世の中には、目には見えないけれども大切なものというのが存在します。

愛情や思い遣りといった人の心がまさにそうでしょう。

そのほかにも、目には見えないけど大切なものがあることによって、私たちは当たり前の日常を送ることができています。

そんな「目には見えないけれども大切なもの」にはどんなものがあるのかをご紹介していきます。

この記事の目次

目に見えないけれど大切な11個のもの

目には見えないけれども大切なものってありますよね。

普段は当たり前過ぎて気付かなかったことでも、ふとした時に「そう言えば・・」と思い当たることがあるでしょう。

そして目に見える形として存在していなくても、それがあったことで今の自分があることを改めて実感した時に、目に見えないけれども大切なものの存在に改めて感謝することがあります。

そうした目に見えない大切なものに気付く時には、自身の環境に大きな変化があったり、何かしらの心境の変化があったりすることが多いです。

では、私たちにとってどのようなものが、目には見えないけれども大切だと感じるものなのでしょうか?それをいくつかご紹介していきます。

自分にはたくさんのご先祖様がいたという事実

自分という存在が今この世に存在しているのは、自分の親やその親、さらにたくさんのご先祖様たちの存在があったからこそです。

親がこの世に存在していなかったら、自分もその親から生まれてくることはありませんでしたし、さらに親の親に至るまでまったく同じことが言えるでしょう。

それぞれの国の宗教によっては、ご先祖様からの血筋を重要視しないこともありますが、少なくとも私たち日本人にとっては、親やご先祖様の存在はとても大切なものでしょう。

ご先祖様から脈々と血筋が受け継がれてきたからこそ、今自分もここに存在することができています。

改めてそう考えると、自分がこの世に生まれてきたことがまるで奇跡のように思えるかもしれません。

ひとりでも幼いうちに亡くなっていたら今あなたはいない

親やご先祖様たちがたった一人でも欠けていたら、自分という存在は今この世にはいなかったでしょう。

もしも親が子どもの頃に病気で早死にしていたら、親が成長して結婚し、子どもを産むことはありませんでしたし、ご先祖様たちの一人でも戦や戦争で亡くなっていたら、やはり血筋はそこで途切れてしまっていたでしょう。

人生を送っていると、時々自分がこの世に存在している意味が分からなくなってしまったり、「自分は生きていてもいいのだろうか」と悩んでしまったりすることがあります。

しかし、自分が今この世に存在しているということの奇跡に改めて気付くことができれば、自分の命を粗末にしたり、無駄だと考えたりする気持ちが少なからず薄れるかもしれません。

そして、「先祖代々で血筋が続いてきて、その先で自分が生まれてきたのなら、きっと何か自分の存在にも意味があるはずだ。」と前向きに物事を考えられるようになるかもしれません。

当たり前のようにある空気


私たちは毎日、当たり前のように空気を吸って生きています。

寝ている時も、起きて体を動かしている時にも空気を吸うことで当たり前に生命活動ができていますし、何の問題もなく日常生活が送れています。

空気の存在にはあまりにも当たり前に慣れてしまっているため、毎日自分が呼吸をして生きているということにいちいち感謝の気持ちを抱く人はあまりいないでしょう。

しかし、空気がなければ私たちは当たり前に日常生活を送るどころか、生命活動すらも不可能になってしまいます。

「あって当たり前、なければ生きてはいけない」そんな私たちにとって意識することすらない当たり前の存在が、実は何よりも大切な存在なのです。

それを改めて実感すると、いかに空気を大切にしなければならないかという事実にも気付けるでしょう。

親や兄弟姉妹からの愛情や絆

家族とは生まれた時から一緒に過ごすのが当たり前ですので、親や兄弟姉妹からの愛情や絆をいちいち実感することはないかもしれません。

子どもの頃には、朝は親が起こしてくれて、食事の支度をしてくれて、身の回りのことをしてくれて当たり前だと感じるものですし、大人になってからも困った時には親や兄弟姉妹が助けてくれるのを有難いとも思わずに、当然のように思っている人もいるでしょう。

