CoCoSiA(ココシア)

オバタリアンな人の11個の特徴。こ...(続き3)

それでは成長しているどころか、むしろ子供に戻っている状態ですよね?人生経験を通して強くなること、無神経になったり、周りに気遣いをしなくなることは全く異なります。

オバタリアンの恥じらいのない行動を見て幻滅する人が多いのは、大人なのに子供っぽい態度で、尊敬できないからではないでしょうか。

現代版オバタリアン女子の生態

ここまでオバタリアンの特徴を考えてきましたが、「こんな人にはなりたくない」と強く思われたことでしょう。

自己中心的で人のことを考えない生き方は、見た目にもよくありませんし、人を遠ざける残念な人間になってしまいます。

しかし気をつけないと、若くてもオバタリアン化してしまう可能性があります。

年齢に関係なく、現代版オバタリアンが急増しているそうなので、その実態を調査して見ましょう。

お得な情報や口コミを重視

最近はフリーペーパーやネットクーポン、口コミサイトなどが普及しているので、お店をお得に活用する情報を、各自が簡単に手に入れることができます。

そこでスーパーの値引きセールにうるさいオバタリアン気質を発揮してしまう女子がいるのです。

飲み会や食時間の時に、割引きがあるかどうかでお店選びをしたり、徹底的にクーポンを利用しようとしたり、大盛りやデザートサービスなども調べ尽くして、”使わないと損!ぐらいの勢いでみんなにも進めたりしていませんか?

また、世間話の延長でもある口コミを読むのが大好きで、クチコミに書かれていた情報を100%信頼し、それを根拠として話を進めたり、自分も同じようなサービスを受けようとしているなら、オバタリアン化している判断できるでしょう。

特に、自分が幹事でもないのに、お得な情報を知っているからと仕切り出したり、幹事に指示をするようになっているなら、立派なオバタリアン女子です。

割り勘に敏感

お得が大好きなオバタリアン女子は、割り勘とわかった途端に、自腹では頼まないような高いメニューや、みんなが食べなくても自分が食べたいものを平気でオーダーします。

グループの食事で割り勘の時には、暗黙の了解で、みんなで食事のペースを合わせたり、みんなでシェアできるものをオーダーすることになっていますが、そんな場でも、自分の益しか考えない人は、図々しいオーダーをし、自分一人で食べた分を負担するということは絶対にありません。

また、割り勘なら端数まできっちり割ろうと、細かく計算する人も周りに引かれている可能性が高いので気をつけましょう。

乾杯のタイミングにトイレ

これは、空気が読めないというオバタリアンの特徴が出ています。

トイレに行きたくなるのは生理現象ですので仕方のない時もありますが、しっかりと周りと見ているなら、会場に着いてからの流れで、乾杯のタイミングはだいたい予想がつくものです。

ですからその前に済ませておこうと普通はなりますが、おしゃべりに夢中になっていたり、全ては自分のペースで進むと勘違いしているなら、「今?」というタイミングで平然と席を立っていくのです。

やることなす事が雑

美しい所作をすることは、周りへの配慮が大きく関係しています。

「ドアをバンと閉めたら大きな音がして周りを不快にさせるかな」「グラスをとるのに手を前に出したら迷惑かな」「ここでお化粧を直したらどう見られるかな」などと人がどう感じるかを考えながら動くなら、物音を立てたり、人の動作を遮ったりすることはありません。

しかし、周りのことを考えず、自分がどう見られるかの恥じらいもないなら、やることなすことが雑になり、こぼしたり転んだりなど失敗をしたり、リモコンを投げたりゴミを置きっ放しにしたり人が不快に感じるような動きをしてしまうのでしょう。

コミュニケーション大好き

誰彼構わず話しかけることができるのもオバタリアンの特徴です。

コミュニケーションを上手にとれることは素晴らしいことですが、話しかけるべき時ではない時に話しかけたり、明らかに相手が迷惑に感じているのに、それに気づかずにおしゃべりを続けるなら、それはよくありません。

例えば、飲み会の時に、注文用のタッチパネルがあるにもかかわらず大声で店員さんを呼んだり、長々と話しかけるのはマナー違反で、店員さんの仕事を邪魔する迷惑行為です。

さらに、近くの席の人に絡んだり、一緒にいる人が望んでいないのに、その場に居合わせた人と世間話を始めるのも、自己中心的コミュニケーションになりますのでオバタリアン化していることになります。

うんちくを語りだす

うんちくとは、蓄えた深い知識や学問のことですので、本来ならばためになる話のはずですが、「うんちくを語る」というと嫌なイメージになるのは、聞いてもいないのに長々と、偉そうに雑誌やテレビで得た雑学を語る人が多いからではないでしょうか?

オバタリアン女子も好奇心が強いので、様々な情報に通じていることでしょう。

しかし、それらの薄い情報を、すごい知識をひけらかすように話したり、さも自分は物知りのような態度をとるなら周りから呆れられてしまいます。

過去の武勇伝を語り尽くす

過去の話を自慢話としてすることは、すでにその人の成長が止まっていることを表しているようなものです。

しかも自分から、聞かれてもいないのに積極的に話すのは、過去にしがみついている人にしか見えません。

それこそ空気が読めず、時代錯誤をしているオバタリアンであることを、自ら示していることになるでしょう。

女性の武勇伝というと、どれだけ自分が綺麗だったか、どれほどの男性に言い寄られたかという話になりますよね?「昔は細くて・・」と始まるあの話です。

本人がいう通り、昔はモデルのように細くて綺麗で、モテモテだったかもしれませんが、今その面影が全くなく、その年なりの美しさも身につけていないなら、聞いている方は、その武勇伝にリアリティーを感じませんし、”結果が全て”と冷めた聞き方になってしまいますよね。