読み方
「晒す」の読み方は、「さらす」です。
元々は人名用の漢字ですが、これまで挙げたような意味で用いられることが多いです。
音読みでは「サイ」、訓読みでは「さら(す)」と読みます。
よくある晒し行為
晒すという言葉の持つ本来の意味や使い方が分かったところで、次はよくある晒し行為について挙げていきます。
ここから先は、「不特定多数の目に触れる・触れさせる」といった意味合いでの晒す行為についてです。
すなわち、私たちが日頃よく使っている「晒された」「晒しにあった」という言葉としての行為についてのご紹介をしていきます。
ネット晒し
ネット晒しとは、言葉の通りインターネット上に晒す行為をいいます。
一般的には個人情報など、あまり不特定多数の目には触れられたくないものを意図してあげる、もしくはあげられる行為を指します。
ネット晒しはあまり良い印象が無い人も多いように、良くない行為として行われることが多いです。
例えばある人が犯罪行為で捕まり、それがニュースになった場合に、犯人のことを知っている人が、面白半分で犯人の個人情報をネット上に晒します。
犯罪の内容が派手なものであればそれだけ世間の好奇の目は強くなりますし、また犯罪者が晒されてもそれを非難する人は少数派でしょう。
犯罪者の個人情報が載ると、その身内や親しい人にまで被害が及ぶ可能性も決して低くはありません。
また、晒された内容が嘘や脚色が多いものである場合には、誤った情報に踊らされた一部の過激な人たちが、罪を犯した当人やその親しい人たちに嫌がらせや脅迫行為をすることも現実として過去に起こっています。
このような場合以外にも、芸能人や一般人に限らず、簡単に他人の個人情報をネット上で晒せる世の中になっていますので、ちょっと気に入らない相手や、晒したいと思った相手がいれば直ぐにでも晒せてしまいます。
やり方によっては晒す側は自分の個人情報が分からないように行うことも出来ますので、情報が手に入りやすくなった世の中は、ただ便利になったとは一概には言えないのかもしれませんね。
ネットで写真を晒される
ネット上で特に多いのが、写真を晒す行為です。
よく見かけるのは顔写真やプリクラ、SNOWなどで加工した写真ですが、大抵は個人が特定されないように顔や特徴のある部分はスタンプなどで隠してあります。
きちんと隠す場所は隠したうえで写真を晒しているのであれば、晒されている本人も、不快には感じても相手を特定して訴えることまではしないことが多いです。
一方で、日頃自らSNSなどで自撮り写真を公開している人の場合には、その写真に揶揄するようなコメントを付けられて無断転載された場合には、勝手に写真を転載した相手のアカウントをブロックすることが多いです。
しかし、日頃から自分自身で写真を公開しているためか、犯罪である無断転載(肖像権の侵害にあたる)をされても警察に訴えるようなことはしない人が大半です。
もちろんあまりにも内容が酷い場合には警察に訴える人も中にはいます。
しかし、今やネット上では犯罪であるはずの無断転載行為(肖像権の侵害)が横行しており、それを一々訴える側が大変な状況になっているというのが現実です。
また、顔写真がネット上に晒されるだけではなく、例えば犯罪者や悪い意味で有名になってしまった人の場合には、住んでいる家の写真までネット上に晒されてしまうことがあります。
そうなると付近に住んでいる近隣住民にも迷惑がかかる可能性がありますので、ネットでの写真を晒す行為はやはり良くないものとされています。
時々、ノーベル賞などの特別な賞を受賞した人の写真がネット上で晒されることもありますが、それは晒しというよりは、褒め称えられるという意味合いで公開されていますので、悪質な晒しとは言えないでしょう。
とはいえ、もしも受賞した本人が「写真をネットに載せて欲しくない」と考えているのなら、写真が掲載された時点で本人は「晒された」という認識になるでしょう。
個人情報を晒される
写真に次いで多いのが、個人情報を晒す行為です。
例えば芸能人の場合、公式で本人のプロフィールを公開していますよね?
その内容がネットに出回るだけでは、晒しとは言いません。
しかし、本人が公開していないデビュー前の個人情報や写真などを勝手にSNSなどで公開されてしまうと、本人はとっては「晒されている」と感じることでしょう。
特に、その内容が本人にとって隠しておきたいことであれば尚更です。
芸能人のように世の中で有名になるほど、このような具体的で執拗な晒しにはかなり遭いやすいです。
世間に堂々と顔を出し、名前を売っていきたいのであれば、ある程度の晒し行為は覚悟の上かもしれません。
しかし、執拗な晒し行為や中にはねつ造した個人情報を晒されることもあるため、晒される側は気苦労が絶えないことでしょう。
芸能人であれば「仕方がない」と思えてしまう晒し行為でも、一方で一般人が標的にされると話は変わってきます。