しかし、自分の家族でもない限り、他人が無償の愛情を与えてくれることは普通ありませんし、また何の見返りもなしに自分を助けてくれることもないでしょう。

家族の場合にはそれをごく当たり前だと感じていますが、改めて考えてみると、それだけ無償の愛を与えてくれたり、見返りもなく助けてくれたりする存在は他にありませんので、家族や兄弟姉妹からの愛情や絆は、自分にとってはとてもかけがえのないものだと言えるでしょう。

失った時に気付いたのでは遅い

無償の愛情や深い絆というのは、家族間だからこそ得られるものです。

そのかけがえのなさや貴重さは、いざ失ってみなければ実感できないことも多いです。

例えば誰かに騙されて借金を背負ってしまった場合、一体誰が自分を助けてくれるのでしょうか?両親や兄弟姉妹がお金を出してくれて借金を解消できたとしたら、それは両親や兄弟姉妹にとって、あなた自身がお金では替えの利かない大切な存在だからです。

むしろ家族以外では、誰も赤の他人のために借金を代わりに返済してあげようとは思わないでしょう。

親から子どもへ仕送りをしたり、子どもが親の介護をしたり、兄弟姉妹間でさまざまな協力をしあったりすることは、ごく当たり前のことのように思えますが、他人同士に置き換えて考えてみれば、随分と特別で大切なことだと理解できるでしょう。

あなたのことを大切に思ってくれる人の気持ち

人の気持ちというのは、目には見えないものです。

相手の表情や態度で大体の感情を読み取ることはできますが、心底から相手がどんなことを考えているのかは本人にしか分からないでしょう。

そんな人の気持ちは目に見えないからこそ、愛情や気遣いといった温かい気持ちはとても大切でかけがえのないものです。

あなたの周りで、あなたをいつも笑顔にしてくれる人や、愛してくれる人がいるとしたら、そう人たちのあなたを大切に思ってくれる気持ちもまた、目には見えなくてもとても大切なものでしょう。

その気持ちを裏切らないようにしなければいけない

あなたのことを大切に思ってくれる人の気持ちは、できるだけ大切にした方がいいでしょう。

親や兄弟だけでなく、友人や恋人、職場の同僚といったあなたと親しい関係にある人たちは、少なからずあなたのことを大切だと思っているからこそ、いつも親しい関係を保っていてくれます。

友達や仲間、恋人という存在は、自分が相手を思うだけでは関係が成立しません。

相手もこちらのことを大切に思ってくれているからこそ、そんな良い関係を築いていくことができるのです。

決して目には見えないけれども、自分に対する温かな気持ちを感じることがあるのなら、こちらもそんな相手の気持ちを裏切らないようにしなければならないでしょう。

相手がこちらを大切に思い、また自分も相手を大切に思い接するのなら、いつまでもお互いに良い関係を築き続けることができるでしょう。

決して永遠にあるわけではない時間


時間というのはいつまでもあるように思えても、実際には永遠にあるわけではありません。

仮に時間そのものは永遠にあるのだとしても、どの程度時間を過ごせるのかは人によって違ってきます。

生まれてからほんの数年分しか時間がない人もいれば、100年以上も時間があるという人もいるでしょう。

1人ひとりの人間に与えられた時間は有限のものですが、毎日当たり前のように生活を送っていると、時間が限られたものであるということをつい忘れてしまったり、まったく意識していなかったりという人が多いです。

