「見据える」には「じっと見る」という意味もありましたが、さらに踏み込んでじっと見ることによって正しい判断ができるようになること、もしくはそのような判断をすることをさしていることもあるというこです。
認識
「認識」とは、「知られたこと」または「多くの人に共通してしられていること」になります。
これは、まずこの言葉を構成している漢字に注目してみましょう。
この言葉は「認める」と「知識の“識”」という漢字でできていますね。
要するに「知識として認めること、あるいは認めていること」になります。
「広く認識が広がった」なんて言葉で使われることもありますが、この場合はこの言葉を説明するにはもってこいで「多くの人にその考えや知識を広めることができた(ひろまった)」という意味になります。
「見据える」という言葉にもこのように広い範囲に認められる内容が対象となるということなんですね。
観取
「観取」には、「見て理解すること」「それ(対象とするもの)を見てしること」の意味があります。
「見据える」という言葉には、じっと相手や対象物を鑑賞し、さらに見つめることによってその対象物の本質をしっていくような意味がありましたよね。
それと同じように、「見ることによってその相手がどんなものなのかを判断する」というニュアンスをもっているのが「観取」になります。
この点で、類語であることはお分かりいただけるでしょう。
また、「観取」という言葉は、「事情などを把握する、察知する、あらかじめ読み取ってあげる」という意味もあります。
「見据える」と同様に言葉なくしても相手のことを知ることができる、もしくは知れるような心の目を持っているという意味も含んでいます。
見据えるを連想される言葉
見据えるを連想される言葉には「熟視する」、「目を光らす」、「監視」、「凝視する」、「目を凝らす」、「見守る」、「見張る」、「いぬくような」、「長期的な視野を持つ」などが挙げられます。
これまでに「類語」を見てきましたが、それでもまだ「見据える」という言葉の意味を理解できない!と感じているかもしれません。
そのような人は、「見据える」という言葉から連想される言葉を見て、それがどんな意味を示しているのかを確認していきましょう!
連想されるということは、同じような意味合いやニュアンスをもっているということになるので、理解しやすいはずです。
熟視する
見据えるのは、じっと見つめることによって、相手の本質を知ることもできるし、そのような力を養っていくという意味もありました。
そのように考えると、同じような言葉として「熟視する」という意味が連想されるのではないでしょうか。
「熟視する」というのは、「目が熟してしまうほどに対象としているものをガン見している」という意味になります。
そのため、「見据える」と同じような意味合いをもっていますし、連想することができます。
目を光らす
「目を光らす」というのは、「対象とするものに対して興味の気持ちを示しているということ、それにその対象のことを心から気にしている」という意味合いを持っています。
人は心から気になっているものを見ているときというのは、ほかのものを見つめている時とは違って目が光り輝いているものです。
「見据える」という言葉には、そのように目をキラキラさせているという意味はありませんが、“気になっている対象物をみる”という点では同じ意味を持っているといえます。
そのため、「じっと見つめる」「興味心がある」という点において意味も共通しているんですよね。
監視
「監視」は、「対象とするものを警戒して見張ること」を意味しています。
「見据える」と同様に対象とするものをじっとみつめているところでは同じ意味合いになりますよね。
また、「見据える」という言葉にも対象とするものをじっと見つめることによって、相手の本質がどのようなものなのかを知るという意味も含まれていました。
そのように考えると「監視」と「見据える」は、似ている言葉になります。
しかし、「監視」には警戒するような少しネガティブな気持ちが含まれていますが、「見据える」には「監視」ほどマイナスなイメージは含まれていません。
凝視する
「凝視する」とは、「対象とするものをじっと見つめる」という意味を持っています。
まさに「見据える」とほぼ同じ意味を持っているといえますね。
しかし、ひとつ違うのは「凝視する」という言葉には対象とするものを見つめるという意味しかありません。