「純真」と関連する意味としては、「道に反するところがない」という部分でしょう。
道に反するところがないというのは、道をそれることがなく、またわざわざ道から外れるようなこともしないということです。
例えば自分の人生に敷かれた一本道が、正しい生き方を示しているのなら、その道からそれることがなければ、正しい人生を送ることができるでしょう。
自ら道に反する行動をしないため、何も後ろ暗いこともありません。
人から認められることはあっても、責められるような人生を送ることはないでしょう。
無垢
無垢とは、「けがれがなく純真なこと」です。
元は仏教用語で、「煩悩のけがれから離れて、清らかであること」という意味の言葉です。
「純粋無垢」という四文字熟語でも使われるように、けがれのない清らかな心を持つ人を表しています。
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2.世慣れしていない、または世俗的ではない
純真な人は、いかにも世慣れしていないといった雰囲気があります。
社会に出て、世間とはどんなものなのかを肌で感じていれば、少なからず悪い感情を覚える機会もありますし、またさまざまなトラブルに巻き込まれることもあるでしょう。
真っ直ぐに正義だけを貫いて生きていくことが難しいという現実を思い知り、時には良くないものに巻かれながら生きていく必要もあるのだと、挫折をすることもあります。
たくさんの人の感情や、変動する世の中にもまれながら生きていれば、誰でも多少なりとも世慣れして、世間に適応した生き方になっていくでしょう。
しかし、純真さは世慣れや世俗的なものにはまったく馴染むことのない存在です。
例えばのんびりとした穏やかな土地で育ってきた人は、純真な性質を持ちやすいです。
しかしそんな人でも、1年も都会で生活していれば、心身に大きな変化が表れることでしょう。
それでも純真さを失わずにいる人の方が、とても珍しく希少な存在と言えます。
そんな世俗的なものとは相いれない純真さを表わす類語を以下に挙げていきます。
天真爛漫
天真爛漫とは、「飾ったり気取ったりせずにありのままであること」、「無邪気で微笑ましくなるようなさま」のことです。
人には誰しも自我がありますので、「人の上に立ちたい」「人から良く見られたい」などの感情を抱くことがあります。
それらの自我が強い人ほど、自らを着飾ったり、本来の自分以上であるように見せようとしたりします。
そうやって、自分の狙ったものを得ようとする行為は決して悪いものではありませんし、また誰にでもよくあることですよね。
しかし天真爛漫な人というのは、自分が何かを狙ったり、意図したりして行動することがまずありません。
人からどういう風に思われたいかということを頭で考えずに、自分の気持ちに素直に行動します。
時にはそれが好ましく思われることもあれば、悪く思われてしまうこともあるでしょう。
子どもでもない限りは、あまりに無邪気な行動は時に他人を不快にさせてしまうこともあります。
しかし本当に天真爛漫な人というのは、そうした周囲の悪い感情を意識することもないのです。
他愛ない
他愛ないは、「正体がない」、「しっかりした考えがない」、「手ごたえがない」などの意味があります。
この内の「しっかりした考えがない」というのは、幼い子どもに思慮分別がないように、先のことや身の回りのことなどをきちんと考えていないという意味でもあります。
そのため友達との旅行の日にちが迫っているのに、友達から何か言われるまでまったく何も考えていなかったり、将来どうするのかと問われた時にも、明確な将来への希望やビジョンなども持っていなかったりします。
子どもっぽい性格の人に多く見られますが、いい歳になってからも他愛ないままでいると、周囲からは「しっかり考えなよ」と呆れられてしまう可能性があります。
純真な人はあれこれと考えを巡らせて悩むことがそこまで多くはないため、そうした部分と他愛なさとが似ていると言えるでしょう。
純真なことは邪な考えがなくて良い反面、少々考えなしなところもあります。
初々しい
初々しいは「もの慣れない感じで、好感のもてるさま」です。