるチャンスが確実に多くなります。
何事に対してもポジティブな考え方ができるようになり、楽しい人生を送ることができるでしょう。
3.人脈が広がりやすい
そもそも自分にとって敵となる悪い人が世の中には存在しないので、誰とでも抵抗なく交流を持つことができます。
仕事面においては非常に役立つので、ビジネスマンの中には性善説肯定派も多く見られます。
日本の企業はひと昔前まではどちらかというと性善説による管理体制でしたが、巧妙な手口での不正や機密情報漏れなどの不祥事が発覚するようになってからは逆に性悪説に従った管理体制へと変化しつつあります。
ただし人と人とのつながりはいくらビジネスとはいえ心と心のつながりであり、表では良い顔をしていても実は…と思って付き合うよりも、本音の付き合いの方がうまくいく可能性が高いので、より親密な関係になれるのは性善説の方です。
4.人を見捨てない大らかさを持てる
一度過ちを犯したからと言ってすぐに関係を断ってしまうのではなく、相手のことを見捨てることなく見守ることができるのが性善説肯定派です。
育った環境で何らかの変化があったことが原因で悪に染まっているだけなので、それを追い払ってあげればきっと善人に戻ると信じています。
つまらないことから喧嘩になった場合でもそこで関係が切れることはなく、とことん付き合ってくれる大らかな心を持つことができれば、自分自身も嫌な気持ちになる機会が減ります。
5.優しい人だと慕われる
誰かの役に立つことこそ孟子の説いた四端の心のひとつですが、現代の言葉に言い換えればそれこそが「優しさ」です。
人と人とのつながりが徐々に希薄になってきた現代において、心から優しい人に出会う機会は減りました。
人間は一人では生きていけないと言いますが、どうせ仲良くなるなら「優しい人」が良いという条件は今でも変わらないので、性善説を信じていれば多くの人から慕われるでしょう。