私がこの世の中で職業として最も憧れる仕事、それは「芸術家」です。

自分の才能や感性を生かしてそれを形にする。

自分が生み出したものが売れてそれがお金になるなんて、なんともかっこ良くて羨ましいお仕事だと思えるのです。

「あなたの職業は?」と聞かれた時、「私の職業は映画監督です」とか「私の職業は女優です」とか「私の職業はファッションデザイナーです」なんて答えることができる人になるなんて、かっこ良すぎると思いませんか?

100%クリエイティブな芸術家というこのお仕事は一体どんな性格の人がなっているのか?芸術家な人の8個の特徴をご紹介します。

芸術家な人の8個の特徴

芸術家はそれぞれ人によって性格も雰囲気も違います。

有名どころのピカソとゴッホを比べてみても、ちょっと怖そうで神経質そうなピカソに対して、何をしでかすか分からない奇想天外な印象のゴッホ。

2人とも芸術家としての才能は素晴らしいものがあるのですが、性格や雰囲気は全く違う、それぞれがバラバラなのです。

でも、彼らには共通しているところがあります。

一体、ピカソもゴッホもラッセンも、全ての芸術家が持っている要素とはどんなことなのでしょうか?

1.手先が器用


芸術家は一様に手先が器用なところがあります。

芸術家は手先が器用でないとある程度の良い作品を作ることができないのです。

日本で今、最もお洒落な芸術家と言えば、あの高級ブランド・ルイヴィトンのバッグまでデザインしてしまった「草間彌生さん」が思いつきますが、

草間彌生さんと言えば水玉模様ですよね。

あの細かい模様は手先が器用でなければ到底描けるものではありません。

かぼちゃという大きなキャンパスに、何万個ものドットをいくつもいくつも描いていかなければならないのです。

もし手先が器用でなければどんなことが起きてしまうのか・・・手が震えてしまえばドットとドットが重なって、また1からやり直しになってしまいます。

手先が器用な草間彌生さんだからこそ、大きいドットと小さいドットが組み合わさるあのデザインを生み出すことができたのです。

1.細かな手作業が必要なものが多い

芸術家は細かい手作業が必要なものがとても多いお仕事です。

例えば、書道家の武田双雲さんであれば、1ミリ単位で芸術的な文字を作成しなければなりませんし、陶芸家も、1ミリ単位でコップやお皿を作成し、さらに絵付けする作業、色をのせる作業を細かく成功させなければなりません。

私は子供の頃からアトリエに通って、絵画を主に制作しているのですが、絵画は一度色をのせた箇所に後日また別の色をのせたり、見る人が気がつかないくらい細かい部分であっても時間を掛けて制作します。

色に関しては何度も混ぜる色を試行錯誤してみたりすることもあったり、今度は塗る筆の毛先の状態を水分で調整するなど、様々な部分に気を配るのです。

こんな風に芸術家は生きている時間をその作品に捧げて、細かい場所に注意を注ぎながら、全神経を傾けて作品を制作していきます。

しかし私のように子供の頃から芸術家に憧れていても、実際に芸術家として食べていけるのはほんの一握りの人間だけに限られてしまいます。

あのゴッホであっても、売れたのは自身がこの世から亡くなった後になりますし、有名な作曲家の中にもやはり死んでから売れるようになったという人が大勢いる世界なのです。

「ゴッホ」という画家は現在確固たる地位を確立している素晴らしい人として有名ですが、ゴッホ自身は今そのことをどう思っているのかと想像すると、きっと「生きている時に売れて欲しかった」「なんで死んでから俺の絵は評価されているんだ」と嘆いているに違いないと思うのです。

