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付き合うとはどういうこと?哲学的に考えてみよう!

近年では、「付き合う」ということの意義が薄くなりつつあります。

ご存知の通り、恋愛関係を築いている二人の人間が、お互いのことを唯一無二のパートナーとして認めあっている状態を付き合うといいます。

しかしながら、現代では、肉体関係のみを持って、お互いが性的な欲求を解消するためだけの関係を築いている人もいます。

そして、時間が合えば、一緒にいたり、出掛けたりするだけで、付き合っているのかどうか分からないという「友達以上、恋人未満」といった関係が溢れています。

こんな時代だからこそ、「付き合うとはどういうことなのか」ということを様々な視点から見直し、今一度、意味と定義について考えていきましょう。

この記事の目次

「付き合う」を哲学的に解釈すると?

最初に、付き合うということを哲学的に解釈するとどのような状態をいうのでしょうか。

冒頭にもある通り、「恋愛のパートナーということをお互いに約束すること」を付き合うという風に定義されています。

約束をするというと少し軽い感じがします。

しかし、誓い合うことが「付き合うということ」と哲学的には解釈されているようです。

ただし、誓い合うと言っても、挙式のような大勢の場で第三者を介して宣誓をするといったようなことはありません。

文面化するようなことはせず、暗黙の了解として、この誓いは交わされることになります。

基本的には、「付き合うと決めたパートナー以外の異性を恋愛対象とはしないこと。」

他にも、「パートナーのことを幸福にしようと努力をすること。」

「パートナーの不安を解消するように努力をすること。」

「パートナーの信頼に応えようとすること。」

気持ちや出来事を共有することなどが、暗黙の了解の内容に含まれるとされています。

他にも特別な理由などがない限りは、当たり前に会う関係であり、デートなどをすることなども約束されたものとなります。

近年では、冒頭にもある通り、「時間が合えば遊んだりもする。しかし、基本的には自分の時間が第一優先。」

といったような、付き合っているとは言えないような疑問が残る関係が多々存在しています。

世間では、どういう状態を「付き合う」という状態になっているのか様々な議論が繰り広げられています。

そんな中、多くの人は「お互いが意思確認が出来ていることが最低限の条件」と解釈されていることでしょう。

告白をして、それを了承するという行為があれば、一番分かりやすいですね。

こういった行為がなく、ただデートをしている関係があるといったことだけでは、付き合っているとはみなされないとされています。

男が思う「付き合う」とは

これまでは、哲学的な視点から「付き合う」について紹介しました。

しかしながら、恋愛に関する様々な事柄については、個々に考え方が違っているものです。

十人十色なわけですが、大きく大別して、性差、つまり、男性であるのか、女性であるのかによっても大きく考え方が違っているケースがあります。

それでは男性が考える付き合うこととは、どのようなものなのかを紹介しましょう。

ためらわないこと

まず男性にとって付き合うとは、「一緒にいることをためらわない関係であること」と定義している方が多いようです。

ためらわないとは、漢字で書くと分かりやすいと思いますが、「躊躇わない」と書きます。

つまり、躊躇(ちゅうちょ)をしないことです。

何か物事を共有することや、一緒に遊んだり、デートをしたり、食事などをするといったこと。

それを躊躇せずに当たり前に行える関係であるパートナーこそが、付き合っているパートナーと認識することが多いようです。

簡単に言ってしまうと、相手のために自分の時間を犠牲にしたり、時間を共有することにためらいがないことといえます。

逆に自分の予定を優先してしまって、一緒に遊んだり、デートをすることにためらいが生まれてしまうということもあります。

それは、例え肉体関係などがあったとしても、都合の良い異性であり、付き合っている異性とは思っていないことになるわけです。