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閉所恐怖症の人の症状を紹介します(続き2)

一つは、「考え方を治す」ことで、二つ目は「行動を治す」ことです。

閉所恐怖症になる原因は色々ありますが、どんな原因であっても、狭い所や閉所に対して、過剰に恐怖を感じる考え方をしているという共通点があります。

ですからまず、その考え方、閉所に対する歪んだ捉え方を修正する必要があるのです。

「閉じ込められているような空間であっても、大丈夫だよ。

実は怖くないんだよ」と自分で考えられるように訓練していくのです。

そのようにして、必要以上に怖いと考えてしまうことを、正常な範囲で怖いと感じるレベルに修正していきます。

この一つ目の、考え方を治すのは、精神科医やカウンセラーと一緒に行うことをおすすめします。

それと並行して、身体も閉所に慣れさせるように訓練します。

これが二つ目の、行動することにあたりますが、実際に狭い場所や、恐怖を感じる場所にあえて出かけていき、段階的にならしていきます。

この方法は「暴露療法」と呼ばれていますが、弱い恐怖から慣れていき、成功したらより強い恐怖に挑戦することを繰り返して、正常な範囲に持っていきます。

いきなり自分の限界以上の恐怖に挑戦すると、トラウマになったり、恐怖心がより強まったりしてしまうこともあるので、自分のレベルを良く見極めてから取り組むようにしましょう。

この行動を治す時に役立つのが、自分が信頼できて、症状緩和のために協力してくれる人と、不安を和らげてくれる薬です。

閉所恐怖症である多くの人が恐怖を感じる場所は、電車や部屋なので、徐々に調整するということが不可能です。

ですから、まずは協力者に一緒に電車に乗ってもらう、それが大丈夫だったら、少し離れた場所で乗ってもらうなど、協力者との距離感で調整していくのです。

薬も、服用してから電車に乗ることから始めて、飲まずにポケットに入れて乗るなど、恐怖心を感じなくなるまでの段階をつけることができます。

恐怖症を治すには、少しずつ目標を達成して、自信をつけていくことが必要です。

焦らずに、自分のペースで症状の改善を目指しましょう。

閉所恐怖症の原因とは

松本さんの例からも分かるように、必要に迫られて、もしくは自ら進んで、または無理矢理、暗い所に長時間いたり、狭い所に閉じ込められたなどの経験がきっかけになって発症することがあります。

しかし、原因は一つではなく、幾つかの体験や、状況が重なっている場合もありますし、はっきりした原因は分からないこともあります。

原因は様々

閉所恐怖症の原因は様々ですが、大きく分けると「環境的要因」と「性格的要因」に別れます。

環境的要因とは、松本さんのように、暗くて狭い場所、しかもそこにとどまらないといけないプレッシャーを感じるという環境などが原因となって恐怖症がひきおこされることです。

これには子供の時の体験だったり、大人になってから仕事場での環境など、年齢に関係なく影響されます。

もう一つの原因である精神的な要因は、心配性な方や、不安を感じやすいタイプの方が恐怖症になりやすいと言われていることと合致します。

日本人は、他の人種よりも不安を感じやすい国民性で、几帳面と言われています。

完璧を求めて全てを自分でコントロールしたいと感じたり、神経質で、細かいことまで把握することが習慣となっているなら、危険と判断するレーザーが敏感に働きすぎてしまいます。

また心配性な方は、想像力が悪い方へ働いて、まだ起こっていないことや、絶対に起こらないであろうことまで心配してしまいます。

心配は恐怖に繋がりやすい感情ですので、過剰に恐れを感じてしまう恐怖症になりやすいと言えます。

原因が分からず発症してしまうことも

ただ、これらの二つの面に当てはまらない方が、閉所恐怖症になる場合もあります。

幼少時代を振り返っても、学生から大人になってからも一度も狭い場所で怖い思いをしたこともなければ、息苦しさも感じたこともなく、心配性でもない人が、突然に閉所恐怖症を発症することがあるのです。

これは原因不明で発症するケースです。

ある日突然、特定の場所や状況で、耐えられないほどの恐怖心を感じたり、動悸や息切れが始まってしまうのです。

過去にそういった条件で怖い思いをした場合

「トラウマ」という言葉がありますが、外的な要因により、肉体的または精神的に衝撃的なショックを受けたことで、その後長い間それにとらわれてしまう状態のことです。

日本語にすると、トラウマは「心的外傷」となります。

トラウマになる大抵のケースは、虐待、戦争、犯罪、事故、ハラスメントなど、身に危険を感じるような出来事が原因で、否定的な影響を受けるようになります。

そうすると、特定の状況で不安になったり、怒りや寂しさなどの感情がこみ上げたり、息苦しく感じたり、身体と心が苦痛を感じてしまうのです。