こんにちわ!!

今回のテーマは「自由奔放」でございます。

社会の面倒なルールやしがらみに巻き込まれて、ついつい不自由を「常識」と捉えてしまいますが…

本来人間は自由だと僕は思っております。

問題は「自由をどう捉えるか?」ではないでしょうか??

自由とは一体何か??

人はなぜ不自由だと思ってしまうのか?

今回はこんな部分にもメスを入れたいと思います。

面倒ばかりが起きるこんな現代社会でも、実は自由奔放に生きている人はたくさんいます。

一方、束縛ばかりを感じ不自由さを呪う人もたくさんいます。

同じ世界で生きているのに、なぜこういった違いがでてくるのでしょう(。´・ω・)?

これは単純に「自由の意味」が異なっているからでしょう。

自由の意味を「ルール無用で自分の好きなことを好きなように行うこと」

と考えている人にとっては、これほど過酷な現実社会はありません。

生まれてくる時代を間違えてしまいましたね苦笑。

はるか昔の原始時代まで遡れば、そういった自由を満喫することもできたのかもしれませんね。

現代社会において、「自由」をこういった意味で満喫するのは、不可能です。

どんな人間も、例えばお金持ちや権力者であっても、です。

まあ、そんな人になったことはありませんが。

例えば会社のトップの人が自由気ままに仕事をしているかといったら、まったくそんなことはありません。

国の代表である「総理大臣」が好き勝手に政治改革をしているわけでもありませんよね??

そういう次元で自由が成立したら、多分ものの五秒で世界は崩壊しますね(;・∀・)

現代社会では自由という言葉自体がもはや形骸化しているとも言えます。

でも、見方を変えれば、この現代でも自由奔放に生きている人がいるのです(゚Д゚)

では、そんな人達をご紹介していきましょう(・ω・)ノ

️自由奔放な人って羨ましい

羨ましいですよね…。

でも!!羨ましがっているだけでは、手は届きません!!

ぜひあの星達に手を伸ばしてみましょう!!考え方一つで必ず手は届きます!!

そもそも「自由奔放な人」をなぜ周囲は「自由奔放」と感じているのでしょうか??

そこに秘密があります。

同じ世界、同じルールの下で生きているのになぜか自由奔放に生きていると感じる人と不自由に生きていると感じる人は確かにいます。

これは自由な人はルール無視、不自由な人は束縛だらけ、という意味では決してありません。

ルールも束縛も全て条件は同じです。

条件は同じなのに「あの人は自由奔放でいいなあ」とつい羨ましがってしまう…

あなたはなぜあの人を自由奔放と捉えて、羨ましがっているのでしょうか??

きっと答えはここにあるはずです(・ω・)ノ

自由奔放とは


自由奔放と感じているその相手を分析してみましょう。

その人はきっとあなたにはない「何か」を持っていて、それを行動理念にしているからこそ、あなたはその人を「自由奔放に生きている人」と判断しているはずです。

でも厳密に言えば違うのです(・ω・)ノ

あなたには持っていない「何か」をその人が持っているというわけではありません。

その「何か」はあなたも充分に持っています。

ただその「何か」とやらを行動理念の最優先順位にしていないだけです。

これには性格が大いに影響するので、正しい、間違いなどはありません。

自分の中での優先順位をきちんと守ることが最も大切です。

なので、あの人は自由奔放に生きてていいなという、憧れを持つ時もあるかもしれませんが…

実際には不毛です(・ω・)ノ

あなたにはあなたの優先順位があり、それを守ることがあなたにとっての「自由」を意味しています。

思うに現代社会においての自由を定義するならば自分の優先順位を「絶対的」に守ることと言えると思います(・ω・)ノ

キーポイントは「絶対的」であることです。

鉄よりも固い意思を持って世の中を渡り歩き、あれが正しい、これは間違いという「常識的判断をわきまえながら」

結果、自分の尺度で全てを判断できる人、こういった人達が「自由奔放に生きている人」の正体だと思われます(・ω・)ノ

具体的な例を挙げてみましょう。

人の目やしきたりなどを気にしない

厳密に言うと気にはしています(;・∀・)

