よく恋愛をしたことがない人が、戸惑いながら好きな人と接しているさまを見て、周りが「初々しいね~」「初心で可愛いね」などと言うことがあります。
やったことのないことや、未知のものに対しては、誰しもが戸惑い自信がなく、ためらいの感情を見せます。
そうした様子がもの慣れた人からすれば可愛らしく見えて、好感を抱く際に「初々しい」と表現することがあるでしょう。
初々しさはその内容によっては、大人でも子どもでも関係がありません。
子どもで初々しいさまが好意的に思えることもあれば、高齢になってから初めてすることに対して、初々しい様子でいる人を微笑ましく思うこともあるでしょう。
3.自然で飾り気のない性質
純真には、自然で飾り気のない性質もあります。
他人から良い人だと思われたくて自分を取り繕ったり、好きな異性に好かれたくて相手の好みになろうと思ったりと、誰かに何かを思われたい一心でいる人の場合は、自らを何とかして飾り立てようと努力します。
自分を飾り立てる理由が、誰かに良く思われたいものであったとしても、動機があれば積極的に行動して、自分を良い方向へと変えていくことは出来ますので、それ自体は良いことでしょう。
しかし、そうして行動していること自体が、自分の意志ではなく、誰かの意志に依存して行動していることになります。
また、人によって誰かに気に入られよう、ご機嫌伺いをしようとして飾り立てようとすることもありますので、他人から見ればどうしても打算的に思えてしまうこともあるでしょう。
一方で純真な人は、そうした飾り気が一切ありませんので、行動にも計算を感じさせず、ごく自然に振舞っています。
率直
純真な人は自らを飾り立てることがないために、いつでも率直さがあります。
率直とは「ありのままで隠すところがないこと」、「飾ったりつくろったりしないこと」ですので、まさに純真さを表わす言葉と言ってもいいでしょう。
率直に人の意見を伺ったり、率直な行動をしたりと、言動や行動がストレートで嘘がないため、周りもその人を信用しやすくなります。
真率
真率とは、「真面目で飾り気がないこと」です。
純真な人は自分が「これは間違っている、よくない」と思うことがあれば、例えその流れに乗らなければならない場面であっても、頑なに従おうとはしません。
周りや目上の人間に媚びへつらうこともせずに、真面目で自分の芯を通して生きていこうとしますので、時には周りの人から疎まれることもあるでしょう。
例えば上司が脱税をしていることを部下は皆知っていて、誰もが面倒を避けて何も言わないでいる時にも、純真な人は1人立ち上がって上司に抗議しようとしたり、さらに上の立場の人へそれを報告しようとしたりします。
周りとしては「波風を立ててくれるな」と思い忠告しようとしても、「いや、これは間違っているから」と周りに合わせて流されることなく、真面目さを貫こうとします。
そのため時には理不尽な目にも遭いますし、会社によってはクビにされてしまうこともあるでしょう。
それでも「自分は間違っていない」という確固たる自信があるため、純真な人はその純真さを失うことはないのです。
純真の関連語
「純真」の関連語には、「純粋」、「可憐」、「真っ直ぐな」、「ひたむき」、「一途な」などがあります。
純真の関連語は、心のけがれのなさや清らかさといったものを表わしているものが多いです。
「純真」は普段使いをされることはあまりありませんが、関連語はあちこちの機会で使われています。
純粋は「けがれや邪念、私欲がないこと」を意味しており、可憐は「姿形が可愛らしく、守ってやりたくなるようなさま」という意味があります。
真っ直ぐなは「隠し立てのない正直なさま」を意味し、ひたむき、一途は「一つのことに一生懸命になり、熱中するさま」という意味があります。
どれも純真の、真っ直ぐでけがれのない心や、無垢なところ、また何も隠し立てがないような部分を表わしています。
そのため日常会話の中で「あの人は純真だね」と言う機会はあまりなくても、「あの人は純粋だね」「可憐だね」「ひたむきな様子が良いね」などと言う機会は多いでしょう。
純真の対義語
純真の対義語には「不純」、「邪心」があります。
不純は「純粋でないこと。」、邪心は「よこしまな心。悪心。」という意味があります。
純真の英語表現
純真は英語で「pure」=純潔の、汚れのない、「ingenuous」=無邪気な、純真な、「innocent」=無邪気な、純潔な、と表現ができます。
まとめ
子どもの内は誰もが純真ですが、大人になるにつれて次第にその純真さは失われていきます。
しかしそれは決して悪いことではなく、悪い人に騙されたり、悪意に翻弄されたりしないために自らの防衛反応として、簡単に人を信用しなくなったり、警戒心が強くなったりするのです。