そんな空気と同じように、常に当たり前に自分と寄り添っている時間の存在は、普段目に見えることはないけれども、自分にとってはとても大切なものです。

その時間の大切さを改めて自覚できれば、これまでよりも日々の生活を大切にできたり、時間の使い方を無駄にせずに済んだりするでしょう。

いつ事故や病気で死ぬか分からない

人の平均寿命の統計は出ていても、必ずしもその平均寿命まで生きていられるという保証はどこにもありません。

若くても事故で突然死を迎えてしまう人もいますし、乳幼児でも病気になって亡くなってしまうことがあるでしょう。

人がいつ死を迎えるのかは誰にも分かることではありませんので、いつ訪れるともしれない死について考える機会がある人は、今自分が生きている時間を改めて大切に感じることもできるでしょう。

しかし普段からそんなことを考えて生活している人はあまりいませんので、常に時間を大切に感じながら生きている人もそう多くはないでしょう。

しかしだからこそ、時には立ち止まって目に見えない時間の大切さをじっくりと感じることも必要かもしれません。

平和な社会のために頑張ってくれた先人の努力

私たちが現代社会で快適に生活できているのは、快適な環境を作り出してくれたさまざまな先人の知恵や努力があるからです。

遠方の人にも荷物が届けられるように、宅配便の会社を興してくれた人や、直接相手と顔を合わせなくても話ができる連絡手段である電話を発明してくれた人、また電気やガスといった日常生活で必要不可欠な道具を開発してくれた人たちなどのたくさんの先人たちの努力があったからこそ、私たちは今非常に快適に日々を送ることができています。

停電で電気やガスが止まった時には、普段意識していないそれらの貴重さや大切さを痛感することができるでしょう。

今身の回りにあるものは当たり前の存在に思えても、一昔前には決して当たり前のものではなかったのです。

自分が毎日を便利に過ごせているのも、すべては皆が快適に生活できるようにと努力してくれた先人たちのお蔭です。

そのたゆまぬ努力を振り返ることで、いかに自分が先人たちの努力の恩恵を受けることができているのかを改めて感じることができるでしょう。

戦争の犠牲者や世に貢献した人に感謝しよう

日本は戦争を経た上で、今の平和な世の中を維持できています。

戦後の裕福な時代に生まれた私たちは、自分たちが今の生活を送っていることを当たり前に感じるかもしれません。

けれども、一昔前の戦争の時代を生き抜いた人たちがいて、戦後たくさんの人たちが一生懸命に努力して日本を復興してくれたからこそ、今の便利で平和な世の中があるのだということを決して忘れてはいけませんし、また戦争の事実をないがしろにしてもいけないでしょう。

今自分が裕福で当たり前に平穏な日々を送れているのは、戦争で多くの人が犠牲に遭い、また日本の復興に貢献した人たちがいるからだということは、決して目には見えなくても常に頭にはおいておくべき大切な事実でしょう。

人に対する思い遣りの気持ち

先にも挙げたように、人の気持ちというものは目に見えるものではありません。

表面上では仲の良い関係を築いているように見えても、内心ではお互いに憎みあっていたり、打算的な考えだけで付き合っていたりすることもあります。

その一方で、一見相手に対して冷たい態度を取っているように思えても、実際にはそれが相手を思い遣る気持ちからの行動だったということもあります。

自分が相手に対して思い遣りの気持ちを持って接していても、相手にはその気持ちが伝わらないことはよくありますし、その反対も然りです。

けれどだからこそ、相手に優しくしてもらったり、気遣ってもらったりした時には、いちいち相手の行動の裏まで深読みするような真似はせずに、純粋に相手の行動を思い遣りの気持ちとして受け取るようにしましょう。

すると相手の思い遣りの気持ちを感じた分だけ、それを大切にすることができます。

音楽は目には見えないが心の風景を見せてくれる

音楽は耳で聴くものであって、目で見るものではありません。

しかし不思議なことに、音楽を耳にした時には、頭に心の風景が自然と浮かんでくることがあるでしょう。

例えば子どもの頃、夕方になると住んでいた地域でいつも流れていた音楽があった人は、大人になってからその音楽を耳にした時には、自分が子どもの頃の思い出がふと頭に蘇ってくることがあるでしょう。

