CoCoSiA(ココシア)

最期を迎える時に後悔する10個のこ...(続き2)

では、人は最期を迎えるときに、どのようなことで後悔するのでしょうか?以下に具体例を挙げていきます。

素直になればよかった

恥ずかしがり屋な性格の人や、意地っ張りな人、または怒りやすい人など、素直でない性格の人は、最期のときにはそんな自分の性格を後悔することがあります。

本音で話すことが出来なかったために誤解させてしまった友人や、突き放してしまった家族、親しい人などに対して、「もっと素直になっておけばよかった」と悔やむことがあるかもしれません。

最後に素直になって相手と話が出来れば良いのですが、話をする機会がなければ悔いが残ったままで人生を終えてしまうことになるでしょう。

そうならないためには普段から素直になることを心がけた方がもちろん良いのですが、むきになりやすい人や素直になれない性格の人では、中々自分自身で「死」を意識しない限りは本音で話すことは出来ないのです。

また、意地っ張りが強い人ほど、最期のときになって後悔してもなお、口からは素直な言葉が出せないこともあります。

働きすぎなければよかった

現代では女性も男性並みにバリバリと働く時代になりましたが、それでもまだ男性の方が仕事に人生を費やすことが多いです。

男性が育ってきた家庭環境によっては、「男は会社で必死に働いて家族を支えるもの」「昇進して高い地位に就くこと」を当たり前に考えている人もいるでしょう。

そうした人の場合はまず仕事を第一に考えている傾向があります。

また、家庭を大切にしながらも、真面目な性格の人では会社で頼りにされる機会が多く、仕事に費やす時間の方が増えてしまうこともあります。

そうしたさまざまな理由から働くことを優先した人生を送ってきた人は、最期を迎えるときになって、「こんなに働き過ぎずに、もっと家族や自分の時間をゆっくりと楽しめば良かった」と後悔することがあります。

また、働き過ぎた結果過労で倒れてしまい、死期を早めてしまう人がいますが、その場合にはさらに後悔の想いが強く残ってしまうでしょう。

一方で、女性の場合にも、必死になって仕事に打ち込んできた結果、最期のときには後悔する人がいます。

例えばシングルマザーで自分が働いて子どもを育てるために一生懸命に仕事に取り組んできた結果病気になってしまった人では、「もっとちゃんと子どもとの時間を大切にしてあげれば良かった」と後悔することもあるでしょう。

男性であれ女性であれ、人生を送る上で働くことは必要なことですが、それだけに費やすと最期のときには仕事以外にも十分に時間を使わなかったことを後悔しやすいです。

友人を大切にすればよかった

友人の存在は、自分の人生を彩る大切なものであり、また時には自分の人生を最高に輝かせてくれる宝物でもあります。

たった一人だけで送る人生よりも、楽しみや悲しみを分かち合える友人がいる人生の方が、何倍も充実したものになります。

しかし、仲の良い友人だからこそ、時にはぶつかり合い、喧嘩をすることもあるでしょう。

また、長年自分と付き合ってくれている友人だからこそ、側にいるのが当たり前になってしまい、その存在をいつしかないがしろにしてしまっていることもあるかもしれません。

そうした無意識の行動は、友人が自分から離れてしまわない限り、気付くことは中々難しいです。

また、もし友人が離れなかったとしても、自分が最期を迎えるときになって、その存在の大切に改めて気付くことがあるのです。

そうして「友人をもっと大切にすればよかった」と後悔することがあります。

最期のときに友人が自分の側にいてくれるのなら、そこで謝罪をして、素直な気持ちを伝えて後悔を失くすことが出来るかもしれません。

しかし友人が側にいなければ、やはり後悔の気持ちでいっぱいになってしまうことでしょう。

恋人に謝りたかった

愛し合う恋人同士でも、時には誤解や些細な擦れ違いから喧嘩になってしまうことがあります。

お互いに対する愛情が強いほど、ついカッとなることや、揉めごとも起きてしまいますが、喧嘩をしたままで永遠の別れになってしまうことも時にはあり得るのです。

例えば口喧嘩からその日は互いに別れてしまい、謝る前に恋人が不慮の事故で亡くなってしまうことだってあります。

そんな時には亡くなってしまう側も、また残される側も悔いが残ってしまうでしょう。

また、本当はまだ好きなのに素直になれずに喧嘩別れをしてしまい、会えないままで永遠の別れになってしまうこともあります。

人は最期の瞬間にはあれこれと後悔することを思い浮かべますが、恋人との確執や喧嘩など、まだ解決していないことがあれば、それが一番に頭に浮かんで悔いが残ってしまうでしょう。

あの景色を見てみたかった

長年憧れているけれど、まだ一度も行ったことのない場所や、強い思い入れがある場所がある人では、最期のときになって「あの場所に行きたかったなぁ」「あの景色を見てみたかったなぁ」と後悔することがあります。

例えば高齢で亡くなる前に、夫や妻と一緒に出掛けた場所や思い出の場所に、最期にもう一度行きたかったと思う人もいるでしょう。

また、一度でいいから行ってみたかった場所がある人は、写真や絵を眺めながら、「一度でいいから行ってみたかったなぁ」と悔いが残ることもあるでしょう。

とくに旅行に出かけることが好きな人や、景色を見ることが好きな人は、このような悔いが残ることが多いです。

ただ景色が見たかったという人よりも、何かの理由から強くその場所に思い入れがある人や、幸せだった・楽しかった思い出がある人ほど後悔の念は残りやすいです。