優先順位がかなり下なのですね。

現代において、自由を叫ぶ時の大前提として「法とモラル」があります。

どんな人であれ、この二つは避けては通れません。

人の目やしきたりを気にしていなかったら、ただのテロリストですよ(◎_◎;)

つまりこの二つを根本的理念にして、優先順位としては周囲の目やしきたりは、だいぶ下に置く、というわけですね。

簡単に言えば、周囲の目やしきたり以上に大事なものがある(法とモラルを守ったうえで)

ということですね。

そしてその優先順位を徹底的に守る人は、初めこそあまり周囲から好感は持たれませんが、理解されると

「この人は別の尺度で生きている」と思われるようになり、結果、「自由奔放な人」と呼ばれるようになっていきます。

自由奔放な人と呼ばれる人も、念頭にはきちんと法とモラル、その場の空気を読む能力はあります。

というよりも一般的な水準以上ににそれらを意識しているはずです。

空気を読んだ上で、自分ルールを徹底的に守る人、こういった人が自由奔放な人という評価を得ているはずです。

これは社会におけるルールを守っているからこそ、持たれる好感です。

もしルール無視の人であれば自由奔放な人という評価はされません。

ただのわがままで嫌な人間です。

この匙加減が非常に微妙なので人によっては「自分には無理」となり、あの人は自分には持っていない「何か」を持っているという感覚になるのだと思われます。

でも実際は「何か」という得体の知れないものは誰も持っていません。

強いて言うなら自分の行動理念を徹底的に守る覚悟があるかないか?

ただそれだけの違いでしょう(・ω・)ノ

自分の思うように行動する


これも決して勝手気ままというわけではありません。

いついかなる場所でも優先順位を守って行動するかどうか?

問題はこれだけです。

…と言うのは簡単ですが、これがなかなかできないのですよね…(T_T)

やはり誰でも周囲の目は気になるものです。

批判されれば、誰でも傷つきます。

これは自由奔放な人でもそうです。

全く何も感じないわけではありません。

機械じゃありませんからね(;・∀・)

彼らも充分周囲の目を気にしています。

他人からの評価を気にしています。

むしろ繊細なまでに気にしているでしょう。

にも関わらずなぜ恐れずに自分ルールに準ずることができるのか??