若かりし頃は失恋して自身の耳を切り落とすという波乱万丈な人生を送ったゴッホが生涯手にできたお金はほんの一握りのお金だけでした。

もし生きている内に売れていたら、ゴッホは億万長者になれていたのです。

死んでからも評価されないよりはましですが、やっぱり生きている内に評価されたいものですよね。

2.感性が豊か


芸術家の多く・・・いいえ、恐らく芸術家の全ての人は感性が豊かなはずです。

感性が豊か過ぎるから、ゴッホのようにいきなり耳を切り落としてしまうような行動に出てしまうのかもしれません。

ムンクの叫びもそうですが、ああいう絵を描こうとする感情や気持ちは、普通の人ではなかなか思いつかないはずなのです。

風景なら花や山や川を描けばいいですし、家の中のものであれば、テーブル・キッチン・・・ペットを飼っていればわんちゃんや猫ちゃんを描けばよかったのです。

でもムンクの叫びは、人を叫ぶ姿を抽象的に描き、大人気を博しました。

芸術家とは一体どんなスペクタクルな感情・感性を持っているのでしょうか?もう少し細かく掘り下げてみることにします。

1.五感をフル活用する

芸術家の中で最もお洒落な存在といえば、有名なメゾンで働くファッションデザイナーたちですが、中でもイブサンローランはその功績を称えられ、死後数年が過ぎているというのに2017年の今年、パリに「イブサンローラン美術展」がオープンされました。

この美術展は単なる一デザイナーが生きた証を収めた場所というだけではなく、パリで正式に「美術館」として採用されたそうなんです。

どうしてたった1人のファッションデザイナーがこのような功績を遺すまでになったのかというと、

そこにはイブサンローランが生涯掛けて、彼の五感をフル活用させながら作り上げていった、彼の人生そのものが詰め込まれた場所になっていたからなのです。

この「イブサンローラン美術展」には何が展示されているのかというと、まずは彼の歴史的なフルコレクション、精魂込めてデッサンしてきた洋服の数々が、まるでウインドウショッピングをしているかのように展示されています。

別の部屋には、イブサンローランが愛した仕事部屋、デザインを施していた場所をそっくりそのまま再現、ショウだけでは見ることのできない、裏方としてのイブサンローランを見つけることができるのです。

この素晴らしい場所を作成した1人にイブサンローランの相棒であるピエールベルジェがいましたが、彼はこの「イブサンローラン美術展」がオープンする1ヶ月前にこの世を去ることになったのです。

なぜイブサンローランがピエールベルジェという相棒を必要としたのかと考えてみると、私は1つの結論に辿り着きました。

ピエールベルジェは「イブサンローランが五感をフル活用してデザインに没頭」できるように、それ以外の庶務を全て引き受けていたのです。

現代のようなITテクノロジーが蔓延る社会や、ビジネスで勝つことが求められる世界で芸術家が生き生きとその五感をフル活用できるような空間を手に入れるには、ピエールベルジェのような素晴らしい相棒が必要なのかもしれません。

2.普通の人には気付かないものがわかる

ファッションの世界の「芸術家」という概念で、もう少し掘り下げてみると、「センス」というくくりのカテゴリーについては、どうしても、その人の感性がつきまとってしまいます。

最近では親の影響があるのか、小さい子供でもお洒落な子がいる反面、「お洒落」ということを生きている中で一度も考えたことがないという大人もいます。

経済的に苦しくて生きているのが精一杯であればお洒落なんて考える暇がないのは当たり前ですが、日本の一般的な大人であれば、誰でも一度くらいは洋服や靴を選んで買ったことがあるはずです。

思春期を超えて18歳頃になると初めての好きな人が出来て、「その人に好きになてもらう為には、どんな服を着たらいいのか?」なんて悩んだことがある人は大勢いますよね。

女性ならデート前に何度も鏡を見て「これでおかしくないかな?」なんてやり取りをしたことがあるのではないでしょうか?