また、当時付き合っていた人といつも一緒に聞いていた曲がある人は、何年も経ってからその曲を耳にする機会があった時には、当時の恋人との記憶が頭に浮かんでくることもあります。

音楽はそれを耳にした時の環境や状態などを、曲と一緒に頭で記憶することが多いため、曲を聞くことでその曲を聴いていた頃の記憶が自然と呼び覚まされます。

そのため、決して目には見えない音楽でも、自分の心に大切なことを訴えかけてくれる瞬間は誰にでもあるでしょう。

言葉には魂がある

昔から、言葉には魂が宿るとされています。

それは「言霊(ことだま)」と言って、自らが口にした言葉に意志や魂が宿ることで、その言葉そのものに力が生まれるとする考え方です。

私たちが言葉を発する時、そのほとんどには何らかの感情が込められています。

決められた内容を暗記して淡々と読み上げる場合には別ですが、例えば恋人に対して「好きだよ」と想いを告げる時には、その言葉には相手への愛情が込められているでしょう。

一方で、心底嫌いな相手に対して「もう二度と顔も見たくない」と言えば、その言葉に自分の憎しみや敵意の感情が込められるため、相手に対して呪詛のように攻撃的な力を持つこともあります。

この言霊を日頃から意識している人は、一時の感情に任せて、特に負の感情の込められた言葉を口にするのは避けようとするでしょう。

負の感情の宿った言葉を相手に投げかけることによって、相手を攻撃したり、傷つけたりすることがあるからです。

しかし大抵の人たちは、自分の言葉に魂が宿っているとは考えもせずに言葉を発しています。

気軽に人を傷つける言葉を発したり、相手を勘違いさせたりする言葉を発していることも少なくはないでしょう。

けれども実際に、目には見えなくても感情の込められた言葉によって相手は喜んだり悲しんだりしていますので、言葉を発する時には自分の言葉に魂が宿っているのだと意識した方が良いでしょう。

発せられた言葉は生きて影響力を持つ

言葉は口から出た単語の一つでしかないと考える人もいるかもしれません。

しかし言葉には魂が宿りますし、魂が宿っている以上、口から発せられた言葉は生きており相手への影響力もあります。

だからこそ、「お前なんて嫌いだ」と言われれば、そう言った相手に対して怒りの感情が込み上げたり、またはショックを受けて悲しくなったりします。

また、「好きだよ」と言われれば、嬉しくなったり困ってしまったりもするでしょう。

相手の言葉によって自分の心が動かされることがあるのなら、相手の言葉はやはり生きていると考えてもおかしくはないでしょう。

言葉にはそれだけの影響力があるため、やはり軽んじて使うことなく、一言一言を意識した上で使うようにしましょう。

言葉をぞんざいに使うのは良くない

言葉には魂が宿るため、ぞんざいに使うとそれだけ周りに対しても自分に対しても悪影響を及ぼしてしまう可能性があります。

誰かに話しかけられた時に、「なに」や「はぁ?」などと、感じの悪い返し方をすると、当然相手はその不愛想な返答にムッとしたり、近づきがたさを感じてしまったりするでしょう。

人間関係が上手くいかないと感じた時に、その原因が相手にある場合もありますが、自分にある場合もあります。

自分では無自覚の内に言葉をぞんざいに使っていることで、相手がこちらに悪印象を抱いてしまって、人間関係が上手くいかなくなってしまうこともあるでしょう。

無自覚で発する言葉には、自分でも意図しない感情が乗ってしまうことがありますので、あまりぞんざいに言葉を使わない方が賢明でしょう。

努力を積み重ねること

努力の成果は結果として出せることはあっても、今まさに努力を積み重ねているという状態の時には、それが目に見えることはあまりないでしょう。

誰かが一生懸命に努力をしていれば、確かに「努力しているんだな」というのは見て分かりますが、実際にどの程度の力で頑張っているのかまでは、やはり目に見えることは難しいでしょう。