これはきっと「自分ルール」で評価されたいと思っているからです。

思うように行動した結果で評価を得たいと考え、もしそれで評価されなかったら「仕方ない」というのが彼らの根本的な姿勢です。

一般的な人よりも彼らは潔くあきらめることができます。

「自分の優先順位が通用しなかった」「ならしょうがない。

次に行こう」

この切り替えのスピードが尋常じゃないのが自由奔放な人の大きな特徴です。

本来なら「評価得られなかった…」「批判された…」と落ち込み、やや足取りが遅くなるものですが、自由奔放な人はもう次を見ています。

もしそのことを尋ねたとしましょう。

「あんなに批判されて傷つかなかった??」「傷ついたけど、しょうがないよね。

ま、次だよ次」多分この程度で終わるでしょう。

彼らの自由奔放さは、こうしたタフなメンタルで支えられているのですね(・ω・)ノ

自分の好きなように生きている

「自分が好きなこと」に対しての執着が強いのも彼らの特徴です。

どちらかと言うと、好きなことを肯定する気持ちよりも、嫌いなことを否定する気持ちの方が強いかもしれません。

「嫌いなことをやらないのはこの世界では無理だけど、できる限りやらない」

なぜなら「大嫌いだから」これに関してはだいぶ考え方がシンプルでしょうね笑。

例えば職場の愚痴を常に言っている人がいたとしましょう。

そんな人を見た時彼らは間違いなくこう思います。

「そんなに嫌なら辞めたら??」と。

一方愚痴っている人は「辞めれたら苦労しないよ!!色々あるんだから!!」と言うでしょう。

ここで自由奔放な人は伝家の宝刀を抜きます。

「色々?ないよそんなの。

自分で言い訳作ってるだけでしょ?」

一刀両断です笑。

彼らの中で愚痴を言いながら「色々」に縛られて行動に移せない人は、嫌悪の対象にさえなります。

ここでの理屈は非常にシンプルです。

「嫌なことはやらない」ただそれだけです。

そこに「色々」は存在しません。

もし本当に「色々」あるならば「愚痴ってばかりじゃなく前向きにやればいいのに」と彼らは考えるでしょう。

彼らは自分の優先順位を守るのが使命ですから、愚痴しか出てこないような状況に自分を置くことはありません。

…人ですから多少の愚痴はあるでしょうが笑。

実践していることには全て自分なりに納得しています。

なので、自分で決めたことに愚痴ばかり言う人の「色々」は理解する気も起きません。

愚痴しか出てこないような状況を作ったのはあなたですよ、と彼らは考えるでしょう。

嫌悪の対象というのは、思うように行動した結果なんだから文句ばかりいうな怒

ということですね。

この割り切り方はもはや「鬼」とさえ呼べるでしょうね苦笑。

人の目や評価を気にしがちな社会

これに関しては個人的に現代社会は特に「ねじれ現象」が起きているように感じられます。

古今東西、周囲の目や評価は気にされてはいましたが、今よりももっとダイレクトにその風潮があったように見えます。

現代社会の特徴として「インターネットによる秘匿性」が挙げられます。

匿名で自己表現している人もかなり多いでしょう。

…のわりに、周囲の目を気にするという「ねじれ」が起きているようです。

秘密にしておいてどうやって他人からの評価を得られるのか、謎ですが…(◎_◎;)

これはやはり他人からの評価によって自己を確立するというのが容易だからでしょう。

とはいえ匿名によって得られる評価はその人に対する正当な評価ではありません。

にもかかわらず評価されれば単純に嬉しい

この「他人との奇妙な距離感」が現代社会の特徴でしょう。

近くて遠い、遠いのに近いという妙な接し方ができるわけですね。

昔は、匿名で自己表現する方法がなかったので、他人との距離感は見た目そのままだったはずです。

より直接的な周囲の目というわけですね。

つまり、現代は奇妙な距離感のおかげで、他人との接し方がよりナイーブになったと言えるでしょう。

そんな現代で「自由奔放な人」がどう他人と接しているか??

これはとても興味深いのですが、現代社会における他人との接し方こそ彼らの本領と言えるかもしれません。

自分ルールをまっとうしやすいからです。

例えば、SNSなどで情報を発信し、他人と繋がっていくのは現代の定番ですが、彼らにとっては、それはあまり意味のあるものではありません。

他人が発信する、しかもそれがどこの誰かも分からないのであればなおさらその情報には興味がありません。

「自分には本当に関係のないこと」でしかないので「無視してオーケー」という判断をしてしまうでしょう。

逆にそういった関係ない情報を自分の中に入れることを嫌悪しているかもしれません。

つまり彼らにとっては取捨選択をしやすい時代なのでしょう。

自分ルールに合わないものはすなわち、意味も価値もないものですから、自分で選択して取捨しやすい現代社会は、彼らの本領を発揮できると言えます。

そこまで割り切った考え方は本来なかなかできないですよね(;・∀・)

協調性が重視されがち

今に限った話ではありませんが、現代でも協調性はもちろん重視されます。

協調性が乏しい人が社会に対してストレスを感じるのはいうまでもありません(T_T)

右向け右で、全員が足並みそろえて右を向くことが要求されます。

そしてそれができない人は批難されます。

社会で生きる限り、これは大なり小なりどこにでもあることです。

こんな社会で、自由奔放な人がどうやって生きていくのか??

彼らはとても素直に右を向きます。

決して左は向きません。

そして確実に足並みもそろえることができます。

その中で自分ルールをまっとうします。

もしかしたら自由奔放な人は左を向いて、足並みをそろえないと考えている人がいるかもしれませんが、それは偏見です。

自由を叫ぶタイミングが違うのですね。

賢い自由奔放な人は足並みをそろえてる中で、自由に判断します。

これは考えてみれば当然の話で、もし右を向かず、左を向いてしまったら…

社会から弾劾されることになります。

そしてそれは自分ルールの崩壊を意味しています。

自分の優先順位を守るのは、相応の評価がもらえる自信があるからこそできることであって、弾劾され集団の中で生きていけないようではルールにも意味がなくなります。

彼らの最終的な目的は、自分ルールによって、自己他己、どちらの評価も得ることなのです。

なので、協調性は実はかなりあると思われます(・ω・)ノ

アウトローこそ自由という先入観があるかもしれませんが、現代社会ではこれは完全に誤ったイメージなのです。

西部劇のような時代であれば通じる自由論かもしれませんが(;・∀・)