ファッションのセンスは、何を買っても、何を着てもダサいと思われる人間がいます。

例えば、お笑い芸人・フットボールアワーの後藤輝基さんは、かなりの年収、巷では2億円を超えているなんて噂もあるくらいなのですが、

それだけのお金を持っているにもかかわらず、めちゃくちゃ服装がださいままなのです。

ファッションセンスに関しては、どうしてもその人自身のセンスが関係してしまうようで、

お洒落な服を着こなせる人と、お金を持っているお金持ちは、≒にはなれても、=になることはありません。

ではなぜお洒落な人は、例えその人が貧乏であっても、上手く着こなすことができるのかというと、「普通の人には気付かないものがわかる」センスがあるのです。

例えば、ちょっとぽっちゃりしている人がダイエットに成功すると、腕や足を露出した、ノースリーブやミニスカートを履きたがる傾向があります。

その他にも、体のラインがぴったりしたニットやTシャツ、足の細さが強調されたスキニーパンツを選択する人も多いのです。

しかしイブサンローランやシャネルがパリのファッションショーで器用するような、スタイル抜群のモデルがそういう服ばかりを着るかというとそうではありません。

ファッションショーを見ると、すぐに気が付くと思いますが、スタイル抜群のモデルを器用するファッションショーでは、必ずといっていいほどロングスカートが登場しますし、

彼らの私服にはマキシスカートや、数年前に日本でも流行ったバギーパンツなんかは当たり前のように登場するのです。

つまり人間の骨格やスタイルは、洋服のデザインをそう簡単に超えることはできないということなんです。

特に日本人はイブサンローランやシャネルのランウェイを歩くモデルと比べると、脚は短いですし、体系もイマイチです。

いくらダイエットをしたところで、到底彼女たちのようにはなれません。

そういう日本人が一生懸命に体にフィットした洋服を着ても、なんだかパットしない印象で終わってしまうのです。

しかしボトムスにはマキシスカートを合わせるとか、アシンメトリーのデザインをチョイスするとか、トップスはぴったりさせるけれどボトムスはオーバーサイズでゆったりさせる等の技を取り入れると、ストイックになる程ダイエットをしなくても、それなりの仕上がりに見せることができるのです。

自分の体系の弱い部分を気にし過ぎて、周囲に迷惑を掛ける程ストイックになり、スタイルアップに励むよりも、ファッションセンスとアイディアでカバーする方がよっぽど楽しい人生を歩むことができるのです。

本当にお洒落な人は、既に自分のスタイルは一流でないことに気が付いているはずです。

そしてそんな短所を上手くカバーして、普通の人には気付かないものをチョイスして着こなしているのです。

今飛ぶ鳥を落とす勢いの石原さとみさんも、良くマキシスカートを履いていますよね。

きっと彼女の場合、顔は一流でも、足には自信がないということで、だったら隠して良く見せようと上手いチョイスをしているのだと思います。

3.独特な感性を持っている

このファッションセンスは、芸術家として芸術的になればなる程、独特な感性を発揮するようになっています。

芸術家的な作家として有名な志茂田景樹さんのファッションは、他の人が真似できないくらい奇抜で有名ですよね。

彼はどう見ても、独特な感性を持っている芸術家の1人です。

若い人に大人気の歌手、ジャニーズ事務所の嵐のメンバーは、メルシーボークーという名前のブランドを良く着こなしているのですが、このブランドのデザインはとても奇抜で、首の部分に浮輪のようなものがついたアウターや、股下が通常の3倍もあるパンツなどが人気です。

