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偉人19選。日本人から海外の人まで!(続き2)

夏目漱石

夏目漱石について知らないという日本人は相違ないのではないでしょうか。

誰もが名前を知る小説家ですよね。

さらに夏目漱石は評論家でもあり、さらには英文学などにもたけている人です。

今なら完全に文系と言われるようなタイプですが、理系関係は銅だったのでしょうか。

そんな夏目漱石ですが、本名は夏目金之助と言い、裕福な家に生まれはしたものの、かなり波乱万丈な人生を歩んでいるようです。

養子に出たり戻ったり、養父母との関係性が複雑で会ったりと、色々なことがあったようですね。

夏目漱石で有名なのはロンドン留学ですが、英語がそれほど達者ではなかったようで、その生活を楽しんだとは決して言えません。

彼が有名になったのは『吾輩は猫である』の発表ですね。

さらにここから『こころ』『それから』『虞美人草』『門』『坊ちゃん』などの名作を次々と発表していきます。

人生の中では病気に悩んでいるところもあり、いつでも幸福に過ごしていたとは言えません。

そんな夏目漱石の有名なエピソードは『Iloveyou.』を『月が綺麗だね』と訳したことでしょうか。

これには諸説あって、夏目漱石が要ったのではないという説もありますが、とても日本的で素晴らしい感性を持ったエピソードだといえるのではないでしょうか。

最も、ロンドンでの生活が嫌いだったと聞きますから、そうした欧米文化が嫌いで、腹立ちまぎれに行ってしまったような印象も受けますね。

福沢諭吉

福沢諭吉は誰もが顔を知っている偉人ですね。

現在の一万円札の顔であり、慶応義塾大学を立ち上げた人でもあります。

今でも日本の中では良い大学と言われているそれを作ったのが、福沢諭吉なのです。

彼の有名な言葉は「点は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」というものですね。

人間平等宣言を訳して広めたことで知られています。

また、彼は色々な欧米の文化を日本に紹介して、明治維新の後の日本の空気を換えた人物であるとも言われています。

そのほかにも保険の設立にかかわっていた、伝染病の研究所にも関わっていたなどの多彩な人だったのかもしれません。

社会問題などにも関わっていたようで、明治期の日本を語る飢えでは欠かせない人物であったことには違いないでしょう。

何となく明治の人間というイメージの強い福沢諭吉ですが、実は幕末からの人です。

幕末の動乱を生き抜いて、日米修好通商条約のために外国に行き、さらには外国文化に触れたことで、その後の日本に大きな影響を与えることになりました。

野口英世

野口英世は疫病の研究で有名な日本人ですよね。

現在の千円札の顔であり、日本人なら誰もが親しみを持って見ている顔と言えるのではないでしょうか。

現在のあの千円札の写真は野口英世自身がとても気に入っていた写真を使っているようですよ。

野口英世のエピソードで有名なものは、やはり、左手にやけどを負ったことなのではないでしょうか。

母親が世話をするときに間違えて囲炉裏に落としてしまい、それが原因で野口英世は左手に大やけどを負います。

それを手術で動くようにすることができたのですが、彼はそれが原因で医学を学ぶことになりました。

とても貧乏な家庭に育ったのですが、彼にけがをさせてしまった母親が頑張って、彼に教育を与えようとしたようですね。

その後、英紙免許を取ったのちに北里柴三郎の研究所で研究を行うことになります。

最後には黄熱病の研究の最中に自身が黄熱病に掛かってしまい、死んでしまうことになりました。

そんな野口英世の有名なエピソードとしては、ショートスリーパーだったことでしょうか。

ナポレオンが3時間しか眠らなかったということを聞いて、自身にもできると眠らないことにしたようです。

また、女性関係では特徴的なエピソードが多く、結婚詐欺に近いようなことをしていたり、一方で好きになった女性に一方的に迫ったりとしていたようですね。

実際には結婚したのは欧米ででした。

借金癖もあったようで、面倒を見ていた友人はかなり苦労したと言われています。