自由奔放に生きられたら素晴らしい

協調性があって、自由と言われるならなってみたいものですね(;・∀・)

嫌いなものをできる限り排除して、最低限自分の好きなことしかやらないような人…

多分、他人の目にはものすごく魅力的な人間に見えるでしょう。

でもよくよく分析すると、これは誰もができることです。

さっきも書きましたが、彼らが特別な能力を持っている、というわけではありません。

自分にとって大切なものは何ですか??

きっと一言で言えば、これだけでしょう。

それを徹底的に優先して大切にできますか??

その覚悟を持てますか??

多分そういうことなのでしょう。

大切なものは誰もが違いますよね??

徹底的に優先するということは、その違いを理解しながら貫くということでもあります。

時には非難され、罵倒されることもあるかもしれません。

そんな中でも貫けますか??

理屈はシンプルですが、精神的にはかなりタフさが要求されるでしょうね(;・∀・)

もしそれができるなら…とても色濃い人生を満喫することができるでしょう(・ω・)ノ

自由奔放な人の生き方を覗いてみよう

身近に自由奔放な人はいますか??

もしいるなら、その人の内面をじっくり観察してみましょう。

それが一番分かりやすいはずです。

もしも自分もそうでありたい、と願うならばですが(;・∀・)

もちろん周囲から好感を持たれている人限定ですよ!!

さっきも書きましたが、自由をはき違えて、ただわがままな人も多くいます。

この人達は反面教師です笑。

あくまで自由奔放でありながら、不思議と周囲から好感を持たれている人が観察の対象です。

今の自分と比較して、何がそこまで違うのか?を分析すれば、答えはあっさり見つかるはずです。

あとはそれを実践するかどうか?です(・ω・)ノ

️自由奔放な人の16個の特徴

長々と自由奔放について書きましたが、実際の行動は彼らは非常にシンプルです。

そんなシンプルな具体例を挙げてみましょう!!

人の目を気にしない

さっきも少し書きましたが、気にしないのではなく、気にはしているけど、それ自体の優先順位が極めて低いのですね。

気にはするけど、左右されないというのが適切でしょうね。

案外これもメンタル的にタフじゃないとできないことです。

やはり人の目で一喜一憂してしまうものですからね…。

彼らに言わせれば「そんなこと気にしてる場合じゃないよ!!」

というだけの話でしょうが(^_^;)

自分の意思を大事にする

これが根本的な基準でしょうね。

あまりあれが正しい、これが間違い、という考え方はしないようです。

自分の中ではあれが正しい。

以上(・ω・)ノと、ここでもだいぶシンプルに考えます。

仮に他人から「それ間違ってない?」と突っ込まれても「あなたの中ではそうなんでしょうね」と割り切って言うことでしょう。

結果それが本当に間違っていたのなら…

「あの時は正しいと思ったんだけどなあ。あはは」くらいで終わってしまいます笑。

なんとも羨ましい性格ですね(^_^;)

悪口を言われてもなんのその

これも実際は響いてるはずです。

きっと内心「ちっ(-_-メ)」と思ってることでしょう笑。

でもこれもかなり格下の扱いですから、不愉快なだけで、左右されることはありません。

むしろ、「今に見てろよ」くらいに闘志を燃やしているかもしれませんが、他人に伝わるほどの強い気持ちではないのでしょう。

他人が見ると「何とも思わないんだ…」と感じるかもしれませんが、彼らなりに

「こんちくしょう」と思ってはいるみたいですよ笑。

ポジティブな思考

自分の優先順位を徹底して守るということは、常にポジティブである必要があります。

ポジティブでなければ、些細なことで順位が揺さぶられますから、どんな時でもポジティブ思考をまっとうするでしょう。

もちろん人間ですから、弱る時はあります。

でも、忘れてはいません。

きっと呪文のように「ポジティーブポジティーブ」と唱えてることでしょう。

鉄よりも固い意思の源はこのメンタルにあるのでしょうね。

空気を読むことに重きを置いていない

読んだうえであえて無視する

こういったことも平然と彼らはやってのけます。

読めてないわけではありません。

読んだうえで、「大した空気」ではないから無視するのですね。

そういう意味では重きを置いてないとも言えますが、厳密には

「空気の質」を判断することには重きを置いています。

それ以降の判断は自分ルールを優先するということですね(;・∀・)

