世の中には容姿端麗な絶世の美女というのが存在します。
日本にももちろん美しい人はいますし、ヨーロッパなどで目鼻立ちの整っている綺麗な女性もたくさんいますよね。
しかし最近、アプリゲームのキャラクターや海外ドラマなどで、中国の四大美人が登場するのを目にしている方も多いのではないでしょうか?
アジアの中でも中国は人口の多い国ですが、その中で選ばれたたった4人の美女とは一体どんな人物なのか?
こちらでは中国四大美人についてをご紹介していきたいと思います。
中国四大美人は絶世の美女ばかりだった?!
中国四代美人に選ばれている4人とは、西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃という女性のことです。
その美しさは街でも評判で、国の偉い方にも見初められ、中には国政をも動かすほどの力を手に入れた女性もいるようです。
中国は古くからの歴史ある国ですが、数々の美しい女性たちが歴史上で存在したなかで、この4人を「中国四大美人」と定着したのは20世紀に入ったあとからのようです。
意外と新しい歴史ですが、中国は人口も多いだけにその中で選抜されたのはとてもすごいことですよね。
人口が多い中でのトップだから、桁違いの美しさ!
中国といえば、かつては国の方針で一人っ子政策などが行われたほど、その人口の多さに国がついていけないという時期もあったほど、とにかく人口の多い国です。
世界でも人口の多さは1番を誇っているので、その大勢の中から抜擢された美女4人はまさに世界4代美女といっても過言ではないでしょう。
中国四代美人とされる西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃の美しさは、「沈魚」「落雁」「閉月」「羞花」と形容されていたりもします。
美しさを違う言葉で表現するなんて、まさに本物も美女だからこそなされることなのでしょうね。
中国四大美人を見てみよう!
中国四代美人の西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃について、ここからは詳しく解説していきたいと思います。
世界一の人口を誇る中国で、一体どのような暮らしをしてどのような人物だったのか?歴史の背景から、それぞれの美女についてご紹介していきます。
楊貴妃
楊貴妃は唐代の玄宗皇帝の妃です。
日本の小野小町やクレオパトラなどに並ぶ、世界三代美女としても有名なのでご存知の方も多いのではないでしょうか?
楊貴妃は「羞花」と形容されていたのですが、その由来について解説します。
その由来とは、楊貴妃が花園でそっと優しく花をなでると、花びらが不思議と閉じると女官たちから言われていたそうです。
「貴妃様があまりにお美しいので花たちが恥ずかしくてうつむいてしまった」と女官たちが表現したことから「羞花」という言葉が生まれたと言われています。
普段は人から美しいものとされる花でさえも、楊貴妃の美しさには敵わなかったということなのでしょう。
楊貴妃は、知性と度胸もある女性だったので高齢の玄宗皇帝に代わって唐の国政をも動かすことになります。
しかし、楊貴妃と国をまかせられた楊貴妃の親族である楊国忠と安禄山という人物がのちに対立を起こし、安禄山は謀反を起こしそのせいでバランスが崩れた唐の国は戦に負けてしまいます。
それに兵士たちは起こり、責任を楊貴妃に向け、絶世の美女であったはずの楊貴妃さえも最期は従容として亡くなったといわれています。
世界三大美女、そして中国四大美人とも言われていたはずの美女の最期は、なんとも切ない幕となりましたが今でも楊貴妃を題材とした歴史ドラマや映画などは中国でも人気があるようです。
西施
西施は春秋時代の人で、仙女のような美女だったと言われています。
「沈魚」と形容されていたのですが、その由来について解説します。
その由来とは、西施がある日川で衣を洗っていたら、川にいた魚がその姿を見てあまりの美しさに驚き、泳ぐのを忘れて水の底に沈んでしまった…という、魚さえも西施の美しさに惚れ惚れしたという言い伝えから生まれたそうです!
魚もびっくりしてしまうとは、一体どれだけ美しいのか?と思いますよね。
そんな西施は、もともとは貧しい薪売りの娘だったそうです。
少々体が病弱だったようで、時々胸を抑えながら眉を下げていることがあったようで、村の町娘がその姿を真似するほどその美しさに同性でも憧れていた人が多かったようです。
そんなある日、噂を聞きつけその美しさに目を付けた越王勾践は、西施をライバルの呉王夫差に送り込んだと言われています。
西施と出会いその美しさに見事に惚れてしまった夫差は国を本当に傾けてしまい、勾践の作戦は成功したそうです。