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悲壮感が漂っている人の18個の特徴(続き4)

さらには、軽蔑と哀れみが混同したような、「不愍」「無残」などや、「心がズキズキする」「やりきれない」など、悲しいことに接して心が痛む意味合いもあります。

では、それらの意味の痛々しいに「良い意味で」とついた場合は、どんなことを言いたいのでしょうか?

あくまでニュアンス的な話になってしまいますが、より同情心をこめて、対象のことをかわいそうに思ったり、その人の辛さを考えてやりきれない気持ちになることと言えるでしょう。

ですから、そう思わせるような純粋さや、無垢さをその人が持っていることになります。

例えば、無理難題を押し付ける上司の元で働いている2人の部下がいるとして、一人は、上司の陰口を言いながら仕事をしたり、自分が受けた理不尽な扱いで不機嫌になり、そのイライラを他の人にぶつけたりします。

もう一人の方は、理不尽なことを言われても、黙々と仕事をこなし、文句も言わなければ、他の人に対して当たることもしません。

さらには、他の人に上司のミスを誤りにも行きます。

この二人のうちどちらが良い意味で痛々しい人でしょうか?断然、後者ですよね。

その人の健気な姿が、見ている人の同情をかい、やりきれない気持ちにするような人のこと良い意味で痛々しい人と表現します。

支えてあげたくなる

もともと人の世話を焼いたり、尽くすタイプの人もいますが、そんなタイプの人でなくても、思わず”支えてあげたい”と思わせる人っていますよね?

それはやはり一生懸命な人ではないでしょうか?

時には周りが見えないほどに、純粋にひたむきに生きていたり、何事にも全力で取り組んでいる人を見ると、ついつい手を差し伸べたくなりますよね?

また、優しい人のことも支えたくなります。

人間関係は気持ちの繋がりがとても大事で、義務感や人から矯正された場合は、いやいやしたり、最小限のことしかしたくないですが、いつもよくしてくれる人に対する感謝の気持ち、人に優しい人に対する敬意を動機として何かを行う時には、求められる以上のことをしてあげたくなるのが感情というものです。

心配になる

悲壮感の漂う人は、どこか儚げで影があったり、健気に頑張っているので、人に心配されることでしょう。

表情がくらい人を見ると、「何かあったのかな?」「大丈夫かな?」と自然と思いますし、口数が少なくうつむきがちにいるなら、気になって「どうしたの?」と声をかけたくなりますよね。

また、自分の置かれている悲惨な状況がわかっているのかないのかわからないほど健気な子を見ると、「騙されないように守ってあげないと」「頑張りすぎて倒れないかな」と心配になります。

心配するということは、その人のことを気にかけ、愛情を持って見ている証拠ですので、悲劇のヒロインのように、悲壮感のある人はやはり周りを魅了する不思議なオーラがあるのでしょう。

ため息が多い

ため息をつくときはどんなときでしょうか?それは、ストレスや緊張、不安が溜まって、体がリラックスが必要と感じたときです。

ため息は体の防衛本能の一つで、精神的緊張をほぐす必要性を本能的に感じ、ため息をつくことによって自分を守ろうとうるのです。

ため息をつくと、深く呼吸し、血液の流れを促進し、酸素を取り入れ二酸化炭素を出すことができるので、緊張が緩和され、気持ちが和らぎます。

深呼吸するのと同じ、リラックス効果があるのです。

ですからため息をよくつく人は、精神的に緊張している状態が続いていて、心が疲れ、しんどくなってきているサインなので注意が必要です。

早めに改善策を講じないと、うつ病になったり、体の不調としてストレスが出てしまうかもしれません。

たとえため息の原因を知らなかったとしても、隣の人がため息を頻繁についていると、やる気が削がれるような嫌な気持ちになったり、疲れているのかと心配になりますよね。

しかもため息は無意識で出ていることが多いので、本人はそれほど気にならなくても周りの方がきになることが多いです。

これからは、ストレスを吐き出して、精神のバランスを保っているんだと暖かい目で見るとともに、あまりに酷いようなら、それとなく教えてあげることもできるでしょう。

鈍感になっている

他の人から見たら、考えられないような状況や条件を甘んじて受けている人っていますよね。

あまりに辛ことがあったり、悲惨なことに慣れてしまうと、正邪の感覚や自尊心、自分を保護したり、権利を主張する感覚が鈍感になって、正常な感覚の人なら、屈辱と感じることや受け入れがたいことを、仕方ないと思ったり、言われるがままの屁理屈で納得してしまうことがあります。

これは、職場や家庭という小さな世界で、一人の暴君が威張り散らしたり、気持ちを否定され続けたり、主張しても力でねじ伏せられるという劣悪な環境を強いられている場合によく見られます。

あまりに辛く悲惨な境遇にいる場合、「どうせ無理なら、何も感じないようにしよう」という身の守り方をするしかないのかもしれませんが、非常に恐ろしいことです。

自分の尊厳を守る感覚が徐々に鈍くなり、ずれていってしまうのですから、劣悪な環境でも何も感じなくなってしまうのです。

そんな風に鈍感になってしまった人には、親身になってくれる人の助けが必要でしょう。

弱さを隠そうとする

そもそもなぜ弱さを隠したいと思うのでしょうか?それは、小さい頃から刷り込まれている、良い子や強い子は褒められ、いつも笑顔明るい子はちやほやされるという固定観念かもしれません。

ですから、グジグジしている自分や、弱くてくらい部分を人に見せることに恐怖心を感じ、隠してしまうのです。