高校生くらいの時に母親から、「みすぼらしい格好をして外を歩いちゃだめよ!」と言われたことを覚えています。
その意味はだいたい分かっています。
それは、当時友達と破れたデニムのジーパンを履いていたからだと思います。
出かける時に玄関で、母親が見ていた視線の先はその破れた部分だったからです。
上着はオシャレな白シャツにデニムのジャケットという格好で、可愛いイヤリングまでつけてお出かけしたのです。
母親から見ると、いくら流行りだからといっても、ジーパンの修理ぐらいはしておきなさいと言う意味だと思いました。
以前には、下着を見せるファッションも流行りました。
昔の人からは、下着が見えてるよとツッコミがありましたが、若い人は聞く耳を持たないようです。
シャツをズボンの外に出すことは、昔はだらしないとかみすぼらしい格好と行っていましたが、今では多くの人がシャツを出して歩いています。
時代と共に、だらしないとかみすぼらしいという意味合いが変化してきたのです。
みすぼらしい格好をして人前に出ると、あの人はみすぼらしい人だとなってしまうのです。
みすぼらしいとは、まずは見た目から判断されるようです。
みすぼらしい人だと思われないために
みすぼらしいと思われることは、経済的にも人間的にも困窮しているのではと思われていることと同じです。
黙っていても、みすぼらしいあなたを見た人は、可哀そうにとか侘しいと見下げられているのです。
経済的にも人間性に関してもまったく問題がないのに、可哀そうにと思われることは我慢がならないものです。
だから、みすぼらしい人だと思われたくはありません。
何か昔の資料を持ていると、戦後すぐの焼け野原の街の様子や当時の生活事情の写真が貼ってあることがあります。
当時の若い人の服装を見ると、袖や衿が破れたり、髪の毛の手入れも十分でないためかボサボサのママです。
そんな服装を見ていると、やはり当時はみすぼらしい格好しかできなかったのかなあと感じてしまいました。
当時は、格好良くしたくても出来なかった時代です。
現在は、ほとんどの人が気を配ればみすぼらしくないようにできるはずです。
では、みすぼらしいと自覚していないだけなのでしょうか?
それとも、みすぼらしいという定義が、個人によって違っているのでしょうか?
そのあたりも含めて、みすぼらしいと思われないようにするための方法について考えてみました。
「みすぼらしい」の辞書上の意味は?
辞書によると、みすぼらしいとは外見が貧弱で身なりが見苦しい、となっています。
これは人間だけにとどまらず、「みすぼらしい建物」とか「みすぼらしい公園」とか、施設にも使われるようです。
外見が貧弱ということから、貧しい、経済的に苦しいと解釈されることもあるようです。
さらにもっと解釈を広げると、弱弱しいとか活発でない、元気がない、頼れない、と言う意味にも解釈されます。
この解釈の仕方で困るのは男性です。
特に婚活中の男性は、友人に女性を紹介してもらったが、後日に相手の女性から「みすぼらしい人は嫌いです」と断りが入ったそうです。
男性は大事な婚活と言うことで、仕立てた洋服を着て出かけました。
それでもみすぼらしいと言われたことにショックを受けていました。
この理由について友人が確認したところ、格好は良いが中身の人間性について。
話題も乏しく女性を楽しませることについて未熟で、将来を想像するとみすぼらしい生活になりそうで断ったと言うことでした。
こんなところにも、みすぼらしいことが判断の基準になったようです。
みすぼらしい人になってしまう原因は?
みすぼらしいと感じるポイントは、まずは外見です。