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偉人19選。日本人から海外の人まで!(続き3)

坂本龍馬

坂本龍馬も偉人を語る際には必ずと言って良いほどに名前が出る人物なのではないでしょうか。

彼もかなり後世の人に人気がありますし、未だにファンがたくさんいます。

色々なエピソードもあり、彼を使った作品も多くあるために、日本人の中でもかなりトップクラスの有名人ですね。

坂本龍馬はもともとは土佐藩で生まれ育ちましたが、脱藩することになります。

勝海舟の暗殺に向かったものの、その考え方に惚れて弟子入りしたのは有名な話ですね。

幕末の時代に日本を変えるため、日本を強い国にするために色々なことをしていましたし、それらのエピソードは語り切れないほどあるでしょう。

薩長同盟の結び役となったのも坂本龍馬ですし、大政奉還のために働いたのも坂本龍馬です。

最後には暗殺されてしまうことになるのですが、この暗殺の首謀者についてはいまだにはっきりしたことは分かっていないようですね。

坂本龍馬は人柄がとてもよく、女性人気が高かったというエピソードもあります。

結婚した相手はお龍と言われる女性ですが、彼女との旅行が日本で初めての新婚旅行と言われています。

いつでも銃を持っていたり、さらにはあの時代には珍しい大男であったなど、人の心をとらえて離さない魅力を持った人だということが、同じ時代を生きていない人間にも伝わってきますね。

織田信長

織田信長というと、戦国時代の中ではかなり人気の武将だといえるでしょう。

劇的な人生を歩んでおり、織田信長のファンもいまだに多くいますし、そのキャラクターが歴史ものの作品の中で大きなスパイスとなっていることはあるでしょう。

日本統一のためには彼の築いた礎が絶対に必要だったはずです。

そんな織田信長は、小田家を継いだ直後には尾張の大うつけ者と言われていました。

それは実際に織田信長がエキセントリックな生き方をしていたためとも言われていますし、全ては織田信長の演技だったとも言われています。

また、その時代の上品さを持っていなかっただけで、実際にはとてもやさしい男であったという考え方もあるようですね。

桶狭間の戦いで大軍の今川義元を破った後も、鉄砲を使った長篠の戦、宗教勢力との戦争を行った比叡山焼き討ちなど、そのエピソードは数多くありますが、そんな織田信長も、明智光秀の裏切りによって本能寺で人生を終えることになります。

短い人生ではありましたが、ドラマチックな生き方をした人物であることには違いがありません。

徳川家康

徳川家康も日本史を学ぶ上では絶対に必要になる人物の一人だといえるでしょう。

徳川家康で有名なことはやはり、江戸幕府を作ったことでしょうか。

彼はかなり戦国時代をうまく立ち回ったと言われており、織田信長が作って、豊臣秀吉が最終的に仕上げた統一の世を、最終的に自分の手に入れたと言われています。

実際に自分で世の中を収めるために乗り出したのは豊臣秀吉の後のことですから、徳川家康の世渡りはかなりバランス感覚に優れたものだったでしょう。

最終的には関ケ原の戦いで勝利をして江戸幕府を立ち上げるわけですが、そこから江戸時代が200年続いたことを考えると、歴史の簒奪者には向いていなかったかもしれませんが、歴史に根を下ろす役割はとてもうまかったといえるのではないでしょうか。

高杉晋作

高杉晋作は幕末に生きた武士の一人であり、吉田松陰に師事していた人間でした。

吉田松陰の考え方にかなり影響を受けたことが分かっており、幕府の考え方には同意をせずに、過激な行動も行っていたようです。

過激な行動の一つとしては、イギリスの大使館の焼き討ちが挙げられますね。

強い意志を持っているものの、周りから見ると危険人物ということもあったでしょう。

高杉晋作の行ったこととして有名なのは、奇兵隊を立ち上げたことでしょう。

この部隊は身分が関係ない舞台だったということが有名なのではないでしょうか。

その後には薩長同盟を結んで、幕府をタオルために戦うことになります。

高杉晋作自体はとても短い人生でしたが、辞世の句はかなり有名なものですね。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」というところからも、意志は強いものの、どこか人間的な魅力を感じるまっすぐな人物だったことが分かります。

女性関係では変わっており、妻はいたものの、彼女と暮らすよりも愛人と一緒にいることの方が多かったようです。

愛人と妻とが出くわした場にもいたことがあったようで、そのときにはかなり気まずい瞬間になったようです。

「あれには参った」と後から手紙を出しているところを見ると、さすがの「長州男児」も女性にはかなわないようですね。

伊藤博文

伊藤博文も日本の中ではかなり有名な人物であることには違いありません。