自分の意見をはっきり言う

自分ルールを順守するには

自分の中のイエス、ノーを周囲にはっきり伝える必要があります。

自分の中ではそれはノーなので、僕は受け入れませんよ。という意思表示は彼らにとっての生命線とも言えます。

それを貫くからこそ、彼らは自由奔放だという印象を周囲が持ちます。

この時印象が分かれるのは、自分ルールを肯定するか?、他人ルールを否定するか?です。

同じ意見を言うにしても、前者は自由奔放という印象を与え、後者はわがままという印象を与えます。

この違いは後々、大きく周囲の評価を変えるので、意見の言い方も要注意ですね。

ストレスを溜めない

彼ら自由奔放な人はストレスを抱えることを何によりも嫌います。

ストレスを抱えないように自分ルールの優先順位を決めているわけですから、ストレスを感じることは本末転倒とも言えます。

もしストレスを感じた場合は溜め込まず、出来る限り素早く発散させるでしょう。

これは優先順位の上位クラスと言えますね。

不満や文句を言わない

さっきの職場で愚痴ばかり言う人がいい例です。

不満や文句があるなら辞めればいいじゃん!!

というのが彼らのセオリーですから、もちろん自分自身も言うことはありません。

たまにはありますが…(^_^;)

自分で選択して決めたことを、後々ぐちぐちと言うのはルールに反しています。

彼らにもし不平や不満があった場合、どんな状況でも「自分が決めたことだからしかたない」と割り切るように努めるでしょう。

友達は深く狭く

あまりに広げ過ぎると、自分のイエス、ノー、が伝わらなくなるからですね。

数が多ければ多いほど、本人の思想はやはり薄まっていきます。

伝わっている人と伝わっていない人がいずれ出てくるでしょう。

そして彼ら自由奔放な人はこう思うでしょう。

伝わりきらない友人ならいなくてもいいかなと。

その代わり、深く付き合ってる人間には、とにかく直球を投げます。

意思の疎通がどこまで正確かつ濃厚にできるか?

友人を作る尺度はきっとここにあると思われます。

発想力が豊か

自分の中では周囲に流されず、常に判断を繰り返しているので、発想力も磨かれていくのでしょう。

むしろ発想力がなければ、優先順位を明確化することもできません。

彼らは脳の働きを常にフル回転させて世の中と自分を比較して、自分ルールを構成しているとも言えるでしょう

過去に囚われない

自分が選択した結果が望んでいない結果ならば、仕方ないとあっさり割り切ることができます。

それは過去に起きたことで、彼らはすでに今を見つめているからです。

自分ルールですから、完全に自己責任です。

それを充分に理解しているので、過去に執着してもたいして意味がありません。

そんなことよりも今の選択が大事と判断しています。

気分がコロコロ変わる

確かに気分屋という見方もできますね笑。

それは基準が自分の中にあるので、状況に左右されないからですね。

それでも状況は変わります。

その変わった状況が不愉快であれば、さっきまでは受け止めていた状況を、突然猫のようにプイっと態度を変えてしまいます笑。

周囲はさっきまで普通だったのに…と感じるでしょうが、本人にとっては

「俺が変わったんじゃない!!状況が変わったんだ!!」

というだけの話なのでしょうが笑。

こういう時はかなり扱いづらい人かもしれませんね(^_^;)

こだわりを持っている

そのこだわりこそが、自分ルールの核になっているものです。

それによって取捨選択して、自分の価値観が構成されているので、彼らにとってはかなり意味が深いこだわりでしょう。

これに関してはかなり強くて高いプライドを持っています。

逆に優先順位が低いことには、なんのプライドもありません。

だからこそ、批判されても特にダメージをこうむることはないのでしょう。

先入観や固定概念に縛られない

自分ルールは自分だけで独自に作り上げたものですから、先入観や固定概念は真逆にあります。

むしろそれらに対する批判的な考えが、自分ルールの栄養源のようなものでしょう。

あれはこういうことらしいよと誰かが行った時、彼らはいつもこう考えるでしょう。

「…本当にそうか??」と(・ω・)ノ

人に合わせることをしない

足並みはそろえますよ(^_^;)

