とても息苦しく感じてしまいますが、和を大事にする日本の文化的なものなので、仕方ないでしょう。
5.当たり障りのない事でその場をやり過ごす
「機会があれば」という言葉は、これ以上なく当たり障りのない表現です。
誘いに対して頷いているわけでもなければ、それを思わず拒絶していると言うわけでもありません。
角を立てずに断っているようにも聞こえますし、誘いに乗ること自体が嫌だと言っているわけではないという曖昧な言葉ですよね。
こうした言葉は、取り敢えずその場をやり過ごすという意味ではとても良いでしょう。
面倒くさい人を相手にしているときには、相手を刺激しないことが一番であり、まさにそれを実行している状態だと言えます。
実際に言われてしまった人は、それ以上はしつこく誘いをかけようという気にはなれませんよね。
もちろん、本心ではとても嫌だと思っていたり、誘いには乗りたくないという気持ちが入っているのですが、それをうまく隠すための言葉として「機会があれば」を利用しているのです。
つまり、完全な建前ということになりますね。
表情や口調にも表れる
完全な建前として「機会があれば」という言葉を使っているのであれば、気持ちと言葉は一致していないということになります。
こういった場合には、表情や口調には本心の方が洗われることが多いでしょう。
隠そうと思っていても、それほどまで嘘や隠し事が得意な人ばかりではありません。
「機会があれば」と言っているときの表情が完全な営業スマイルであったり、口元が引き攣っているようなときには、隠しているはずの本心が表れてしまっているということになりますね。
また、「機会があれば行きたい」というようなことを言っているのに、それほど熱心な口調ではないというようなことがあれば、完全に社交辞令での言葉ですね。
社交辞令を言うときは、穏やかな様子ではあっても事務的な表情と言い方になるのが特徴的だと言えるでしょう。
少しずつ自分を知ってもらえるように
いかがでしたか?
「機会があれば」という言葉の裏に込められた気持ちや、対処法について理解することはできましたでしょうか。
好きな人に「機会があれば」と言われたときには、はっきりと断られるよりも傷つきますよね。
本気で言っているということもありえなくはありませんが、ほとんどの「機会があれば」は完全に社交辞令です。
きっぱりと断るほどに親しいと思われてもいませんし、完全に乗り気で「行きたい」と答えるほどには好かれていないということになります。
その段階で、「脈なしである」ということが判明するかのような返事ですよね。
ですが、「機会があれば」という言葉の曖昧さに負けてしまってはいけません。
断るにしても社交辞令を使うほどの遠い距離にいるということなのですから、少しずつ距離を詰めて行けば、もう少しはっきりした答えをもらうこともできるのではないでしょうか。
こんな返事をもらったときには、落ち込むばかりにはならずに、少しずつ自分を知ってもらえるように努力すると良いのかもしれませんね。
相手の本心を探りつつ、めげずに頑張って相手の気持ちを掴めるようにしたいですね。