きっとこのブランドはデザイナーの方が独特な感性を持っていて、お洒落とダサいのはざまを上手くコントロールしながらデザインを作成しているのではないかと思います。

このブランドのパーカーはとてもカジュアルなんですが、1着約2万円もする高価なブランドです。

私がもしファッションデザイナーになるとしたら、首元に浮輪のついたパーカーを2万円で販売するなんて、到底想像がつきません。

しかしこのメルシーボークーのデザイナーは、それをお洒落に実現して、昨年までは原宿のあの有名ファッションビル・ラフォーレ原宿に店舗を構えていた程なんです。

嵐といえば、小柄で細身、顔は抜群ですが、スタイルが良いかというと、二宮和也さんや大野智さんはちょっと身長が低いという弱みがあります。

そんな2人はメルシーボークーを着ていることが多く、

メルシーボークーの独特なデザインがマッチして、スポーティーでカジュアルな雰囲気を合わせながらも、上手にスタイルアップすることに成功しています。

独特な感性を持っているファッションデザイナーの芸術家的センスは、その成功を目にする度に「本当に真似できない素晴らしいものがある」と思わされてしまうのです。

3.常識や普通からズレている

芸術家の多くは常識や普通からズレているイメージがありますよね。

例えば、ゴッホですが、好きな人と上手くいかないから、寂しくて仕方がなかったから、という理由で自らの片耳を斧で切断してしまうという事件を起こしています。

今の世の中で「失恋したから片耳を斧で切り落としてしまったんだ」なんて人が現れたら、怖くて友達にもなれないというか、携帯電話の番号も、LINEのIDも教えたくない相手になってしまいますよね。

ゴッホは自分の片耳を斧で切り落とした後、痛みと出血で数日間気絶していたという話を聞いたことがあります。

普通なら片耳を斧で切り落とせば、激痛が走ることを予想するから「痛くて怖い」と思うものですよね?

それなのにゴッホは躊躇せずに自らの手で自分の片耳を切り落としてしまうのです。

これは常識や普通からズレている何ものでもありません。

さらにゴッホの片耳は、「途中まで斧で切ったけれど半分は切り切れていなかった」とか、「なんども斧を動かしたような跡があった」とか、「切った後の断面がギザギザになっていた」などの証言やは何も残されていません。

つまりゴッホは自分の片耳を斧で切り落とすのに、全く躊躇せずに、一気に切り落としたということになるのです。

自分の片耳を斧で切り落とすのに躊躇しない人はどれくらいいるのでしょうか?恐らく100人いたら1人いるか、もしくは誰もいないか、くらいの確立です。

さらに不思議に思うのは、ゴッホは自分の片耳を斧で切り落とす時、「切断した後は耳が片方聞こえなくなる」とか「片耳のない不格好な男になってしまう」なんてことを考えなかったか?ということなのです。

私なら、その後の生活を考えると、電話だって片耳でしか聞き取れなくなってしまいますし、ヘッドホンだって片耳しか聞こえなくなってしまいます。

歩いていても、常に片耳は聞こえないとなると、どう考えても不便になるはずですよね。

ゴッホは生涯独身のまま、その生涯を終えています。

失恋はしたかもしれませんが、片耳を斧で切り落とさなければ、その後別の女性と巡り会えたかもしれません。

後先考えずに、その場の気持ちで耳を切り落とす、これぞ「エキセントリック」であり、芸術家が常識や普通からズレている部分なのです。

4.集中力が凄い

芸術家は普段からいつも変人というわけではないようですが、一歩間違えるとエキセントリックになってゴッホのように自らが片耳を斧で切り落としたり、一般人が考えられない行動に出てしまうところがあります。

そういうエネルギーを、今度は作品を制作することに注ぎ込むと、これまた一般人とはかけ離れた集中力で、どんどんと素晴らしい作品を制作してしまうことがあります。

私は昔、尊敬する塾の先生にこんな話をされたことがあります。

「才能ある人が何かに集中すると物凄いオーラを発揮することがあるものなんだ。あまりの集中力にこちらから話掛けることさえできないくらいの大物がいるものなんだよ」と。

私は今まで生きて来た中で、まだそんな人に一度も会ったことはありませんが、鬼気迫る程集中する人って確かにいるような気がしています。

私は元ITエンジニアですが、プログラミング組んでいるエンジニアにもそれに近い人がいたのを覚えています。

エンジニアは芸術家とか大分違うかもしれませんが、エキセントリックで集中力があるという点については多分に共通しているところがあるのです。

俳優という職業はエンジニアより芸術家に近い一面がありますよね。

役柄によって自分ではない誰かを完全に演じ切る、これも1つの芸術です。

最近の人気俳優たちは、あまり役を作り込むという人が多くないようで、現場に行ってその役に入り、家に帰ってきたら役のことなんかすっかり忘れてしまうのだと語りますが、私はこのことを少し寂しい変化だと思っています。

