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付き合うとはどういうこと?哲学的に...(続き2)

守ること

また守りたいと思うパートナーであるかどうかも、男性にとって付き合うことと定義していることが多いようです。

男性の中での恋人にしたいと思う女性の条件として、いつの時代も上位にランキングされているのが、「守ってあげたくなる女性」というもの。

これは生物学的な観点からは、当たり前に持っている本能のようなものと言われています。

動物のオスというのは、強いものが集団の長になり、子孫を残していきます。

これが種の存続をさせるために、最も確率が高いということが本能のレベルで把握出来ているからです。

そして強いオスが複数のメスと子供を率いて、危険な外敵などからその集団を守るという行動を取っています。

人間は様々な文化を持って生活をしていますが、動物の一種であることに変わりはありません。

つまり、人間の本能の中にも、肉体的に弱い女性を守りたいという情報がインプットされているわけです。

このため、パートナーである相手のことを守ることこそが「付き合う」という意味だと捉えている男性も少なくないのです。

守りたくなる女性をパートナーにしたいという欲求が沸き起こることも、本能のレベルでは当たり前の感情ということになるわけです。

慈しむこと

更に慈しむことと定義されている男性も多いようです。

慈しむというのは、相手のことをかわいがったり、愛すること。

そして大切にすることという意味になります。

慈しむという漢字を調べると、全ての生物に行き渡る広大無辺の愛とあります。

つまり、損得感情などがなく、ただただ相手のことを愛する行為が慈しむという行為になります。

他にも親が我が子を愛すること。

更にいたわって育てること。

情けをかける行為といった意味があります。

恋愛は駆け引きは必要がないと感じていたり、損得でパートナーを選ぶものではないといったような考えの持ち主が、このような定義を付き合うということと捉えていることが多いです。

ちなみに慈しむというと、さも自分よりも弱い存在に情けを掛けるといったような感覚に思われがちです。

相手を下に見るため、あまりよろしくない感情だと考えている方も多いですよね。

しかし、仏教的な観点から言えば、お釈迦様の愛のあり方のことを示したものが「慈」という漢字だとされています。

まさに損得ではなく、パートナーを愛することが付き合うことと思っているなら、これほどに大切にされる恋愛もないと言えるでしょう。

所有すること

そして、付き合うことは所有をすることと捉えている男性も存在しています。

所有をするといえば、なんだか物のように思われているようで、不快な感情を持つ方もいらるかもしれません。

しかしながら、この所有欲という欲求は、男性が男性であるがゆえの独占欲やプライドの表れとも言われています。

これも前述で紹介した本能のレベルでインプットされている感情です。

その昔、男性の仕事といえば、狩猟でした。

生きていくために、獲物を追いかけ、捕らえる。

苦労をすればするほど、強ければ強いほどに捕獲した時の喜びは大きいものです。

これを一説では狩猟本能と呼んでいるのですが、狩猟をしていない現代男性にも、この情報がインプットされています。

狩猟が上手な男性は、その時代には、当然にパートナーとして重宝されたわけです。

つまり、自分の能力が高いことを見せつけることにより、異性から求められていた。

この名残から男性のアピールといえば、自分はこんなにすごいんだという自慢話や武勇伝などが多くなるわけです。

恋愛というのも、追いかけることに意義があると思っている男性が多いため、結果、付き合うということは、獲物を捕まえること。

つまり所有するといった独占欲を満たすことで成立すると考えているのです。

さらけ出すこと