また、例えば勉強で努力をしている人は、努力の成果がノートやメモで見て取れることもありますが、それも人目に触れることがなければ、その人がどれだけ努力したのかは一見しただけでは分からないでしょう。

努力の積み重ねもあまり目に見えるものではありませんが、それ自体はとても大切なことです。

努力しなければ得られないものはたくさんありますし、結果を出すことも難しいでしょう。

周囲の人があまり見ていないところでの努力はより素晴らしい

人が一生懸命に努力する姿は素晴らしいですし、見ていて心を打つものがありますが、それはあくまでも努力している人を他の人が見た時に感じるものでしょう。

いくら努力しているからといって、それを自ら自慢げに話してしまうと、せっかくの努力の積み重ねも台無しになってしまうかもしれません。

もちろん努力を積み重ねたこと自体はどんなに貶そうとも素晴らしいことに変わりありませんが、周りからの印象が悪くなってしまうことで、余計な誤解やトラブルを生んでしまうこともあります。

努力すること自体は素晴らしいですが、人目があるよりも周囲に人がいないところで努力をする方がより素晴らしいと言えるでしょう。

真の友情

愛情や思い遣り、絆などの人と人との繋がりは、目に見えるものではありません。

けれども確かに見えない糸のようなものが広がっていて、その広がりに応じて人間関係はさまざまでしょう。

仲が良い友達ができると、その友達と楽しい時間を過ごすのが長いほど、友達との間に友情を感じることがあるでしょう。

自分を想っているからこそ時には叱咤してくれたり、辛い時には自分の時間を割いてでも励ましてくれたりすると、「いい友達を持ったな・・」としみじみと感じることもあるでしょう。

そうした表面上だけでない、真の友情というのは決して目に見えるものではありませんが、お互いに確かに強い絆のようなものを心に感じることがあります。

他人同士なのに、心から相手に対して強い友情を感じられるということ自体そうあることではありませんので、大切にするべきでしょう。

心と心が深くつながった信頼関係を築こう

「あいつなら絶対に自分を裏切らない」「あの子なら何があっても自分の味方でいてくれる」そうキッパリと言い切れるような友達があなたにはいますか?もしもいるのなら、あなた自身が相手のことを強く信頼しているということですので、それだけ信じられる相手がいるということはとても幸運なことでしょう。

また、自分からだけでなく、相手も心からこちらを強く信頼してくれているのなら、お互いに心と心が深くつながった信頼関係を築くことができるでしょう。

いくら仲が良くても、友達の本心は自分には分からないものです。

ちょっとした誤解から喧嘩をしてしまうこともありますし、お互いの本心が分からないからこそ、相手のちょっとした言動で自分が傷つくことや、相手を傷つけてしまうこともあるでしょう。

それでも心底からお互いを信じあえるのなら、その友情は何よりもかけがえのないものですし、できうる限り大切にした方が良いでしょう。

心底からの理解者というのは、そう簡単に得られるものではありません。

たった一人でも自分の理解者がいるのなら、その人をないがしろにして折角の友情を壊してしまうようなことはするべきではないでしょう。

大切なものは目に見えない

あなたにとっての大切なものとは何ですか?長年使っているお気に入りの時計や鞄、または親の形見の指輪など、人によって大切なものはさまざまです。

大切なものが品物である場合もありますが、一方で目には見えないものを大切にしているという人もいるでしょう。

目に見えないものを大切にしている人の場合、人と人との繋がりや絆、愛情や思い遣りといった気持ちの部分を重要視していることが多いでしょう。

人によって大切なものは違いますが、目に見えるものと見えないものとで優劣の差はありませんので、どんなものでも大切なものであることには変わりないでしょう。

大切なものに気付くためにはたくさんの経験が必要

人が自分にとって、本当に大切なものに気付くためには、たくさんの経験が必要です。

例えば社会の中で生きていくためには、時には周りに気を遣ったり、他の人と協力したりと、自分の感情を抑えて行動しなければならないことも多々あるでしょう。

しかし、ずっと一人だけで生きてきた人は、周りと協力することや、気を遣うということの必要性が分からないため、いざ社会に出た後で自分の思うままに行動出来ない壁にぶち当たることになります。

