突然ですが、皆さんは「親友」と呼べる人間は何人いらっしゃるでしょうか?

本当に心の底から信頼し合っている「親しい友」とは、一体どういう人のことか?

深く考えると胸が詰まりそうな気持ちになりますが、本当に気心知れた仲で、互いに何も気にする必要のない人が「親友」だとすると、私は正直…、4人と言ったところでしょうか。

みなさんは何人ですか?

仕事や、プライベートにそこまでの交友関係は必要なくとも、人生を生きていく上で「友人」とは必要不可欠なものと、私は思います。

また「友人関係」まで行かなくても、自分の通う学校や、職場の人間と意味も無いのに「余計ないざこざ」があっては、本来の勉強や仕事に支障が出てしまうかも知れません。

仕事は上手くいっているのに、「人間関係」が嫌で職場を辞めなくてはいけない。

せっかく手にした「自分の居場所」を人間関係で失うとは…、こうなっては非常にもったいない。そうは思いませんか?

また、現代人はコミュニケーション能力が不足しているという記事を何処かで読みました。

学校や職場でベッタリまでは必要ないかもしれませんが、学校での共同生活、職場での共同作業、これらには、「最低限の協調性」が必要です。

そうでなければ、あなたは周囲に煙たがれる、 「ハブられる人」 になっているかも知れません。

他人事ではない「ハブられ人」に、あなたが周囲の人に認定されてしまうその前に、一度この記事に目を通してみてはいかがでしょうか?

ハブられるの意味は?

まず、「ハブられる」の意味ですが、国語辞典的に言うと若者ことばの一種。

周囲から無視される、仲間はずれにされる、村八分にされることの受身形。といったところでしょうか。

つまりは、 「周囲に煙たがられている、邪魔な存在」 ということです。

学校や職場の人と、必要以上に仲良くなることはあまり意味のないことかもしれませんが、本来の目的である「学業や就業」に支障が出てしまっては、やはりいけません。

こうならないようには、一体どうすればいいのでしょうか?次より、「ハブられる人」の特徴などを見ていきましょう。

ハブられやすい人の特徴や原因

仲間外れにされる人には、「共通項」というか、何か特徴があるように思います。

こんな人、周りに居たら面倒臭いなあ…、あの人にはあまり関わらないようにしよう…。

こんな風に思われる人が、簡単に言うと「ハブられる人」ということでしょう。

以下に、その例を順番に挙げていきたいと思います。

1.嘘ばかりつく

エイプリル・フールという言葉がありますが、これは4月1日だけは嘘をついても良いという風習の事で、直訳すると「4月バカ」。

これは「エイプリルフールで、みんな嘘をついているのに、信じて騙されたバカな人」という意味らしいです。

しかし世間には、その4月1日だけでなく、年中無休で嘘をつきまくる猛者、「Full year Fool(フルイヤー・フール)」、「通年バカ」が居るのです。

この場合、フールは騙された側を指すので、飽くまでも嘘をつく人の事を言っている訳ではないため、このネーミングは可笑しいかもしれませんが、フルイヤーフールは確かにいます。

単純に信用できない。

カワイイ嘘なら許せるかもしれませんが、息をするように「嘘をつく人」は何処の世界でも嫌われます。

意外に嘘というのは、他人に見抜かれています。

 相手に信頼してほしいなら、まず自分から! 

自分の身を切って相手に差出し、相手がそれに応えてくれたら、それはもう仲間です。

ハブられないために最低限、ついて良い嘘と、ついてはいけない嘘を相手の身になって考えましょう。

2.目をみて話せない

日本人とは本来、シャイな民族と私は常々思います。

その話もゆっくり何処かでしたいものですが、今回は長くなるのでパスします。

そのシャイが良い風に働いている人と、大々的に裏目に出ている人と、その差は激しくもありますが、基本的には、ある程度の「社交性」は必要です。

 「人の話は目を見て話せ」 

これは親にも良く言われる事かも知れませんが、社会に出たら必要不可欠な、とても大切な能力のひとつだと思います。

例えばあなたが、相手に「どうしても聞いてほしい話し」をしたとします。

相手はあなたと頑なに目をそらし、全く違う方向を向いています。

あなたはこの人を好きになれますか?「こんなに一生懸命話しているのに、どうしてちゃんと聞いてくれない」きっとあなたはこう思うでしょう。

これは相手も同じです。

相手があなたに話す時、ある程度目を合わせて、口角を少し上げるように聞いてくれていたら、きっと会話は弾むはず。

でも逆に目を背けて聞いていたら…、きっとあなたにはもう話はしてくれないかも知れません。

「ハブられ予備群」、認定おめでとう。こうはなりたくないですね。

 だからと言って相手の目を見すぎるのは避けましょう。 

恐いお兄さんのする「ガンを飛ばす」、いわば「戦闘態勢・威嚇」になってしまいます。

ではどうすればいいのか?

どうしても恥ずかしくて相手の目を見れない場合、良く言われるのは「ネクタイを見る」ですね。

慣れてきて少しでも見れる場合は、「縦に視線を外す」のが良いようです。

これは、横に視線を外してしまうと「そっぽを向かれた」と、相手が思うことかも知れないということを想定したものです。

後は話を聞いている時に、笑う必要はありませんが、 「若干口角を上げるつもりで聞く」こと です。

真剣かつ深刻な話の場合、これは要りませんが、普段の雑談等ではこれはやった方が良いでしょう。

鏡で自分の顔を見て、口角が上がっている感覚を知っておけば、相手に幾分かの好印象を与える事が出来るでしょう。

また「頷くこと」も効果的だと思います。

まぁ、何はともあれ話をする時は、 「相手との距離感」が一番重要 なので、初対面の人には多少よそよそしくても仕方ないかもしれません。

相手の目を見て、話す。

相手に必要以上に嫌われないため、必要だと思います。

3.会話が面白くない(と思われている)

あなたは頻繁に周囲の人間から話しかけられていますか?

