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潔い人の8個の特徴(続き3)

一度自分が判断を下したことが間違っていたと気付いた時には、それまでしてきたことが例え全て無駄になっても、新たな判断を下して別のやり方で進めます。

例えば1から10まで道があり、あるやり方で7まで進んでいたとします。

しかし、そのやり方が間違っていると気付いた時に、また1に戻って新しくやろうとする人は、そうはいないでしょう。

大抵の人はやり方が間違っていると気付いても、ここまできてしまったら進むしかないと判断して、間違いには気付かない振りをしてそのまま10へ向かうでしょう。

しかし、潔い人は間違っていると自分が気付いたら、直ぐに1に戻って新しいやり方でまた10へと向かいます。

一見要領が悪く思えるかもしれませんが、それが結果的に最適な判断だったとされることが多いのです。

3、下手な言い訳はしない

潔い人は、下手な言い訳をしません。

下手に言い訳してもみっともなく無駄に時間がかかり、またそれで物事が解決するわけではないことをよく理解しているからです。

よくありがちなのが、体調不良で仕事を休む際や期限までに仕事が終わらなかった時の良いわけです。

「実は昨晩から体調が悪く、今朝になっても体調が戻らずに熱も出てきたため、辛いので休ませて頂きたいです。」や、「最初は順調に進んでいたのですが、途中からシステムにトラブルが起こってしまいメンテナンスに時間がかかってしまったため、期限までに仕事が終わりませんでした。」などと、大抵は長々とすべての経緯を説明しようとします。

しかし、聞き手からすればダラダラと話を聞くのは時間の無駄ですし、もっと簡潔に伝えて欲しいと思っています。

また、どのみち結果が同じであれば、その過程など聞き手にとっては大した情報ではないのです。

潔い人はそれらを分かっているため、「体調不良のため休ませて頂きたいです。」や「システムにトラブルが起きたため、期限までに仕事が終わりませんでした。」と最初から簡潔に相手に必要なことだけを伝えます。

それ以上の事情は単なる自分可愛さの言い訳にしかならないため、余計なフォローを自分に入れることもないのです。

ありのままを受け入れられる

潔い人は、自分のミスを誰かに報告する時には最低限の言葉だけで報告し、謝罪をします。

自分を擁護する言葉は単なる言い訳であり、自分には必要のないことだと自覚しているためです。

潔い人は、自分に起きた事実をあくまでも客観的にとらえ、それをありのままに受け入れる器の大きさがあります。

そのため、自分が謝罪をする立場になっても客観的な事実しか述べず、主観的な自分を擁護する発言は出てこないのです。

その潔さは、相手からすればいっそ気持ち良く、「下手な言い訳をしない」として好意的に取られることが多いです。

4、決断を安易に変えない

潔い人は、一度自分がこうだと決めたことは安易に考えを変えることがありません。

気持ちが優柔不断な人では、決めた後でも「やっぱりこっちの方が良かったんじゃあ・・」と悩むことが多いため、ころころと考えが変わり、人の意見に決断を左右されやすいです。

考えが簡単に変わる人は周囲からすれば頼りなく、「この人に任せても大丈夫なのか」と不安になります。

一方で、潔い人は一度これだと決めたらよほどのことがない限りはそれを変えません。

もちろん間違っていることに気付けば途中から決断を変えますが、それ以外では真っ直ぐに決めたことに突き進みます。

それは周囲からすればとても頼もしく、また自分たちの判断に間違いはないという自信を与えてくれます。

潔い人は、皆をまとめて引っ張っていくようなカリスマ性はありませんが、自分の無言の内の行動で、周りの人をやる気にさせる能力を持っています。

圧力を掛けられても覆さない

潔い人は、自分が間違っていないと思うことには真っ直ぐに突き進んでいきます。

例えその途中でそれを面白く思わない人から圧力を掛けられたところで、自分のやり方を覆すことはありません。

潔い人は、圧力を掛けてくる人に一見屈して媚びているように見せて、実は手玉に取るようなずる賢いことはしません。

もちろんそうして生きている人もそれはそれで賢い選択と言えるでしょう。

しかし、潔い人はいっそ不器用なまでに真っ直ぐにしか進みませんので、他人の顔色を窺い、上手にやり方を変えながら目的の方向へと進むことはしないのです。

その結果、圧力に負けてその場から自分が去ることになったとしても、それで悪態をつくこともなく、結果だけを受け止めてさっさとその場を去り、後悔もしないでしょう。

5、他人のせいにしない

潔い人は、ミスをして叱責を受ける時、それが例えどんな事情であっても言い訳をしません。

ミスをした時の状況が、数人で一つのことをやっていて、その内の一人のミスでリーダーである自分が怒られることになったとしても、「〇〇がミスをしました」と告げ口をすることはありません。

むしろ、誰かがミスをしたことを、リーダーである自分が気付けなかったことに対して「ミスをした」と思うため、他人のせいで自分が怒られていると考えることはしないのです。