例えば会社にとってとても有益な人材がいたとします。
しかしその人物から、正当な間違いの指摘を受けた上司がプライドを刺激されて、怒りの感情に任せてその人物を解雇してしまいます。
すると後になって解雇された人間が別の会社で上役まで昇りつめ、ライバル社であった自分をクビにした会社をあっという間に業績で追い抜かしてしまいます。
こうなってからでは、優秀な人材をクビにしてしまった会社は後悔しても遅いのです。
このように、一時の主観的な判断は、後になって「やらなければ良かった」と後悔するような結果を引き起こす恐れがあるのです。
4、自分の考えを言い辛くなる
下手に情を持ってしまうと、相手に対して時に自分の考えを言い辛くなってしまうことがあります。
例えば相手が間違った行動を取っていても、自分が嫌われたくはない、または相手を傷つけたくないからその間違いを指摘せず、結局は相手が自滅してしまうという流れは現代社会においても特に珍しいことではありません。
一見日本人の優しさ故の悲劇とも思えますが、実際には相手のためにならないと分かっていてもそれを口には出さないということは、相手にとっては残酷で冷たい仕打ちとなるのです。
自分の中で納得ができない
例え相手の意見が間違っていると思っても、情がある相手に対しては中々それを指摘することが出来ません。
そうなると、表面上は相手に同調しているように見せても、心の中では相手の意見に納得できず、いつまでももやもやとしてしまいます。
そのもやもやは疑心感ともなって、相手を心から信用することも出来なくなってしまいます。
相手のための行動は、結果的に相手に対する不信感を生んでしまうのです。
5、様々な意見に流されやすい
情をかける相手が多いほど、様々な意見に流されてしまいやすいです。
例えば友達3人組で話していた時に、一人が自分の意見を言います。
それに対して自分は、本心はどうであれ同調してみせますが、もう一人が「それは違う」と反論します。
そうなると、反論したもう一人に対しても同調しなければならないため、二人から「どちらの意見が正しいと思う?」と聞かれた時に曖昧な返答しか出来ずに、結局は二人から「八方美人でどっちつかず」という人物評価をされてしまいます。
自分の意見がもっと言えなくなる
情に流されやすい人は、元々自分の意見よりも相手の意見を優先させる傾向があります。
その上で、様々な意見が飛び交う場面においては、特別一人の意見に同調することなく、その場の雰囲気や流れに身を任せてしまいやすいです。
そうなると自分の意見をさらに言う機会もなくなるため、仕事上では「地味で流されやすく、ハッキリと自分の意見を言えない人」という評価を下されてしまいがちです。
なにで決めたら良いの?
物事の判断は、情に任せて決めるとろくな結果を招くことはありません。
その場の感情に任せて下された判断は、後に大きな失敗を引き起こす原因ともなります。
賢く人生を送っていこうと思ったら、情任せの判断はしないに限ります。
では、物事の判断は一体なにを基準にして決めたらいいのでしょうか。
理性で決める
何をするにも、何を決めるにも常に理性的な判断が求められます。
理性とはすなわち客観的なものの見方です。
自分のその場の感情や相手に対する気持ちに囚われることなく、冷静な判断を下すことは必ず自分のためになり、さらには良い結果をも引き寄せます。
あらゆる角度からの検討が大事
理性で物事を判断しようと思ったなら、まずは一つの物事に対して正面からだけではなく、あらゆる角度から検討し、判断を下す必要があります。
物事は常に多面性を持ちますので、一方から見ただけではそれに対してハッキリと判断を下すことは出来ません。
例えばリンゴ一つとっても、正面から見ただけでは赤くて丸に近い形をしていることしか分かりません。
あらゆる角度からリンゴを見た時に、初めてそれが立体的な丸い形をしていることや、ある部分は傷んでいることなどが分かるのです。
重要なことを見落とさない
物事を主観的に判断してしまう人は、重要なことを常に見落としがちです。