芸術家たるものはやっぱりエキセントリックな部分を持って欲しいというか、普通であって欲しくないのです。

ひとたび演技に入れば豹変してしまうような集中力とエキセントリックな部分を持ち合わせている人、岡田准一さんなんかは、役に相当のめり込んでしまうそうなので、その内俳優を超えて芸術家的な俳優になってしまうんだろうなと思ってしまいます。

俳優と芸術家の狭間にいる人といえば、森山未來さんなんかが頭に思い浮かびます。

彼のダンスといえば、素晴らしく芸術的で、ファッションショーなんかに参加しては度々そのダンスを披露されていると言います。

踊っている時の森山未來さんはまさに鬼気迫るものがあって、声を掛けにくい人と言えるのかもしれません。

5.独特な言動をする

芸術家は普段独特な行動をとってしまう人がほとんどだと言われています。

例えばどんな行動に出るのかというと、ある人は自分がオーダーした食べ物を「ひと口頂戴?」と言われても絶対に自分以外の人にあげることができないと言うんです。

自分の目の前に運ばれて来た1人前の料理は全て自分が食べるべきもの、だから他人に一口でもあげてしまうと調子が狂ってしまうので、食べ終わった時に満足感がないというか、すっきりしない気持ちになってしまうそうなんです。

私はたった一口くらいあげたってどうってことないのに・・・一緒にワイワイしながら食べる方が楽しいのになんて思ってしまいます。

でも、ダメな人からすれば、その一口が多いに影響してしまうのだとか・・・。

その相手が例え彼氏や彼女、旦那や奥さんだったとしてもダメなんだそうです。

実は私の親戚にもこのタイプの人間が1人いますが、実の娘であっても、一口もあげることができないというのです。

私の母は一度に色んな種類のものを食べるのが好きなので、私のプレートのものを食べたり、妹のプレートのものを食べたりして、時にはお皿ごと、テーブルの上で交換っこが始まったりしてしまいます。

従妹はそれを見ていつも「いいなぁ」と愚痴をこぼしているのです。

誰にも一口もあげることができない叔母は、さらなる衝撃的な行動に出たことがありました。

それはポテトチップスを食べていた時のことだったのです。

従妹が「頂戴!」というと叔母は「無理」と答えたのです。

その場にいた母と妹と私は茫然、「まさかポテトチップスまであげることができないの?」と聞くと、平然と「そうだよ」と答えていたのです。

これを見ていた母は「昔貧乏だったからこうなっちゃったんだろうか・・・」と首を傾げていましたが、多分そのせいではないような気がするんです。

きっと彼女の中で何かがあった・・・だから一口もあげることができないのです。

私の叔母はもしかしたら、何かの心の病があるのかもしれません。

過去に無理し過ぎたことがあったのか、それとも心がおかしくなる程追い詰められたことがあったのか・・・だからこうな風になってしまったんだと思うのです。

行動は一緒でも、それを誘発する原因は芸術家とはまた別の理由があるように思えてなりません。

芸術家は元々生まれ持った要素で、独特な言動をするのに対し、叔母はきっと後天的な要素でそうなってしまったんです。

芸術家は作品の制作に没頭し始めると、つい時間を忘れて、寝るのも、食べるのも忘れてしまう人がいるんだそうです。

寝るのも、食べるのも忘れて没頭することがある、それって考えようには「これ程幸福なことはない」といえるのかもしれません。

だって寝るのも、食べるのも忘れる程、やりたいことがあるのですから、その人にとって作品を制作する>食べることよりも幸せなことと感じているということになりますよね。

でも、芸術家たちは口を揃えたように、「作品を制作する時は決して楽に楽しんでいるばかりではない」と言います。

「苦しんで苦しんで作品を制作する、だからいいものができる」のだそうです。

これにはやや叔母と共通するようなところがあるように思えます。

苦しくても、何かを守る為に生きる・・・だから時に独特な言動をする・・・こういう性質を持った人は、手放したくない才能とか、幸せな家族がいるとか、失いたくない幸せがあるからこそ、独特な言動をしてしまうのかもしれません。