そこで人間関係でトラブルを起こしたり、怒られたりする経験を積むことで、初めて「社会で生きていくためには周りと上手くやっていかなければならない」ということを学びます。

自分にとって必要なことや大切なものに気付くためには、こうしたさまざまな経験を積むことが大切なのです。

物事を深く考えることが大事

物事は浅く考えていると、自分にとって大切なものになかなか気付くことはできません。

表面上だけで物事を見ても、それを心底から理解することはできませんし、浅く知っただけで自分が何もかも理解した気になっていると、より深い部分を目にした時には自分がいかに無知だったかを痛感することになるでしょう。

後になってから痛感するとダメージもそれなりに大きくなってしまうため、物事について考える時には、最初から深くまで考えるようにしましょう。

「これはこうなんだな」と直ぐに納得するのではなく、「何故これはこうなんだろうか」と理由や事情についてもしっかりと考えることで、目に見えない部分の大切さが分かることもあるでしょう。

謙虚な心と感謝の心を常に持つ

自分が誰かに何かをしてもらった時、それを「してもらって当たり前」だと感じていると、感謝の気持ちは生まれません。

また、自分が何もかも正しいと思い込み、常に自分のことを最優先に考えていると、謙虚な心も生まれないでしょう。

目に見えない大切なものに気付くためには、常に謙虚な心と感謝の心を持つことが重要です。

その二つを持っている人は、自分にとって本当に大切なものに早く気付くことができますし、持っていない人はそれだけ気付くのに時間がかかってしまうでしょう。

私たちが日頃当たり前に感じているものも、よくよく考えてみれば何も当たり前のことではないのかもしれません。

これまでに他の人たちがたくさん築き上げてきたものがあるからこそ、今では当たり前のようにできていることもあるのです。

そう考えれば、今の自分の「当たり前」は、本当は奇跡のようなものなのかもしれません。

そう考えることで、感謝や謙虚の心も持つことができるでしょう。

気付いた時はもう遅いということも

よく、「失ってから気付いた」ということがあります。

大事な友達の存在や、家族からの思い遣り、恋人からの愛情など、失ってから初めて自分がどれだけ与えられ、恵まれていたのかということに気付くことが時にはあるでしょう。

しかし、大抵の場合は気付いた時にはもう遅く、手遅れということが多いです。

友達を失ってから、その友達がいかに自分を信じてくれていたかということに気付いても、もう失くした友情が戻ることはありません。

また、親兄弟を亡くした後で、自分がどれだけ大事にされていたのかに気付くこともあります。

もしくは、つまらない喧嘩で恋人を手放してしまった後で、恋人からの愛情を思い返すこともあるでしょう。

大抵のものは、一度失くしてしまうと二度と手に入れることはできなくなってしまいますので、後悔のないように、日々自分の手にあるものを大切にするように努めましょう。

目に見えないからこそ大切にしたい

大切なものが常に目に見えている人もいれば、大切なものは目に見えないものだという人もいます。

目に見えているという人は、目の前のある大切なものをしっかりと守り続けるようにしましょう。

また、目には見えない大切なものは守ることが難しいと思うかもしれません。

しかしそのものについてよく考え、思いを巡らせることができれば、自ずと自分の接し方や守り方が分かってくることでしょう。

大切なものがある人は、それを糧に自分の人生を輝かせたり、努力をし続けたりすることができます。

その素晴らしさを決して手放さないように、日々気持ちを込めて大事にしていきましょう。