メンタル的にという意味です。

自分の基準を曲げてまで、人に合わせることはしません。

もし、状況的に自分の考えとは真逆にイエスを要求された場合は

彼らはあっさりイエスと言うでしょう。

そして内心はベロ出して「嘘だけどね(・ω・)ノ」と言っているはずです。

自分を貫くには、建て前も必要なのですね(^_^;)

どことなく魅力的

最終的にはなぜか魅力的に感じてしまうのが自由奔放な人です。

これは自由をわがままと勘違いせずに自分を貫いているからだと思われます。

空気を読まないのと空気が読めないのでは大きく意味が違います。

自由奔放な人にとっても他人の評価は大切なものです。

あえて不評をかうような真似を彼らはしません。

そんな中でも自分を貫いて理路整然としているのですから、どことなく魅力があるのは、言うまでもないでしょうね(・ω・)ノ

️自由奔放になるためには

やはりメンタル的に相当タフでいることが前提となるでしょうね(;・∀・)

「ポジティブ」「決断力」「空気を読む能力」など、は必須ですが、全て特別な才能というわけではありません。

誰でも持ち得ているものをフル活用すれば、なれないはずはありません!!

周りの人のことを気にし過ぎない

自分ルールを構築する上での根本は、他人は他人というスタンスです。

これは決して他人を否定するという意味ではなく、きちんと一線を引くということです。

自分を肯定する為に他人を否定することは絶対にいけません。

自分を肯定できるのは、自分が培ってきた努力のみです。

他人という存在を巻き込まずに、自分を尊重すること

これすなわち自由人の発想であります(・ω・)ノ

人は人、自分は自分スタンス

誰もがよく口にはしますが、言葉で言うほど簡単に割り切れるものではありません。

だからこそ、相手の意見に一喜一憂してしまうのですが、ここでも一線はきちんと引くべきです。

もし嬉しい肯定をしてくれても、もし悔しい否定をされても他人の意見です。

判断すべきポイントは、自分ルールをまっとうできたかどうか??

この一点に尽きます(・ω・)ノ

自分らしさを大切にする

結果、それが自分らしさというものに繋がっていくのでしょう。

そもそも自分らしさとは何か?ということを考えても机上の空論にしかなりません。

何事もやる前から自分らしさということを意識していては、きっと自分の力は引き出されないでしょう。

自分らしさとは振り返ってみて初めて実感するものですから(・ω・)ノ

何度も繰り返して「あ、自分らしさってこれかな」「なるほど。

じゃあこれは大切にしよう」という意識くらいでちょうどいいはずです。

「自分のやり方はこうだ!!」という意識で動きすぎると、自分ルールに準じているのではなく、初めから幅を狭めているだけになってしまうでしょう。

【自分らしさについては、こちらの記事もチェック!】

時にわがままも言ってみる

彼ら自由人は内心では常にわがまま言ってるかもしれませんね(;・∀・)

それを外でどう表現するかは、その場の状況を理解してるかどうかがキーになります。

ただのわがままか?自分の意見か?

あえてただのわがままを言うということもあります。

それは「自分のわがままさ」を周囲に伝える必要があるからでしょう。

器用にうまく立ち振る舞うつもりはないよ

という意思の表現をするには、時にわがままも必要なのでしょうね(;・∀・)

️自由奔放になれたらストレスフリー!

というほどでもないのですが…(;・∀・)

少なくともだいぶ軽減されますし、他人から見たらストレスフリーにも言えるかもしれません。

そしてそれが自由というもはや形骸化された言葉の本来の意味でもあります。

人が生きることは、本来ストレスがあってはいけないと僕は密かに思っています。

それでもそんなことは不可能ですよね??

ではどうしたらいいか??

そのヒントは周囲にいる身近な「自由人」が教えてくれるかもしれません(・ω・)ノ

今回のコラムが、みなさんの自由のヒントにほんの少しでもなったのなら、幸いでございますm(__)m

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