6.物事へのこだわりが人一倍ある

芸術家の中には大雑把なタイプもいるようですが、人によっては物事へのこだわりが人一倍ある人も多いそうです。

過去に草間彌生さんが、テレビの企画で誰かとコラボして欲しいと頼まれた時、その相手に選んだのが嵐の大野智さんだったことがありました。

草間彌生さんが彼を選んだ理由は「芸術的な才能があるから」だそうです。

草間彌生さんとコラボしたい人はたくさんいます。

でも彼女から選ばれたのはたった1人大野智さんだけだったのです。

嵐の大野智さんはこの申し出を照れ臭そうに、そして嬉しそうに引き受けていました。

誰とでも作品を作りたいわけではない、できた作品全てを「これが自分の作品だ」と認めることをしない、芸術家には物事へのこだわりが人一倍あるのです。

7.几帳面で凝り症

芸術家の中には几帳面で凝り症な人がいます。

特に几帳面な性質を持っている人が
多く、男性だと下着の色は白しか着ないとか、箪笥の中には同じ服が何着もあって、それらが少しでもずれてしまうと「気持ち悪い」「どうして君は洗濯物を箪笥に入れることもできないのか?」と説教してしまいます。

家の中で、飲みかけのペットボトルが放置されていると「どうしてすぐに片付けないんだ」と怒られてしまうんだそう。

芸術家は常に自分のセンスを研ぎ澄ました状態にしておきたいと思えば、それだけストイックになってしまうのかもしれませんね。

音楽家は少し売れてお金持ちになると、家に機材を持ち込んで、作曲や編曲に没頭したりするそうですが、その作業にのめり込んでしまうと、次から次へと、新しい機材でこれまで出せなかった音やビートを出してみたいとか、もっとあの機械でああいうことをしてみたいと、かなりはまって凝ってしまうことがあると言います。

確かに同じギター1本であっても、同じ音色が出るわけではないので、あれも欲しい、それも欲しい、そうすればもっといい音楽ができる・・・なんて思ってしまえばのめり込んでしまいそうですよね。

人間はそうでなくても欲に支配されてしまうと、次から次へと新しいもの、今自分が持っていないものが欲しくなってしまう生き物です。

芸術家の場合は、名声・よりいい作品・才能・・・こういうものに欲が出てしまうと色んなことに凝るようになってしまうのかもしれません。

8.頑固

私は芸術家の大物は皆頑固であるというイメージがあります。

そのイメージとしてぴったりだなと思うのは漫画「美味しんぼ」の海原雄山という美食家です。

食を芸術的な観点で食す美食家は、魚1匹、肉1枚、野菜1個であっても、原産地、形、色、香りなどなど、様々な観点から選別し、そしてどれとどれを組み合わせれば1番美味しいのか、調理法は何がベストなのか、それに合うお酒は何がいいのか・・・などを見極めていきます。

美食家がもてなすディナーは、まさに食のランウェイのようで、オードブル、メイン、デザート・・・全てが調和し、美味しい「うまい」の連続で、夢のような時間を過ごすことができるのです。

これだけのことを演出できる美食家はそう多くは存在しません。

海原雄山は漫画の世界のフィクションに過ぎませんが、きっとこういう男がこの世に実在しているはずで、その男はきっととても頑固で、たった一つのこと、水1滴だって自分が納得いかなければ、首を縦に振らない男なのです。

いいものを極めようとすれば、その分だけこだわりが必要になり、それを実行するには頑固にならなければならないのかもしれません。

芸術家には常に紙一重の危うさがつきまといます。

時に自分の才能を余すことなく他人に見せてみたいと思ってしまえば、1分1秒の時間をこだわり、朝から晩までの行動にこだわり・・・あまりのストイックさにノイローゼや精神異常になってしまう芸術家もいます。

家族や周囲に迷惑を掛けてまでも、自分のことにこだわってのめり込んでしまう・・・芸術家は私の憧れの職業でしたが、こうして掘り下げてみれば、かなりエキセントリックな部分もあれば、家族としては「一緒にいて幸せになれるのだろうか?」と思ってしまう部分もあるようですね。