もし、そんなに会話がないとするならば、あなたは「ハブられ予備群」としてすでに危険なところへ足を踏み入れているのかも知れません。

周りから話しかけられない理由として、「あなたの話が面白くない」、またはそう思われている可能性があります。

何もそれは、お笑い芸人のように「すべらない話」をせよ、ということではありません。

そんなものは誰でも出来る訳ではありません。

そうではなくて、あなたの話す内容が、「中身がなく、ただただ話が長い」、「誰かの悪口ばかり」、「昔の武勇伝推し」、なんて状況になってはいませんでしょうか?これは逆にされたらどうか?これに尽きます。

あとは芸人さんのように、「必要以上にオチを求める」、「ツッコミ及びボケを待つ」、これは自分にとってみたら、面白いかも知れませんが、相手の身に立ったら、「面倒臭い」、「しつこい」、「疲れる」と思われているかも。

もしかしたら、自分がシラフの時に、泥酔したオジサンに絡まれるような状況を思い浮かべると、相手の面倒臭さが理解できるかも知れませんね。

ではどうすればいいでしょうか?答えはカンタンだと思います。

それは、 みんなあなたに対し「そんなに興味はない」 という前提を設ける事だと思います。

誰も自分の事が皆大好きです。

そうでしょう、最後にかわいいのは自分なのですから。

しかし相手にとってみたら、自分の存在はどうか?多分そんなに重要ではありません。

ですから、自分の事にそんなに興味は持っていないだろうと、低い位置から見る事はとても大切だと思います。

ですので相手に話そうとする前に、頭の中でどんな風に話すのかを、想像しておきながら、一種の「編集」をしておく必要があります。

これは、例えばサッカーに興味のない人は「90分間の試合を全部観ることは苦痛」でしょう。

しかし、その後のスポーツニュースでやるような「2、3分のハイライトは観られる」はずです。

点数が決まったり、相手チームから点数を返されたり、PK、コーナーキック、レッドカードで退場。

試合が動いた所だけ、つまり「おいしい部分」だけをチョイスし話に出来れば、面白い話にはならなくても、つまらなくて苦痛な話にはなりません。

面白くない話しというよりも、まず、苦痛でつまらない話にしないためには、「話の編集技術」を普段から意識して培っておく事が重要だと思います。

4.ネガティブ

いつも明るい人。

いつもネガティブな人。

あなたはどちらが好きでしょうか?

両極端に考えたらテンションがいつもハイな人も疲れますが、テンションがいつでも低く、自虐的な人と話すのは、言い様も無いような「気疲れ」をしてしまうと思います。

なんか励まさなきゃいけないのかな?、私がそばに居る事が悪いんだろうか?一人にしておこう。

あなたがネガティブ過ぎる事で、相手に気を遣わせたり、悪いのは自分では?と思わせるのは、相手の立場に立って考えれば、「疲れる」と思ってしまうのはごくごく自然の感想だと思います。

例えばあなたが「人から頼まれたごくごくカンタンな事」を何かやってあげた時。

「ありがとうございます」と感謝されるor「すいません」と謝られる

 どっちの方がより気分が良いでしょうか? 

相手のミスで仕事を増やされた時は、「すいません」や、「ごめんなさい」が的確な表現だと思いますが、「日常的なごくごくカンタンな事」、例えば落ちたペンを拾ってあげたとします。

これに対して、人様にやってもらったからといって「す、すいませんでした、本来私が自分でやるべき事なのに…本当にごめんなさい」と言ったふうでは、「え?何で謝るの?次からやらない方が良いかな」と相手は思ってしまうかも知れません。

それくらいの事は正直、「ありがとうございます」で十分のように思いますがどうでしょうか?昨今の風潮から、ポジティブ過ぎるのは「イタい」と、見られることは確かにありますが、逆に謙虚を通り越してネガティブ過ぎるのも、相手は疲れるでしょうし考えものです。

自分がポジティブ過ぎるか、ネガティブ過ぎるか相手の身になったら一体どう思うでしょうか?

5.いわゆるコミュ障

「コミュ障」。最近よく聞くようになった言葉です。

これが本当に治せない病気ならば仕方ありません。

しかし、そのことを「受け入れてくれない相手のせい」にしていては、「じゃあ、もういいよ。お前なんか知らん」となって当然でしょう。

「コミュ障は個性」と言っている人が居ましたが、コミュ障は個性ではない。もっと正確に言えば、「コミュニケーションを図る事が出来ない言い訳を、個性とみなす事は断じて出来ない」という事です。

表現が少し、キツイものになってしまいました。

不快に思われた方がいらっしゃったら、大変申し訳ありません。

しかしこれは事実です。

そもそも「個性」というのは、ここであえて定義付けするのなら、「その環境下では特に必要のない能力」の事だと私は考えます。

社会人になって、他者と共同で仕事をする際、少なからず自分勝手に好き放題やっていては、すぐクビになるでしょう。

 あなたは会社の中で、「与えられている役割」が何かあるはずです。 

やりたい事も、やりたくない事も、それらをこなして、初めて「給料」があなたに支払われる訳ですが、それに至るまでは、さまざまな「必要不可欠な能力」を培って十分に発揮する必要があります。

例えば社会人で言えば、協調性・責任感・理解力・積極性・判断力・洞察力、等々…、そこに「最低限のコミュニケーション能力」は当然入ってくるはずです。

何も人は一人で仕事をしている訳ではありません。

学校でもそうです。